一回休み

 眠気がさっぱり訪れないので、ディリータは意を決して起き上がった。
「当たり前だ」
 ぼそりと呟き、窓の外を眺める。陽はとうに高く、空は青い。
 常ならば、今頃は政務の真っ最中だ。こんなところで──自室でごろごろとしている頃合いではない。
 なのに、今日はこの部屋に押し込められている。何もせずにお休みください、と侍医と侍従長とに「厳命」されてしまったが故だ。
 王に命令するなどいい度胸だ。ディリータは笑ったが、彼らは笑わずに目を釣り上げ、同じ台詞を繰り返した。そうして、そんな必要はないと主張するディリータが根負けするまで、それは続いた。
 ──少し顔色が悪いだけでこれだ。
 呟くのも面倒で、ディリータは頭のなかでぼやいた。
 見事に何も用意されていないので、仕方なく夜着の上にガウンを羽織る。上履きをつっかけて居室を横断し、自分だけの執政室に入ろうとして鍵がかかっていることに気付いた。
「……」
 主君のお考えなどお見通しです、という側近や侍医の声が聞こえるような気がしてディリータは仰向いた。
 普段ならば執政室の鍵を持っているのは自分だ。誰も入らせたりはしないのだから当然である。……だが、今朝方に下された「一回休み」の命でもってその鍵は取り上げられてしまったのだった。
 迂闊だった、と苦々しく思う。そのときは珍しくぼんやりとしていたから、深くは考えずに鍵を渡してしまった。
 舌打ちをしてまた寝室に戻り、寝台に腰掛けた。羽根枕を手の自重だけで軽く叩き、ごろりと転がる。
 見慣れた天井。
 何もすることがないという状況をディリータは好ましいとは思わなかった。ゆっくり休め、そんなふうに言われても体の休め方などたいして気にしたことなどないから分からない。勿論、必要に応じて休息をとることもあるが、そういうときは片付けるべき雑事をこなすことで時を消していた。
 何もすることがない、何もできないというのは本当に久々なことだった。
 ──書の一冊でも読めれば、気が紛れるんだがな。
 転がったまま、ディリータは思った。だが、呼び鈴を鳴らしてみたところで己の命に応じる者は今日はいないだろうと思うと、鳴らす気にもなれない。
 ならば、と今日の予定を思い出してみたが、それもすぐに終わった。謁見が数件入っているくらいで、幸いなことにちょうど暇な日だった。だからこそ、周囲は積極的に休息を求めたのだろう。今日と比べて明日の予定はやや重いものなのだから。
 明日は、国王ラナードの意思を伝えに鴎国の使者がやって来る。
 鴎国とゼラモニアの長きにわたる戦いは終わっていた。力をつけたゼラモニアはかつての領土を奪取し、そのまま剣を主国に突きつけた。そこまでいってオルダリーアは己の敗北をようやく認め、ゼラモニアと停戦協定を結んだ──それが昨年のこと。
 それからも小競り合いは散発的にあったようだが、同時に両者の話し合いも進んでいたらしい。その結論を「調停者」であるイヴァリースに伝えに来る、というのが今回の鴎国使者来訪の意味するところだ。
 もっとも、ゼラモニアからは既に同様の使者が来ている。それによると、ゼラモニア側はオルダリーアの提示した「条件」を渋々ながら呑んだとのことだった。本来ならば独立まで認めるべきで、こんな中途半端な形に終わらせるなど不誠実に過ぎる……そう続けた使者は半ば憤っていた。
 譲歩したオルダリーアがゼラモニアに認めたのは、彼の地の自治だけで。
 とはいえ、とディリータは思う。明日の謁見でオルダリーアの使者がゼラモニアの使者と同様の渋面で現れるのは容易に想像がつくことだ。
「面倒なことだ」
 寝返りを打ち、呟く。だが、呟いた言葉とは裏腹に、安堵の想いが胸の内にはあった。
 戦が、終わる。
 その事実は、ディリータが自分で思うよりもずっと大きな力でもって心の安寧を自身に与えていた。
 自国ではない、他国の争いに首を突っ込んで幾年。様々な理由をつけて鴎国とゼラモニアに干渉してきたが、それももう限界を迎えていた。幸いにして緩やかではあるがイヴァリースは復興の道筋を辿り始め──むしろそれ故にというべきか、争いに干渉する理由はなくなってきていた。飛び火を防ぐ国力は戻り、口減らしをする必要もなくなり、そうして諸臣からも「そろそろ頃合いなのでは」という声が挙がっている。その声にはディリータも頷くほかなかった。
 だから、余計にほっとしたのだと思う。一定の成果を得たことで、諸臣のみならず民からも糾弾されずに済むのだから。……勿論、それだけが理由ではないし、そんなことは些末にしか過ぎないが。
 戦が、終わる。
 不条理に泣く者達が減ればと、いつの間にかそんなふうに思っていた。幼馴染に借りを返すためとうそぶいた心で始めたゼラモニアへの「援助」は、いつしか心に入り込んでいた。
 かつて抱いた想いを幼き者達には抱かせたくなかった。雪の砦で物言わぬ躯を見つめるのは自分だけで十分だった。
 ──こうなることを分かっていたのか?
 まさか、と思いながらディリータは朧になりつつある幼馴染の姿を思い浮かべた。己がこんな想いを抱くようになるとは思いもしていなかったが、もしかするとあの幼馴染はそれすらも知っていて──だからこそイヴァリースからの援助をゼラモニアは断らなかったのかもしれない。
「どうだろうな……」
 窓の外、空は青い。寝転がったままで空を眺め、ディリータはひとりごちた。ラムザ、と幼馴染の名を口の中で続ける。声に出したところで聞く者など誰もいないのに。
 ──ラムザ、お前は一体何を考えて……。
 空の青は次第にその色を失っていった。

 これは夢かもしれない、と思う。
 玉座に自分が座っている。頭上には王冠、手には錫杖。
 数多の臣が、民が、自分に向かってひれ伏す。それを、自分は平然と見ている。
 こんなのはまやかしだ、と思った。
 今の自分はラムザとともにいる。──かつて彼の父がそう願ったように、片腕として。
 少し歪んだ事実を受け取りながら、そうして日々を過ごしている。
 鐘の音が鳴り、花嫁となった妹が笑う。幸せそうだと思い、幸せだと思った。
 それこそが現実。王冠こそが夢。別に望みもしない、眠りのなかの夢。

 ……風が、吹いた。

あとがき

2021年3月発行の「Timeline until abandon the crown」の再録作品です。なんとなくの体調不良でお休みになってしまったディリータのお話です。ここでも仕事中毒ですが、少し頑なさ&確信犯的偽悪者も薄れてきたかも…しれません。どうでしょう。ぼんやりしているだけかも?
「真実を知った者」ほかの続編ですが、周りが思う以上に暗い王様ディリータでした。

2021.3.21 / 2023.11.25