薄味の謎

 傭兵は、体が資本だ。

 食事時になると、ラムザはいつもその言葉を思い出す。独特の口調と辛辣な性格でならした「師匠」の言葉だ。
 食えるときに食っておけ。そうも言っていたなとやはりいつものように思いつつ、食堂兼酒場へと向かった。まだ陽も沈んでいないが、夜は哨戒任務が入っているので早めに食べておかなければならない。
 そういえばここに来た初めの頃はまさしくそうだったっけ、とふと思う。今でこそ一日に複数回の食事を摂ることができるが、少し前まではそんなことはなかった。配給食は日に一度、内容も量も日によってまちまちで、この砦にいる誰もが腹を空かせていた。……その割に酒が切れることはなかったが。
 だが、半年くらい前から劇的ともいえるくらいに食糧事情がまともになっていき、それでゼラモニア独立運動軍の士気は間違いなく上がった。腹が減っては戦はできぬ、とは言い得て妙で、独立運動に関わるすべての者が身をもって体感した。
 勿論、ラムザもその内のひとりだ。
 今夜のごはんは何かな、と呟き、食堂の扉を開ける。人もまばらな食堂にはそれでも早い夕餉を摂っている者が既におり、ラムザの視線は自然とそちらに向いた。
「もうちょっと塩気がほしいんですよね」
「ミア、またそれかよ……」
 聞こえてくるのは古語のようなゼラモニアの言葉ではなく、今となっては公用語のようにもなっているオルダリーアの言葉でもない。ラムザにとっては最も聞き馴染みのある言葉、すなわちイヴァリースの言葉で彼らは話していた。
 それが何故なのか、ラムザは答を知っている。といっても何のことはない、彼らは畏国出身の傭兵だ。ゼラモニアの古語は無理とはいえ、鴎国語もそれなりに操る畏国の傭兵は多いが、それでもこうした気安い場では自国の言葉を使う。
 ラムザ自身もそうだった。砦の人間とは鴎国語で話すが、親しい人間と──主にアグリアスとだが──話すときには畏国語を使っている。
 カウンターで肉入りスープとパンを受け取ると、ラムザは彼らの座る卓へと足を向けた。素知らぬふりで別の卓へ就くこともできたが、ひとりで食事を摂るのも味気なく思えたからだ。知り合って日は浅いが、彼らのことをまるで知らないわけでもないというのもある。
「アーネスト、ここのごはんはどうしてこんなに薄味なんでしょう。もうちょっと塩を」
「そりゃ、やっぱり物資が乏しいからだろ」
「ゼラモニアの味付けは元々薄いんだよ」
 口をへの字にしてぼやいたナイトのミアと、向かい合わせに座る白魔道士のアーネストにラムザは声をかけた。
「あ、ラムザ」
 仲良く声を揃えて見上げてきた二人に、小首を傾げてラムザは相席の許可を求めた。勿論、とミアが言い、アーネストが隣の椅子を引く。ありがとう、と謝意を告げてラムザはその椅子に収まった。
「随分早い飯だな。夜勤か?」
「そう。アーネストとミアも早いね。帰りは夜になるんじゃないかって聞いていたけど」
 斥候に出ていたんだろう?とラムザが問うと、ミアが頷いた。
「任務は予定通りきっちりこなしました。上に報告も済んで」
「腹が減ったってミアが騒ぐから、チョコボを飛ばして帰ってきたのさ」
「ふうん?」
 優等生の返答をしたミアを遮ってアーネストが補足する。その途端、ミアは鋭くアーネストを睨んだ。その頬が赤い。
「アーネストだって早く一杯引っかけたいって言っていたじゃないですか!」
 一方、アーネストは涼しい顔でミアの言葉に頷いた。まあな、と空になったジョッキを指差すと、白魔道士らしからぬ態度で卓に肘をつく。
 面白いな、と二人のやり取りにラムザは笑った。
「何がですか」
「いや、いいコンビだなあと思って」
 ミアからの剣呑な視線に気圧されながらもラムザは本心を口にした。その言葉に二人が固まる。
「いいコンビ」
 そうして揃って復唱してきたので、ラムザはますます愉快な気持ちになった。
「そうやってぽんぽんと言い合えるし、お互いの気持ちも汲んであげることができる。背中を任せるだけじゃなくて、それって素敵なことだと思う」
「気持ち……?」
 恐る恐るといった体でミアが訊き返す。
「ミアはお腹がぺこぺこだった。アーネストはお酒が飲みたかった。それで早く帰ってきた。利害が一致しただけかもしれないけれど、相手の考えが分かる、そして相手に伝えられるっていうのはとても……」
「いいから、分かったから! 冷めるから早く食え!」
 大切なことじゃないかな、と続けようとしたラムザに向かってアーネストが喚いた。ずい、と突きつけられた匙を受け取り、ラムザは肩を竦めた。
「そうだね、忘れてた。……まあ、アグリアスと僕ほどじゃ」
「それも分かっていますから!」
 どん、とミアが卓を叩く。そうか分かっているのか、とラムザは妙に得心したが、それ以上何かを言うのは止めておいた。
「とりあえずやっつけてしまうから。話はまたその後で」
 そう言って片目を瞑ると、少し冷めてしまったスープにラムザは匙を入れた。


「ここだけじゃなく、ゼラモニアの料理全般が薄味なんだって。前にそう聞いたよ」
 塩気が効いていない分「素材の味」で勝負しているのかも、と不思議に思った記憶がある。それを思い出しながらラムザが言うと、ミアとアーネストもまた首を傾げた。
「塩が取れないってわけじゃないよな?」
「岩塩、特産物ですものね」
 二人の指摘にラムザは頷く。
「味が薄い理由がどうしてかは知らないってその時は聞いたかな。そんなわけだからカウンターには塩が入った瓶が置かれてるんだけど……、ミアは気付いてた?」
「え」
 ラムザの言葉にミアが目を丸くする。彼女はラムザをまじまじと見ると、次の瞬間にはカウンターに走った。そうして喜色に満ちた声をあげる。
「ありました!」
「……なんだ、俺達が気付いてなかっただけか」
 背凭れに身を預けて天井を仰いだアーネストを見て、ラムザはくすりと笑った。
「そういうこと。ゼラモニアの人にとってみれば、イヴァリースのほうこそ味付けが濃すぎるらしい」
「所変われば、ということですかね?」
 手ぶらで戻ってきたミアが言う。塩を足すのかとてっきりラムザは思っていたが、よく見ると卓に置かれている彼女のスープ皿は既に空だった。なるほど、と思う。
「かもな」
 アーネストがミアの問いに相槌を打った。
「まあ、イヴァリースの中だけでも地方でだいぶ味が違うだろ? 俺はドーター出身だけど、イグーロスに行ったときには驚いた。あと、ゼルテニアも。北のほうだからかな、とにかくしょっぱい」
「アーネストはいつもそう言いますよね」
 ゼルテニアの出だというミアが唇を尖らせる。
「北天のことは知りませんが、南天にはポエスカス湖がありますから。塩は潤沢にあるんです」
「ミアはいつもそう返すよな。肉も魚も野菜もとにかく塩漬けにするんだろ?」
「勿論」
 それが何か、とミアはアーネストに言った。
 確か、とラムザは頭の片隅に留めてある二人の経歴を思い出した。傭兵の過去を知っておくのは本来ならばあまり意味がないことなのだが、畏国出身の者については簡単に聞くことにしている。それくらい独立運動に関わる畏国からの傭兵は増えた。誰かしらの何らかの企みが働いているかもしれないからだ。
 彼らの語ったところによると、先の畏国の内乱ではアーネストは北天、ミアは南天騎士団に属していたらしい。しかし、ベスラの戦いで共に「流され」、ほうほうの体で生きながらえた頃に二人は出会った。
 騎士団への忠誠はそれなりにありましたが、と前にミアは語った。あくまでそれは「それなりに」であったし、戻りたいと思っても戦はほぼ終結に向かっていた。恩給が出たという話も聞かず、身の振り方を考え始めたときに「傭兵」という選択肢が頭の中にぽっと浮かんだのだとか。
 アーネストも言った。敵だったが、ミアとは妙に馬が合った。だから、仕方ないから家に帰るかと思っていた頃にミアから新たな道を提案され、それも面白いと話に乗った。人を癒やす力を持つ身だが、故郷で穏やかに過ごしながら人々を助けるよりも戦地に立つほうが性に合っているとその頃には気付いていたのだとか。
 そういったわけで、二人は傭兵になった。それからは紆余曲折、こうしてゼラモニアまで辿り着いた──。
「でも、分かるな。僕はイグーロス生まれだから塩辛いほうがなんとなくほっとする」
 剣呑な雰囲気になりつつある二人を視線で抑えつつ、ラムザは柔らかい声で言った。頭の中の調書を閉じ、改めて二人に相対する。
 広い意味でいえば同郷の反応をそうして待ったのだが。
「……」
 ミアとアーネストは顔を見合わせ、次いで微妙な表情でラムザを見た。その視線が少し泳いでいる。
 もしかしたら、と彼らの反応にラムザは思った。いや、たぶん。
 ──彼らは自分を知っている。
「どうかした?」
 唐突に黙り込んでしまった二人に笑いかけると、二人は再び顔を見合わせた。どちらも困り顔で、口を開きかけてはまた閉じる。仲が良いというか、息がぴったりというか、この二人はやっぱり面白いなとラムザは思った。
「……うーん」
 待つことしばし、アーネストが唸った。
「ラムザは……その……。いえ、なんでもないです」
 ミアも消えそうな声で言う。本当は訊きたいことがある、とその顔にはありありと書かれていたが、ラムザは気が付かないことにした。
 ……そう思ったのだが。
「お二人さん、腹に溜め込まずに訊いといたほうがいいぞ?」
 突然割り込んできた声にラムザは振り返った。ミアとアーネストが「あ」と小さく驚きの声を上げる。
 そこには、盆に夕餉を載せた男がひとり。
「……長」
 彼の「通り名」を呼ぶと、男は笑った。「にやり」としか形容のしようがないその表情に、ラムザは少しばかり暗澹たる気持ちになった。……どうも旗色が悪くなってきた気がする。
「俺もいいか?」
「は、はい。どうぞ」
 問われたミアが慌てて隣を指し示すと、長は「ありがとよ」とその席に座った。
 ほんの少し前とは違う、妙な空気がまた流れる。
「気になることは訊いとくことだ。いつ何があるか分からんのだからな」
 そんな空気には頓着せずに長はよく通る声で言い、ラムザを含めた全員を見回した。圧倒されたらしいミアとアーネストがこくこくと頷くのを視界の端で認めつつ、ラムザは話を続けようとした長の出鼻を挫いた。
「……とりあえず、食べてからにしようか?」


 遅れる、と同じ任務に就くはずだった仲間に伝言を頼むと、ラムザは三人の座る卓へと戻った。
 話し込んでいた間に食堂は既に賑わいをみせていた。邪魔になるという口実で話を打ち切るという手もあったが、長がそれに応じてくれるかは一種の賭けにも近い。今は引き上げたとしても、ミアとアーネストの二人が求めるままに──下手をしたら他の傭兵も巻き込む形で──話をするかもしれない。
 そこまで考えてラムザは眉間に皺を寄せた。長の性格上それは大いに考えられることだった。短くはなくなってきた付き合いだ、彼のことは少なからず分かるようになった。
 人好きのする性格故に多くの仲間に慕われている彼は、ああ見えて冷静沈着で計算高いところがある。鞭と飴を使い分けることにも長けており、鞭の矛先に身を震わせる者は敵のみならず味方にも多い。……だが、その本質は愉快なことが大好きな「陽気なただのおっさん」だ。
 そんな彼の名を──この砦の主にして、独立運動軍の要である男の名を──知る者は少ない。本人も周囲も別段隠していることではないのだが、誰もが彼のことを「長」と呼ぶ。それはラムザも例外ではなかった。
 そして、隠していることといえば。
「……いや、別に隠してるってわけじゃない……ような」
 席に就くなり三人にじっと見つめられ、ラムザは少したじろいだ。開き直って興味津々という風情のミアとアーネストに、状況を面白げに眺めている長。
 ミアとアーネストはしばらく目配せをしていたが、やがてミアが口を開いた。
「ラムザは……、「あの」ラムザですか?」
「あの……」
 秘密を打ち明けるような囁き声にラムザは苦笑しそうになったが、ミアの真剣な表情にその笑みを引っ込める。
「イヴァリースの酒場という酒場にお尋ね者として貼り紙がありました。結構な賞金額だったから常連の間では有名だったんです。一攫千金だ、なんて具合に」
 へえ、とラムザは相槌を打った。それを見てどう思ったのか、アーネストが続ける。
「勿論、俺も。教会からのお尋ね者の名前はラムザ・ベオルブ……ベオルブ家の子息が何をやらかしたんだって、北天ではあれこれと噂も飛び交ってた。上は火消しに躍起だったが、何故か段々おざなりになっていって……。それも不思議だったが」
 そうなんだ、とラムザはまた相槌を打った。
「……。だからラムザに初めて会ったとき、「もしかして」と思ったんだ。でも、ラムザなんてありきたりってほどじゃないけど珍しい名前でもない。それに、ファミリーネームも違う。お尋ね者はベオルブであって、ルグリアじゃない……」
 ひた、とアーネストがラムザを見つめた。嘘や言い逃れは許さない、といった強いまなざしだった。
 その視線を受け、ラムザは笑んだ。
「ルグリアは母親の旧姓だからね」
 ラムザがそう告げると、ミアとアーネストは揃って息を呑んだ。
「……認めるのか?」
「認めちゃうんですか? そんな、あっさりと」
 想像はしていたはずなのにまるで予想外といった風情で二人はラムザに問いかけた。それぞれが身を乗り出してきたので、そのぶんだけラムザは身を引く。
「嘘をついても仕方ないし」
 それに性分にも合わないんだ、とラムザは付け足したが、その言葉は傭兵達の耳からはすり抜けていったようだった。
「いったい何をしたんです? 異端者だなんて」
「教会に歯向かったのか? そういえば……」
「お前ら、さすがに声が大きい」
 声高に言い募るミアとアーネストを長が苦笑混じりの声で制する。経緯を辿れば長こそ元凶なんだけどな、とそう思いながらラムザは口元に人差し指を当ててみせた。
「二人とも、とりあえず落ち着いて。異端者にされてしまったのは本当だけれど、そうだね……何をしたかっていうのは内緒」
「内緒」
 ラムザの言葉に傭兵二人が声を揃えて繰り返す。
「話せば長いし、もう終わったことだし。それに、君達にも今の僕にも、そしてこのゼラモニアにも大して関係ないことだからね」
 嘘を織り交ぜてラムザは二人に言った。本当は少し違うけれど、とそう思いながら。
 教会に追われ、異端者となったことについては確かにミアにもアーネストにも関係がないといえるだろう。終わったことだから、と自分自身そう思っているのも本当の話だ。
 だけど、とラムザは思う。彼らが傭兵になるきっかけを作ったのは──、ベスラの水門を開けたのは自分だ。その意味では、まるで関係がないとは言えない。後悔は今でもしていないが、二人の経緯を知ったときには背筋にひやりとしたものが落ちたような心地になった。
 だが、それを二人に告白するつもりはない。
「……そうか」
「ちょっと残念ですが……、人それぞれの事情がありますからね。あ、でも」
 思い出した、というようにミアが手を叩いた。
「もうひとつだけ、いいですか?」
「何かな?」
 ラムザが促すと、ミアは大きく頷いて問いを繰り出した。
「アグリアスさんのことです。アグリアスさんとはどういった仲で……」
「ん? 深い仲」
 真剣そのものの表情で訊いてきたミアにラムザは一瞬驚いたが、すぐに気を取り直して平然と答えた。それこそ隠すことでもないし、むしろ大声で言ってまわりたいといつも思っているからこそなのだが。
 その返答をどう思ったのか、ミアは肩を落とした。
「いえ、そんなことはその指輪を見れば分かります。ああ、皆のアグリアスさん……じゃなくて!」
「馬鹿、違うだろ。……傭兵になる前から一緒に行動してたっていうのは?」
 卓越しにミアの額を軽く弾くと、アーネストは横目でラムザに問うた。
「ああ、そのことか。どうして同じことを皆訊くんだろうね?」
「知りたいからだろ」
 投げやり気味にアーネストが言ったので、ラムザは肩を竦めて笑った。
「そうなんだ。答はそのとおり、傭兵になるずっと前から……。いや、違うな」
「何が違うのだ?」
 自身の言葉に引っかかるものを覚え、ラムザは煤だらけの天井を見上げた。否、見上げようとした。
 だが、視界に入ったのはまるで別のもので──。
「うわあ」
「……何をやっている、ラムザ」
 仰け反った拍子に椅子ごと転びそうになったラムザを支えたのは、聞き慣れた声の持ち主だった。あー、とその声にラムザは意味もなく虚ろな声を上げる。
 なんとなく、ばつが悪い。そう思いながらラムザが声の主を見上げると、顔を覗き込むようにしてアグリアスが険しい表情で睨んでいた。
「哨戒はどうしたんだ。いつまで経っても来ないと私のところまで苦情が来たぞ。少し……いや、かなりたるんでいるのではないか? これだからまったく……」
「おう、アグリアス」
 深々と溜息をついて説教をし始めたアグリアスに、長が鷹揚に声をかけた。固まってしまったミアとアーネスト、よく分からないが蛇に睨まれたようになっている自分を他所にして、とラムザは思う。他人事なのだからそれまでなのかもしれないが。
 だが、そんな長にもアグリアスは平等に一瞥をくれて寄越した。
「長、あなたのことも幹部が探していた。売る油があるのなら分けてほしい、とも」
 アグリアスの冷ややかなまなざしと物言いに、長がわざとらしく首を振った。へいへい、と独り言のように返事をして立ち上がる。
 ラムザもそれに続いた。
「ごめん、二人とも。話の途中だけど、また今度」
「あ、はい」
「……ああ」
 二人に詫びると、視線を背に感じながらラムザはアグリアスと長と共にその場を離れた。カウンターに食器を返し、食堂を出る。
 小さな窓から外を見ると、既に陽は落ちていた。
「これはさすがに怒られるか……。いっそのこと、さぼろうかな」
「何を馬鹿なことを」
 叱られることを前提にして軽い口調で言ってみると、予想通りアグリアスが睨んできたのでラムザは笑った。なんとなく変な性癖だとは思うのだが、アグリアスに叱られるのは実は楽しい。
 隣を歩いている長も笑った。
「さぼれるくらい暇になりたいもんだ」
「まあ、少し先の話かな?」
 壁にかけられた松明の灯火を頼りにして先を進む。いくつか角を曲がり、それぞれが別の方向へ向かおうとした矢先、長が思い出したように言った。
「ミアとアーネストの話の先になるが……、あいつらだけじゃなく、イヴァリースの傭兵がこの軍にやたらと多い理由は何だと思う?」
「は?」
 唐突な問いにラムザは面食らった。
「……畏国が傭兵を雇って送り出しているのが主因だろう? 何の目的かは未だに分からないが」
 答を返したのはアグリアスだった。潜められた声音が彼女もまた戸惑っているのだと知れた。
「そうだよね。あとは、戦が減ってすっかり落ち着いてしまったから食いっぱぐれるようになっちゃった、とか。そんな理由だとばかり」
「ま、それもある。というか、正解だ」
 アグリアスの回答に頷いてラムザが続ける。二人の模範解答に長は拍手して応えたが、「もうひとつ理由がある」と笑いを含んだ声で言った。
「傭兵業ってのは因果な商売だ。それを奴らは勿論分かってる……お前さん達もな。だが、ここに流れ着く……いや、目指してやって来るイヴァリースの傭兵は金だけで動いてるわけじゃない。知ってるか?」
「……うん」
 長に問われ、ラムザはややあって首肯した。そうして心の内で思う。
 故国を離れ、ゼラモニアの独立運動に関わるようになって幾年。傭兵の中でもいつの間にか最古参となってしまっている自分とアグリアスだったが、増えてきた畏国の傭兵達と接していくうちに不思議に思うことがあった。鴎国や呂国、他の国から来た傭兵達とは違う特徴が彼らにはある。
 彼らの殆どが口を揃えて言うには。
「傭兵である前に人として動けることが嬉しい、と」
「そうだな。ところで、そのきっかけを作ったのは? 傭兵でありながら、いや、傭兵だからこそとそう思いながら先陣を切って走り続けるのは?」
「……」
 長の問いにラムザは答えなかった。彼の求める答が何なのかはもう分かっていたが、それを自ら口にするのは感情が邪魔をした。
 ──自分が。
 そんなだいそれたことはしていない、強くそう思う。ただ、自分の心の赴くままに動く、それが今を作り出しているだけ。もしかすると、とんでもない間違いを起こしているかもしれないのに。
 だが。
「ラムザだな」
「……アグリアス」
 たった数瞬の沈黙を破ったのは、アグリアスの短い言葉だった。窺うようにラムザが視線を走らせると、彼女は笑みを浮かべていた。灯火の頼りない光でも、それははっきりと分かった。
「自身には不思議な求心力があることを少しは自覚したほうがいい。知らないわけではないだろう? 実際、前にも言われていたのだから」
 否やは言わせない、という強い口調でアグリアスが言う。長もその言葉に頷いた。
「俺もそう思う。ラムザ、お前さんにとっては当たり前のことなのかもしれないが、そうじゃない奴の方が多いのさ。労力にはまるで見合わないとこちらを見向きもしないか、勘違いして自分に正義があると高らかに言うか、大抵はそのどちらかだ。傭兵だったら前者が多いな。金がなきゃ奴らは動かん」
 ラムザは黙したまま、言葉の先を長に促した。
「なのに、だ。傭兵は貧乏なゼラモニアにどんどん集まってくる。そりゃ、他所からの金は多少は絡んでいるさ。だが、それだけで動くほど旨味がある話でもなかろう?」
 オルダリーアという大国を相手にして独立を求める。長のようなゼラモニアの民にとっては悲願だが、他国の傭兵にとってはそんなことは勿論関係がない。彼らは金を求め、戦場を求める。
「それでもここにやって来るのは」
 長の言葉をアグリアスが引き取った。
「自分には自由があると知りたいからだろう。金や戦場を求めるのと同じくらい、いや、それ以上に重要なことが彼らにはある。傭兵の本分は「自分の意思」だ。自分で考え、判断し、そうして動く。人に操られるのは好まない」
「そう、だね」
 ラムザは頷いた。脳裏に師匠の姿を思い浮かべる。彼は確かにそうだった。
「過去に失敗した。操られ、歯車となっていた自分に嫌気がさした。彼らは私にそう言う。勿論、それぞれの理由があって戦場へ向かったのだろう。自ら望んだ者も中にはいるのだろうし、食い扶持に困った挙げ句という者もいる。そうして戦場に立ってみて、彼らは気付いた。……気付いた先にいたのが、お前だ」
 長くなってしまったが、とアグリアスは言った。
「大義のために動いているわけではない。長には悪いが独立への希求は二の次で、圧政で苦痛に顔を歪める人々を見た「自分が苦しいから」動いているだけ。私はお前からそんなふうに聞いて心が動いたし、同じような想いを持っていた彼らの琴線にも触れた。そういうことだ」
 アグリアスの言葉に、長が頷く。ラムザは視線をうろうろと彷徨わせたが、やがて二人を順に見つめた。
 初めて聞いた言葉ではない。むしろ、折に触れて同じような説教をもう何度も聞いた。そのたびに納得したような気持ちにもなったが、どちらかといえば戸惑いが強かった。それは今もあまり変わらない。
 だが、もう終わらせる必要があるのかもしれない。そして、覚悟を持つ必要も。
「……僕はそんなのじゃないって思う気持ちもやっぱりあるけど、そうだね……。彼らの想いに応えられるような自分でありたい。何をどう変えていくというわけじゃないけど、僕は僕でしかないけど、それでいいのなら」
「いいのさ、それで。そうでないと困る」
 つっかえながらラムザがそう言うと、長は笑った。背中を勢いよく叩かれ、思わずよろめく。長なりの励ましに、ラムザは苦笑した。
「……ありがとう。でも……」
「でも?」
 アグリアスが言葉尻を捉えて繰り返した。まだ何か言い訳をするのか、と言いたげな彼女に向き直り、ラムザは頭の片隅にずっと抱えていた考えを口にした。
「でも、僕だけの力じゃない。確かに僕はきっかけなのかもしれないけど、実際に動かす力は必要だ。イヴァリースの傭兵をゼラモニアに唆した……言葉が悪いね、彼らの目をゼラモニアに向けさせたのは別の力だと僕は思う」
 金で釣ったのかもしれない。戦場なのかもしれない。あるいは、彼らの内なる想いを利用したのかも。
「……それは?」
「ディリータだと思う。彼は彼らの心を知っている。……そして、思い込みで自信過剰で買いかぶりすぎかもしれないけど、僕のために」
 増え続ける兵力。少しばかり余裕が出てきた資金。畏国の援助がその背景にはあったが、理由までは分からない。表向きには鴎国への牽制と畏国は言っているが、信じ込むには何かが足りなかった。畏国は鴎国とも手を繋ごうとしているのだから。
 だからこそ、直感で思う。何の根拠もないが、あの幼馴染にはそんなところがある。仮面を被り、周囲を欺き、自らの心も隠し、なのに他者のために生きようとする……不器用なところがあることを自分は知っている。
 彼は今、己の想いに忠実なのだろうか? ……たぶん、きっと。
「……なるほど、ね」
「そんなふうに考えていたのか」
 仰向いた長に、視線を外さないアグリアス。驚く様子は見せない二人に心の内で感謝しながらラムザは頷いた。
「僕は自分にできることをする。それだけだけど……彼らが、そしてディリータがそれを望むのなら」
 窓の外を見やる。西向きに作られた窓から見えるのは、繊月と金の星。山並みは暗闇に消えて見えないが、故国は──イヴァリースはその先にある。
 空は続いている。もしかすると、彼もこの空を眺めているかもしれない。
 そうだといい、と心の底から願う。別れを告げた日があったとしても、つながりは今も途切れていないと信じたい。同じ空の下に在るのだと、そんなふうに。
 ……信じたからこそ、互いに手を離せた。
「そうだな」
「アグリアス、妬けるか?」
 詰めていたらしい息を大きく吐いたアグリアスに長が茶化すように言った。その言葉の意味がすぐには飲み込めず、ラムザは首を傾げた。
「誰が、誰に」
「どういうこと?」
 アグリアスは長の言葉の意味するところが分かったらしい。彼女は一瞬横目でこちらを見やったが、すぐに長へ視線を戻した。
 気温がどうも下がったような気がする。……夜だからだろうか。
「さあ? ……ま、そろそろ解散だ」
 迫った夜気を払うように手を叩き、長が告げる。ラムザはアグリアスと顔を見合わせたが、アグリアスは渋い顔で首を横に振った。
「アグリアス、どうかした?」
「別にどうもしない。……もう任務時間も終わりだろうが、一度は顔を出してこい」
「そうだった……」
 アグリアスの言葉にラムザがそう嘆くと、喉を鳴らして長は笑った。今度は軽く二人の背を叩き、彼は自分の持ち場へと向かっていく。
 それを二人は見送った。
「じゃあ、僕も」
「ああ」
 ひらりと手を振り、アグリアスとも別れる。角を曲がってしばらく進めば、誰の足音も聞こえなくなった。
 ところどころ暗闇に沈みかけた回廊を歩くと、心が研ぎ澄まされていくような感覚になっていく。ああ、と小さくラムザは息を吐き、窓の外をもう一度見た。
 細い月。金の星。
 それらを抱く空。──故国へ、彼へと続く空。
 懐かしいとは思わない。会いたいとも思わない。それでも、つながりは信じている。……だから、互いに手を離した。
 過去よりも未来を西の空に見据えて、静かにひとり誓う。
「同じ空の下に、これからも」
 誓いは祈りにも似た響きで、空に融けた。

あとがき

2021年3月発行の「Timeline until abandon the crown」の再録作品です。ゼラモニア独立運動軍に参加する数が増えてきた畏国出身の傭兵達とラムザ達のお話となりました。ラムアグ話のようにもなりました。

本作は、ラムザがゼラモニアにいる理由&畏国の動向についてのラムザの考えを書きたいなと思って書きました。思いのほか長くなりましたが、傭兵ズと長が無限に話すのでそうなってしまったきらいがあります。

ラムザはルグリア姓を名乗っているのは私的設定ですが、エンディング後の彼はどう名乗っていたのか気になります。名字なしの「ラムザ」だけの可能性もあるかな…?

2021.3.21 / 2023.11.25