真実を知った者

「くどい」
 ディリータは家臣を睨めつけた。
 己の声色と視線に、元老院とそれに並ぶ地位を持つ貴族達が凍りつく。いつになったら慣れるのか、と思わず溜息をつきそうになりながらディリータは意思を押し出した。
「諸卿が私の外遊をそんなにも嫌がるとは思いもしなかった」
 意識して口の端を釣り上げて笑う。感じ入ったように大げさな物言いでディリータが言ってみせると、貴族達は竦んだまま目だけを泳がせた。
 まったく、とディリータは思う。
 即位したての頃、己を主と仰ぐ者は本当に少なかった。いなかったと評しても過言ではない。若造、小童と思いなして見くびる者ばかりが遠巻きに己を睨み、貶めようと躍起になっていた。己が頂いた王冠を掠め取ろうとした者も少なくない。
 それだから、己は仮面をつけた。いや、その頃には既に馴染んでいたのかもしれない。冷えた視線で貴族達の右往左往するさまを見、同じような声色で彼らを操った。そうした末に賢明にも膝を折り忠誠を誓った者に対しては厚く遇し、そうでない者には理由を付けて追捕した。
 幸いにもというべきか、強大な権力を持っていた者は先の戦で殆どが消え、後には小者ばかりが残った。玉座を追われることもついになくここまで来れたのはそのためだろう。残った者に己に歯向かう気概を持つ者は結局いなかった。
 足を互いに引っ張りながら貴族達は次第に従順になっていった。そのほうが少なからず自らの利になると彼らも判断できたのだろう。
 薄氷は徐々に厚みを増し、己だけではなく多くの者がその上に立つようになり──、今がある。そして、彼らはその厚みに慣れてしまった。彼らが頂く主はけしてそうではないのに。
 彼らがこの外遊を即座に是としないのはそうした理由がある。
「絶好の機会ではないか? 事故や他国のいざござに巻き込まれたふうを装って私を消すのはあまりにも容易い。そう考えてみれば私の意に諸手を挙げて賛同すると思うのだが」
「ご、ご冗談を……」
 あたふたとしながら返事をしたのは元老院の「じじい」のひとりだった。元老院の地位も権力ももはや形骸化しつつあるが、それでも彼らは今もこの場に居座り続けている。そのうち廃さなければな、と思いながらディリータは続きを待った。
「……陛下なくしては畏国は立ち行かないことを我らは心得ておりますれば、そのような考えを持つなど毛頭もございませぬ……。衷心より御身を第一に考え、敢えて諫言を」
「なるほど?」
 それ以上を聞くつもりはなく、ディリータは元老院の言葉を遮った。
「ほかには」
 ディリータが視線を流すと、その場にいる者達はやはり顔を見合わせた。互いに押し付け合うような目配せが沈黙のなかで繰り広げられたが、やがて末座に座っていた男がそろりと手を挙げた。
「何故、なのでございましょうか。我が国は真なる安寧には未だ遠く、民も潤っているわけではけしてございません。今、陛下がこの国を離れ、諸国を巡るということは御身のみならずこの国にとっても非常に危ういのです。……それに」
 男は息を継いだ。
「そもそも、オルダリーアとゼラモニアの争いに関わるのも、我ら臣にとっては不思議なことなのでございます。互いに牽制し、いっそ泥沼になればなるほど我が国にとっては好都合なのでは……」
「そう考えることもできるな。むしろ、自然な発想だ」
 ディリータは男の発言を称賛した。手を叩く空虚な音がその場に響く。
「オルダリーアとゼラモニアの争いに首を突っ込む理由は二つある。前にも話したとは思うが……レイモワ伯?」
「は、はい!」
 唐突にディリータが見やった先に座っていた男が飛び上がるように立った。
「私が述べた理由は何だったかな?」
 腕を組み、ディリータはレイモワに問うた。
「それは……。た、確か、飛び火を防ぐため……あとは、食い扶持を減らす、ためだったでしょうか……?」
 へどもどと言うレイモワにディリータは頷いた。
「両者の争いに介入するのは、我がイヴァリースの身を守るためだ。飛び火を防ぐためには、オルダリーアとゼラモニアの両者の戦力を我が国が御す必要がある。分かるな?」
 ディリータの確認に、ややあって全員がぎくしゃくと頷く。
「もうひとつは、先の戦で行き場を失った者の「働き口」を与えるため……。難民の対応だけでも精一杯なのに、恩給だ報奨金だと要求してくる兵達に応える余剰などこの国にはない。であれば、だ。幾許かの金を握らせ、新天地へ向かわせたほうがいい」
 そうして。
「穀潰しは減り、報奨金を与える必要もなくなり、そして彼らの力をもってしてオルダリーアとゼラモニアを御すこともできる。彼らとゼラモニアに渡す金は少々惜しいが、それでも長い目で見れば一石二鳥、いや、それ以上だ」
 説明し終えると、ディリータはにやりと笑んでみせた。

 窓辺に立ち、珍しく青に染まった空を眺める。ここ最近空を覆っていた鈍色の雲はなく、秋の空は穏やかに晴れていた。薄い筋雲は空高く、少しばかり冬の色を見せてはいるが、このぶんだと今年の雪は今少し先になるかもしれない。
 この空のように穏やかな冬であれば良いが。ディリータはそう思い、窓辺を離れた。
 昼を告げる鐘がちょうど鳴り始め、それに合わせて扉が控えめに叩かれる。入室の許可をディリータが与えると、予想通り侍従と側近が姿を現した。続いて、昼餉を乗せたワゴンを押して使用人が入ってくる。
 賓客を招いた折に開く昼餐を別とすれば、この執政室で昼を摂るのがディリータのならいだった。初めの頃こそ戸惑いと難色を隠せなかった侍従達だが、主人の様々な「習慣」にいちいち難癖をつけるのは無駄なあがきだとそのうち諦めたらしい。おひとりになられる時間も必要だろう、侍従長は自らに言い聞かせるようにそんなふうに結論づけたようで、その考えをディリータは有難く受け取っていた。
 そもそも、とワゴンを横目で眺めながらディリータは思う。昼食など不要で、日に二度も食事を摂れれば別に不足はない。ずっとそんな生活を送ってきたし、王侯貴族のようにぶくぶくと太ってみっともないのもいただけない──、そこまで考えてはたと気付く。そういえば、自分は王冠を抱える者だった。
「……何かございましたでしょうか?」
 一人笑いを漏らしたのを訝しく思ったらしい侍従の問いに、ディリータは首を横に振った。ワゴンに近寄って押し問答の末に固定された「いつもの」メニューを見やり、次いで鉄鍋から肉を取り出そうとしていた使用人に声をかけた。
「パンに挟んでくれ。外に出る」
 かけられた声に使用人はぴたりと一瞬動作を止めたが、すぐに「畏まりまして」と礼をとった。侍従に判断を仰ぐことももはやない。少なくとも十日に一度はふらりと部屋の外に出てしまう主の行動には慣れてしまったのか、諦めなのか。そのどちらでも別に構わないが、これもまた侍従長の諦めと同じ類だろう。
 一方、慣れるということを知らないのか、あるいは諦めるという言葉を持たないのか、側近はいつものように複雑そうな顔で己の主を見つめていた。
「やかましい者達の説得に疲れたからな、気晴らしだ」
 肉と少しばかりの根菜を挟んだパンの包みを受け取ると、ディリータは何かしらを言いかけた側近を制してそう言った。言い訳のようだとも思ったが、くだくだしい説教を聞いてから同じことを言うよりはましだった。
「……。供をお付けください」
「俺の視界に入らないぶんには好きにすればいい。任せる」
 手にした包みを軽く掲げ、後は振り向きもせずにディリータは部屋を出た。どこへ行こうかと考えているうちに勝手に足は進み、自然とそれは人の少ないほうへと向かう。そうしてすっかり馴染み深くなった時消しの場のひとつである城壁の一角に出ると、ディリータは大きく息を吸った。少しばかり晴れたくらいでは温まることもないのか、凭れた城壁はひんやりとしている。
 持ってきた包みを開き、黙々とパンをかじった。
 人の気配がない場所で(とはいっても、見張りの者が離れたところに複数配置されてはいるが)こんなふうに時を消していくのはディリータにとって必要な時間だった。侍従長が言う「おひとりになられる時間が必要」という論はまさしく正しい。
 つけた仮面を少しばかり外す。キリキリと締め上げた螺子を緩めるように頭のなかに抱え込んだ懸念事をぼかしてみる。そうしてみると不思議なことに呼吸は次第に楽になり、混線状態になっていた思考の糸も解れてくるのだった。
 沈ませていた別の思考も浮かべることができる。先刻の「じじいども」への説得に使った建前の理由とは違う別の事柄──己の本心をディリータはそっと浮かばせた。
 ──借りを返すためだ。幼馴染に……ラムザに。
 おそらく、と前置いてディリータは思う。この場にラムザがいて、ゼラモニアを支援する本当の理由を告げたとしたら彼は不思議な顔をして己を見るだろう。あれでいて敏くなった彼のことだから、ある程度は己の意図を察しているのかもしれない。だが、その本心までは分からないのではないか。
 そうであってほしい、心のどこかでそんなふうに思ってもいる。
 貸し借りだなんて。ラムザはそう言うだろう。互いにそれぞれの道を歩み、できることを為した。ただそれだけのこと。
 その通りだ、と記憶にある彼に己は頷く。借りを返すなどということは、何かに蓋をした後にできたかりそめの「本心」なのかもしれない。……それが何か、ということは己にも未だ分からない。分からないふりをして見過ごしているわけではなく、本当に分からないのだ。
 もやもやとした心。蓋の上にできた本心。そのきっかけを与えたのは一冊の書だった。
 ──自らの命を賭け、占星術士が白日の下に晒した闇。
 筆者である男とはある種の縁があった。戦のさなか、いつぞやのゼルテニアで男が脱獄を図ったとき、己は男と対峙した。結構な舌戦だったと記憶しているが、あのとき己が放った言葉も、男が投げた言葉も朧げだが覚えている。
 仕えろ、と言った。貴族である男が平民である己に仕える、そういう図式があの頃はほしかった。男の個人としての助力がほしい、という意味ではおそらくなかった。
 死んでも断る、と男は確か言っていた。個人としての感情か、あるいは貴族としての矜持か。今となっては分からないことだが、前者であればいいと思う。時代の潮流を読む力が男には備わっていたのだから。
 道は分かれ、時は進む。そして、公会議。
 期待と脅迫のまなざしで教会が渡して寄越した男を裁いたのは、己だった。それもまたひとつの縁だったのだろう。──男が残した書を教会から掠め取ったのも、おそらくは。
 未来へ渡さなければ、と何故か思ったのだ。失われてはならない、そう直感した。己の罪も含めて、すべてをなかったことにしてはならない。いつかは裁かれなければならない……そう思った。書に真実があることなど、疑う余地もなかった。
 そうして、その真実のすべてを己も知りたいと思った。それが書を隠し残すことを選んだもうひとつの理由だった。
 ……男を焼いた公会議が終わり、時はまたその針を進める。
 蠢く力を牽制しながら、書を時折開いた。男がかき集めた真実をそうして知り、幼馴染の辿った道行きもまた同様に知った。
 否、幼馴染の歩いた道こそが隠された真実そのものだったのだろう。この国が、世界が闇に呑まれないようにと抗った──本人にはその自覚はないかもしれないが──ひとりの剣士が選んだ道こそがすべてを救ったのだと、少なくとも己はそう理解した。
 ──だから。
 そんな幼馴染に己ができることは何か。俗世を担う者として、闇の片鱗を知る者として、……あるいは友として。為せることは何か、思考はそこへ行き着いた。そうして己はそれを「借りを返す」という文言に繋げた。
 もっとも、それが自己満足に過ぎないことは知っている。幼馴染は、ラムザは己の助力など必要としないだろう。そんなものが得られずとも、彼は自らの信念を曲げずに戦っていける。事実、畏国が援助に転じるよりも前に、彼が与してからゼラモニアは力をつけ始めた。
 ──分かっている。分かっているけれども。
 城壁で切り取られた空を仰ぐ。数羽の鳥がちょうど飛び去っていくのを見やり、ディリータは思考を止めた。見えぬ仮面を再びつけ、近付いてくる気配を待つ。
 休憩は終わりだった。

あとがき

2021年3月発行の「Timeline until abandon the crown」の再録作品です。デュライ白書で真実を知ったディリータのお話でした。

ディリータによるゼラモニアへの支援は、「薄味の謎」でラムザが勘付いていたとおり、彼のためでした。そう思うようになったきっかけのひとつである白書については、教会から掠め取ったというオリジナル設定が過去作にあります。教会が隠匿していたというのがゲーム中で語られますが、焚書にならなかった理由としてこんな解釈をしてみました。さておき、パンにかぶりつくディリータが書けて嬉しかった話でもあります。余談。

2021.3.21 / 2023.11.25