綴られた想いを読み、声を聞き、その姿を見る。それらを通じて、時には互いに心の底まで曝け出すこともあった。幸福を感じたとき、不安や寂しさが身を浸したとき、すれ違いに苛立ったとき……他にも。
多くの感情が渦を巻いて己を揺さぶって止まないとき、何故、と思った。誰に強いられるわけでもなく己で決めたことなのに、閉ざされた壁の向こうに伝えた想いは、願いは、減衰した挙句にどのように届くのだろう、とも思った。
空と海を渡り、遠いこの国まで「迎えに来た」という彼も同じようだった。己をすっぽりと緩く囲い、多くの言葉を費やして口早で近況を語っている。元来はあまり饒舌なほうではないのに。
すべてが心地良い。ただそう思う。彼が紡ぐ話の内容も、その声音も、耳にかかる吐息も、かじかんでいたはずの手のあたたかさも、背中から伝わる熱や心音も、時折感じる肩への重みも、少し力が込められた腕にも、そう思った。彼が此処にいる、夢みたいだが夢ではない「都合のよい事実」が己をふわふわと心を浮き立たせる。
これは、夢? 幻想が見せているまやかし?
画面に浮かんだ文字列、記憶にあるよりも少しざらついて聞こえた音、遠く離れていると思い知らされるのは触れることの叶わない姿。時間に急かされて彼との繋がりが断ち切られるあの瞬間。画面に映し出された「終了」のボタンをクリックする際の、ごく僅かな絶望にも似た想い。落ちる溜息。ようよう認めた寂しさをバネに、明日へ、明日へと。
完全な別離と比べたら雲泥の差、そう、今は幸福なのだと言い聞かせていたそれらの時の狭間に、触れ合うこともあった。触れて、囁いて、繋がって、囁いて、また離れる。
その繰り返しを経て、愛しさと寂しさと少しの苦しみは単純な拍子ではなく、不意をつくようなシンコペーションで奏でていく。
何かの音になって、重なって。時には高揚を、時には消沈を齎して。
今も、かつても。
記憶から次第に霞んでいくあの世界でも、明日を夢見ることが許されたこの世界でも。
「ディオン?」
話の切れ目でテランスは私を呼び、きゅう、と抱きしめてきた。さらに増して伝わってくる彼の鼓動や熱、その心地良さにひっそりと息を吐く。敏い彼は私の上の空に気付いていたのだろうが、常に一瞬の逡巡をしてしまうところはまったくの悪癖といえた。もっと暴いてくれても構わないのに、などとそんなことも考えてしまうが――、それでも「前」よりはずっとずっと自らの心情に忠実に生きるようになったのは重畳だった。
そう、開き直った、と彼は笑って宣言した。久方ぶりに交じりあった昨朝、満ち足りた眠りから浮上した私を見つめていた彼は「おはよう」と耳元で囁いてから先の言葉を宣った。秘め事のようであり、誓いのようでもあるその言葉を一瞬では呑み込めなかったが、続いて彼がのしかかってきたので何とはなしに得心した。少しばかり体は軋んでいたが、誤差の範囲だと思い為して彼を受け入れた。
――待つことが少し辛いことに、気付いたんだ。
だから、と続ける彼の言葉を体で、心で聞いた。体と心の奥深くに彼が入り込み、やがて押し寄せた高波が歓びを幾度も齎した。酸素不足で荒くなった呼吸を聞き、腕を伸ばして彼を引き寄せる。全力疾走後のような具合の鼓動を感じながら、名前を呼びながら、汗で湿った肌をぴたりと合わせながら、求めるままに、求められるままに口づけた。
頭の片隅に追いやりかけた彼の想いを反芻する。待つことが辛い、と彼は言った。そう、私はいつも彼を待たせていた。かつても、今も。彼が待ってくれているからこそ、僅かなりとも心平らかに難事を成し遂げた。彼という着地点があるからこそ、翼を広げられた。未来へと手を伸ばすことができた。
それでも、彼という存在は還るところではなかった、とそう思う。少なくともあの世界では。言外の「生き延びよ」という私のどこまでも我儘な願いを、彼は受け入れた。すべての感情を涙とただ一言に込めて、その場を去って、そうして――探しながら待ち続けた。
その心の痛みは、どれほどだったのだろうか。私には到底計り知れないことだったが、時折思い出しては号泣する彼を抱きしめるたびに、己の罪を思い知る。
なんて、罪深い生き物。
「……ディオン、考えすぎだよ?」
黙り込んで僅かに身を強張らせたのを見抜いた彼は、私に「君は、君のままで」と言った。
「自由に、心の赴くままに……。僕の願いは、今も昔も変わらない」
かつてよく聞いた「御心のままに」という言葉を思い出す。
言い終えて彼は、そっと溜息をついた。次いで、肩口にぐりぐりと額を擦り合わせてきた彼の手を私は軽く叩き、腕を解かせた。くるりと反転し、そのまま彼の足に跨る。身を傾がせると、あっという間に腕のなかに囲われた。衣服越しだが、やはりあたたかい。ほう、と息をつく。
今では、此処こそが還るところ。……そして、彼も。
「いつでも私を引き寄せろ。遠慮など要らない。――お前も、心の赴くままに」
至近距離で視線が絡み合う。口づけとともに容易に増していく熱。
「ずっと、傍にいたい」
合間に彼が囁く。その言葉が、切実な声色が嬉しくて、私は彼を掻き抱いた。