あぶらかたぶら

 久しぶりとか、元気だったかとか。そういった一連のやり取りの後に続くのは、平易な言葉。ぎこちないやり取りの後に思い出したのは、飾らない距離感。
 そうして──。


「あぶらかたぶら」
 謎の詠唱を口にしながら手を翳してきたラムザに、ディリータは牛鬼にやられて傷を負った右腕をおとなしく見せた。
「本当に変わらないね、ディリータは」
「……そうか?」
 聞こえていないのか無視したのか、あぶらかたぶら、と繰り返しラムザが呟く。すると、ディリータの腕の傷はみるみるうちに塞がった。
「そうだよ。まったく……」
 はあ、と聞こえよがしにラムザは大仰な溜息をついてきた。その溜息を聞き流そうとしたディリータだったが、彼はそれを許さなかった。何度でも言うよ、と前置きをして滔々と説教し始める。
「自分を囮にするなんていうのは今どき流行らないし、相手がそれに乗るっていう確証がないなら意味ないから。それに、久しぶりに剣を握った人のやることじゃないから」
「しかし……」
 これほど幼馴染は口達者だったろうか、とディリータはこの展開になると思うようになった。幼い頃のラムザは自身の考えを押し出すのがあまり得意ではなかった。それなのに、今は容赦なく言葉を重ねるようになっていて。
 先の内乱で鍛えられたのか。その後の紆余曲折が彼をこうしてしまったのか。
 分からないけれども少し怖い、とディリータは正直に思った。
「しかしもかかしもない。少しは反省してほしいな。……ほかには?」
 ラムザの問いかけにディリータは首を横に振った。右腕は割と派手にやられてしまったが、後はせいぜいがかすり傷程度だった。牛鬼が目の前で鎌を振り回してきたときにはさすがに死の恐怖を感じたが。
 そういえば、とそうしてふと思う。思い返してみると、魔物と対峙したことはあまりない。自分が戦ってきた相手はその殆どが人間だった。そして、それも今は遠い過去になっている。
「旅慣れるとはこういうことか……」
 おまじないって疲れるんだよね、と言いながらまた溜息をついてみせたラムザを横目で見やり、ディリータは呟いた。
 実際、ラムザは相当に旅慣れていた。怪しげな街道筋を避けるのも、休憩に適した場所を見つけるのも、宿で値切るのも、オルダリーアの土地に明るいのも、魔物を手懐けるのも……ほかにも大小合わせて色々あるが、この幼馴染がいたからこそ見えた景色もあった。それに、彼がいなかったら今の窮地も切り抜けられなかっただろう。
「ディリータは都会っ子だからねえ」
 聞きつけたらしいラムザが揶揄するように言う。その言い方も「自分が知る頃のラムザ」とは違っていて、ディリータは不思議な思いになった。
 色々知らなかったことがある。変わっていったものがある。惜しんだり、悔しがったりするわけではなく、本当にただ不思議だった。
「……都会っ子では」
 心に浮かんだその思いをとりあえずは棚上げにし、ディリータはラムザの言葉に反論しようと口を開きかけ──、しかし結局は何をどう反論すべきか悩んでしまった。
 王都は都会といえば確かにそうで。ずっと自分は長いことそうした場所にいて。……こうして歩いて広野を旅することなど殆どなくて。
「まあ、そういうこと」
 黙り込んだディリータに、ラムザが笑いかける。落としたままだった剣を拾うと、彼はそれをディリータに手渡した。
「でも、思ってたよりは動きも鈍ってなくて安心したかな。ずっと鍛錬してた?」
「それなりに、だが」
 ディリータがそう答えると、ラムザは嬉しそうに笑った。そうしてさらに問う。
「ひとりで? それとも誰かを相手にして?」
「……木人を相手にしても聖剣技など繰り出せば一撃で壊れる。そう思って、武官を相手にすることもあったが」
 ディリータはそこで言葉を切った。眉間に皺が寄るのを自分でも感じながら、続きを言い淀む。
「あったが?」
 ラムザは問いを重ねた。あらためてディリータがその顔を見ると、好奇心でいっぱいといった表情で言葉の続きを待っているようだった。
 もっとも、何かを確信しているといったふうでもあるが──。
「……。武官にも嫌がられた」
「だろうねえ」
 ややあってディリータがそう白状すると、ラムザは大きく頷いた。
「基本的にディリータは容赦がなさすぎるからね。僕もそう思ったことがあったし……昔々のことだけど覚えてるかな、ゼルテニアでのこと」
「ゼルテニア?」
 唐突に昔話を出してきたラムザに、ディリータは目を瞬いた。
 何かあっただろうか。そう思って記憶を混ぜ返し始めたディリータだったが、ラムザはそんな様子を見て呆れたらしい。何度目か分からない溜息をつき、早々に答を出してきた。
「ザルモゥ相手に共闘したんだけどね、やっぱり忘れてたか……」
 残念だよ、とラムザが芝居がかった風情で首を振ったので、ディリータは何故か申し訳ない気分になり──、そこで頭の片隅にぶら下がっていた記憶の欠片を思い出した。
 ゼルテニア。最後だと思い、この幼馴染と別れた場所。
 それはよく覚えている。町外れの教会で自身の胸の内を語った。誰にも吐露しなかった想いだったが、彼にだけは知っていてほしいと何故か思っていた。
 そして。そこからが、ぶら下がった記憶の欠片。
「ああ……。あの異端審問官か」
 思い出したことをディリータがそのまま告げると、ラムザは拍手をして寄越した。
「そう。せっかく僕らが口封じに一網打尽にしようとしたのに、ディリータときたら」
「一網打尽」
 その言葉のほうが恐ろしいような気がしてディリータは口を挟んだが、ラムザはどうということもないという顔をして続けた。
「ディリータときたらザルモゥしか見てないんだから。僕が教会の屋根を登って、さあこれからどう料理してやろうかと考える間も与えずに……」
「料理」
 ディリータの復唱にラムザは首を傾げた。
「そう、料理。なんかおかしいかな? まあいいや、僕が巻き添えになるなんて思いもしなかったか、それともわざとだったのか。とにかくディリータは容赦なく聖剣技を叩き込んできた。あれはもう忘れられないね」
 そもそも、とラムザは続ける。
「ザルモゥだけ狙っても無意味なんだよ。彼の部下がぞろぞろいたんだから、奴等もやっつけなきゃ」
「……すまん」
 ねちねちとまたもや説教をしてきたラムザに、ディリータは素直に謝った。この流れになってしまったらもうどうしようもないということは、いい加減学ばなければならない。
 多少言い訳もしたいところだったが、それはぐっと堪える。よく考えれば、ラムザの言うことはもっともだった。
 視野が狭かったのだと思う。前だけを見据えていたから。……実は前すらも見えていなかったのだろうが。
 あの頃は、何も見えていなかった。そして、それは今もなのかもしれない。
 結局、自分は何も変わらない──。
「ディリータ?」
 ラムザの声にディリータは我に返った。俯いてしまっていた顔を上げ、肩を竦めて何事もなかったような表情をつくる。
「いや、なんでもない」
「……本当にディリータは変わらないんだから」
 ラムザはそれをどう受け止めたのか、ぼそりと言った。その言葉はまさしく自分が思ったものと同じで、ディリータは何も言い返せなかった。
「ぐるぐると同じところを回ってる。自分を責め続けて、認められなくて、感情を捻じ曲げて違うものに変えてしまって、それで生まれた結果を自分のせいにして……終わらない」
 真顔でラムザが言う。どこか苦しげな声色は幼馴染である自分を心底心配していたようにも聞こえて、ディリータは呆然とラムザを見つめた。
「だから、僕がこうして来たんだけどね。……ああ、こんなところで言うつもりなんてなかったのに!」
 真顔になったのは一瞬で、ラムザは言い終えると笑った。そろそろ行かないと日が暮れるね、などと早口で言って歩き出そうとする彼の肩をディリータは咄嗟に掴んだ。
「ラムザ」
「うわっと。ディリータ?」
 転びそうになったラムザを支え、ディリータは言葉の先を迷った。
 何を告げるべきなのか。彼に、何を。
 感謝だろうか。謝罪だろうか。懺悔だろうか。
 それとも。
「お前は、ずっと見ていたんだな」
 確認の響きになった自分の声を聞きながら、ディリータはラムザに問うた。
「……そりゃね。ディリータのことだもの」
 体勢を立て直して振り向いたラムザが目を細める。その目尻にかすかに笑い皺ができているのを認め、ディリータは安堵の思いを抱きながらラムザの言葉の続きを待った。
「勝手に心配させてもらってた。危なっかしいところばかりだったからというのもあるし、やっぱり大事だったから」
「……そうか。すまなかった」
 思いのままにディリータがそう言うと、ラムザは首を横に振った。
「そうじゃないよ、ディリータ。それは違う」
 彼は笑んだ。
「そういうときは、ありがとうって言うんだよ」


 急がなきゃ、と歩を早めた幼馴染にディリータは並んで歩く。
 思うことは多々あった。今までのこと。ラムザがここに来た意味。自分はどこへ行こうとしているのか。知りたいことも、知らなければならないことも、山程あると思った。
 話したいことも、沢山あった。
「時間はあるからね」
 そんな心を見透かして、ラムザが言う。その言葉にディリータは笑い、ふと浮かんだ疑問を口に出してみた。
「ひとつ訊きたいが、お前のその説教癖はどこから来ているんだ?」
 ディリータがそう訊ねると、ラムザは笑った。よくぞ訊いてくれました、とそうして笑みを深める。
「これはね、アグリアスとの約束なんだ」
「アグリアス……。あの女騎士か」
「そう。僕に説教癖はないし、実はアグリアスに言われるほうが好きなんだけど……まあそれは置いておくとして」
 置くのか、とディリータは思う。横を見やると、ラムザもこちらに視線を投げてきた。
「だから、覚悟していてもらおうかな。たっぷりお説教するよ」
「……分かった。覚悟するとしよう」
 冗談めかして言ったラムザに、ディリータは軽口で返した。降参、とそうして両手を挙げてみせると、その様子にラムザは声を上げて笑った。



 旅は始まったばかり。
 時は……まだ止まらない。

<終>

あとがき

2021年3月発行の「Timeline until abandon the crown」の再録作品です。旅の最中のディリータとラムザのお話でした。説教攻撃をするというラムザは書いていて面白かったのですが、なんというかこのラムザは何故にこうなったのかと思う気持ちもあります。たぶんChap.4の一連のサブイベントでの印象が強いのだと思います。

本作はおまけ話として書きました。本に入れなかった理由としては、長くなりそうだったのとブレそうだったという2つがあるのですが、書いていてとても楽しかったです。旅の話は「Salute 2」(2007年作)や「Choosing Different Paths」(2022年作)でも書いていますが、また書きたいなと思っています。

本全体のあとがきを少し。今回の本は、クレメンス公会議が終わってしばらくしてのイヴァリースやゼラモニアやオルダリーアが主な舞台でした。ディリータだけではなく、ラムザもアグリアスも(結構ラムアグになってびっくり)ムスタディオもオリジナルのキャラも含めて書けて楽しかったです。しかし気付いたこととしては、「王様ディリータの話し相手って本当に皆無」。なので、ディリータの話は暗く地味にひとり語りになってしまいました…。あー。だからといって、ムスタディオは話し相手というわけではないのですが。もちろん友人なぞにはなれません。たぶん。

しかしながら、王様ディリータ書くぞーと決めてからは「あれもこれも」と盛り込み、プロットを見た段階で「これ全部書くのか⁉」と頭を抱えたりもしました。妄想が妄想を呼びすぎです。今までずっと書いてきた自分的イヴァリースの世界を補足?補完?する感じで今回も書いたので、その傾向は顕著に出ています。これに関してはもう開き直っていますが、お読みくださっている方には本当に感謝です。ありがとうございました!

2021.3.21 / 2023.11.25