「さて」
晩餐の後、客間に場所を移して緩く続いていた会話がふと途切れた。それを見計らったのだろう、バイロン・ロズフィールド卿が声の調子を変える。ディオンへと向けられたまなざしはあたたかさを感じさせるものであることに、テランスは安堵の思いを深めた。
「旅の疲れも溜まっておろう? ゆっくり休むとよい」
「……それでは、お言葉に甘えて」
ありがとうございます。
ロズフィールド卿の促しに、彼と差し向かいに座っていたディオンが礼を述べた。隠れ家などで会話する際とは異なり、年長者への敬意を払ったその言葉遣いにロズフィールド卿が「年寄り扱いせんでくれ」と笑う。続けて「いつもの感じでよい」と片目を瞑ってロズフィールド卿は言ったが、ディオンはその言葉に戸惑う様子を見せた。
「いつもの」
「はっは、自覚がないとは言わせんぞ? ――ラザフォード」
扉近くに立っていた筆頭執事を呼び寄せ、ロズフィールド卿は「ルサージュ卿をご案内せよ」と命じた。
畏まりました、と応えるラザフォードに合わせ、ディオンが立ち上がる。傍に控えていたテランスもそれに続こうとしたが、ロズフィールド卿は「テランス殿、少し付き合え」と言ってその動きを止めさせた。
「は……」
機嫌のよさそうな表情を変えないロズフィールド卿と、心持ちが僅かばかり下降線を辿ろうとしているディオン、その両者を見、テランスはディオンに目線で伺いを立てた。
ディオンもまたロズフィールド卿に視線を置く。そして、此方――テランスに。一瞬だけ交錯した視線で彼は「諾」と告げた。
戻ってきたラザフォードが二種類の酒器を二つずつと酒瓶、そして水差しを卓に置く。ロズフィールド卿に「下がってよい」と告げられた彼は一礼をすると、静かに客間を出ていった。
「まあ、座れ」
酒瓶の封を切ったロズフィールド卿はテランスにそう言った。そうして何か気付くところがあったのか、示されたソファに座ろうとしたテランスを上目遣いで見やる。
「飲めるのだろう?」
「人並み程度には……」
テランスの返事に、ならばよい、とロズフィールド卿は小ぶりなほうの酒器を手にした。酒瓶を傾け、玻璃製の酒器に中身を注ぐ。とくとく、とささやかな音を立てて注がれた酒は、卓に置かれた灯火の光を弾いて琥珀色に輝いた。
ほれ、と差し出された酒器をテランスは受け取った。ロズフィールド卿が自らの酒器にも酒を注ぐ。ロザリアに酌の習慣はないようだと判じ、この屋敷の主人であるロズフィールド卿に場を委ねることにした。
「では、乾杯」
酒器を掲げたロズフィールド卿に調子を合わせ、テランスも酒器を掲げた。何に向けての乾杯なのか、彼は特に何も言うつもりはないらしい。故に、テランスも「乾杯」とだけ告げて、酒器に口をつけた。
燻した木のような香りが馥郁と漂うそれを舌に乗せ、喉に流し込む。酒精が齎す熱さは腹まで続き、体を内から温めた。肌寒いこの地では重宝するだろうなと思いながら、テランスは鼻から抜ける余韻を感じ取った。
「美味いだろう」
「美味しいです。……御酒について色々お聞きしたいことはあり、また、そうするのが礼儀かとは思うのですが」
本題は、と切り出そうとしたテランスに、ロズフィールド卿は「若いのは面白い」と言い、自らの酒器を呷った。
「面白い?」
「独り言だ、気にするでない。話してやってもよいが、思い出話の故にひたすらに長くなる。止めておいたほうが貴殿のためだ」
そう言うと、ロズフィールド卿は浮かべていた笑みを収めた。天井を見上げ、次いでテランスを見やる。自らのこめかみ近くを指先で撫で、眉間に皺を寄せた。
「石を、投げられたか」
問いに、テランスは頷いた。ざあ、と身の内を駆け抜けるような衝動を抑え、酒器を卓に置く。そのまま持っていれば握り潰すか、あるいは叩き割るかしてしまいそうだった。
「傷の具合は。本人は気にかけていないようだったが?」
「大した痛みはない、と。殆どは避けた、それほど強い力で投げられたわけでもない、石も平べったいものだった、不幸中の幸いだと」
「……ふむ」
思い出すと、怒りが込み上げる。石を投げた者達に、守りきれなかった自分に。――そして、平静を装って苦笑するだけだった彼に。
造船所に差し掛かったところで、その一件は起きた。
設備の修復をしている職人達とは別に、数人の男が造船所の裏手に歩いていくのを見た。
弔いのためだろう、それぞれが手に花を携えていた。此処はベアラー達が最も惨たらしく虐殺された地だ。遺された者か、それに連なる者か、あるいは。死者を悼むその列を、少し離れた場所からテランスは眺めた。表情を消して見入るディオンが男達のほうへ向かわぬように、彼の腕を掴んだまま。
鎚を振るう音が造船所から聞こえる。だが、それは鐘の音のようにも聞こえた。明日を繋ぐための音のはずなのに、虚ろに聞こえたのは自分ばかりか。
それから時を置かずして、墓参の男達が戻ってきた。視線を感じていたのだろう、彼らはまっすぐに此方へ向かってきた。ひとりが殺気さえ感じさせる目つきで睨み、『何見てるんだあ?』と剣呑な口調で言った。
別のひとりが『見せもんじゃねえぞ』と凄む。野盗ではないとその凄み方に思ったが、そうであろうとなかろうと彼らの神経を逆撫でするのは得策ではない。テランスは掴んだままだったディオンの腕を引いた。
ディオンは、テランスに取り合わなかった。まっすぐなまなざしで、彼らを見る。
――何を見ようと、何を刻み込もうとしているのか。
『余所者か?』
後ろで様子を窺っていた男の問いに、ディオンは頷いた。『何処の出だ』と続けられた問いに『ザンブレク』とそれだけを彼が答える。沸騰直前まで高まった殺気に、テランスは彼の前に出た。
そのとき、彼の腕を離した。離してしまった。
庇おうとしたテランスを制し、ディオンは問いを重ねた男の前に立った。視線は外さないまま、最後の問いを待っているようだった。
『……名は?』
『ディオン・ルサージュ』
その回答に虚を突かれたような顔をした男は、すぐに『笑えねえ冗談だぜ、ああ?』と彼の胸倉を荒々しく掴んだ。
彼と男の間に割って入ることは簡単だった。実際、そうしようとしたのだが――、できなかった。目線を此方に向けないまま、彼が自分の介入を拒んだ。
こういうときだ、と思った。どうにもならない苦しさを感じてしまうのは。
それでも、と思い、剣の柄を握った。ぐるりと見渡し、彼が直接対峙している男以外の連中を牽制する。
『亡国の皇子様がこんなところで何を? せめてもの「償い」か? ……てめえんとこがこうしたんじゃねえか!』
男はディオンが「本物」であることを直感で悟ったようだった。ディオンに顔を近付けて怒鳴り散らすそのさまに、取り囲む連中の怒気も増す。これ以上はまずい、とテランスは思った。
『離せ』
『あ? なんか言ったか? 離せって言われて従うバカがいるか。離してほしいんなら、てめえでなんとかしな!』
おっかねえバケモノに化けたっていいんだぜ!
そう言い放った男の手を、ディオンは左手で払った。そうして、無表情のままに男を捻じ伏せる。
『痛ェ!』
『「化け物」は私の身から去った。償い、と言われればそうかもしれない。だが、それは』
言葉を切り、ディオンは男を突き飛ばした。連中のひとりがその身を受けて共に倒れ込み、それを見た別の男がそのへんに転がっていた石を手にする。
ディオンは、石を持った男を眺めやった。
『其方達が望むような形ではない』
『うるせえ!』
怒りに震えた男がそう叫んで石を投げたのと、テランスがディオンの意を無視して動いたのは同時だった。
ガントレットで石を叩き落とし、今度こそディオンの前に出る。『テランス』と咎めを帯びた響きで名を呼んだ彼に、テランスは『お叱りは、後で如何ようにも』と答えた。
石礫は投げ続けられた。幾つかはテランスが退け、ディオンも避ける。じりじりと後退している間に、やがて岩壁が背に当たった。これ以上は逃げようがなく、すっかりと取り囲まれてしまっている。退路を確保する手段は限られていた。
『ディオン』
テランスは背後の彼にだけ聞こえるように声をかけた。
『嬲り殺されるつもりは?』
『ない』
ディオンの答は簡潔だった。
『私は生きる』
『……分かった』
その答に、テランスは携えていた剣を抜いた。男達が気圧されたかのように後退る。
『殺すってのか! 黒騎士の連中と何が違うってんだ!』
石がまた飛んでくる。テランスが防ぎきれなかったその石を、ディオンが避け損ねたのか、背後で鈍い音が聞こえた。
『ディ……!』
『大丈夫だ、テランス!』
振り向きかけたテランスを、ディオンが鋭い声で遮る。判断を誤るな、彼が続けなかった言葉は、それでも身に届いた。
抜き身の剣を水平に構え、テランスは男達を見据えた。既に及び腰になっている輩もいるようだが、彼らは石を持ったままだった。突破口はあるが、危険は冒せない。
半身を捩り、その反動を利用して剣を振るう。刃が切り裂いた風は烈風となり、男達を襲い、そして――。
「今のところ、造船所からの報せは特にない。暴漢や野盗が出たとあれば、此方に助けを求めてくるのが常だからな」
「手加減はしましたので、その点は心配していません」
言い切ったテランスをロズフィールド卿が眺める。やれやれ、仕方がないことだとその顔には書いてあった。
「貴殿が心を砕くのは、あくまでルサージュ卿のみということか」
「はい」
偽る理由はなかった。
「それは――たとえば、ルサージュ卿が再び……そう、再びだ」
「再び、世界を恐怖の渦に叩き込んだとしても、ですか?」
ロズフィールド卿が濁した言葉の先を読み、テランスは言った。
「そうさな」
「そのようなことにはなりません。万が一にでも」
この答はロズフィールド卿の期待するものではないだろう、とテランスは思う。しかし、これもまた偽らざる思いだった。願い、というのとは少し違う。確信に満ちた直感とでもいえばよいのだろうか。
――それよりも、恐ろしいのは。否、だからこそ、怖れているのは。
「では、そういうことにしておくか。とすれば、貴殿の憂慮の先は違うものとなる」
「憂い、ですか」
テランスの酒器に酒を注ごうとしたロズフィールド卿を制し、テランスはその言葉を繰り返した。左様、と頷き、自らの酒器を酒で満たしたロズフィールド卿が目を細める。
「別に、この場で無理に聞き出したりはせん。貴殿が望めば聞き手役くらいにはなるが」
不思議なお方だ、とテランスは思った。ロズフィールド卿は此方を――ディオン・ルサージュという一個の人間を――真に案じている。それ故に、彼の傍に在る自分の憂いも見透かしているのだろう。その見透かしから逃げるようにテランスは目を伏せた。
憂いは、確かにあった。
石礫を投げられても、罵声を浴びても、多くの怨嗟や哀哭に晒されても、彼はすべてを受け入れる。感情のどこかが崩落しているようなそのさまは、あまりにも危うく思えた。
彼の存在自体に恐れと怒りを抱える者は少なからずいる。圧倒的だといっても過言ではない。それらの人々が刃を向けたときに彼はどのように彼らに向き合うのか、それは未だに見えてこなかった。
二度と、と思う。彼が世界に仇なすことは二度とない。その確信の裏側に、自分の恐怖がある。
「……「死ぬ気はない」と」
気が付けば、そう呟いていた。我に返って顔を上げたテランスに、ロズフィールド卿は先を促した。
「「生きる」、とも。ただ、私にはその先が見えないのです。彼が、彼の心の根が、本当は何を望んでいるのか見えない、分からない」
「ルサージュ卿自身も分かっとらんかもしれんぞ?」
「……ええ」
力なく頷いたテランスをどう思ったのか、ロズフィールド卿が微笑んだ。「若いのはよいな」と先刻と同じような言葉を繰り返し、酒器を傾ける。
「大いに悩め。もとより、そのための旅ともいえよう。苦しみ、悩み、もがき、その末に何かが得られたらそれでよいではないか。他者にとって良きものであっても、悪しきものであっても。まあ、何も得られずともよいな。道行きは未だ半ば、先は長い」
「先は、長い……」
その言葉を受け、ぐらりと傾いていた心の幹が少しばかり元に戻ったような気がした。感じたことをテランスがそのまま述べると、ロズフィールド卿はテランスの肩を叩き、笑みを深めた。
案内された部屋の扉は開けなかった。ラザフォードが階下へ下りていくのを確かめてから、隣室の扉の前に立つ。
昔からの拍子で扉をノックする。入室許可の応えはないものの、彼の気配は近付いてきたので、テランスは扉が開くのを待った。
「早かったな」
扉を開けてそう言ったディオンだったが、内心は真逆のことを考えているようだった。遅い、とはっきり言えばいいのに、と思いながらテランスは入室の許可を求めた。
小さく頷き、ディオンが背を向ける。
その背を見ながら、テランスは後ろ手で扉を閉めた。鍵もかけ、彼に手を伸ばす。
「それで、どのような」
話を、と言いかけたディオンを半ば強引に振り向かせ、テランスは彼の肩を掴んだ。
「……テランス?」
突然の行動に当然驚いたのだろう、固まってしまったディオンに名を呼ばれてもテランスは答えなかった。いつかのようにごく間近で視線を合わせ、じっと彼を見つめる。涙は要らなかったが、彼が僅かにでも俯いてしまう前に早く想いを伝えたかった。
「ディオンが足りない」
テランスがそう言うと、ディオンは目を瞠った。しかし、どういうことだとは問わなかった。まっすぐに見返したまま、彼は微笑んだ。
「私も、お前が足りない。……少し、癒やされたい」
その笑みと言葉に、テランスはディオンの本音を垣間見た。彼が自らに課している「望み」や「願い」といったものの裏側にある本当のこころ。そのすべてを知ることは、今は難しいと思う。思うが、その片鱗に触れられたのは純粋に嬉しかった。
故に、その思いのままに彼を抱きしめようとしたのだが。
「だが、その前に」
ディオンは掴まれていた肩からテランスの手を外すと、するりと身を離した。口の端は笑みをつくったままだが、目から笑みが消えた。
どうしたのだろう、とテランスが思う間もなく、ディオンは卓へと向かった。そこに置かれてあった壺のようなものを手に取り、それからテランスを手招く。唐突な指示を不思議に思いつつも歩み寄ると、ディオンは「上を脱いで座れ」と言った。
「……は?」
いったいディオンは何をしようとしているのか。その壺は何なのか。いや、もしかして、と頭を掠めた不埒な考えを追い払おうとしたテランスに、ディオンは呆れ顔を見せた。
「ラザフォードに打ち身薬を用意してもらった。……石を、相当ぶつけられただろう」
「ディオン、僕はなんとも――」
「御託はいいから、早く脱げ。それとも、私が脱がせてやるか?」
薬壺の蓋を開け、ディオンはそれを一旦卓に置いた。そうして、笑わない目のままで迫ってきた彼は少し怖くて、テランスは白旗を揚げた。
「……自分で脱ぎます」
上着を脱ぎ、肌を晒す。このような状況は慣れきっているはずなのに、テランスは妙に緊張した。ディオンが真顔で見ているからか、この先に待っているのが甘やかなものではないからか。
「そうだ、ディオンは?」
言われた通りにソファへ座り、テランスはディオンを仰ぎ見た。うっかり流されかけたが、ディオンは頭に石を受けた。真っ先に訊くべきだったのに、とテランスは唇を噛んだ。
「問題ない。血相を変えたお前が駆ったチョコボに乗っていたときのほうが恐ろしかった。振り落とされるかと思ったぞ?」
「面目もなく……」
テランスは項垂れてそう答えるしかなかった。
男達を失神させた後の自分の行動を思い出してみると、反省の余地は大いにある。ありすぎる。そもそも、頭を打ったディオンを運ぶのにチョコボを全力で駆けさせた。早く医師に診せなければとそればかりを思ったのだが、冷静に考えずともその場でまずは安静にし、後に慎重に運ぶべきだったのは明らかで。
ポートイゾルデに着いて、ロズフィールド卿に斯々然々と説明して、医師を呼んでもらった。緊急と聞いて慌ててやって来たロズフィールド家専属の医師は、ディオンを丁寧に診察したが、診断結果は「様子見ですな」だった。
頭痛、ふらつき、吐き気、めまい、意識低下、すべてなし。小さなたんこぶができているが、いずれ治るでしょう。半日ほどは静養していただいて、問題がなければ大丈夫です。そう語る医師に、テランスは心の底から安堵した。
「……痣だらけだな」
薬匙を手にし、ディオンは薬壺から薬を掬った。併せて用意されたと思しき小皿に薬を移し終えると、薬壺の蓋を閉めた。
「革鎧と甲冑とでは強度が違うから、仕方ないよ」
ディオンの指先がテランスの肩に触れ、薬を塗っていく。ただそれだけで何の色も帯びていなかった。
「そうではなく」
淡々と薬を塗っていく一方で、ディオンの口調に苛立ちが混じる。ああ、これは怒っているなとテランスが思った通り、彼はテランスを睨んだ。
「避けなかったな、一度も」
「当然です。仮に、僕が……私が避ければ貴方に危害が及ぶ」
テランスの返答に、ディオンは答えなかった。腕、とだけ端的に命じる彼に合わせて両腕を伸ばす。
「旅の前にキエルと約束をしましたから。「ディオン様のことはお任せください」と」
「それは、覚えている」
二の腕と手首、甲に薬が塗られる。他には、と問う彼に、テランスは首を横に振った。
「ありがとうございます。……ねえ、ディオン」
薬が付いた指先を手巾で拭おうとしたディオンをテランスは止めた。彼の手を自らの手で包み込み、呼びかける。公と私を行ったり来たりする口調を平易なものに固定した。
訊きたいことがあった。
「これも仮に、の話だけれど。仮に、僕が傍にいなかったとしたら、君はどうしていた?」
「……」
即答しないディオンをテランスは見つめた。同じ過ちは繰り返さない。彼の内を知るためには、その瞳の奥に潜む思いを知るためには。
「答えてくれるまで、逃さない」
彼の手を包んだのと反対の手で、テランスは今度こそ俯いてしまったディオンの顔を上げさせた。
「私は……」
言い淀んだディオンを、テランスは待った。
「おそらく、避けたのだと思う。……だが」
「だが?」
テランスが問い返すと、ディオンは逡巡の後に言葉を紡いだ。
「……避けることは果たして正しいのだろうか、そう思った。彼らの苦しみや悲しみの一端を引き起こしてしまった私が、その怒りから逃れてしまうのは」
積み重ねた、見過ごしてきた過ちを直視する。それがこの旅の意義なのにと彼は語った。
「少し、違うと思うな」
包んだ手を緩く握り、彼の頬を撫でる。ぴくり、と反応した彼に、テランスは微笑んだ。
「確かに、君は様々な過ちを犯した。その過ちからは逃れられないという現実も確かだ。……でも、それは彼らの石礫を受けることだけで解消されるものだろうか」
本当は寧ろ、とテランスは思う。ディオンが為した過ちは、そのまま自分のものだ。彼の傍にいながら、その心を暴こうとはしなかった。彼が何に苦しみ、何に怒り、何に絶望したか。知りながら、分かっていながら、見逃した。「信じる」という言葉は、聞こえはいい。だが、妄信的ではなかったか。彼にすべてを負わせていなかったか。
彼自身の苦しみを認め、別の道を共に考えるべきではなかったか。
「テランス」
「……ロズフィールド卿曰く、この旅は」
微笑を浮かべて言った風の志士の台詞を、テランスはディオンに告げる。
「悩むための旅だと。苦しみ、悩み、もがく……その果てに何かが得られたら、それでいい。他者にとってそれが「良いもの」であっても「悪いもの」であっても。たとえ、何も得られるものがなかったとしても、それはそれで」
はじめに「旅」を依頼してきたのは、風の三志士だった。ヴァリスゼアの実情を把握したいのだが、と言う彼らに、ディオンは多少の困惑を覚えながらもその場で頷いたのらしい。……現実を直に見たいという自らの望みと合致していたが故に。
危うい、とテランスは感じた。だが、いつかはこの日が来るとも思っていた。そして、そのときは絶対に彼の傍に在るのだと決めていた。誰が反対しようとも、それがたとえ彼であったとしても、絶対に。
結果として、テランスの決意を無視する者は誰もいなかった。それどころか、ディオンはテランスの同行を望んだ。本心を隠して「君と旅がしたい」と言ったテランスをどこまで見抜いたのか、彼は静かに微笑んだ。
そうして始まった旅は、様々な意味を持ち始めている。
「苦しみ、悩み、もがく……」
呟いたディオンに、テランスは頷いた。
「道行きは未だ半ば。先は長い、と」
人が持つ時間は有限だ。いつ「その時」が来るかは誰にも分からない。戦場に身を置いていたときは死を当然覚悟していたし、状況を考えるまでもなく死神とは常に隣り合わせだった。しかし、それ以上に彼の命が尽きることのほうが怖かった。自分を庇って幽世までの道を辿りかけたときも、顕現を繰り返した末に石と化した腕を見たときも、暴走の果ての咆哮を聞いたときも、そして、オリジンから生還した後に生死の狭間で嘆きの譫言を聞いたときも。――彼を「その時」から遠ざけたいと幾度思ったことか。
けれども、今。
「世界は変わった。そして、人は――人の「思い」は無にはならなかった。これからも続いていく。……そうしたときに、ディオン」
彼を引き寄せ、幼い頃に内緒話を囁いたときのように額を合わせる。
「何ができるか、何がしたいか。罪や過ちと向き合う時間も、贖い方を考える時間も、まだある。急がなくていいんだよ」
そして――。
「君の傍には、僕がいる。君が願おうと、命じようと、離れない」
「……分かった」
吐息混じりで答えたディオンを、テランスは抱きしめた。ふふ、と耳元で笑う彼の声が擽ったい。
「だが、テランス。……もし、私が同じような過ちを繰り返したなら」
「君が世界に仇なすことは二度とない」
緩やかな笑い声のままで言うディオンを遮り、テランスは言った。その言葉に、ディオンがまた笑う。
「誰にもそれは分からないだろう? 私にも、お前にも。……ただ、本当にそのときが来たならば、お前が私を殺せ」
「……ディオン」
あまりにも穏やかな声色に、テランスは合わせていた額を離した。弧を描くディオンの瞳に濁りはなく、澄み切っていた。
「その「お願い」は聞かないよ。僕は、僕なりの手段で君を取り戻す」
「その手段、とは?」
訊ねたディオンに、テランスは「秘密だよ」と笑んだ。む、と眉間に皺を寄せた彼が愛しくて、再び抱きしめる。
「……ディオンが足りないな、やっぱり」
こうして抱き合うだけでも充足感は確かにあるのに、それだけでは満足できない自分にテランスは苦笑した。
それはディオンにも伝わったようで、彼もまた笑う。
「医者に言われているからな、静養しろと」
「……そうだね」
少しばかり力を込めて抱きしめ合い、数度口づけを交わす。離れ難く思いながらも身を離したテランスに、ディオンが「思い出した」と突然言った。
「……ロズフィールド卿から「依頼」を受けたのを、忘れていた」
「依頼?」
晩餐のときも、その後の茶話会でも、そのような話は出なかったはずだ。ロザリアの話を聞いて、此方が見聞きした話をして――、造船所での話はディオンの前ではしなかった。
「そうだ。旅をする前に、ロズフィールド卿が「時間があるなら、寄ってほしい」と」
「何処に?」
「ラザロ街だ」
ソファに置いていた革鞄から地図を取り出すと、ディオンは地図の一点を指し示した。ポートイゾルデと造船所の中間地点――いや、それよりはポートイゾルデ寄りだろうか。馴染みはないが、地名として頭には入っているその名をテランスは繰り返した。
「ラザロ街……。確か」
「エーテル溜まりに沈む前は、野盗に扮した「種火の守り手」の拠点だったと聞く。……さらにその前は、貴族の保養地だった」
過去形で語るディオンの表情は険しい。この街もまた、ロザリアが属領となった際に「消された」のだ。大公派の主だった貴族と同様に。
「あの女の非道な所業には限りがないな」
「……ええ」
頷くほかないテランスに、ディオンは「だが」と声色を変えた。
「ロズフィールド卿が苦難を耐え忍び、生き残ったのは僥倖だった。ロザリアだけではなく、ヴァリスゼアにとっても」
重税を払い、領民を守り、押し寄せる難民をも迎え入れた。一方で、ウェイド卿が言っていたように「種火の守り手」の支援もしていた。それが露見すれば、「属領総督」は大喜びでロズフィールド卿を処刑台へと押し上げただろう。その機会を窺っていたのは容易に想像がつくが、実際はそうはならなかった。
「ロズフィールド卿は自身を「悪党の一員だ」と事あるごとに笑うが、彼がいなければ世界は無と化しただろうな」
ベアラー、魔法、クリスタル、ドミナント、アルテマ。人知を超えた戦いとは別の次元での戦いは確かにあった。
「ハヴェル卿とカンタン卿も、ですね」
「ああ。あの御三方がいたからこそ、クライヴも、ジョシュアも動けたのだと思う。……その末に、私も翼を差し出せた」
「……」
語るディオンを、テランスは複雑な思いで眺めた。自分が知らない「あのとき」の話は、抜けぬ棘になっている。その場に在ることを、共にいることを許されなかったあの日々は、ひどく苦しかった――。
「テランス」
離したはずの身を再び寄せ、ディオンがテランスの名を呼んだ。何?とも返せなかったテランスに抱きつくようにして彼は笑う。
「時間は、あるのだろう?」
「ディオン?」
問いの意味を掴み損ねたテランスをディオンは覗き込んだ。
「ラザロ街に立ち寄る時間は、あると思うよ? 特に急ぐ旅でもないし……」
「そうではない」
テランスの答の何がいったい面白かったのか、喉の奥を震わせてディオンは笑った。どういうこと、と問おうとしたテランスを遮り、緩くかぶりを振った。
「私が己の罪と向き合う時間を得たように、私とお前の隙間を埋める時間もある、ということだ」
「隙間……」
ディオンの口づけを受け、テランスは呟いた。その言葉が意味するところを思うと、手は自然と彼の背に回った。
「そう。私達は今まであまりにも近くにいて、離れることなど早々なかった。……だが」
ディオンが囁くように言う。
「私はお前を退けた。その理由も、意味も、己の口からは伝えていない。……お前は敏いからすべてを理解してくれたが、それでも」
心に吹き込む隙間風。微風であっても、それは。
「伝えなければと思っている。伝えたい、とも。そして、お前が私に望むように、私もお前から様々なことを聞きたい。思うだけではなく、言葉に乗せて」
望み、望まれる。とろけるような口づけも、身を焦がす繋がりも、心地よい熱の共有も、なくてはならないもの。だが、それだけではなく――。
「心の内を、少しずつでよい。……そうするだけの時間は、あるだろう」
「そう、だね。……うん」
齎される時間はどれほどなのか。有限であるそれが、できるだけ長いことをテランスは願う。彼と共に在り、過去も今も未来をも語り、自らの思いの丈を伝え、彼の心の水底を探る時間。互いを知る喜びを得る時間が多ければ多いほど、きっと幸せは募る。生きる意味を感じられる。
永遠ではない。「人」は持続しない。それでも、連なった心が彼と自分に残るなら、それは二人の間では永遠に近しいものとなるだろう。
§ §
三日後。
ポートイゾルデを視察して領民や難民と話す機会を得た後、二人はラザロ街に滞在した。
ロズフィールド卿の「依頼」はラザロ街に立ち寄れ、というだけのことだったから、てっきりテランスは視察だと思っていた。エーテル溜まりによる被害把握や、街の復興を考えるうえでの検討材料としてディオンの意見を求めているのだと思っていたのだが、どうやらそうではなかったらしい。
ラザロ街は、既に街として機能していた。こぢんまりとはしているが、中心部の商店街は開いていて、使用人と思しき男女が幾人も行き交っている。処刑された貴族が所有していた邸宅も何軒かはあるが、それらもいずれは活用していくつもりだとラザロ街の上役は言った。たとえば、ポートイゾルデに至るまでの宿場町として生まれ変わるとか。
そこでなんですが、と上役は言った。それらの邸宅に「問題」がないか確認していただけませんか、と。
成程、と笑ったのはディオンだった。テランスも、ロズフィールド卿がラザロ街の上役からの「依頼」を此方に回して寄越した意味を察した。
すっかりと整えられた邸は「問題」などまるでなかった。変遷の経緯を知れば多少は尻込みしてしまうかもしれないが、気になるならばポートイゾルデまで足を伸ばせばよいだけのことだ。
案内された邸で二人は休息をとった。押し寄せていた旅の疲れを取るために、まずはとにかく睡眠を優先させた。夢見も悪く魘されがちだったディオンに「よく眠れた」とすっきりした顔で告げられたときには、思わず彼を抱きしめてしまったテランスだった。
部屋のソファで寄り添って、話を少し。「いきなり多くのことを話してしまうのは疲れるだろうし、後の「楽しみ」も減るだろう?」と言うディオンにテランスは同意した。有限で、いつ終わるか分からない「旅路」ではあるが、少しずつ。そう、少しずつ隙間を埋めていければ、と思う。
それでも、話は核心から始まった。クリスタル自治領での反乱を経ての暴走、ランデラでの別れ、そうして。話は行きつ戻りつ、時には長い沈黙を挟んだ。話したくない、話せない、そういった事柄も勿論あって、それでも互いにできうる限りの言葉を尽くした。
ディオンにテランスは幾つかの問いを重ね、謝罪した。謝られる覚えはない、と首を横に振ったディオンの肩を抱いて「君を独りにした」とテランスは押し殺した声で囁いた。そして、「君が再び世界に仇なすことはないけれど」と続ける。「もしもそのときが来たら、僕が君を取り戻す。とっておきの方法を思いついたから、覚悟していて」と笑ってみせた。
ディオンが「その方法は、やはり秘密なのか?」とゆっくり瞬きながら問うたが、テランスは笑みを見せるだけに留めた。
反対に、テランスにディオンも自らの思いを告げた。表情を薄くし、ぽつりぽつりと話す。涙こそ流さなかったが、思い出すのは辛そうだった。俯き、目線を逸らしてしまう自らの癖を気にしながら、彼はテランスを見つめた。ランデラでついぞ合わなかった視線が合い、テランスはあの日の悔恨を思い出した。
あれは、あの別れは、彼にとっても「世界」にとっても必要なものだったかもしれない。彼の贖罪を果たすためには、彼が自らを認めるためには。力尽きて堕ちる空の中、ようやく息ができたとディオンは語った。ひどく遠い昔のようにも思う、と言いながら、彼もまたテランスに謝罪した。「お前がいれば、あのときの私は揺らいだままだったろう」と。
ただ、その選択が正しかったのかどうかは分からないのだ、と彼は続けた。何か別の道はあったのかもしれない、と。贖罪という自らに課した「欲」と、最愛の無事と未来を願う「欲」、この二つばかりに囚われた。「テランス、お前が言うところの秘密の方法が分かれば、あるいは」と語ったディオンに、テランスは首を横に振った。
その方法は、とテランスはディオンのこめかみに口づけ、額を合わせた。「あの後に分かったことだから。君と離れたときには――まだ分からなかった」とそうして白状すると、ディオンは疲れた笑みで頷いた。
今日はここまで、とテランスは言った。ぐったりと疲弊した様子のディオンに、「もう休む?」と訊ねる。陽は傾き始めた頃合いで就寝にはまだ早いとはいえたが、今は休息のとき。決められた時間で動く必要はない。
だが、テランスの問いにディオンは頷かなかった。両手を伸べてテランスの背と首元に手を回す。耳元で「癒されたいし、癒したい」と一言を区切りながら熱っぽく語った彼を抱きしめ、口づける。「そう、ディオンが足りないんだった」とテランスが笑ってみせると、ディオンは喜色を浮かべた。
邪魔をするものはすべて遮って、取り払う。
心は急いているようで、不思議と穏やかだった。
求めて、求められて、曝け出す。隅々まで口づけて、晒した素肌のあたたかさに感じ入り、ほろりと零れた彼の涙を吸い取った。
――泣かないで。そう言おうとして、止めた。
自然と溢れた涙なのか、彼が望んだ涙なのか、それは分からない。彼自身も分かっていないようで、両手で顔を覆ってしまった。そのまま乱暴に目を擦ろうとしたものだから、それは流石に止めて。
――どうか、心の思うままに。
希い、祈りを捧げるように囁くと、暫くの間の後に彼は小さく頷いた。
誰も知らない、自分しか知らない、彼の姿。
その心の水底を、そっと触った。
§ §
青空に鎚を振るう音が響く。
造船所に差し掛かった頃、警戒を強めたテランスにディオンが苦笑した。
「再び、ということもあり得ます」
「あるかもしれないが、そのときは――」
ごく軽い溜息の後に反論しようとしたディオンが口を噤む。造船所を見やった彼に合わせ、テランスも視線を動かすと、向こうから歩いてくる男の姿を認めた。
例の連中ではない。草臥れた帽子につなぎ服といった格好からすると、造船所の修復に携わっている者と見受けられた。
「……何か?」
帽子こそ取って軽く礼をしてきたものの、無遠慮といっても過言ではないくらいにじろじろと此方を――ディオンを見るその男に、テランスは声を低めて問うた。
男は、いやあ、と見た目とは不相応のしわがれた声で言った。
「ディオン・ルサージュというのはあんたかね?」
問われ、ディオンが目を瞬く。言ったそばから、と思いながらもテランスはディオンの前に出ようとしたが、それはやはりできなかった。
テランスの肩をディオンが掴み、下がらせた。同時に、男が「やあやあ、物騒な顔はせんでくれ」とからからと笑った。
「……確かに、私がディオン・ルサージュだ」
ひとしきり男が笑った後に、ディオンが言う。その言葉を受けて、男は深く頷いた。
「あいつらの――連中のことを許してやってくれ」
「――」
息を呑んだディオンに、男は説明した。
月に一度の墓参は、彼らにとっては儀式のようなもの。あの日あのとき殺された者は直接の縁故者ではないが、けして忘れてはならぬと思い為し、花を手向け続けた。そうしているうちに、悲しみは怒りに挿げ替わり、彼らは荒れ狂い始めた。野盗紛いの所業を繰り返し、それを止めようとした男は、殴打された。
そうして、その日。職人仲間に手当てを受けている際に、烈風が吹いた。
「私は、彼らを許す立場にはない」
硬い声色でディオンは言った。
「彼らの悲しみや怒りは、正当なものだ。怒りの矛先も正しい」
テランスは歯痒い思いでディオンの背を見た。彼が自らの言葉を覆さないのは、矜持でもあるのだろう。そして、その矜持は他者から見れば「正しい」もので。
彼を知る者ならば、と思う。自分だけでなく、彼の本質を知る者ならば、同じような思いに駆られるのではないか。
「そんなふうに思い詰めんでもよいよ」
目を細めてディオンを見、それからついでのようにテランスにも目を向け、男は言った。
「ロザリアを滅ぼしたのは、ロザリアだ。よくよく考えるとな」
それでもやっぱり庶民には分からんことも多いが、と男は続けた。
「……それ、は」
「そして、石を投げるなんてことは外道のすることさ。そんなこと、誰も許しちゃならん」
男の畳みかけるような言葉の数々に、ディオンが身を震わせた。だが、と返そうとする彼に、男は笑う。
「あの風を浴びたとき、ついにこのときが来たかと思った。見て見ぬふりで連中に何もしなかったのは俺らの不出来が為した業だ。声をかければよかった、野盗くずれになるくらいなら手伝えと言えばよかった、その後悔をあの風は吹き飛ばした」
「……」
「許すのが辛いと思うなら、礼を言おう。あの頼りない鎚の音は連中の音さ。……ロザリアを作り直すのに、手は幾つあっても足りんよ」
けほ、と咳をし、男は言った。そうして、改めてディオンを見つめる。
「二つ、聞いてほしいんだが」
ディオンが了承する前に男は人差し指を立てた。ひとつめは、と早速話し始める。
「この造船所でまた船が造れるようになったら――、まあ、それはそう遠くない未来だと思うが」
そうしたら、と男。
「ザンブレクで何隻か船を買ってくれ。バイロン様は商売上手だからほうぼうへ売り出すだろうが、まずはザンブレクだ。宣伝にもなるし、「友好関係」も少しは取り戻せる。いいこと尽くめだ」
「……何故、私にそれを言う?」
男の話は突拍子がないようにも思えたが、納得がいく部分もあった。確かに、とテランスは思う。ロザリアとザンブレク――共に国として今後成り立つのかは怪しいが――双方の深傷をどうにかしたいと思うのは、民も同じなのだろう。憎しみだけでは、食べていけないのだから。
「あんた、偉い人だろう? だった、かもしれんが。俺らからすりゃ大して変わらんよ」
よろしくな、とディオンに笑みを深めた男は「もうひとつは」と今度は声を潜めた。誰もいない周囲を窺うように見まわし、真顔になる。
「クライヴ様とジョシュア様がご健在という噂は本当か?」
「それこそ、バイロン・ロズフィールド卿に聞けばよいであろう」
真顔になった男とは反対に、ディオンの纏う雰囲気が僅かに緩む。ふ、と彼は笑った。
「私は本当のことを言うかもしれないが、嘘つきかもしれない。事が国に関わることであれば、尚更だ。……ちなみに、其方はどう考えている?」
ディオンの直截なまなざしを受け、男は少し怯んだようだった。帽子を弄り、そうだなあと呟く。
「生きてるんじゃないかって噂はずっと流れてたんだよ。特に、クライヴ様は。……でも誰も何も言わないじゃないか。バイロン様も黙りっきりで」
「そうか」
それだけを返したディオンに、男がぼやいた。
「有り金、結構賭けたんだよな……。生きてる、戻ってくる、ロザリアをなんとかしてくれるほうに」
「……そうか」
やはりそれだけをディオンが返す。
どうだろうか、とテランスは思った。ロズフィールドの兄弟は表舞台に立とうとするのだろうか。ディオンがこうして悩み、迷っているように、あの二人は――開き直って陰で立ち回っているふしのあるクライヴはともかく、ジョシュアはこの先どのような道行きを辿るのだろう。
「どう思う?」
訊いてきた男に、ディオンは笑んだ。どうであろうな、と言い、そうして「「偉い人」に訊いてみるとしよう」と簡単に請け負ってしまった。
え、と固まったテランスの気配を感じたのか、ちらりとディオンが振り返る。悪戯めいたその笑みに、テランスは頭を抱えたくなった。
「おお!」
「私にできることは、せいぜい訊ねるくらいだ。生きているのか、戻ってくるのか、ロザリアを――この国を再興させるのか、それは私には分からない」
「いいさ、それでも! 船を造って待ってるって伝えてくれ!」
帽子を空に向けて投げ、男が跳ねた。独り合点のようにも見えてディオンの言葉の意味を正確に読み取ったのだろう、男は「よろしくな!」と言って走り去った。
よいのですか、とテランスは呆然としながらディオンに訊いた。
「よい。あの二人も多少は悩むべきだ」
「「偉い人」というのは……?」
「さて、誰であろうな?」
ディオンは笑い、男が戻っていった造船所を眺める。テランスも晴天の造船所を見た。
鎚を振るう弱々しい音。その音が力強いものに変わる前に、世界の何かは変わるだろうか。変えられるだろうか。
「……飛ぶときが来た、それだけのことだ。道は様々だがな」
その独り言のような呟きは、彼自身に言い聞かせているのだろうとテランスは思った。
「ディオン」
「うん?」
チョコボの手綱を握ったディオンに近寄る。外套の留め具に触れ、彼を見つめる。
――止まり木の鳥。
「先生からの宿題も、そろそろ考えてみようか」
「……ああ」
微笑むディオンの背を軽く叩き、テランスはチョコボに騎乗した。チョコボの首筋を撫で、ディオンもまた騎乗する。
造船所を背にして、二人はロザリアでの旅を終えた。