進捗報告

「こう、ひんやりしてるんですよ。そーっと撫でてくるんです、やつら」
「まあ、なあ」
 思い出したのか、王都から来た使者はぶるぶると震えた。命からがらツィゴリスを突破してきたらしいが、上質な外套は所々が焦げ(スケルトンのサンダーソウルにやられたのだとか)、きちんと整えていたはずの髪もぼさぼさのありさまで酷いものだった。
「それでうっかり眠りかけて……。危なかった」
「ケアルとかぶつけときゃ、奴等黙るだろうに」
「え? あ、ありがとうございます」
 ほい、とムスタディオが茶を手渡すと、使者は茶器を両手で受け取った。ふうふう、と息を吹きかけて茶を冷ますその姿は、始めの頃に「王命で派遣された使者」に想像していた「居丈高で気取ってていけ好かないヤツ」というものとはかけ離れている。なんというか、ライオネルはもとより、ゴーグの小役人よりも幼く……いや、親しみやすいというべきなのだろうか。
 ──こいつだけじゃないんだよなあ。
 茶器を片手に、ムスタディオは使者を眺めた。年に数度、遠路はるばる王都から訪れる使者達は大体がこんな感じで、今ではすっかり他の機工師達とも顔馴染みになっている。「ブナンザの工房に使者さんがやって来た」と聞きつけて酒瓶を持ってやって来る輩も多い。
 今回はまだ誰も気付いていないようだが、それも時間の問題だろう。ムスタディオはそう思っている。
 こくり、と茶を飲むと、使者は大きく息を吐いた。
「あー、沁みわたる。あちらではこんなふうにゆっくりお茶を飲むなんて時間はないものですから……いいですねえ、こういうのも」
「やっぱ、忙しいのか?」
 ムスタディオがなんとなく訊くと、使者は笑って頷いた。
「下っ端なんていうのは、こんなものです。限られた時間をいかにうまく使うかが勝負で、それでもやっぱり時間は足りないものですから、誰もが必死になっていますよ」
「へえ」
 時間が足りないという使者の言葉でムスタディオが想像したのは、書類を持って城を走り回る文官達の姿だった。前はあんまりそういう想像をしたことはなかったのだが、国の中枢とひょんなことから関わるようになってからは少し分かるようになった。
 それでも知らないことは勿論多いが。
「だったら、夜遅くまで城に居残ってたり、家に持ち帰って仕事したりもするとか? 大変だな、そういうのも」
 雑談の流れで問いを重ねる。すると、その問いには使者は首を横に振った。
「いいえ、ありがたいことに今はなくなりました。前はあったんですけどね」
「そうなんだ?」
「そうです。残業、というのですか? それをさせたがった私の上司が陛下から直接賜ったお言葉が「蝋燭代がもったいない」とのことだそうで」
 にっこりと嬉しそうに使者がまた笑う。
「とはいえ、仕事が多いのは変わらないですからね。それを陛下は感じ取られたようで、なんと人手が増えました!」
「はあ」
 拳を突き上げて「思い出し喜び」をした使者に、ムスタディオは相槌を適当に打った。焼き菓子が入った皿を引き寄せ、ひとつ口に放り込む。少し焦げているが、美味しい。
「はあ、じゃないですよ、ムスタディオさん。あ、私もいただいていいですか?」
「ほーほ」
 どうぞ、とムスタディオが皿を押しやると、使者も焼き菓子をひとつ摘んだ。
「面白い形ですね、これ。貝殻かな? ……んー、甘い! 美味しい! バターが香る!」
「あんた、いっそ料理人になったほうが良くないか?」
 感激しきりの使者が踊りだしそうな勢いだったので、ムスタディオは作業机に置いている工具箱を脇に避けた。ひっくり返されでもしたらたまらない。
「いやあ、私なぞはとてもとても。……さて」
 茶を飲み干し、これまた上等な手巾で手を拭うと、使者は声色を落ち着いたものに変えた。隣の丸椅子に置いてあった鞄を開け、収められてあった筒を取り出す。
 そうして、使者は恭しい所作でその筒をムスタディオに手渡した。
「陛下からの信書です」
「おう」
 ムスタディオが筒の中身を確かめると、中にはいつもと変わらず一枚の書状だけが収められていた。
 ──書状とか信書とかっていうには随分雑だけどな。
 書き損じがもったいないから適当に切って使いまわしています、という感じの紙きれにはもう慣れっこだが、それにしても普通はもう少し体裁を気にするだろうとムスタディオはいつも思う。もっとも、それは「普通は」の話で、送り主はそういった感覚を自分相手には持ち合わせていないからこんなことになるのだが──。


 ムスタディオがこの国の国王陛下であるところのディリータ・ハイラルと知り合いになったのは、ひょんなことからだった。
 王城で開かれる各地方の定例報告会にゴーグ代表として参加したのだが、その際にイヴァリースやゴーグの未来についてディリータとはあれこれと意見を交わした。……表向きにはそうなっている。
 実際は、少し違っていた。いやだいぶ違うだろう、とムスタディオは思い出すたびに腹立たしい思いになるが、周りの機工師仲間は笑って流すだけだったりする。それもまた癪に障るのだが、機工師の中では「下っ端」な身としては如何ともし難いところだった。
 脅された、と言っても誰も信じない。
 ゴーグの遺産に価値を見出したディリータは、遺産を解明することで得られる知識や技術を実用に耐えうるところまで昇華させよと言った。「使えそうな」ものを発掘し、それを技術として確立できるのならば国として援助もする──。その言葉はムスタディオの耳にも魅力的に聞こえたが、揺れた心をにわかに留めたのは「過去の自分」だった。
 親友とともにこの国を駆けた、あのときの自分を思い出した。未来の色なんて気にしたことがなかったあの頃。いつの間にかそれは闇色に染まっていたが、それでも友と駆けることを選んだあの頃。……神秘の石など見つけなければ良かった、何度そう考えたか分からなかったあの頃。聖石の存在がなかったなら、何かが変わっただろうか。争いは起きなかっただろうか。自分は、友は。思い出すたびに、今も暗い気持ちになる。
 だから。
 また、あんな得体が知れないものが出てきたなら。そう思うと、背筋が冷えた。この王も権力者の常として強大な力を欲するに違いない。そうしてこの国は、世界は、今度こそ闇に落ちるのだ。
 ……そうでなくとも。
 王が称した「使えそうな」技術を結集させた先に待つものは何だろうか。ゴーグに眠る数多の遺産を掘り起こし、ふるい分け、解明する。そのなかには機械仕掛けの兵器も多くあって──、それから得られる技術や知識は光を生み出すとは到底思えなかった。戦という名の絶望が再び訪れるのだと、そう思った。
 自分達は、自分は、何を。何をもたらそうとしているのか。
 怖い顔をしていたらしい自分をディリータは笑った。機械仕掛けの兵器はそれなりにほしいが、得体のしれないものは要らんと言いきり、どちらもほしがったお歴々を黙らせた。
 ほしいのは、地に足がついた知識であり、応用ができそうな技術。伝説に片足を突っ込んだような奇跡めいたものを手に入れたとしても、只人の手には余るものだと、そう言った。
 ムスタディオはディリータの言葉を不思議な気持ちで聞いた。波立った心は凪へと傾いていたが、それでも承服はできかねた。だから、下手な嘘でその場を切り抜けたのだが。
 ──それもまた、見抜かれていた。
 報告会の後に酒場に入った自分を、ディリータは待ち受けていた。他人事のようにこの国を語る彼と話す羽目になりながら、彼が自分を「説得」しにやって来たのだということはさすがに気付いた。
 話を聞いた。自然とそうなってしまった平易な言葉遣いで、自分の想いを──戦なんてこりごりなんだと──伝えもした。
 シードル入りのマグを手にして。
 そうして生まれた、奇妙な縁だった。


「……なんとか読めるけどな?」
 ムスタディオは呆れた思いで書状から目を離した。
 透かし紋章こそ入ってはいるものの扱いが雑な紙に合わせるように、中身もまた丁寧とは言い難いものだった。時候の挨拶などは勿論なく、最低限の連絡事項が数行書かれてあるだけ。宛先も短く「ゴーグ、ブナンザ」だけで、最後の署名はさらに崩れた文字で──、もう何がなんだかという気分になる。
 とりあえず、署名と本文の筆致から察するに、すべて王本人が書いたということにはなるが、しかし。
「城に書記官とか代筆屋とかいないのかよ……」
「勿論大勢いますよ」
 使者もムスタディオの心情を分かっているのか、苦笑した。
「普段はそういった者に書かせます。……ですが、それが「まどろっこしい」と思われるときもあるようで、そんなときはご自身でお書きになられるんですよね」
「それでこれなら、そのタイミングにかち合った相手は不運だよな。格式張ったことなんか俺だって得意じゃないが、もう少しなんとかするだろ普通っていつも思うんだが」
「……まあ、ええ、その」
 さてどう答えていいものか分からない、というような顔で使者は口ごもった。正直に頷くわけにもいかないのはぼやいたムスタディオにも分かる。
 とはいえ、これは私的な文書ではない。宛先は自分になっているが、窓口がそうなっているだけで実際にはゴーグの機工師連に宛てて書かれたものだ。当然、寄合の長も読むし、父だって読む。だったら、と思うのはごく自然なことだと思うわけで。
 もっとも、不思議なことに誰も怒ったりはしないのだった。初めこそ「しっかりとした」体裁の書面だったが、次第に崩されていく書状を見て「かえって読みやすい」と笑みを見せるくらいだ。
「ええと……。あの、それくらいゴーグにはお心を砕いているということではないでしょうか。それに、そのうち価値が出るかもしれないとか思うのはどうでしょう? なんといっても、英雄王直々の書状ですから」
「価値が出る? ……あんたもなかなか面白いな」
 思ったよりも現実的でたくましいその言葉に、ムスタディオは笑った。
「しかし、どうも話が逸れるな。じゃ、こっちも報告」
 逸れていた話が切れたところで、ムスタディオは机の端に寄せていた書類の束を使者に渡した。中身は依頼されている「使えそうな技術探し」の進捗報告だ。
「おお、相変わらずの量ですね。ありがとうございます」
 使者は王からの信書を渡したときと同様に、書類の束も恭しく受け取った。
「とりあえず、いくつか見繕った……精査してみた。いつもどおり、そっちの担当に渡してくれ」
「分かりました。今回はどんな感じですか?」
 持参していた書箱に書類を収めると、使者はムスタディオに向き直った。
「そうだな、今の技術よりずっと精密な羅針盤を発見したから、それの解析結果が今回のメインになってる。あとは……壊れた鍋とその蓋も出てきたから、それも」
「壊れた鍋と蓋」
 繰り返した使者にムスタディオは頷いた。腕を組み、詳しいことは分からないだろう相手に説明を試みる。
「底に穴が空いてるってわけじゃないが、表面が少しざらりとしていて変な感じなんだよな。こすってみたんだが、傷がつくだけだった。蓋もへんてこなつくりで……。試しに蓋をしてお湯を沸かしてみたら、途中でいきなり「しゅごーっ」って音がして驚いたのなんの」
「ははあ」
「火から下ろして蓋を開けようとしたんだが、しばらく開かないし。何だあれ?」
「何だと言われましても……」
 使者は困り顔で首を傾げた。不思議ですね、と適当ともいえる言葉を返されたが、ムスタディオは別に腹も立たなかった。
「ま、そんなとこ。もうちょい調べてみるけど、期待しないでくれ」


 その後、例のごとく使者は工房にやって来た陽気な機工師達につかまり、酒盛りへと連行されていった。
 まだやることがあるからと参加を断ったムスタディオは誰もいなくなった工房でひとり溜息をつくと、丸椅子に再び座った。
 そうして、雑な書状を手にする。時候の挨拶などはなく、数行の連絡事項と署名があるだけの走り書きを。
 奇妙な縁だと思う。おそらく、自分の親友が王にとって幼馴染でなければ、縁など生まれなかっただろう。ゴーグと国を繋ぐ流れはあったかもしれないが、これほど雑なやり取りにはならなかったに違いない。
 それはそれでちっとも構わないのだが、ただ不思議な感じがした。
 王の幼馴染。自分の友。──ラムザがいなければ、何もかもが今と違っていた。
 縁は生まれず、国は滅び、魔物が跋扈し、そうして世界は闇へと。
 そうならなくてよかった、とムスタディオは心の底から思う。そして、この平穏な日々が続くように、と想いを繋げる。
 闇は友が払った。光は、あの男がこれからもなんとかするだろう。
「あいつ、元気でやってるかな」
 いつものように思考を友へと収斂させると、ムスタディオは伸びをした。

あとがき

2021年3月発行の「Timeline until abandon the crown」の再録作品です。ディリータに「使えそうなもの探し」を命じられてしばらく経った頃のムスタディオのお話。ディリータとムスタディオの酒飲み話(Elaborate Crown And Cidre)や出張話(Seize The Future And Light)の続きとなります。

ラムザを挟んだ2人ですが、友人関係にはならないとはいえ、奇妙な関係にはなるかもしれないと思っています。ちなみに、作中のお菓子はマドレーヌ、鍋のモデルは圧力鍋です。

2021.3.21 / 2023.11.25