夢だということは、すぐに分かった。
何かの拍子に見る、夢。時の曲がり角で見る、夢。
夢は過去を見つめ、今を見定め、未来を暗示しているのだという。
だったら、今見ているこの夢は僕に何を訴えているのだろうか。
何を、教えようとしているのだろうか。
皆が笑っている。
父さん。兄さん達。アルマにティータ、アグリアス、オヴェリア様。あの頃の仲間達。
そして、ディリータも。
僕は、少し離れたところでそれを眺めていた。
これは夢だと分かっていたから。
そんな僕をどう思ったのだろう、父さんが手を振った。兄さん達が僕を呼んだ。笑顔で。
でも、僕は動けなかった。これは夢、近付けば消えてしまうと分かっていたから。
優しい夢。消えずに残る小さな傷を癒そうとする、優しすぎる夢。
そんな僕をどう思ったのだろう、ディリータが近付いてきた。仕方ないな、と笑う。
呆れの色を少し織り交ぜた笑みを浮かべて、彼は僕の前に立つ。分かっている、そう言って僕を小突いた。
分かっている。その言葉の意味を僕は問わなかった。何を、とは訊かなかった。
過去を抱えてここまでやってきた。その重みを分かっている、と。
ディリータもまた夢のなかにいるのだろう。優しすぎる夢の中に。
残酷だ、夢の中でそう思ったこともある。でも、今は思わない。思わなくていい。
そうだね、と僕はディリータに言った。心が解けて、ようやく笑うことができた。
僕達は過去を見つめてきた。同じところから、違うところから見つめ、今へと繋げた。
それが未来に繋がるかは、それを未来に繋げるかは、まだ分からないけれど。
笑って頷いた僕に、ディリータも頷いた。そうして僕達は皆のほうへ並んで歩き出す。
並んで、歩き出した。
小夜啼鳥が鳴いている。
すう、と意識が覚醒していくのに任せていたラムザは目を開けた。
夜明け前といったところだろうか、部屋は静寂に包まれている。聞こえるのは隣で眠るアグリアスの安らかな寝息と、外から聞こえる小夜啼鳥の鳴き声。
それだけの静かな夜だった。
寝返りを打ち、今は薄手のタペストリーを掛けてある窓のほうを向いた。季節は秋へと少しずつ移ろい始めているから、そろそろ厚手のものを用意しておいたほうがいいかもしれないとそんなことを思う。
頭はぼんやりとしているようで、妙に冴えていた。
──夢を見たからかな。
細く長くラムザは息を吐いた。そうして、ついさっきまで見ていた夢を思った。
何かの拍子に、よく見る夢だった。皆が笑っている優しい夢。
それは同じようで、いつも少しずつ違っていた。皆の笑顔が途中で歪み、辺りはたちまち闇に呑まれていく──昔はそんな夢を見ることが多かった。焦燥感を飼いながら、妹を探していたあの頃。
はっきりと意思を持った目で導かれたこともある。揺らぎそうな想いを励ましてくれたことも。そのたびに心の中にある何かが弾け、目指す道を定めることができた。
時の曲がり角で見る夢。いつしかそんなふうに思うようになっていた。
それだから思う。今の夢も何かを暗示しているのだろう。
──昼間の夢も。
思い出し、ラムザは静かに笑った。
あまりに心地良い天気だったから、庭で昼寝をしたのだった。そよぐ風、優しく降り注ぐ初秋の陽光。
特にすべきこともない休日の昼下がり、昼寝をするにはもってこいだった。
そうしたら夢を見た。今見た夢ともまた少し違っていて、騒がしいくらいに楽しそうな皆がいた。冗談を飛ばす兄、それを笑顔で聞く妹達。父と老伯は豪快に酒を酌み交わし、仲間達もその相伴に預かっていた。端の方では現実では永遠に分かたれた姉と弟がひしと抱き合っていて、姉が弟を笑顔で叱り飛ばしているのが聞こえた。
挙げ句の果てには、決闘めいたことまで始まった。やんやと無責任に騒ぐ皆の前に進み出るのは因縁の間柄であるディリータと、アグリアス。姫君は女騎士に声援を送っていた。
あまりにも荒唐無稽だったから、夢の中で吹き出してしまった。それで目が覚めたのだが、時を空けずに同じ類の夢をもう一度見るとは思わなかった。
余程、夢は自分に何かを語りかけたいのだろう。あるいは、夢という形をとって自分は何かを望んでいるのだろう。
両方だろうな、とラムザは思った。
昼間にいつもの夢を見て、アグリアスの知人から送られてきた手紙を読んだ。故国の世情を伝える短いそれを読んで──、心に決めたことがあった。夜に同じような夢を見たきっかけはそれだったと思う。
ディリータが退位を決めたと手紙にはあった。
その報せに驚きはなかった。疑うこともなく、事実としてすんなりと受け止めた自分がいた。当たり前だ、近い将来にそんな日が来ると思っていたのだから……予想よりは少し早かったけれども。
彼が死の床まで王冠にしがみつくとは思っていなかった。己の為すべきことをし終えた、心のどこかでそんなふうに考えるようになったのなら自ら退くだろう、そう感じていた。あの遠い日に自分に向けた強いまなざしが今でも変わらないなら、きっと。
守るものを己の内に定めていたあの頃と変わらないのなら。
……守りたいと願っていたそのものは変わってしまった。彼女の傍にいたい、守りたい、そう真摯に語っていたのに叶わなかった。真相は分からないが、それは厳然たる事実。遠い日の願いを彼は叶えられなかった。
だから、自身に残った唯一のものを守り通すと決めたのではないだろうか。すべての代わりに、国という存在を。
その考えを本当は少し寂しいと思う。そして、切ないとも思ってしまうのは、結局のところ自分が他人だからだ。
彼が実際どう感じているかは分からない──彼のことだから考えないようにしているのに考えてしまって、そうして自分を責め続けて、ぐるぐると負の感情を抱え込んでしまっているけれど、それを寂しいとか切ないとかいう単純な想いには切り替えないのではないか……。そんなふうに想像はできるけれども、本当にそうなのかは彼にしか分からないことだ。
今分かるのは、そんな日々を彼は終わらせようとしている、ただそれだけ。
──それだけで今は十分。あとは、聞けばいいんだから。
そう思った。良い頃合いだと。
夢を見た。手紙を読んだ。……それで懐かしくなって、会いたくなった。会ってみるのもいいんじゃないかと思えるようになった。
季節は移ろい、時も移ろい、そうしていつしかそれらは雪のように降り積もった。
星が巡り、月も巡り、過去は、駆け回った日々は、色褪せた昔となった。
もっとも、すべてが消えてしまったわけではないが。誰しもが忘れてしまったわけではないだろうが。
それでも。……それだからこそ。
「……いつ、発つつもりだ? 行くんだろう」
「起きてたの、アグリアス」
「今しがた、な」
隣で眠っていたはずのアグリアスの声に、ラムザは彼女のほうに向き直った。
昨日のうちに彼女には伝えてあった。「ちょっと行ってくる」、それだけを軽い調子で伝えると、いつものように苦笑で返されて思わずほっとしたものだ。
彼女の懐の広さに甘えている、とラムザ自身そう思う。親友は「甘えすぎだ」と怒るし、それは本当のことだ。彼女はといえば「放浪癖は諦めているからな、好きにしろ」と笑っていて、それはそれで少し寂しいとも思っている自分に呆れてしまうのだが。
「そうだね、明日くらいには出ると思う。ゴーグにも寄りたいし」
そんなふうにラムザが言ってみると、アグリアスは笑った。
「全然「ちょっと」ではないな。まあいいが」
「やっぱり諦めてるね?」
彼女の態度がやはり少し寂しく思えて、ラムザは拗ねるような口調で言った。
「そういうわけではない」
すると、アグリアスは笑いを収めた。暗闇に慣れてしまった目でも細かい表情までは追えないが、諭すような口調の優しさは彼女の心そのものだとラムザは思った。
「だが、今のお前には自由が似合う。それを見ているのは私も楽しいからな」
「アグリアス……ありがとう」
ラムザはそっと手を伸ばし、アグリアスの手に触れた。今も時々剣を握るから、その手は少し固い。だが、自分にとってその手は誰よりも一番好きで、大切だった。
戯れに手を互いに叩き合う。しばらくそうしていると、ふとアグリアスが言った。
「礼など要らないから、土産話を沢山持って帰ってこい。……ああ、思い出したが」
「ん?」
「前に言っただろう。顔を合わせたら、説教しろと」
笑いを含んだ彼女の言葉に、ラムザはきょとんとした。彼女の言う「前に」とはいつのことだったろうか。
「前に……?」
「忘れてしまったのか? これではハイラルも浮かばれない」
「ディリータはまだ死んでないよ。……ん? ディリータ?」
ますます笑って言うアグリアスにラムザは噛み付くように反論したが、何かが記憶に引っかかったような気がした。
ディリータ。お説教。
いつかどこかで、確かに聞いた。
道は分かれることもあるが、交わることもある。それを信じろ。
そう言って自分の背を彼女が叩いてくれた日があった。
あれは──。
「……分かった、そうする。顔を見て、会って、話をして。それからたっぷりとお説教をしないといけないね。あちらこちらに迷惑もかけているだろうから、僕だけじゃなくて皆のぶんも」
言いながら、ラムザは少し泣きたいような気分になった。
悲しいのではない。悔しいのでもない。不思議な感情が生まれ、それで涙が一粒零れた。
「そうだな。あとは何がしたい?」
アグリアスが気付かないふりをしてくれたのをありがたく思いながら、ラムザは考え込むような素振りをつくった。あとは、と繰り返した言葉が湿っていたので咳払いでごまかす。
「ひとつ、あるよ。ずっとずっと思ってたことかな」
時の曲がり角で見た夢。夢という形をとって自分は何かを望んでいた。
それは、本当に色々なことで。戻らない過去を懐かしむ想いも強くて。……でも。
今、望むことは。今なら叶うだろう、望みは。あの幼馴染と叶えたい願いは。
「それは?」
アグリアスが穏やかに問う。きゅ、と手を握られる。
彼女なりの励ましにラムザは笑い返し、夢の中で描いた夢を告げた。
Timeline until abandon the crown