#02 古びた井戸

 食料庫に連れ込まれた直後、頭の天辺から足の先まで遠慮のない視線が走るのを、ディオンは甘んじて受けた。
 最後に、外套の留め具に視線が止まる。それを見て何を感じたのか、ふう、と何かを振り切るように息をついた相手は、「修道院へは?」と訊いてきた。
「先に訪った。……仇敵の訪問というのに、丁重に迎えられた」
「名乗ったの?」
「……ザンブレクの者、とは伝えた」
 通称「マーサの宿」と呼ばれるこの地をすり抜けて悲しみの入り江を渡り、グレードモン修道院を訪れたのは昼過ぎのこと。管理人と名乗る男は突然の訪問者に身構える様子を見せたが、此方に害を与える気がないことを知ると、安堵の笑みを見せた。
 管理人は「旅人」に此処がどういった場所であるかをざっと説明し、建物の中へと案内した。グエリゴールの像が置かれた御堂には簡素な寝台が数台据えられていたが、いずれも空だった。かつては此処で、と管理人の説明を聞きながら御堂を見回した。
 人として死を迎えるのではなく、石砂となって砕け散る末路。その道行きに怯えながら時を過ごし、やがて魔法の代償を背負わされた幾多の命。
 心の拠り所を求めてやってきたこの場で石になった者達は幸いだっただろう、と管理人は言った。誰かに看取られて「死ぬ」幸せを最期に得たのだから、と。
 だが――。
「知らなかった、なんて言葉は許されない。それは死者への冒涜だ。ましてや、知っていたのだとしたら、それは!」
 相対したマーサが放った言葉に、ディオンは無言で頷いた。返す言葉はどこにも存在し得ない。
 知っていたのだ。属領となったロザリアへの苛烈なまでの搾取と、ベアラーの迫害。あの奸婦が嫣然たる笑みの裏で何をしていたかなんて、グエリゴールの御下に集いし者ならば誰もが知っていた。無論、己もそのひとり。宮廷で囁かれる噂話と、秘密裏に上がってきた報告書で状況は把握していた。
 いつの日か彼奴を陥れるために、敢えて見逃していた。今はまだ叩くときではない、と。
 民を数で計る一方で、民でない「モノ」については――ベアラー達を己は「資源」として扱った。石と化していく恐怖を知りながら、己と彼らベアラー達に違いは殆どないのだと分かっていながら、道具としか見なかった。
 底のない大罪だ、と思う。迫害と虐殺を繰り返した奸婦を己の都合のみで見逃していたのも、ベアラー達を人と見做さなかったのも。……許されるわけはなく、裁かれるのは必然だった。
「なんて目をしてるんだい」
 黙して語らないディオンにマーサが溜息をつく。
「……どのような目を?」
「刑の執行を待ちわびる罪人の目さ。穏やかすぎる」
「……」
 マーサの指摘は真理だった。
 己が持つ多くの罪のなかのひとつ。その罪に目を向けたくなくて、心が暴れかけたことがある。自身が齎した結果ではないと言い訳をして奸計の主を呪おうとしたが、結局はできなかった。内なる己が、暴れる心を咎めたがために。
 ――どうして、そんなに落ち着いているんですか。
 世界の理が変わった後、命が尽きなかったことに驚き戸惑いながらも、内なる咎めに従って――いや、それよりも早く望んだのかもしれない――贖罪の道を選ぼうとしていた己を抱きすくめて言ったのは、最愛の存在であるテランスだった。怒りのあまり手加減も忘れてしまったのだろう、ぎゅうぎゅうと力一杯に抱きしめられて苦しかった。
 苦しかった。そして、嬉しかった。
 おかしな話だが、その一件が己を突き動かした。彼の激情を受け止めたとき、道が拓けたような気がしたのだ。
 前を向き、先を思う。元々歩こうとした道が崖崩れで失われ、途方に暮れた。そんな己に、二つの道が現れる。――ひとつは、彼と共に生きる道。もうひとつは、処刑台へ続く道。ああ見えて強情な彼を再び退けるのは困難を極めるだろうが、とどこか頭の片隅で思いながら、後者の道行きはそれでも魅力的だった。
 苦しいと思う、未だに思ってしまう、そんな心に終止符が打てるならば。
 その願いを言葉にはしなかった。できなかった。できるわけもない、彼が目の前にいるのに。絶望の淵で闇の海を覗き込んでいたという彼の、その涙を見たのに。
 だが、彼はすべてを察したようだった。願いも、どこか遠くを彷徨っているような己の心も、すべてを感じ取ったのだろう、彼は吠えた。
 ――何故、どうして。そう言いたいのは僕のほうだ。どうして、どうして!
 生と死の狭間で己が譫言のように呟いていたという言葉を、テランスは叩きつけた。
 ――死を選ぶのは、いつでも、どこでも、誰にでもできる。「神様」を蹴飛ばしたのなら「運命」なんて言葉は、この世にはもう存在しない。誰に何を言われようと、刃を向けられようと、運命なのだと受け入れてしまうのは違う。君の望みは、ただの逃げだ。
 全力疾走した後のように、彼の鼓動は早鐘を打っていた。緩やかな己のそれとはまるで違っているのを、不思議に思った。
 逃げることは、許されないか。ぽつりと己が呟くと、テランスは息を呑んだ。だが、それは一瞬のこと。彼は頷き、そのまま肩に頭を乗せた。
 ――世界は君の逃げを許容する。望むかもしれない。でも、僕は許さない。絶対に。
 震えを帯びた声色が、心の内に反響していく。晒け出した彼の本心が、己の水底まで入り込む。
 ――君の苦しみの片鱗を僕は知っている。その苦しみを、自らの罪咎と君が呼ぶものを、奪われたくないと思っていることも知っている。気休めにでも分け与えてくれなんて言えない。でも、だったら。
 彼の心が、水底で溶けかかっていた己の心に触れた。
 ――その苦しみを教えて。聞かせて。偽りの望みからも、本当の願いからも隠し通していた君の心に触れさせて。
 くぐもった彼の声は、それこそ祈りのようだった。
「……在るべき道を教えてくれた者がいる。確かに私は罪人で、罰を受けなければならない身だが」
「そうさ。その目がどこかで望んでいるように、普通なら死罪一択だ」
「今は望んでいない」
「そうかい」
 両手を腰に当てたまま、マーサが鼻を鳴らす。「拾った命は大切にしな」と彼女は言い、食料庫の扉に手をかけて動きを止めた。
「修道院と、此処に来たってだけじゃないんだろう? 後は?」
「イーストプールも訪おうと思っている」
 そう言ったディオンに、「やっぱりね」と言いながらもマーサは渋い顔をした。
「何か問題でもあるだろうか?」
「まあ、色々と面倒なことがね。……先にうちの傭兵にひとっ走りしてもらってウェイド卿に繋ぎをつけておくんだ。もう陽も暮れる、慣れない土地を歩くのは止めたほうがいい」
 それにイーストプールは、と彼女は続ける。
「今はもうベアラー達の村だ。何もかも失った連中がようやく自分自身の「価値」を探し始めてる。苦しかったこと、悲しかったこと、全部ひっくるめて飲み込んで、歩き始めた奴らを脅かすような真似はしないでほしい」
「約束しよう」
 荒っぽい口調で願いを告げた彼女に、ディオンは約した。それを見てとり、彼女は口の端を上げてディオンを指差す。
「明日の朝一番で行きな。――それと、泊まっていくんだろう?」
 宿屋の女主人の仮面をつけ、マーサが笑う。
 一部屋しか空いてないけどね。申し訳なさそうな素振りも大して見せずにそんなことを言うと、彼女はそのまま食料庫を出て行った。

§ §

 朝靄が立ち込めるなか、橋を渡ってイーストプールへ向かう。
『何の記念碑かは誰も知らないんだけど、目印にしてるのさ。「迷子」にならないようにね』
 目印にするといい、と出掛けに助言を寄越してくれたマーサに従い、まずは石塔を目指した。最初の分岐を地図と磁石に従って進み、小さな池と草むらを避けて「道」を進むと、やがて開けた場所に出た。
「……?」
 妙な違和感を覚え、ディオンは周囲を見渡した。背を守るテランスが「如何なさいましたか?」と声を潜めて訊ねてくる。どうやら、彼はこの違和感を察知していないらしい。気配を感じ取ることに長けている彼にしては珍しく、それもまた妙なことだった。
 ――何かが、ある。
 己の感覚を信じ、再び見渡す。すると、草むらに隠れるようにして据えられている石塔が目に入った。
「マーサ殿が言っていた、石塔でしょうか?」
 目線を追っていたのだろう、テランスもまた石塔を見る。
「……そうかもしれない」
 借り受けているチョコボから下りると、ディオンは石塔に向き直った。
 その石塔は、マーサが言っていたような記念碑の類には見えなかった。何か文字らしきものが刻まれているわけではなく、さりとて只の岩とも思えない。明らかに人為物であるそれ――本当に「人」が為したものかどうかは分からないけれども――にディオンが触れようとしたとき、指先に小さな炎が弾けた。
「――」
 反射的に手を引っ込めると、ぐわん、という音を立てて空気が揺らいだ。風音とは違う、何かを歪めたようなその音はディオンにだけ向けられたようだった。軽い衝撃を感じ、石塔から退く。
「ディオン様!」
 状況が分からないながらも近寄ったテランスを片手で制し、石塔を見据える。石塔も含め、周囲がぐにゃぐにゃと歪んで見え、耳障りな音も絶えない。浮かび上がった仮説を念頭にして手を再び向けてみると、今度は引っ張られるような感覚が伝わってきた。
 同時に、己の内から去ったはずの「あれ」にも似た感覚を思い起こす。――バハムートに顕現する直前の、名状し難いあの感覚。
 やはり、とディオンは思った。この石塔は己を拒み、そして、誘う。由来は分からないが、おそらくは召喚獣に由縁あるものと思われた。イフリート、もとい、クライヴなら何か知っているかもしれない。
 気にはなるが、此処でこれ以上睨んでいても始まらない。後で訊いてみようとだけ思い、ディオンは見守っていたテランスに「石塔に嫌われたようだ」と笑った。



 魔道士をモチーフにして作られたのだろうか、麦畑の中に佇む案山子を横目で見る。顔を上げると、破れた羽根もそのままの風車がゆっくりと回っているのが見えた。
「着きましたね」
「ああ」
 来訪者に気付いた見張り役らしき住民が駆け寄ってくるのを認め、ディオンとテランスは下馬した。
「おはようございます、朝早くにすみません」
 テランスが一歩前に出、見張り役に対応する。自らの名を告げ、ウェイド卿に御用があって参りました、と彼が来訪の目的を話すと、見張り役は「お話は聞いております」と丁寧に腰を折った。
 ご案内しますね、と顔に刻印を持つ見張り役に促され、二人は村へ入った。朝靄も既に晴れてすっきりとした青空の下、住民達はそれぞれの役目を担い、忙しく立ち働いているようだった。
 先程の麦畑へ行くのだろうか、農具を持った数名の男女とすれ違う。見張り役と挨拶をかわした彼らは、音程が微妙な歌を口ずさみながら出ていった。
 軒先に吊るした網に野菜を干す女達、煤けた屋根に上がって修繕箇所を数え上げている男、木製の剣や片手斧を振るう男達に稽古をつけているのは「種火の守り手」か。重そうな麻袋を肩に担いだ男が此方に気付き、ぺこりと頭を下げた。
 フードを被ったまま、ディオンも会釈で応えた。刺すような視線がテランスから飛んできたが、彼らにとって今の己は単なる来訪者にしかすぎない。
 緩やかな坂に造られた古びた石段を上り、見張り役は足を止めた。
「ウェイド様はこの役場におられるはず。そろそろ朝礼も終わりで――」
「「様」は要らないと言っただろう、フォーン?」
 フォーンという名を持つらしい見張り役に声をかけたのは、目の前の建物からちょうど出てきたウェイド卿だった。
「なんとなく、付けちゃうんですよねえ」
「まったく……」
 頬を掻きながら悪びれる様子もなく言うフォーンに、ウェイド卿が苦笑する。「村長と呼んでくれ」とウェイド卿は続け、次いで「案内をありがとう」とフォーンに向けて礼を言った。
「いえいえ。では、私はこれで」
 ウェイド卿とディオンとテランスにそれぞれ視線を置いた後、フォーンはくるりと背を向けた。
「フォーン殿」
 ディオンは、その背に声をかけた。ウェイド卿に倣って礼を言うべきだろうと思ったからだが、村の入口へと戻ろうとしたフォーンはその声に足を止めた。
「……フォーン、「殿」?」
 驚きに満ちた表情でフォーンが振り返る。自分に敬称を付けられるとは思ってもみなかったのかもしれない。おそらくは当たりだろうと思う推測だったが、ディオンはフォーンの問いそのものには応じずにただ頷いた。
「ありがとう。礼を言う」
「ありがとうございました」
 ディオンと、そして続けて礼を述べたテランス、二人をまじまじと見つめたフォーンは「ああ」だの「ええと」だのといった謎の呻き声を上げた。どうしよう、と高揚した口調で呟き、助けを求めるようにウェイド卿をフォーンは見たが、ウェイド卿は笑うばかりで何も答えなかった。
 結局、「どうぞごゆっくり」とだけ返し、ふらふらとした足取りでフォーンは戻っていった。
「……大丈夫であろうか」
「多少舞い上がっているようでしたが、基本問題ないでしょう。彼にとっては相当嬉しいことだと思いますよ、自分のしたことに対して礼を言われるのも、敬意を払われるのも」
 誰でもそうでしょう。
 ウェイド卿はそう言うと、ディオンとテランスを「役場」の中へと促した。
 襲撃事件の前は村長の邸宅だったという建物を、新しく村を興した際に改修したのだとウェイド卿は説明した。
「役場、といっても寄合所みたいなものですけどね。なんでも相談所です」
 ひとりで考えるには手に余る悩みや皆に諮りたい相談事、そういった場があれば安心するのではないか――ひいては「住む」「暮らす」「生きる」ということについて意識も変わるのではと思った、とウェイド卿は続ける。
 奥まった一室の扉には「相談室」と書かれた札が掛けられていた。狭いですがどうぞ、と扉を開けたウェイド卿に頷き、ディオンとテランスは入室した。
 古びてはいるが、しっかりとした作りの机が中央に置かれ、その両脇に椅子が二脚ずつ置かれている。ウェイド卿は右側をディオンに勧め、反対の左側に座った。
 テランスがフードを取ったディオンの背後に立つ。相変わらずの流れるようなその所作にディオンは内心文句を言いたくなったが、他者の手前もあって何も言わないことにした。
「遠路はるばるありがとうございます。そして、改めてご挨拶を。お初にお目にかかります、ルサージュ卿。私の名はウェイド」
 オリジンへ向かわれるときに御姿は拝見しておりましたが、と言ったウェイド卿に、ディオンは「すまない」と謝罪した。あのとき、多くの人々が見送りに来てくれていたが、一人ひとりと顔を合わせて話をしたわけではなかった。否、誰とも話さなかったというほうが正しい。覚えていることといえば、クライヴとジルの誓い、ジョシュアの弱点がニンジンであること、ミドが仕掛けてきた突然のハグ、トルガルの一吠え、それくらいなものだ。……あとは、あの優しさに呑まれてはいけない、と思ったことも覚えている。己はその権利も資格も失ったのだ、と。
 悲しくはなかった、と思う。為すべき役目を果たす――そのことが贖罪に繋がるのだと思い、それまで荒れ狂っていた心は凪いだ海のようだった。
「此方もご挨拶したわけでもありませんし、覚えておられなくて当然です。どうかお気になさらずに」
 そうして、ウェイド卿は自己紹介をした。
 かつて、ロザリアの一騎士だった彼は、フェニックスゲートの一件の後に紆余曲折を経て「種火の守り手」という組織を結成した。困窮するロザリアの民とベアラーを守るために始めた草の根の活動は、バイロン・ロズフィールド卿の秘密裏の支援もあって次第に活動の規模を拡大していった。もっとも、それでも表立った活動はできず、忸怩たる思いに駆られていたのだとウェイド卿は言う。
「クライヴ様と再会し、バイロン様も情熱を取り戻された。できることをやろう、だけではなく、一歩でも半歩でもいい、先へ進もうと思うようになれたのはあの頃からです」
 黄昏から暗夜へと傾く世界。渦巻く悲嘆と絶望、そして混沌を肌で感じながら、それでも明けない夜はないと信じた。
「……そうだったのだな」
 ウェイド卿の話を聞き終えたディオンは、それだけを返した。ロズフィールド卿から概略は聞いていたが、当人から話を聞いてみると見えてくるものがまた違ってくる。ウェイド卿は「未来」に向かう者なのだろう。
 ウェイド卿がディオンの相槌に頷く。話し手交代の意図を感じるそのまなざしに、ディオンは口を開いた。
「ディオン・ルサージュだ。持っていた肩書は色々とあるが、今は何者でもない。……其方からすれば憎き相手のひとりにも数え上げられるのだろうから、そのように敬意を払わずともよいのだが」
 皮肉に聞こえぬように気をつけながらディオンがそう言うと、ウェイド卿は目を細めた。
「マーサ殿に何か言われましたか? こてんぱんに伸されたとか?」
「……いや、特には」
 ウェイド卿の問いに昨日のやり取りを思い出す。マーサは勁く鋭いまなざしで此方を睨んだが、多くの言葉を放ったわけではない。ただ、その言葉のひとつひとつが重かっただけだ。
 そうですか、とウェイド卿はそれ以上の追及はしなかった。そのかわりに、といった風情で椅子の背もたれに身を預け、腕を組む。
「バイロン様がね、仰ったのです。貴方がクライヴ様とジョシュア様を乗せてオリジンへ飛んでいった、その後に」
 作り笑顔を消してしまった人々を鼓舞したかったのだろう、明るい声色でロズフィールド卿は『動け、動け!』と笑ったのだという。その言葉に我に返った隠れ家の面々がぎくしゃくとしながらも動き出し、「協力者」達もそれぞれの居場所へ戻る前に、と昇降機前で軽い挨拶を交わした。そうこうするうちに避難民が産気づいたという報が飛び込んで、後は上を下への大騒ぎになったのだが――。
 ――全員帰ってくる、必ずな。そうでないと、寝覚めが悪くて敵わん。
 陰りを帯びた自らの声音をすぐさま軽口で打ち消し、ロズフィールド卿はその場に居合わせたウェイド卿の肩を叩いた。思わず『帰ってくる……?』と訊き返してしまったウェイド卿をロズフィールド卿は睨み、『当たり前だろう』と言い放った。
「正直、不思議でした。死地からの帰還は為し得ない、どこかしらそういう雰囲気があって、しかし、勿論それは誰も望んでいなかった。祈り、願い、信じていた。それらの思いはほぼ確実に裏切られるのだということを分かっていてもなお。……ですから、バイロン様の「当たり前」のその根拠は何処にあるのだろうと、そのときの私は思ったのです」
 ウェイド卿の話を聞きながら、ディオンは風の志士のひとりにして公私共に大恩あるロズフィールド卿を思い浮かべた。おそらく、あの御仁は訊いてみたところで「根拠なぞなかったが」と言うのではなかろうか。
 ディオンがそう言うと、ウェイド卿は「そうでしょうね」と笑った。
「後に、全員が生還したとバイロン様から報せが入りました。……よかった、と胸を撫で下ろしましたよ。これは、嘘偽りない本当の気持ちです」
「……」
 黙するディオンに、ウェイド卿が続ける。
「貴方がどのような思いで翼を貸してくださったのか、私は仔細を知りません。ですが、クライヴ様やジョシュア様のために、ヴァリスゼアに住まう多くの者のために、壊れかけた世界のために、その御力を尽くしてくださったのは事実。……その事実に、悲しさや後ろめたさを自分が感じなくて済むのだと思った末の「よかった」なんですよ」


 住民達に仕事を覚えさせないと、と直近の悩みを語ったウェイド卿に、ディオンはロストウィングの事例を出した。エーテル溜まりとカンタン卿の復讐劇で荒廃した村は、復興の道を歩み始めている。中心となっているのは生き残ったベアラー達で、彼らは葡萄畑の管理からワイン醸造までの豊富な知識を持っている。多忙の傍らでカンタン卿が指揮し、金銭面で支援するのは質の良いワインの復活を願う商人といった構図だ。
「自分が何をすべきか、どんな役目を担っているか、何ができるのか、その先にあるものが何なのか。……それらが分かっていると話が早い。カンタン卿はそう言っていた」
「成程、参考にさせてもらいましょう。「留学」させる手もありますか」
「そうだな」
 役場を出る前にディオンは再びフードを被った。
「……結構、面倒そうですね」
「怪しまれぬように、と被ってはいるが、実際はどうなのであろうな。却って不審がられるのではとも思い始めているのだが」
 飾らない物言いで言ってきたウェイド卿に、ディオンは肩を竦めた。
「それは否めませんな」
「ですが、混迷を往く旅においては身を守る第一の手ではあります。旅慣れてくれば話はまた変わってきますが、今はまだこのほうがよいかと」
 ディオンの言葉にウェイド卿が頷きかけたとき、それまで沈黙を保っていたテランスが割り込んできた。
「テランス」
 背後を振り返り、ディオンはテランスを睨んだ。しかし、彼は毅然としたままで言を翻そうとはしない。自らの立ち位置を承知の上で、それでも進言すべきだと判断したのだろう。だが、今この場でその判断を下した、というのはディオンには少し不思議に思えた。
 何か思うところがあるのだろうか。……あるのだろう、きっと。
「……このように言う者もいるので」
「ははあ」
 ウェイド卿に今一度向き直り、ディオンは言った。少々おざなりな言い方になってしまったが、仕方がない。
「テランス殿、でしたか。そのご判断は賢明だと思いますよ」
「恐れ入ります」
 ウェイド卿に向かって略礼をとったテランスを見、溜息をつきたくなるのを堪えながらディオンはフードの角度を調整した。襟元を留め具で整える。
「鳥、なんですね」
 留め具に視線を置いたウェイド卿がどこか感慨深げに言うので、ディオンは笑んだ。
「何故なのかは己の心に聞け、と恩師に言われている。……そういった意味も含んだ旅になりそうだ」
「道中のご無事を祈念しております」
 ロザリア式の礼をとったウェイド卿に見送られ、ディオンはテランスを伴ってその場を離れた。
 広くはない村を見回すと、先程よりも外に出ている住民は増えていた。めいめいに働く彼らは忙しそうだが、活気に満ちていた。ウェイド卿が言っていた懸案が解決すれば、この村は次第に栄えていくことだろう。
 村の奥まで進み、門番にも挨拶をする。閉ざした門の先はフェニックスゲートがあるが、関係者以外は立ち入れないとのことで、引き返した。
「……テランス」
「此処に」
 周囲の目が此方に向いていないことを確認し、ディオンはテランスを呼んだ。すぐに返事をする彼を見ないまま、今度こそ溜息をつく。
「その口調はどうにもならないか?」
 若干の苦笑いを滲ませてディオンが言うと、斜め後ろのテランスも溜息をついた。こういうところは遠慮がないのに一線を引こうとする彼は、その不均衡さに気が付いているだろうか?
「今のところ変えるつもりはありません。先程も申し上げた通り、旅を始めたばかりのこの状況では迂闊なふるまいは危険です。「見聞を広める目的で旅をする貴族と、その護衛兼従者」という設定が最も無難かと」
 それでも多少無理がありますが、とテランスは付け加えた。
「本来ならば、護衛があと数名はほしいところです」
「だが、そう手配しなかったのはお前だ、テランス」
 ディオンの指摘に、テランスが頷く。
「それは偏に私が狭量だからです。自分の力を過信している自覚はありますし、不安もあります。ですが――」
「私はお前と旅がしたかった。叶うならば、二人だけで。……それは逆もまた然り、そういうことだな?」
 振り向いてディオンが言うと、テランスは微笑んで首肯した。
「そういうことです。口調や態度については、そうですね……時と場所と場合に応じて、ということで」
 含んだ物言いのテランスに、ディオンは笑った。さて、と呟き、「散策」を再開する。
 来た道を戻り、改めて目を配る。人々の活気とは反対に、建物や共用設備は傷んでいるものが多く、崩れ落ちそうな家や小屋もあった。襲撃事件の後、この村は野盗の根城になっていたり、アカシアが蔓延ったりもしたという経緯がある。廃墟にも近しかったこの地をベアラー達の棲家として再建していくのは容易なことではない。
 何らかの支援が必要だ、とディオンは思う。しかし、そのような状況に陥っているのはヴァリスゼアの何処も同じで、イーストプールだけを特別扱いするわけにはいかなかった。資金も物資も人手も軍備も、何もかもが足りない。「ないない尽くし、ない尽くしだ」と盛大に溜息を吐いていたハヴェル卿を思い出す。
「魚を与えるか、釣り竿を貸すか。状況にも拠りますが、釣り竿のほうがよいでしょうね」
「……ああ」
 思考の先を読んだらしいテランスにディオンが頷いたそのとき、「うわあ!」という叫び声が上がった。
 何かが落ちるような音がそれに続く。
「……何だ?」
「行ってみましょう」
 二人は顔を見合わせると、声がしたほうへ向かった。
 途中、何人かの住民とすれ違ったが、彼らはあの叫び声を気に留めていないようだった。とすると、緊急の度合いはそれほどでもないのかもしれない。協力し合って暮らしている此処の民ならば、何かあればすぐに動くだろう。
 そう思いながら石段を下りていくと、井戸の傍で男がひとり、へたり込んでいた。
「あーあ……やらかした」
 年若い男の横には桶が転がっている。そして、盛大に水を撒き散らしたような跡。大方、水汲みに失敗したのだろうと思われた。
「大丈夫か?」
 気が付けば声をかけてしまっていたディオンに、背後からテランスの視線が、そして前からは怪訝そうな男の視線がそれぞれ向けられる。テランスの視線はともかく、警戒心も露わにした男の疑念は解かなければならない。
「誰だ、あんた?」
 新入りか? そう続けた男は、地面に転がったままディオンとテランスを値踏みするような視線で見回した。
「刻印がないってことは「隠れ」か?」
 無遠慮な男の問いに、ディオンは首を横に振った。
「……どちらの問いも答は「否」だ。私は……私達は、この村の長に用があって来た」
 嘘はついていない。
「ウェイド様に?」
「ああ。先程お会いした。帰る前にこの村の様子を見て回りたいと思ったところに、そな……君の叫び声を聞いてやって来た、というわけだが」
 ディオンは一旦そこで言葉を切った。桶と古びた井戸を眺め、最後に男へ視線を戻す。
「少々、欲が張りすぎたようだな?」
「……まーな。水汲むの面倒だから回数減らしたくってさ。あー、桶壊れなくてよかった」
 男は立ち上がると、桶を手にした。ついた埃を払い、もう一度井戸へと放り込む。ポチャン、と水音がしたのを確認し、桶に繋いだ綱を引き上げた。
「や、やっぱり、重……ッ」
 腕を伸ばしたまま綱を引こうとする男の様子は、ディオンから見ても悪手のように思われた。井戸の中で桶が揺れているのか、男の細身も振り回されるように左右に揺れる。
「力任せに引っ張ってもうまくはいきません」
 見ていられない、といった風情でテランスが前に出た。ちらり、とディオンを見た彼は、男に近寄る。
「貸して」
 ひーえー、と悲鳴を上げる男から綱を奪うと、テランスは動きを止めた。
「状況をしっかり見極めるのです」
 テランスは男に向かってそう言い、桶の揺れが止まるのを確認してから手を動かした。体の重心を僅かに落とし、少しずつ手繰り寄せるように綱を引いていく。小さな滑車がカラカラと回り、水を湛えた桶が出てきた。
「おー!」
 拍手をして寄越した男に、テランスは桶を手渡した。
「ありがとうよ。これでノウンにどやされずに済む」
 用意していた桶に水を移し替えた男はそう言って笑みを見せた。
「水汲みは、君が?」
 ディオンが訊ねると、男は頷いた。力仕事だからな、と言って井戸を横目に見る。
「クリスタルがなくなっちまったから、まー色々不便でさ。といっても、この村は元々釣瓶井戸しかなかったみたいだけど」
 深々と息をつき、男が続ける。
「ここに流れ着いて、なんとか食えるってのは有難い。それでも厳しいよ、やっぱ。魔法使えなくなったから、用無しみたいなもんだし」
「……そのようなことは」
 ない、とはけして言えずに言葉を濁したディオンに、男が苦笑する。
「あるさ。まあ、ウェイド様はこれから色々教えてくれるみたいだけど、こんなんで何ができるってのか」
 さて帰るか、と意を決したように男は言い、左手をぶるぶると振った。テランスの動きを参考にしたのだろうか、腰を落としてから桶を抱え持った男は「じゃあな」と言ってそのまま去っていった。
「……左手首か」
「ええ」
 見慣れた灰白色を男の左手首に認めた。紛うことなき石化の痕に、思わずディオンは己の腕を擦った。
「ディオン様? まさか」
 痛むのですか、とにわかに気色ばんだテランスにかぶりを振る。大事ない、と言うと、テランスはあまり信用していないような目でディオンを見た。
「本当に、大丈夫だ。石化そのものの痛みがあれ以来ほぼないのは、お前もよく知っているはず」
「そう、ですが」
「古傷のようなものだ。不自由さはあるが、石砂へ還る恐怖は去った。……ベアラー達にもそのことを広める必要があるな」
 魔法が消えたこと。使えなくなったこと。これはもう未来永劫続くのだということ。
 そのかわり、「死」を迎えられるようになったこと。「人」として、生きていくのだということ。それもまた、続くのだということ。
 世界は変わった。戻った、という表現は正しくはない。壊れた世界は作り直す必要があり、それは一朝一夕では為し得ない。世界を作り直しながら「人」のほうも自らが住まう世界に順応していかなければならないだろう。
 偏った常識ではなく、これから育む知恵を手にして生きていく。
「井戸のほうも何かしらの方策を考える必要がありそうだ」
「ミド嬢に訊いてみるのも如何かと」
「それもそうだな」
 話しながら石段を下り、村の入口まで辿り着く。見張り役は既に交代したのか、フォーンではなかった。
「お気をつけて」
 預けてあったチョコボを引き取った二人に声がかけられる。ああ、とディオンは応じ、テランスも頷いた。
 破れた羽根の風車が回る。聞こえるのは、調子外れの歌。
 人の息遣いが、其処にはあった。