#04 剣戟の音

 ノートを見ながら彼女が紡ぎだした詩は、聞き覚えがあるものだった。
 聖竜騎士を讃える詩。
 強大な竜に姿を変え、戦況をも変える――稀有なる守護獣。守護獣であり、騎士でもあった彼がもたらすのは、国の繁栄と安寧。
 よく、酒場などで彼を称える俗謡が歌われていた。吟遊詩人が音頭をとって次第に大合唱になった。お忍びでその場面に出くわした彼が真っ赤な顔で俯いてしまったことも、その隣で自分も笑いながら口ずさんだことも憶えている。
 何故、この詩が。彼女はどこで、この詩を?
 ざわめく心をよそに、彼女は詩を詠み続ける。
 灰の国との戦で敵を薙ぎ払った竜。だが、多数の兵を失った負け戦の責ばかりを背負わされた。
 枯れゆく黄昏の世界。闇黒の訪れ。その現実に目を背け享楽に耽る人々。国主たる父や、権力におもねる人の群れのなかで艶やかに微笑む王妃。騎士の訴えは誰にも伝わらない。――ただ、ひとりを除いて。
 苦悩する騎士はある日決意した。国の闇を祓うと。その行く末に青の花が咲き、街は灰燼と帰した。
 彼は罪人となった。彼の国は滅びた。禍々しい竜は姿を隠し、次第に世界は混迷を極めた。
 まだらの空に浮かぶ黒曜色の塊。
 争いの末に嘆きがあった。滅びの道を辿る世界を目の当たりにし、誰もが諦めの表情を浮かべた。――そうしたとある日、黒塊に飛ぶ翼があった。空を見上げた誰かが呟いた。あれは、私たちの。
 闇に無数の光が閃き、……そして消えた。
 悲しみの闇渦に夜明けの灯火を導き、翼持つ竜は消えた……。


 なんということだろう、と思ってしまう。下手に俯いてしまうと涙が溢れてしまいそうで、ただ聞き入るふりをした。
 こんなのは、こんな続きは知らない。
 詠み終わったと判断した誰かが拍手をした。皆それぞれ呆然とした様子だったが、エディータはそんな聴衆を無視し、ページを捲る。
「消えた翼を探し続ける者に、周りは説き伏せる」
 どくり、と心臓が跳ねるような感覚に陥る。一方で呼吸が止まってしまうような。
 ――我が君は、きっと。きっと、どこかに。
 時は巡り、少しずつ記憶は風化していく。竜の彼は罪人のまま、最後の翼のみが申し訳程度に称えられた。
 探索者は多くを語らなかった。探し続けたのは彼か、彼のかけらか。多くの時を費やす探索者の真意を探れる者など、そうはいない。
 そうしてある日。探索者は――。

§ § §

 エディータがすべて詠み終わる前にテランスが出ていった。それなりに響いた大きな音に、エディータは詠むのを止めて講師を戸惑う様子で窺う。その隙にディオンはテランスが出ていった扉を見やった。追うべきか。そんなディオンの一瞬の逡巡を見透かすかのように講師が補足し始める。
「……何処の国か、いずれの時代なのかも不明だ。言っておくが、これはエディータの創作ではない。図書委員である彼女が書庫整理の際に見つけた。原文は古語だったために司書長に助力をいただいて解読したというわけだよ」
 講師は続けた。
「この国の歴史を、特に近代や現代史を学ぶ者には近視眼的になってしまう者が多い。連綿と続いてきた時の流れは、ただ漫然と繋がっていたわけではない。転換点は必ず存在し、変容を遂げる。それはこの世界でも勿論そうだし、仮定の話だが、他の星の文明もそうだろう。そう思えば、今学んでいることに待つことが何かを考えていくことも――自らの選択が世界に何を及ぼすか考える時間を持ってほしい。以上だ」
 授業の終わりを告げるアラームベルが鳴る。ふうーと誰かが大きな溜息をついたのを合図に生徒はぞろぞろと講堂を出ていった。
 ――あれは、己のこと。そして、最後は……。
 だが、エディータと講師に詰め寄って確認することはできない。とんだ妄想主義者と思われるのがオチだろう。
 それよりも耐えきれなかったのだろう、途中で出ていってしまったテランスのほうが気がかりだった。彼を独りにしたくないと強く思う。急いでノートパソコンをロックし、テキストと共に片付けた。
 だが、エディータを労っていた講師は、退室しようとしたディオンを呼び止めた。


 講師の用件を聞いた後に急いでクラスルームに戻ると、ランチタイムを楽しむ同級生がちらほらいた。今日は天気も良いから、大半は外で食べるのだろう。そんななかで机に突っ伏しているテランスは異様だった。
 すぐ傍でジョシュアが何かを言っていたが、彼はディオンの姿を認めると、少し大きめの声で「ほらほら、ディオンが帰ってきたよ?」とテランスに向かって呼びかけた。ぴくり、とテランスの体が動く。それが何故か愛しく思えたが、まずは、とディオンはテランスが講堂に置きっぱなしにしていた荷物を机に置いた。
「あ……」
 僅かにテランスが顔を上げる。やはり愛いな、とディオンは思った。時空や世界が変わったとしても、彼がいるだけで、己は。
 しかしそれを素直に口に出すのは少し恥ずかしかった。人前で――特にジョシュアがすぐ傍にいる現況では、特にそのように思ってしまう。故に、ワックスできっちりとは固められていないテランスの髪を、照れ隠しがわりにくしゃくしゃと掻き回してごまかす。
「ディ、ディオン?」
「……なんでもない。そうしたかっただけで……ジョシュア、席を外してくれないか?」
 後半の言葉はジョシュアに向けたディオンに、ジョシュアは「面白そうだと思ったけど、仕方ないね」と妙に嬉しそうに笑って去っていった。後で事の仔細は訊かれるだろうが、今はテランスにだけ話そうと思う。
 ディオンはテランスの隣に座ると、話を持ちかけた。

*  *

 次の日――。

「嗜む、はあてになりませんからね……ディオンの場合……」
「コレージュ……ミドルの頃に手習程度に覚えただけだ」
「……ソウデスカ」
 何を思ったのか――もしくは「前世」を思い出したのか。遠い目をして棒読み気味にテランスが言うのを、ディオンは笑いながら聞いた。
 二人揃って手際よく防具をつけていく。コレージュの頃よりは流石に背が伸びて防具が合わなくなったディオンは、フェンシング部の体格が近い部員から防具を借りた。ちなみに、テランスもサイズの確認をしたが、こちらはまだなんとか問題なく自身のを着用できたようだった。しばらく身長が伸びて伸びて困った時期があったが、どうやら成長期は終わったらしい。テランスの言葉に、ディオンはそっと笑む。そのようなところもかつてと同じだった。
「準備は……大丈夫そうだな。ああ、そうそう。エペはできるか、ディオン?」
「それなりに」
 更衣室に顔を出したフェンシング部の部員兼クラスメイトにディオンは短く答えた。それほど重きを置いて練習したわけではないが、人並みにはできるだろう。……元部員だったというテランスに勝つ自信はまるでないけれども。
 そういえば、聖竜騎士とは祭り上げられたものの、実力ではテランスのほうが上だったと思う。
 しかしこういったことはやってみなければ分からない。もしや、という場合もある。このあたりもやはり同じだ。
 昨日のランチタイム。ひとり打ちひしがれていた(ジョシュアが傍にいたが)テランスにディオンは「決闘」を申し出た。いや、決闘と称したのは後に話を聞いたジョシュアだったのだが、「勝者が敗者に願い事をする。敗者は勝者の願い事を拒めない」とディオンが続けたとき、テランスは少し間の抜けた表情でこちらを見ていた。
『そんなことしなくても、私……僕……俺は、君の願い事を拒んだりは』
『分からないぞ? 正反対のことを言うかもしれない。お前が望まないことを言う可能性だってある』
『嫌だ!』
 立ち上がって睨んできたテランスに、ディオンは笑みを浮かべた。彼の喜怒哀楽は、かつてと比べると少し分かりやすい。……あまり比較をしないほうが良いのだろうが、今はまだ仕方ないだろう。何せ、「再会」してから数日しか経っていない。
 話に乗るか?と改めて訊ねたディオンにテランスが数拍を置いて頷き、今日がある。
 二人は部員に伴われて体育館の一画へ進んだ。ここ、とピストの一枠を指し示されて入る。主審役は「面白そうだ」とやって来た外部顧問で、「なんか話が大きくなってない……?」と言うテランスにディオンはそっと頷いた。テランスにとある件を伝えたくて(あるいは、彼の意思を聞きたくて)フェンシングを利用しただけなのだが、それで言うと妙に観衆も多かった。このスクールはこれほど暇人の集う学舎だっただろうか?
「皆、こういうディオンが見たかったんだろうね」
 しみじみ嬉しそうに言うテランスに、部員が小突く。
「それは三割くらいだな。いわゆるディオン様親衛隊のような輩だ。一割がお前らのフェンシングの腕前を見に来た「オタク」、残り過半数は野次馬さ。愛の逃避行の顛末を見届けようという連中だ」
「え」
「……なんだそれは」
 ディオンは眉根を寄せたが、部員は片目を瞑ってみせると主審に合図を送る。主審は二人を嬉しそうな顔つきでそれぞれ見やった。
 礼をし、構える。確認され、答えると、競技開始の号令がかかった。