Jumping Fish

4

 数日が過ぎた。

 衛士であるジレ──ディリータはベオルブ邸の門衛を務めることが多い。この日もそうだった。
 エイム、ソート、ミケーラといった面々と交替しながら警備にあたるのだが、彼らも含めた衛士達の間に巻き起こっている「くだらないといえばくだらない」争いにも巻き込まれつつ仕事をこなしていた。
「馬鹿ばかりというべきか、目の付けどころは確かだというべきか」
 独りごち、ディリータは口の端を上げた。
 くだらない争いとは、何か。
 それは、一種の賭け事だった。カードゲームをし、その勝敗で配置場所や勤務時間帯を決めていくとのことで──上官がシフトを組むのではないのか、とディリータは疑問に思ったが、「ジレ」である身では訊くわけにもいかなかった。だから、無言で様子を窺ったのだが。
 勝者が望む配置場所や勤務時間帯には、ある傾向があった。
 配置場所で人気があるのは、上官の目があまり届かず、突飛な任務もさほど降ってこない場所だ。それから、屋敷の主であるダイスダーグ卿やザルバッグ閣下などの貴人が使わない場所も。どうやら、出世を望む者は衛士の中にはそういないようだった。
 それと並んでもうひとつ、妙に人気がある配置場所があった。──屋敷の門前である。
 ティータに繰り出した「でっち上げ」の話は、驚くべきことに実は本当の話だった。詰所に近いということもあるにはあるのだが、その理由はまさにディリータが語った言葉そのものにあった。学校への登下校のために鳥車に乗ったアルマとティータが朝夕に通るのを、衛士達は心待ちにしているらしい。
 エイムからそれを聞いたとき、ディリータは耳を疑った。思わず聞き返したのだが、エイムは不思議そうな顔で「追っかけの筆頭が何を言うのやら」と溜息をついてきた。そして、「抜けがけは協定で禁止されてるからな」とも付け加えてよこした。
 ──実は人気があったんだな……。
 妙な感慨が胸の内に広がる。
 三人組や衛士達の反応を見るに、彼らの心を和ませているのはアルマではなくティータのようだった。不審がられるだろうから理由を直接問いただすことはできなかったが、令嬢であるアルマより身分的にも人柄的にも親しみが持てるから、ということはなんとなく伝わってきた。ついでに言えば、「手が届きそうだから」という理由もあるらしく、それについては多少不愉快な気分にならざるを得なかった。
 ……そんなこんなで、勤務時間帯の人気傾向には昼日中と共に朝夕も加わっている。


 車輪の音が聞こえてくる。時間かと思い、ディリータは意識を現に戻した。
 たいして崩れてもいない姿勢を正して門を開けると、程なくして鳥車が通過していく。その鳥車に乗って学校へと向かうティータとアルマを見送るのが、ここ数日のディリータのならいだった。
 早い者勝ちのシフト争いにおいて、「ジレ」は滅法強かった。自分の実力ではない、と一連の結果にディリータは強く思う。
 件のカードゲームは思考力よりも運の要素が強い。それで言うと、配られた手札を見た瞬間に「これはどう転んでも勝つだろう」というものが集まっていることが多かった。何か良からぬものを賄賂としてゲームの親に渡しているのではないかと思ったほどだ。
 だが、イカサマなんてそんなことは誰もしないと口を揃えて言う。故にと言うべきか、ゲームに参加した衛士達はジレの勝ちっぷりに一様にうんざりした顔をするのだったが、ジレのある癖がその「一人勝ち」を彼らに許容させるらしい。衛士達との仲は概ね良好だった。
 その「ある癖」を教えてくれたのはミケーラで、それによれば「ジレはティータちゃんと目を合わせるのも一苦労だからな」ということだった。どうにも非常に奥手なのらしい。
 それに対し、ディリータは腑に落ちるものを感じた。なんとはなしにジレならばそうなるだろう、とこれまで得た情報を総じてみてそんなふうに思いもした。……どちらかと言えば、妹を「ちゃん付け」でミケーラが呼ばわったほうが引っかかった。
 だが。
 ジレの中身であるディリータは奥手でもなんでもない。多分、そのはずだ。それに、右も左も分からない状態から少しずつ抜け出して、ジレへの擬態もまあまあ果たし始めている。同時に「ディリータ」としての呼吸の仕方もできるようになってきた。
 そう思いながら、鳥車に向き直る。令嬢であるアルマに向かって略式の敬礼をしながら、ディリータはティータに視線を投げた。
「あ」
 何か気付いたのか、共に任務に就いていたソートが思わずといった風情で声を上げる。
 ディリータはそれを無視し、ティータだけを見つめた。すると、視線に気付いたのか、ティータもこちらを見た。彼女がそっと微笑んで会釈をしてきたので、ディリータはひとつ頷いて見送った。
 それだけだったのだが。
「ジレ、お前、本当に抜けがけする気か!」
「落ち着け、ソート。任務中だ」
 鳥車が去り、その場の空気が元に戻る。それと同時に鼻息も荒く詰め寄ってきたソートをディリータは軽くいなした。
「落ち着けるか! お前がウブで照れ屋だったからこそ、今まで誰も何も言わなかったんだぞ。ティータちゃんのことだって、追っかけるだけで成就しないだろうから「本命」にも挙がらなかったんだ」
「本命……」
 また賭け事かとディリータは半ば呆れた。ここの連中は娯楽に飢えているらしく、カードに始まり、大小様々な人間関係の今後の推測を当てたりもし、挙句には次に生まれてくるチョコボの色を当てるなんてことも賭けの対象にしている。その意味で言えば、これも「人間関係に関する賭け事」なのかもしれない。
「そうだよ。それでなくたって、ティータちゃんのファンは多いのに……こりゃ血を見るかもな。決闘になるかも」
「だったら、どうして誰も話しかけようとしない?」
 勝手にこの先を推測しだしたソートをディリータは遮った。それは、先日の食堂での騒ぎからずっと感じていたことだった。
 あの日、妹は食堂でひとりだった。傍には誰もいなかった。
 翌日から今日まで、この門以外でも彼女を所々で目にした。使用人の手伝いなのだろう、野菜を詰めた籠を持っている姿も遠目に見た。勉強だろうか、中庭で本を開いていることもあった。
 その殆どが、ひとりきりの姿で。
 ……そんなことは、考えもしなかった。
「どうしてって……お前が訊くのかよ。本当、ここ最近どうかしてるぞ? まるで、記憶喪失にでもなったみたいだ。口調も変だし」
「そうかもしれないな」
 奇妙そうに言うソートにディリータは笑ってみせた。
「この前、鳥から落ちて頭を打っただろう。どうも、あれが良くなかったらしい。そのうち治るとは思うが」
「えええ……マジか。そういうことは早く言えよ!」
 仰向いたソートを眺めながら、ディリータは肩を竦めた。心配してくれる仲間を持っているジレは幸せな奴だと思う気持ちもあったが、ソートの心配はとりあえず無視して話の先を急ぐ。
「……そんなわけで、今の俺は色々な情報が頭から抜け落ちている。教えてくれ、あの子がいつもひとりでいるのは何故だ?」
「それは……」
 ディリータの問いに、ソートは口ごもった。表情もどこか浮かない。
 言いにくい何かしらの事情がある、とディリータはソートの様子を見て確信した。……あの頃も、そして、今もどこかしらで目を背けていた「現実」がおそらくは妹にも起きていたのだろう。
 違和感。自分が何者なのか、はっきりとしなかったあの頃。
 疎外感。貴族などでは勿論ないが、平民とも見られなかったあの頃。
 宙に浮いたままの自分を、見て見ぬふりをしていた。ディリータはそう思う。少なくとも自分にはそんなふしがあった。はっきりと自覚したのは、妹が攫われた後──そう、彼女自身には何の価値もないのだと言外に告げられたとき。
 妹はどう思っていたのだろう──。
「……ほら、ティータちゃんは微妙な立場だから」
 やがて、ソートは呟くように言った。
「手が届きそうだって思ったりもするが、マリエッタやフィオナみたいに本当に手が届くわけじゃない」
「……」
 知り合いの下女を例に出して言ったソートに、ディリータは黙り込む。
「アルマ様の側仕えってわけでもない。ダイスダーグ卿やザルバッグ閣下だって何らかの意図があって彼女をああしておくんだろうし……。改めて思えば、ティータちゃんは何なんだろうな」
 何なんだろう、というソートの言葉はディリータの胸をも穿った。
 ──何者でもなかった自分達。
 思えば、自分達の不可思議な境遇について妹と話し込んだことはなかった。拾われて衣食住に不自由なく過ごせることを喜んだこともなければ、不安定な立場を嘆いたこともない。はっきりしない未来を憂えて語り合ったこともない。
 そうこうするうちに自分はラムザと共に士官アカデミーに入った。将来には彼の右腕となることを期待されていたが、今となってはそれが本当だったかは分からない。……ただ、妹よりは「揺らがない未来」があったと思う。
 対して、妹は。ティータは。
「ティータは……彼女は、物じゃない。その辺に転がる石くれなんかじゃない」
「……そりゃ、そうさ」
「だが、光り輝く宝石でもない……透明な、硝子のような存在だ」
 透き通るそのさまは、まるで空気のように感じられてしまうような。
 力を加えればあっという間に砕けてしまうような。
 他の力を得なければ──利用されなければ、何者にもなれないような。
 そんな、存在。
「悲しいな」
 言葉の意味を自分なりに汲み取ったのか、ソートが溜息をついた。
「悲しいと嘆くのは簡単だが、たぶん彼女はそうしないだろう。だからこそ」
 だからこそ、彼女の代わりに立ち上がらなければならなかった。彼女を守らなければならなかった……。
 その先は流石に言えずに、ディリータは途中で言葉を切った。姿勢を戻して正面を見据えると、あることに気が付いた。
「ジレ? おい」
「……誰か、来る」
 会話を打ち切った同僚をソートが睨んできたが、ディリータは意に介さなかった。目を凝らすと、こちらへ向かってくる人影が見えた。
 いずれも鳥を引き連れている。その人影は──三人。
 ああ、とディリータは瞑目した。
「ああ、ラムザ様とディリータだな。となると……レイラ!」
 ディリータの視線の先を追い、ソートが頷く。ちょうど交替にやって来た同僚を呼びつけて奥への伝令を頼む彼の声を、ディリータはどこかぼんやりと聞いた。
 目を開け、近付いてくる少年達を見定めるように眺める。
 まだ何も気付いていない少年達の行く末を思い、今はただ。
「……ん? 一人多いな?」
 ぎり、と思わず奥歯を噛みしめたディリータの横で、ソートが首を傾げた。
「見かけない顔だ。御学友……でもなさそうだな」
「……ああ」
 不思議がるソートに、ディリータはただ頷いた。
 やがて、少年達はベオルブ邸の門の前に立った。敬礼と共にソートがひとりの少年に「おかえりなさいませ」と言う。同じように敬礼をしながら、ディリータは旅装の三人を見やった。
 本人の意思はさておき、ぎこちなくも貴族然とした振る舞いをする少年。
 その斜め後ろには、状況を見守っている少年。──若き日の自分。
 さらにその後ろには、勝ち気そうな表情が隠しきれない少年。
 いずれも、今の自分から見れば彼らは全員「雛」だった。尻に殻を付けたままで世界を見始めた、世間知らずの少年達。
 ソートの言葉に、少年ラムザが頷く。そうしてそのまま入っていこうとする彼を慌てた声で引き止めたのは、やはりソートだった。
 彼らを前にして、ディリータは何もしなかった。ソートがちらりとこちらを窺ったが、何もできなかった。名状し難い感情を抑え込むので精一杯だった。
「そちらの方は……」
 次いで、ソートは「見知らぬ少年」に目線をやった。
「ああ、彼は僕の……新しい友人だ。兄上は、いや、ダイスダーグ卿は?」
 どう言い表そうか迷った末に「友」と言ったラムザの言葉をソートは疑わなかったようだった。そうですか、と頷き、問いに答える。
「先程、城に向かわれました。お急ぎの御用でしたら、向かわれたほうがよろしいかと」
「分かった。後はハンスに聞くよ」
 家令の名を挙げて言うと、ラムザは自邸に入っていった。それに少年二人が続く。
 ディリータは彼らを横目で追った。
「……友人?」
 少年達が見えなくなってから、ぼそりとソートが呟く。今更ながら首を捻る彼に、ディリータは言った。
「ランベリーの一兵卒だろう。いや、騎士見習いといったところかもしれん。徽章を付けていた」
「よく見てたな、ジレ」
「……まあな」
 ディリータは適当を装って頷いた。だが、頭の奥では割れるような響きで警鐘が鳴り渡っていた。視界がゆがみ、呼吸が次第に浅くなる。
 ──今度は、守れるだろうか。このよく分からない世界で、彼女を。
 早まる鼓動を自覚しながら、ディリータは呻いた。


 そして、時は動き出す──。