「では、その手筈で」
「報告書は纏めて送ってくれ。適当でいい」
「気を付けて行くのだぞ」
三者三様の言葉を受け、ディオンはかすかに笑んだ。承知した、と応え、傍らのテランスにも視線を送る。此方の意を汲み取ったテランスもまた笑みを浮かべ、風の志士達に略礼をとった。
そうして作戦室を出る。陽は未だ空高く、暗がりに慣れた目が陽射しに眩んだ。直接の陽射しだけではない、ベンヌの湖面にきらきらと強く反射する光も、目を眇めてしまうには充分なほどだった。
「まずは、オルタンスか?」
「はい。既に用意はできているとのことです」
支度は念入りにな。常の太い笑みで言って寄越したロズフィールド卿に従って動くことにした二人は、今回の件に先んじて「依頼」をしていた倉庫番のもとへと足を運んだ。
――旅に出ることに、なった。
混沌の只中に在る世界の実情を把握したい、という声があった。
現実を直に見たい、と願う内なる心があった。
君と共に旅がしたい、という希みを聞いた。
すべてが未来へと動き出す、その少し前に。
今、というときだからこそ――。
「殿下、テランスさん」
色々あった末に顔馴染みになったからだろう、以前と比べて格段に落ち着いて出迎えたオルタンスに、ディオンとテランスは片手を挙げて応じた。
「ご所望の外套はこちらです」
簡単に挨拶をしてからオルタンスは作業台に置いてあった包みに手をやった。埃除けの油紙から丁寧に畳まれたそれを取り出して広げる。
「じゃーん!」
裾が床につかないように外套を精一杯掲げたオルタンスが高揚した声を上げた。その愉快な声が面白くて、ディオンは笑いながら外套を受け取る。
「ほほう、これはなかなか……」
「しっかりしたつくりですね」
ディオンが手にした外套をテランスも覗き込む。フードが付いた外套は落ち着いた色合いで、使われた布地も実用的なものだった。揃った縫い目が美しい。
「耐水用の油を薄く引いていますから、多少の荒天はどんとこいです」
「それは有難い。試着してみても?」
ディオンの問いに、オルタンスは満面の笑みで「勿論です!」と頷いた。
「旅装となれば、今より少し厚着になるときもあるでしょう。それを考慮したほうがよろしいかと」
外套を着込みながら、ディオンはテランスの言葉を聞いた。オルタンスが「そこなんですよ!」とこれまた大きく頷く。
「以前採寸させていただきましたが、それよりもほんの少しだけ大きめに作りました。といっても、気をつけたのは首周りと肩幅くらいですけどね」
オルタンスの説明通り、確かに少しゆとりがある。だが、それは気になるほどではなく、むしろ動きやすい。裾の長さや翻り方、フードが遮る視界の幅に全体の重み。すべてが想像していたよりも遥かに此方の希望に適っていた。
そして、最後に。
「この留め具も良い」
確認をし終えて外套を脱ぎ、ディオンは留め具を指し示した。
「でしょう! さすがは殿下!」
分かっていらっしゃる!
オルタンスに詰め寄られ、ディオンは慌てて一歩を引いた。テランスが苦笑しながらディオンの脱いだ外套を受け取る。
「……これは鳥の意匠ですか?」
そうです、とオルタンスはテランスに答えた。
「せっかくだから何か素敵な意匠にしたいなと思ったんですが、なかなかこれが難しくて。ジルさんと、お裁縫愛好会と、お針子組総出でああでもないこうでもないと考えたんですけどね」
つらつらと語りだしたオルタンスの言葉に、ディオンとテランスは顔を見合わせた。
なんだか、大ごとになっているような気がする。
「殿下といえばやっぱりバハムートが印象深いけど、これからは切り離したほうがいいという意見が大半を占めていて、じゃあそれに代わるものってなんだ?ということになって、槍とか御髪と瞳の色とかテランスさんとか色々挙がったんですけど」
「いや、少し待て」
右手を翳してディオンは立て板に水状態のオルタンスを制した。
己が得物や身体の特徴はまだ分かる。だが、テランスを持ち出すというのは……いったいどういうことだろうか。聞かずとも分かるような気はするが、ひとまずここで止めなければ話があらぬ方向に逸れていくのは間違いない。
横目でテランスを見やると、やはり同じような心持ちになったようだった。少しばかり顔が引きつっている。
「え、だって殿下といえばテランスさんじゃないですか? 先日開催された「ヴァリスゼア名コンビ大投票」では残念ながらテランスさんのお名前がなかったので選考外でしたが、後に皆で「コンビじゃなくて、名カップルだよね」なんて頷き合ったんですよ? 隠れ家のほぼ全員の総意です」
「は、はあ」
喜んでよいのか、そうでないのか。もはや隠し立てしているわけでもないから、別に構わないといえば構わないのだが、しかし、これは。
「まあ、そんな経緯はさておき」
ディオンとテランスの背中を伝った冷や汗をよそに、オルタンスは目に見えぬ箱を避けるような仕草をした。
「でも、どれもピンとくる感じじゃなかったので、ボツになったんです。そこで、ジルさんがシド……クライヴに相談してくださって。クライヴがさらにジョシュアさんにも相談して、やっぱりああでもないこうでもないとなったんですが、結論を言ってしまえば語り部の案が選ばれました」
疾走するチョコボが急停止したかのように唐突に終わった話にディオンは思わずよろけそうになったが、なんとか踏み止まった。
「先生の?」
オルタンスが出した名には思いも寄らず、ディオンは考えるよりも先に彼女の言葉を繰り返した。
「ええ。鳥はどうかねって。他のドミナント、たとえばジョシュアさんも不死鳥だから鳥ですよとお伝えしたんですが、そういうことではないよって微笑まれたんですね。どうして鳥なんですかと聞いてもその先は教えてくれなかったんです」
ただ、とオルタンスは続けた。
「なんとなくですが、それがいいなって皆思いました。なので、語り部の案をもとに仲間が素案を何枚も描いて、ブラックソーン経由でゾルターンさんに制作をお願いして、完成したのがこの留め具になります」
説明を終えたオルタンスに、そうか、とディオンは短く返した。外套に取り付けられた留め具を見つめる。
象られていたのは、止まり木で翼を休めている鳥だった。
続いてサロンへと赴く。オットーに目配せされたゴーチェから「協力者」一覧を受け取り、作戦室へと戻った。三志士に占領されていた作戦室を奪還したヴィヴィアンに最新版の地図を譲ってもらう。ついでに話をすると、もう少し情勢が落ち着いたらカンベルの大学に戻るつもりだと彼女は語った。
医務室ではタルヤが待ち構えていて、「聞き飽きてるでしょうけど」と前置いてから「長旅での注意事項」を滔々と説いた。無理無茶無謀の挙句に倒れたらベッドにぐるぐると縛り付けるから、と据わった目で物騒なことを言う彼女にディオンは神妙さを装って頷いた……のだが、勿論そんなことは簡単に見破られて、タルヤはテランスに向き直って「貴方がなんとかするのよ」と低い声で告げた。
はい、と誠実に応えたテランスにロドリグが薬について簡単に説明する。それを隣で見守っていたキエルが「私も何かお薬を、と思ったんだけど……」と消え入りそうな声で言うので、ディオンは「そなたの笑顔が何よりの薬だ」と屈んで目線を合わせた。こくり、と頷きながらそれでも涙を浮かべる彼女に、「今生の別れではないのだから」と笑んでみせる。すると、「分からないわよ、何が起こるかなんて」とタルヤが口を挟んだ。
確かにそうなのだが、不安を抱えた少女の前で言うことだろうか。溜息をつきたくなるのをぐっと抑え、ディオンはキエルに改めて向き直った。「テランスがいる、大丈夫だ」とそうして言うと、「お任せください」と背後からテランスの声が降った。
ようやく笑ったキエルの肩を撫でて医務室を後にし、アトリウムへ向かう。ちょうど「ダンジョン」から出てきたミドが旅程を訊いてきたので、テランスがざっと説明した。「船を使うときは早めに教えろよ!」といつもの口調でミドは快活に笑い、すぐにまた巣穴へ戻っていった。
此方を気にしているようだった子供達の勉強を邪魔せぬように裏デッキ経由で階下へ。階段を下りながら「此処は」とディオンは斜め後ろのテランスを振り仰いだ。「少しく調子が狂うな」と苦笑混じりにそうして思うままを告げると、何故かテランスは嬉しそうに笑った。
留め具を作ったというゾルターンへの礼を託すべく工房に立ち寄ると、ブラックソーンは見るからに不機嫌そうな顔つきで二人を眺めやり「自分で言うんだな」と返してきた。その通りではあったのでディオンは頷いたのだが、居合わせたオーガストに「真に受けないほうがいいですよ」と忠告された。なんでも、留め具の細工を任されなかったのがブラックソーンにとっては相当に悔しかったらしい。ディオン達を離れたところに連れていき、小声で「真相」を語ったオーガストだったが、ブラックソーンが投げた鉄片が背中に命中してその場に蹲ってしまった。
呆気にとられたディオンにブラックソーンが「ルサージュ卿」とぶっきらぼうに名を呼んだ。そうして、此方が応じるよりも先に「どちらかが使ってみろ」と傍らに置いてあった剣らしきものを押し付けてくる。「これは?」とディオンが問うと、「試作品だ」とブラックソーンはやはり無愛想に言った。「使いこなせるかどうかは分からんがな」と呟き、さっさと背を向けて作業に戻っていった。
「いつ、発たれるのですかな?」
今はクライヴとジョシュア――ロズフィールド兄弟――が執筆中の「見聞録」の手伝いをしているのだという恩師ハルポクラテスは、いつものように書庫の奥でディオン達を迎えた。
机上には、数冊の書と筆記具、空っぽの花瓶が置かれていた。花瓶を見てディオンが僅かに目線を逸らしたことにハルポクラテスは気が付いたらしい。だが、それには特に言及するわけでもなく、先の問いかけをしてきたのだった。
「準備が概ね整いましたので、明日にでも。……先生、ひとつお訊きしてもよろしいでしょうか?」
「この老いぼれに答えられることなら、勿論ですとも」
そう言うと、ハルポクラテスはゆったりとした笑みを浮かべた。
テランスが持っていた外套を受け取ると、ディオンは留め具を外した。ごく薄く金色を帯びたその留め具をハルポクラテスに渡す。
ハルポクラテスは微笑んだままに、両手でそれを受け取った。そうして、「見事な細工ですなあ」と言い、「ご質問はこれについてですか?」と続ける。ディオンはその問いに首肯すると、オルタンスの話を恩師に伝えた。
「何故、鳥なのです?」
留め具の意匠が鳥になった理由は知らされていない、とオルタンスは話していた。語り部の案を「なんとなく」皆が気に入り、作ったのだと彼女は説明したが、その言葉に嘘は含まれていないとディオンは考えている。だが、誰もが詳しくは知らないその理由――恩師が意匠に込めた思いは知っておきたいと思った。
何故、なのか。
「殿下はどのようにお考えでいらっしゃいますかな?」
ハルポクラテスは反対にディオンに訊き返した。
「それは……」
ディオンは言葉に詰まった。それこそ、皆が思ったように「なんとなく」の推測はしている。だが、それでよいのか。「それ」は許されるのか。――よく分からない。
「答に窮されるということは、良きことと私は考えております。それだけ真剣に思われているということ。ですが、いえ、ですから私は答をお教えできませんし、私の答と殿下のお考えはおそらくは異なるでしょう」
ハルポクテラテスは笑む。
「同じ、かもしれません」
「それもまた重畳、すべては殿下の御心のままに。――良き旅となられますよう」
結んだハルポクラテスに礼を言い、ディオンはテランスと共に書庫を出ようとした。しかし、目の前を突然人影が横切り、思わず立ち止まる。
テトとクロだった。
「でんか!」
常ならば様々な呼び方でディオンを呼ぶテトだったが、今しがたのやり取りを聞いていたのだろう。ディオンのことを「殿下」と呼び、満面の笑みを見せた。
続いて、クロが若干緊張した面持ちで、「あのね、あのね」と言う。「どうしたのだ?」と問い、キエルにしたときよりもさらに屈んでディオンが目線を合わせると、二人は意を決したように手にしていたものをディオンに差し出した。
「これ、旅のお守り!」
「……ストラス?」
手のひらに乗せられたのは、手のひらに乗るほどの大きさの人形だった。いや、人型ではないのだからぬいぐるみというべきか。手製と思われるそれは、多少不格好だったが、かつてよく使っていた文使いの鳥を思わせた。
「そう! 語り部のように内緒にはしないよ、僕たち!」
「殿下がね、ストラスにはひみつの話ができるように作ってみたの。本当は、ネクタールの毛をすこーしだけもらってモーグリにしようと思ったんだけど、逃げられちゃって」
最後のほうでなかなかに恐ろしいことを言ったクロだったが、ディオンは頬を緩めた。ありがとう、と言って二人の頭を撫でる。
えへへ、と笑ったテトが続いてテランスを見る。「こっちはテランスに!」とテランスに差し出したのは、やはり手製と思われる……黒茶色の謎の生き物だった。
「これは……?」
困惑の思いで訊ねたテランスに、「熊だよー」とテトが言う。
「トルガルみたいなオオカミもね、かっこいいよなって思ったんだけど、シドとジルお姉ちゃんとジョシュアお兄ちゃんがダメって言うんだよ。なんでか分かんないけど。そしたら、ガブが「熊はどうだ?」って」
「……何故でしょう?」
「なんでかな? でも、テランスって強いんだよね?」
テランスではなく、テトはディオンを見た。とても、とディオンが頷くと、テトもクロも「だよね!」と互いの両手を叩き合わせる。
「空高く跳ぶ熊、というのもよいな」
「ディオン様までそのような……。でも、ありがとうございます」
熊らしきお守りを受け取り、テランスがはにかんで笑んだ。
「たくさんお話聞かせてね」
「ケガとか病気とかしたら、タルヤ先生がこわーいから気を付けてね」
笑顔の双子にも再会を約し、書庫を出る。階段を下りようとすると、ジョシュアがいた。
「荷物が増えるかもしれないけど、僕からはこれ」
思考の先が常に読み切れない友人から差し出された手帳をディオンは受け取った。
「手帳?」
問うと、ジョシュアは頷いた。そうして、「ヨーテが」と話し始める。
「僕の代わりに、それとも、自分のためにかな? 旅の仔細を毎日書き留めていた。ほんの数行だけど、僕の体調とか新たに分かったこととか。「隠すものでもないですから」と言ってくれたから、時々読ませてもらったよ」
若干の惚気も混ざった話をディオンは好ましく聞いた。
「……記憶は風化する。そんなときに、あのときどう考えていたか、何を思っていたか。それを思い出すにはいいんじゃないかな。おすすめだと思う」
そうそう、とジョシュアが手を打つ。君達の場合、と続けた彼に、ディオンとテランスは顔を見合わせた。
「交換日記もいいかもね?」
甘酸っぱいだけで終わるといいけれど、と言うジョシュアに、二人はなんと答えてよいか分からずに空笑いをしたのだった。
次の日の朝、オボルスの舟で隠れ家を出た。
湖面を弾く朝陽の光が美しい。浅青の空にうっすらと雲が浮かぶ穏やかな朝だ。
対岸の桟橋で下船する際に「気を付けてな」とオボルスに言われ、ディオンは片手を振って応えた。待っていたドリスから旅慣れているというチョコボを借り、その首筋を軽く撫でる。頼む、と伝えると、チョコボは何かを解したのか、「クエッ」と応じるように鳴いた。
「お気を付けて。何かございましたらストラスを飛ばしてください」
ドリスに言われ、不意に「お守り」を思い出したディオンは笑んだ。不思議そうな顔で見る彼女に頷いて応じ、荷を括り付けて騎乗する。高くなった視界が心地よい。
「では、行くか」
「はい」
オボルスとドリスに見送られ、二人の旅が始まる。
――まずは、北へ。