「逆だと思ったんだがな」
開口一番、そのように言われてしまったディオンは、その先をどう続けようか考える羽目になってしまった。
「ゾルターン殿、それはどういう……?」
「「殿」なんていうのもよしてくれ、ルサージュ卿。……あんた、じゃなくて……ええと、なんだ、貴方はブラックソーンのことを何と呼んでいる?」
ダルメキアはドラヴォズ、村長であるゾルターンの工房に赴いたディオンとテランスを待ち構えるように彼は工房の前に立っていた。後ろでは職人が何人か炉やふいごの調整をしている。彼らは「客人」の正体を既に知っているのか、顔を引きつらせているようでもあったが、ゾルターンはそれに関しては何か言うつもりはないようだった。
「ブラックソーン、と」
ディオンが正直に話すと、ゾルターンは大きく頷いた。
「だろうな。なら、俺のことも呼び捨てにしてくれて構わん。ルサージュ卿のことは……」
「私のほうこそ、好きに呼んでくれて構わない」
じゃあこのままで、とゾルターンは言いながら背後を見やった。職人達に「少し出る」と告げ、ディオンとテランスを指先で呼んだ。
「此処だと暑いだろう。酒場がある」
外套も脱いでしまえ、見ているだけで暑苦しい。ゾルターンがディオンに向かってそう言ったので、ディオンはますます困る羽目になった。
流石に、と思う。ダルメキアの各地を秘密裏に偵察して回ったことはあるが(それは貴方の責務ではありません、とテランスにはそのたびに睨まれたものだが)、ディオン・ルサージュ――バハムートのドミナントかつ聖竜騎士団のトップであると一目で分かるような格好はしなかった。暑いと思いながら我慢して外套を着こんだり、せめてもと頭に布を巻いたりしたものだ。ザンブレクの貴族が物見遊山に来ている、その程度に抑えていた。
「要らぬ騒動を引き起こしかねません」
当然、テランスも危機感を覚えたらしい。苦い口調でゾルターンに彼は言ったが、返ってきた言葉は「今更だ」だった。
「村の連中には客人が来ると伝えてある。その正体もな」
「……やはり、先ほどの彼らも」
顔が引きつっていた職人達をディオンは思い出した。こっちだ、と階段を下りながらゾルターンがディオンの推測に頷く。
「小さな村だからな、下手に隠したとしてもあっという間に噂は広まる。尾ひれがついてどうにもならなくなるよりは先に話しといたほうがいいのさ」
それに、とゾルターン。
「暑さでぶっ倒れるほうが困る」
「……承知した」
フードを取り、留め具を外してディオンは外套を脱いだ。すぐさまテランスが外套を引き取り、丁寧に畳む。皮鎧は着用しているものの、ディオンに比べて軽装のテランスはそのままにするつもりらしかった。
熱風が吹いているが、からりと乾燥していてそれほど暑さは感じなかった。ゾルターンの案内で日陰を歩けば、涼しさは増した。
「おう、今いいか?」
「あら、ゾルターン。この人達が「お客さん」かしら?」
酒場の女主人にゾルターンは頷いた。真っ昼間で誰もいない酒場の卓をひとつ借り、ディオンはゾルターンと向かい合って座った。例によってテランスがディオンの背後に控えようとしたが、ディオンの睨みとゾルターンの「おっかないから座ってくれ」という言葉で、ディオンの隣に座を占めた。
「酒は出さないよ。薄荷茶でいい?」
女主人の言葉に、ゾルターンがディオンに目線をやる。ディオンが「よしなに」と言うと、聞こえたらしい女主人が「あっつあつだけどね!」と笑った。
「前は冷茶もあったんだがな、クリスタルが消えた今は冷やすのが難しい。それでも、それなりに旨いから安心してくれ」
「何言ってるの、薄荷茶は熱々がいいんじゃない」
ぽんぽんと飛び交うやり取りに、ディオンは小さく笑った。
「それで、何が「逆」と思ったのであろうか」
女主人が供した薄荷茶で喉を潤し、場が落ち着いたのを見計らってディオンはゾルターンに訊ねた。ああ、と腕を組んでゾルターンは椅子に凭れた。
「その留め具は俺が作った。それは聞いてると思うが」
「作られた経緯の大まかなところは聞き及んでいる。……ブラックソーンが其方に依頼をしたと」
隠れ家の面々から聞いた話をディオンは思い出した。
裁縫が趣味で得意だという倉庫番のオルタンスに、ディオンは旅で使う外套の作成を依頼したのだが、彼女が事を大きくした。今までとは違う、ザンブレクともバハムートとも関係のない、これからの――未来の――ディオン・ルサージュを表す意匠を考えようとした「オルタンスとその仲間達」は、隠れ家全体を巻き込むような形でああでもないこうでもないと思案に暮れたらしい。
結果、隠れ家の「語り部」にして己の「恩師」でもあるハルポクラテスの案が採用された。「止まり木の鳥」がどのような意味を持つのか、訊ねたディオンに恩師は答えなかった。出された「宿題」は今でも答が出ないままだ。
誰もが「なんとなく」それがいいと思い、そうして素案は作られた。誰が作るのか、といった段になって、ブラックソーンは自らに白羽の矢が立たなかったことを相当悔しがっていたとオーガストは言っていたが――。
「ブラックソーンの奴は忙しいからな。おまけに、完璧主義で抱え込みがちな性分だ。得意分野も俺とは違う」
「それも、彼の飲み仲間から聞いた」
戦道具全般の扱いが巧みなブラックソーンは、オーガストが「本人曰く」と付け添えて言うことには、「細工はゾルターンに負ける」とのことで、そのときの溜息が忘れられないとオーガストは言った。
「素案と事情と一緒に送られてきた手紙に書いてあった。『本当は俺が作りたかった、だが、認めたくはないが彫金はやはりゾルターンに負ける。飛びきりのものを作ってくれ、でないとドラヴォズの名折れだ』とな。珍しい、と笑いながら読んだが」
まあ、本当は。ゾルターンは続けた。
「俺が得意なのは、あくまで戦道具に施す細工だ。身を飾るのとは違う。だから、俺からさらに彫金師に頼む手もあったんだが、それじゃ面白くない。そう、久々に腕を鳴らせて作らせてもらった」
にやりと笑むゾルターンに笑みを返し、ディオンは卓に置いた留め具を眺めた。ごく薄い金色の鳥は、己の姿だと思う。止まり木で翼を休めているその姿をどう考えるべきか。羽ばたくときは何処へ向かうのか。その行く先は。
「……だが、な。ブラックソーンの奴が「試作品」を後で作ったって聞いたんだ。それがまあ、面白そうな機工が組み込まれてるらしくてな。「逆」ってのはそういうことだ」
続いたゾルターンの話に、ディオンは目を瞬いた。そういえばあのとき、不機嫌極まりないといった顔つきと共にブラックソーンが押し付けてきたものがあった。
「仕掛けがあるんだろう? 持ってるか?」
「ええ」
応じたのは、テランスだった。見た目は剣ということで、テランスが持っていたほうがよいだろうという話になったのだ。そういったわけで常剣と合わせて二振りを携えていたのだが、先日の造船所での一件で常剣のほうは大きく損傷した。ドラヴォズで修理してもらうつもりではいたが、身を守るためにも武器は必要だ。そうして「試作品」を使う機会も出てくるようになり、使い手のテランスのみならず、ディオンも驚くことになったのだが――。
「重心がとても良いのです。打ち合っていても剣の重みで苦労することはなく、鋼の質も良いのでしょうか、軽すぎるということもない。切れ味も鋭く、持ちやすく、手入れも容易い。流石、と思っていましたが、まさかこのような」
テランスがブラックソーンの剣を卓に置いた。柄周りの精緻な細工を除けば、一見すると普通のブロードソードだ。薄暗い酒場でも刀身が光っているようにも見えるのが不思議ではあり、業物ということは分かる。だが、それだけではない。
「どうやれば「割れる」んだ?」
「この突起を押しながら柄を振れば分離します。御覧になられますか?」
テランスの問いに、ゾルターンは意外にも首を横に振った。
「……見たいのは山々だが、止めておこう。俺はダルメキアの人間だからな」
苦笑いで薄荷茶を飲んだゾルターンの言葉の意味を、ディオンは察した。
これからの有事の際、たとえば旧ダルメキア――フーゴに媚を売っていた者達――が実権を再掌握すべく動き出すなどといった場合、ドラヴォズには武器の量産依頼が舞い込んでくるだろう。今までがそうであったように。
「此処――ドラヴォズは鍛冶で成り立つ村だ。だが、それは人殺しの道具を作るためだけじゃない。できれば、そんなのは作りたくないさ。野盗を追い払ったり、旅人が安全に動けたりするくらいの武器作りくらいが本当は丁度いい。……とはいえ、「試作品」みたいなとんでもないヤツとかへの興味は尽きないのが厄介だがな」
職業病のようなものだ、とゾルターンは笑う。
「それを見て、理解して、うっかり真似して作りでもしたら、危険だろう? シド達が守って、ブラックソーンがそれを支えたヴァリスゼアが、どうでもいい小競り合いで滅ぶ。俺はそんなのには加担したくないんでね」
「……そうか」
ゾルターンの言葉はディオンの耳には痛かった。
人の争いはこれからも続くだろう。融和への道筋はあまりにも遠く、人々の心は荒廃している。希望は潰えてはいないと思うこともあるが、そもそも、「希望」とは何なのだろうか。望みの、願いのために動く心、とでもいうべきだろうか。……それすらも、多くの民は持ち合わせていない。今を、今日を生きるだけでも精一杯で、過去には目を向けても、未来を――明日を夢見る者はどれだけいるだろうか。煌めきのなかで過ごした過去を持つ者、苦しみと蔑みの底で過ごした過去を持つ者、高みから見下ろしていた者、人が人であるようにと願った者。それらの人々の心が少しでも寄り添えるような、未来を垣間見られるような下支えができれば、と個人では思う。……思うが、そのためには現実を見なくてはならない。
争いは起きるのだ、確実に。そして、己も愛槍を手にするだろう。
守るために。未来のために。……それは、詭弁にしか過ぎないが。
「あれ、そういえば」
ゾルターンが何かに気付いたのか、ディオンを見やった。何だろう、とディオンが首を傾げると、「ルサージュ卿の得物は?」とゾルターンは訊ねた。
「ハルバードは目立つのでな、今回の旅では使っていない。剣で対応している」
「竜騎士なのに?」
不思議そうなゾルターンに、ディオンはテランスと顔を見合わせて笑った。成程、そういう見方もあるというわけか。
「それを言えば、テランスも竜騎士だ。……私のために得物を剣に替えたが」
ディオンがそう言うと、テランスが一気に笑みを潜めた。だが、それは本題ではないので、彼のささやかな怒気を無視してディオンは続けた。
「竜騎士であれど、否、だからこそと言うべきか? 戦で得物を選んでいる余裕などない。武器を失ってしまえば、大抵の場合は死に至る。そうならないためには……生きるためには、血肉に塗れた剣であれ、弦が緩んだ弓矢であれ、使えるものであれば使う。本当に何もなければ、己が身を」
「血生臭い話だが、要するになんでもこなすってことか」
「そういうことだ」
「自由自在に出し入れできるといいんだがな。……ま、それこそ魔法ってやつか」
話の区切りを見計らったのだろう、女主人がやって来て薄荷茶のポットに湯を注いだ。蜂蜜も特別にね、と笑って入れてくれた彼女に礼を言い、男達は注がれた茶を飲んだ。
「……ところで、ゾルターン」
卓に置いたままだった留め具を手にし、ディオンはゾルターンに目線を置いた。
「改めて礼を言いたい。この留め具を形にしてくれたことについて」
「ん? あ、ああ、まあ……礼を言われるほどじゃ……あるか?」
首を捻って答えたゾルターンだったが、「だが、な」と続けた。
「確かに、俺が形にしたさ。素案も事情説明も実現不可能な妄想の類も山のように送られてきたし、殴り書きの文字を解読するのにも時間がかかった。材質の選定や設計に試作、すべてそれなりに時間と労力を費やした。……けれど、何と言えばいいか分からんし、俺が言い切ってしまうのもどうなのかと思うんだが」
ゾルターンは一呼吸置いた。ディオンの手の内の留め具を指さし、次いでディオンを見やる。
「いい仕事をさせてもらったと思っている。……こそばゆい物言いだが「愛」ってやつを感じたね」
「あい……」
繰り返したディオンに、ゾルターンは「そうさ」と頷いた。
「ルサージュ卿が何者なのか、何をしでかしたのか。俺達はそういったことは聞きかじって知っているが、別の側面は当然知らない。……だが、ルサージュ卿を親愛の情で想う人間が大勢いるってことはよく分かった。だから、気持ちよく仕事ができたのさ」
「それは何よりです。本当に、よかった」
どう返すべきか言葉に迷ったディオンを制するように、テランスがゾルターンに向き合う。ブラックソーンの剣の話題以外では口を出さなかった彼の発言に、ゾルターンは少しく驚いたようだったが、やがて相好を崩した。
「あんたもそのなかのひとりか」
「ええ」
「違う」
笑顔で頷いたテランスをディオンは肘で小突いた。ぽかんと口を開けたゾルターンに顔を向けたまま、ディオンは笑みをつくる。
「テランスは私の唯一だ。みなが私に向けた情は嬉しく思うが、テランスのそれとは違う」
そこまでを言い、ディオンはテランスを横目で見た。ゾルターンと同じようにテランスも若干間の抜けた顔をしていたが、たちまちにして顔を真っ赤にさせた。
「ディオン様!」
「本当のことであろうが。今更そのように動ぜずとも」
「時と場所と場合を――」
相当に動揺したテランスが言い募るのを遮ったのはゾルターンだった。「あー、つまり」と彼は言うと、テランスを見やった。
「つまり、あんたが「止まり木」か。成程な」
得心の顔つきでゾルターンはテランスに言った。ぐ、と言葉に詰まったテランスを再度小突き、ディオンが頷く。
――そう、分かっていた。彼が己にとってどのような存在であるのかは。
只の「ディオン」に戻る、戻ることのできる唯一の存在。手立て。迷い、疲れ果てたときに、否、そうではない日常のときにも、心を許せる相手。
恩師からの「宿題」は、そこまでは解けていた。だが、その先が未だに分からない。
鳥になった己。止まり木で翼を休めているその姿をどう考えるべきか。羽ばたくときは何処へ向かうのか。その行く先は。己は何をすればよいのか。この先を飛ぶ者として、どうすれば。
「そりゃ、いいな」
頷いたまま思考に潜り込みそうになったディオンに、ゾルターンが笑む。
「帰る場所があるってことだろう? 何処に行ったって、戻れる。いいじゃねえか」
「何処に行っても……?」
ディオンが繰り返すと、今度はテランスが頷いた。開き直ったような顔つきだった。
「答え合わせをしましょう、ディオン様。――ゾルターン殿、少しお時間をいただきたい」
「構わんぜ、俺は」
ずず、と薄荷茶を啜るゾルターンに会釈をすると、テランスはディオンを見つめた。
「私は貴方の止まり木です。貴方がいつでも帰ってこられるように、休めるように、すべてを曝け出せるように。それが私の望みであり、願いでもあります。そのために、私を切り倒そうとする者は誰であっても排除する。……もしも、それが貴方だったとしたら、少し困りますがね」
「……そのときは、どうするのだ?」
「秘密、と前にお伝えしましたよ? では、ディオン」
今度は君の番。テランスにそう言われ、ディオンは細く息を吐いた。俯くことも、目を逸らすことももはやできない。してはならない。
「……羽ばたかないかもしれない。何処へ飛べばよいのかすら、分からないかもしれない」
未だ心は惑う。壊れ狂う世界のなか、あえかな願いを捧げる者達。時折、己を見つめて縋ってきた者もいた。助けて。私達に今日を、明日を。光を。世界を。――世界を壊した張本人に向かって放たれた、重い言葉の数々。
「……だが、応えたいと思う。義務ではなく、心から。贖罪という形だけではなく、誠実でありたい。そのために飛ぶのは、怖くない。陽に晒されても、豪雨の只中であっても。ただ、それでも辛くなったときには――」
「そのための止まり木だよ」
きっぱりとテランスが言った。そして、と続ける。
「戻ることが叶わない、そんなことがないように傍にいると誓った。共に在ると。だから安心して飛べばいい」
何処へでも。何処まででも。
そう言ったテランスに、ディオンはただ頷いた。
そろそろ店を開けるからね、と女主人が声をかけてくる。結構長居をしたようだった。
ディオンとテランス、二人のやり取りを目の当たりにしながら平然としていたゾルターンだったが、何か思いついたように手を叩いた。
ザンブレクがどうかは知らんが、と前置いてそうして言う。
「ダルメキアだとこういうときは揃いの指輪を作るんだが、どうだ?」
その言葉に、前のめりになったディオンと裏腹に身を硬くしたテランスの両極端な反応が面白かったのか、ゾルターンは声を上げて笑った。
「ブラックソーンが何て言ってくるかは知らんが、「そのとき」が来たら早めに報せてくれ」
「ああ、そうする」
さて、と立ち上がったゾルターンに続き、ディオンとテランスも席を立った。外套を再び着込み、留め具も元に戻す。フードは被らないことにした。
留め具を撫でる。止まり木の鳥。もう、何処へでも、何処までも飛べる。
そう、きっと。