お見合い侯爵夫人

 ──面倒くさい、というのが本音でしょうね。
 相対する青年の心の内をそんなふうに推し量ってみる。まあ、今に始まったことではないのだが。
 とはいえ、この件はいずれ避けては通れない。だったら、四の五の言わずに腹を括ってしまえば良いのに。いつもそう進言するのだが、馬耳東風といった風情で青年は聞き流している。
 後で後悔しても知りませんからね、とも言うのだが、例のあの笑みでもって軽い拒絶を示す。口では「心に留め置く」などと言うがそんなのは勿論嘘で、いつもきれいさっぱり思考から消しているのだろう。初めて謁見したときにそれはよく分かった。
 だからといって、おいそれとは引き下がれない。わたくしにとってこれは、やり甲斐のある「仕事」なのだから。
 仕事ではない、単なる趣味だろう。そう揶揄する輩もいるが、言わせておけばいい。
 かえって心証を悪くするのではないか。夫は暗い表情でよく言うが、青年の性格上、陰でこそこそと囁くほうがよほど心証は悪くなるだろう。
 はっきりと。目の前で。
 そうすれば、青年は嫌な顔こそするがそれ以上のことは何もしてこない。それに、青年もこの「仕事」の別の意義を知っている。
 だから、今日も今日とて。


 階下からかすかに聞こえていた楽の音が止んだ。楽団が調整を終えたのだろう。
 夕暮れ時。
 屋敷じゅうが混乱に陥ったかのように、部屋の外は騒がしかった。バタバタと音を立てて走る者もいれば、早口で指示を出す者の声も響く。どこかで聞こえるのは皿が割れたような音だ。
 ソファにゆったりと座っていた青年が、その音に苦笑する。賑やかだな、とそう言ってわたくしを見やった。
「本当に。そろそろ家令が何かしら言うでしょうから、お気になさらずに。前もって準備しておけばよろしいのにね」
「夜会の会場を決めたのは貴女だ。しかも、ほんの数日前に」
「それでも心づもりはしておくべきです。陛下の御予定がこの日だけ空いているということは、主だった臣ならば把握しているはず」
 扇子で口元を覆いながらわたくしが言い返すと、青年──この国の王──は口内で何事かを呟いた。「別に暇ではないのだが……」とこの前は言っていたが、今日も同じようなことを言ったのだろう。
「災難だな、ティール子爵にしてみれば」
 誰しもが多忙を極める日々のなか、唐突に決まった夜会。その会場として急遽白羽の矢が立った屋敷の主の名を出し、王は肩を竦めてみせる。
「とんでもございません。ほかとない栄誉に浴すことができるのです。先だってお会いした子爵は嬉し泣きをしておりましたわ」
「それは重畳」
 棒読みで王が言う。
 確かに、王都の殆どの夜会を采配するわたくしとしても、今宵の夜会は些か急だった。予想も準備もまるでしていなかっただろう子爵には少し気の毒だったかもしれない。もっとも、それに見合う──いや、それ以上の「利」は得られるのだから、少しは喜んでもらってもいいはずなのだが。
 王の御来臨を賜るだけでなく、自らの娘とも引き合わせることができるのだから。
 あわよくば王家の縁戚になれるのではないかという野望めいたものは、いまや多くの貴族が持ち合わせているものだ。現王がこれまでの王家とは何の縁もない、平民の出だとしても(いや、だからこそ?)それはたいして変わりはしない。
 かたや、王にしても利点はある。
 水面下で繰り広げられる貴族達の攻防。結託や離反を繰り返していくうちに彼らの思惑は混線していく。そうしたさまを把握できるのも、夜会の利点だ。日頃はおべんちゃらばかり聞かせられる身としては、ある意味新鮮なのではないだろうか?
 貴族の野望。それを見晴るかす王。双方に利がある。
 そして、勿論わたくしにも。取り持った縁は数え切れないほどだが、王家の婚姻に関わったことはさすがになかった。だからこそというべきか、天分とも思うこの才を活かす場としてはこれ以上のものはないのだ。
「貴女に娘がいれば、話は早かったのでは?」
「嬉しいことを仰せになられますのね」
 予定よりも早く着いてしまったがために応接室に押し込められた王とわたくしの会話はゆるゆると続く。投げやりな調子で放った王の言葉に、わたくしは礼をとった。
「ですが、残念ながら。あと二十年若ければ、わたくしが申し出たところですが」
「それでは私が侯爵に斬られてしまうな」
 愉快そうに王は笑ってみせると、ソファから立ち上がった。
 階下から楽の音が再び聞こえてきた。先刻までの喧騒とは違うざわめきも小波のように聞こえる。
 窓辺に寄った王を見やるついでに外を眺めると、陽はとうに暮れていた。宴の始まりまではもうしばらくあるが、列席する貴族達は到着し始めているようだ。
 とすると、「花」の支度もそろそろ終わる頃合いだろう。
「失礼ながら、陛下。わたくしはこれにて失礼いたしますわ。また後ほど」
「ああ」
 目線だけで送られ、わたくしはその場を辞去した。
 手にしていた扇子を閉じ、そうしてもう一度開く。扉の外で待っていた従者が近寄り、わたくしが問う前に「花」の所在を告げた。
「そう。では伺いましょうか」
 わたくしが頷くと、心得たように従者は歩き出した。
 ──さて。
 楽の音が聞こえる。緩やかで華やかなその音色は王の耳にも届いているだろう。そして、「花」にも。

 ──今宵の「花」こそ王に愛でられるのかしら? それとも?

 宴の行く末が楽しみだと思いながら、わたくしは「花」のもとへと向かった。

あとがき

2021年3月発行の「Timeline until abandon the crown」の再録作品です。イヴァリースの新しき王に「お見合い」を暗に(?)勧める侯爵夫人のお話となりました。

「Timeline~」を書くにあたって、はじめの方に思いついた話でした。オヴェリアさま亡き後にはディリータの資質や将来に懐疑的になりつつも姻戚関係を結んでおくかと考える貴族や名士は多かったかも…?というところから、ならばそれらを手球に…もとい調整役を務める人がいそうだなあやっぱりお見合いおばさんはいるよね!ディリータは躱しそうで半ば押されるよね!という流れに。社交界の首領という位置づけですが、何より楽しんでいるという罪な人です。

2021.3.21 / 2023.11.25