剣と盾

 気付くよりも早く、アグリアスは剣を振るった。
 うがぁ、という呻き声とともに潜んでいた男がくずおれる。手にしていたいくつかの投剣を男が取り落したのを見咎め、アグリアスは男の手を踏んだ。反対の足で素早く投剣を蹴り、男が動かぬように組み伏せる。
 そうしてから、アグリアスは連れ立って歩いていた二人を見た。ひとりはゼラニモア独立運動の長、彼は驚きに目を丸くしてこちらを見ていた。
 もうひとり、いまや独立運動軍の要となっている男──ラムザは別のほうをしばらく見つめ、それからこちらに顔を向けた。その表情は平素と変わらないように見えたが、よく見ると少しばかり強張っている。
 さもありなん、と組み伏せた男を縛り上げながらアグリアスは思った。
 唐突な凶事は想定内だった。オルダリーアとゼラモニアの対話をイヴァリースが仲介するという形で始まったこの会談において、多くの組織が何らかの動きを見せるのは当然にすぎることだ。
 自分達が狙われることを自覚し、心づもりをしていた。だから、そんなことで驚いているわけではなかった。ましてや、恐れるなど。
 ラムザの表情が少しだけ強張っているのは、そういったことではなく。
「ああ、びっくりした。ありがとう、アグリアス」
「二人とも大丈夫か?」
 場にそぐわないのんびりとした声をつくって言ったラムザを長がちらりと見やり、それからアグリアスに声をかける。アグリアスはひとつ頷くと、駆け寄ってきた兵士達に男を引き渡した。
「問題ない。……ラムザ、これは」
 落ちている投剣を拾おうとして、しかしアグリアスはその動きを止めた。注意して見ると、投剣の刃の色が少し変色している。その独特の色には見覚えがあった。
「毒が塗られているね」
 アグリアスが指し示すと、ラムザも屈んだ。刃に触れぬように投剣をつまみ上げ、様々な角度から検分する。
 やがて、ラムザは柄を指差した。見ると、うっすらと紋章が刻まれている。
「イヴァリースの……前の紋章か」
 同じく屈んだ長が確認の響きで問うたので、アグリアスは頷いた。そうだね、とラムザも呟き、「さてさて」と続ける。
「どう捉えるべきかな。さっきの男を雇ったのは誰だと思う?」
「個人的な感情で狙ったとは考えにくいか」
「勿論」
 アグリアスの言葉にラムザが即答する。明るくのんびりした声には怒りの色がほんの僅かに乗っていた。
 そうか、と呟くと、アグリアスは先程ラムザが見つめていたほうを見やった。今はそこには誰もいない。
 あの男は、背を向けたまま去っていった。──畏国の王は。
 イヴァリースの王に向けて投じられた武器を自らの短刀で払ったのは、ラムザだった。一瞬にも満たない間に感じたラムザの殺気につられてアグリアスは剣を抜き、そうして凶刀の源を断ち切った。
 刃はゼラモニアに向けられたものではなかった。
「さてな。単純に考えるなら、イヴァリースの──自国の今が気に入らない輩の仕業だろうが、だとしたら紋章をわざわざそのままにするかね? うちやオルダリーアのせいにしようともせずに」
 男の「うっかり」なのかもしれないが。長はそう言った。
「ゼラモニアの線は……ないとして」
「当たり前だろうが」
「だよね。ディリータを狙う……イヴァリースを敵に回す必要はゼラモニアにはとりあえずないわけだし。オルダリーアはイヴァリースを相当煙たく思っているだろうけれど、どうなんだろう……。どうもしっくりこない」
 そもそもディリータには敵が多いからなあ、とラムザが苦笑する。
「……とすると」
 隠しから取り出した革布をラムザに渡しながら、アグリアスは口を開いた。ラムザが投剣を慎重に革布で包んでしまうのを待ち、続きを話す。
「雇ったのはハイラル本人、という線も……」
「あるだろうね」
 声色を低くし、ラムザはアグリアスに頷いてみせた。
「自分を弑そうとした勢力がある、とほうぼうに広めてしまうには絶好の機会だ。ディリータの立場から見れば、その犯人を政敵にも設定できるし、かつての敵国オルダリーアにしたっていい。いつまで経ってもオルダリーアから抜け出せないゼラモニアに濡れ衣を着せることだって可能だね」
「そいつは御免だな。……だが、仮に一人芝居だとしてもだ、あんまりにも危なすぎやしないか?」
 長の言葉にはアグリアスも同感だった。自らをあんな危険に晒してまで「犯人」をでっち上げる必要があるのだろうか。
「危ないけれど、ディリータだったらやりかねない。あとは、自分を餌にして敵をおびき寄せるっていう考えもあったんじゃないかな。……ああ、そっちのほうが正解なのかも?」
「どのみち、随分難儀なことだ」
 溜息をついた長に、ラムザがくすりと笑った。だが、その瞳は弧を描いていない。
 怒っているのだろう、とアグリアスは思う。自分で罠を仕掛けたにせよ、敵対勢力から狙われたにせよ、いずれの場合でも自らの命を粗末にしていることに変わりはない。そんな故国の王に──幼馴染にラムザの怒りは向けられている。
 佩いていた剣を王は抜かなかった。巧妙に隠された殺気を感じ取っていたはずなのに、気付く素振りも見せなかった。
 ただ、待っていたのかもしれない。──何を?
「アグリアス?」
 声をかけられ、アグリアスは我に返った。先に立ち上がったラムザから差し伸べられた手を取り、そうして立ち上がる。
「すまない、考え事をしていた……。長は?」
「そろそろ会談の時間だからって」
 走っていった、と言うラムザにアグリアスは目を瞬いた。
「……護衛を置き去りにするとは」
「長話になっちゃったからね」
 アグリアスが呆れた声で言うと、ラムザは肩を竦めてみせた。
「さっきの今だから、長のことは大丈夫だと思う。警備も強化されたみたいだし、エルティの姿も向こうに見えたし」
 仲間の名を出してラムザはそう言い、踵を返した。
「油断は禁物だぞ」
 言いながら、アグリアスは長が走っていったという回廊へと視線を流した。警備にあたる兵士が回廊の其処此処に立っているが、その数は先刻より増えていた。
 会談を行うという広間まではさほど離れていない。だが万が一ということもある、とそれでもアグリアスは思ったが、強く主張しようとは何故か思わなかった。
 もしかすると、目の前を行く青年の楽観的なところに影響されてしまったのかもしれない。
「大丈夫だって。行こう、アグリアス」
「……ああ」
 促され、アグリアスも並んで歩き出した。
 会談の場として選ばれた古城の回廊はひびの入った石床が剥き出しになっていた。打ち捨てられていたのだろう、絨毯も敷かれていないそのさまが会談が持つ重みそのものを示しているような気がアグリアスにはした。
 足音は二人分。端々に立つ兵士から視線を時折投げられながら歩く。
「もしも、の話だけれど」
 しばらく進んだところでラムザが呟くように言った。
「さっきのディリータがアグリアスだとしたら」
 緩められた歩みにアグリアスが見やると、前を向いたままラムザは続ける。
「勿論、僕はアグリアスを守る。それから犯人を吊し上げて、裏で動く組織を暴いて壊す。それがたとえゼラモニアでも、イヴァリースでも、ディリータでも」
「殊勝な心がけだ」
 決意表明にアグリアスは笑んだが、その笑みをラムザはあまり快く受け取らなかったらしい。引き締めていた表情をへにゃりと崩し、唇を尖らせた。
「……真剣に言ったのに」
「ラムザ、お前がそう出ることは疑う余地もないし、嬉しくもある。勿論、信じている。……だが、別に自分の心を隠すこともない」
 アグリアスはそう言うと、足を止めた。すぐにラムザの足音も止まる。
「どういうこと?」
 不思議そうに首を傾げるラムザにアグリアスは向き直った。目線をやや上げ、青年を見つめる。
「怒っているのだろう? ハイラルに」
 ラムザが目を瞠る。
「アグリアス」
「目が笑っていなかった。裏の勢力に怒りを覚えているのだと初めは思ったが、実はそうではない。あの面倒な友が自身を投げ出していることにお前は怒った」
 違うか?とアグリアスが問うと、ややあってラムザはこくりと頷いた。
「そんなに顔に出てたんだ……」
「出ていたな。だが、少し意外でもあった」
「意外?」
 おうむ返しに訊ねたラムザの言葉を受けて、アグリアスは続ける。
「そうだ。私にそうすると言ったことを、ハイラルにこそするのではないかと思った。払った刃を「敵」に突きつけ、そうした後で完膚なきまでに叩く。まさに今、そんなふうに考えているのかもしれないが」
「え、そこまでは考えてなかった」
 アグリアスが考えを告げると、ラムザは思わずといった風情で吹き出した。その手もあったかー、などと呟き、それからアグリアスをまっすぐ見る。
「だけど、それはディリータが望むことかな」
「……さあな」
 真顔のラムザに返す答をアグリアスは持たなかった。ハイラルの心の内など自分には分かりようもない。是かもしれないし、否かもしれない。その両者でもなく、まったく別の答を用意しているのかも。
 ──だが、それとはまるで関係ない。
「本人がどう考えているか、それを推量しても始まらない。ましてやラムザ、お前が分からなければ他者が分かるわけがないだろう。……そして、そういったことではなく」
 アグリアスは言葉を切り、ラムザの反応を窺った。
 普段の表情を消したラムザが目を逸らす。しかしそれは一瞬のことで、すぐに彼は視線をアグリアスへと転じた。
「……ただ、助けたかったんだ」
 思うよりも声が小さかったのだろう、ラムザは同じ言葉を繰り返した。
「助けたかった。いや、考えるよりも先に動いてたから、あのとき自分が何を思っていたかなんて覚えてない。でも、ごちゃごちゃした理由なんかどうでもよくて、もう失いたくなかった」
 自分に言い聞かせるようにラムザは言った。なのに、と続ける。
「ディリータは何もしなかった。それどころか、無防備に背中を晒して襲撃を待っていた。僕の行動は、ディリータからすれば予定を狂わせるものだったかもしれない。彼の邪魔をしたのかもしれない。──だけど、僕は!」
 つくった拳を壁に叩きつけてラムザが声を震わせる。彼の真情の発露を見たアグリアスは、その感情が行き着く先を見守った。
「……僕は、嫌だった。ディリータが自分で仕組んだことだとしても、嫌だった。失うのは、消えてしまうのは、怖くて、許せなくて」
「そうか」
 ラムザの拳に自分の手を重ねると、アグリアスはその拳を緩く包み込んだ。そうして指の腹で手の甲をそっと慰撫する。
「嫌だったか」
 アグリアスが訊くと、ラムザは力なく頷いた。
「許せなかったか」
「……うん」
 繰り返された頷きにアグリアスは目を細めた。
 ラムザのこんな感情を目の当たりにすることなど、ここしばらくなかった。飄々としていて、明るくて、とぼけていて、力強くて。そんなふうに普段見せる姿はけしてつくりものではないが、本当のそれでもない。……アグリアスは、それを知っていた。
 素の心に触れられるのは、少し嬉しかった。自分で良かった、とそう思う。
「その感情は大切に持っておけ。いつか役立つことがあるだろう」
 いつの間にか手指を絡めてきたラムザの足を踏みながらアグリアスは囁いた。痛い、と耳元で抗議の声をラムザが小さく上げたが、それは無視して手を解く。
「役に立つこと、あるかな」
「顔を合わせる機会がないとも限らないだろう。そのときには大いに説教するんだな」
 ラムザの呟きにアグリアスは軽く答えてみせた。
「お説教」
 ぱちりと目を見開いてラムザが繰り返す。アグリアスが頷くと、ふふふ、とラムザは笑い出した。
「アグリアスが僕にするように?」
「そうだな。あれとこれとでは意味合いが違うが……いや、たいして違わないが。そう、お前が今抱いているその想いこそ、私がいつも抱えているものだ」
 笑うラムザを睨みつけ、アグリアスは語気を強めた。自然と目が釣り上がってしまうのは、恐ろしいことに慣れというほかない。
 そんな自分に心の内で苦笑しながら、アグリアスは再び歩き出した。わざとらしく怯える素振りを見せたラムザが一瞬遅れて続き、そうして結局は二人で並ぶ。
「ラムザ」
 普段の足音で歩くラムザにアグリアスは小声で呼びかけた。何?と軽い調子で問い返してきた彼を見上げ、言い忘れていた言葉を告げる。
「道は分かれることもあるが、交わることもある。……それを信じろ」
 それだけを言うと、アグリアスは視線を元に戻した。
 前を見て、ただ歩く。
「そう、だね」
 噛みしめるように答えたラムザの背を数度叩く。何事かをラムザが呟いたが、アグリアスは聞かないふりをした。
 前を見て、歩く。今は、ただ。
 遥か先にある未来を見て、そして。
 ──望む未来を、いつか違わず掴むだろう。
 確信に満ちた直感を心にしまい、アグリアスは笑った。

あとがき

2021年3月発行の「Timeline until abandon the crown」の再録作品です。イヴァリース立ち会いのもと開かれたゼラモニアとオルダリーアの会談でのラムザとアグリアスのお話。アグリアスさん視点でラムアグになりましたが、自然とそうなってしまいました。

暗殺計画を立てたのは結局誰なのかは不明ですが、ディリータだったら罠を張りそうだなとも思います。自分を大事にしないという点でラムザは幼馴染に対して怒るだろうなと思ったので、そのまま書いてみました。

2021.3.21 / 2023.11.25