第1回畏国縦横無尽ウルトラクイズ

第2チェックポイント・オーボンヌ修道院の近くの砂浜

「こうしてみると、結構僕たちが知らないところってあるんだねえ」
「まあなあ。いっつもピンポイントで歩いてるもんな。こんなふうに連れ立って歩くこともあんまりないしさ」
「そもそもおおっぴらに歩くこと、あんまりないしね」
「……なんだか話してて虚しくなる会話だな」
 オーボンヌから少しばかり離れた砂浜。
 次の目的地にてクイズの整備を待ちながらぼんやりと話すラムザとムスタディオである。
 イヴァリースの夏は短い。空は既に高く、雲は微妙に灰色がかってラムザ達の上にある。鈍く光る波を見て、いつになくはしゃいでいるお姫さまを遠目に見ながらふたりは頬杖をついた。
「だけどさ」
「ん? 何だ、ラムザ?」
「何でスタッフの人たち、スコップなんか持ってるんだろうね?」
「……さあ?」
 

 そんなこんなでオーボンヌである。
 そして砂浜といえば、勿論あれである。
 
 ○と×。見慣れた文字が砂浜にそびえたっていた。
「……多少のことではもう驚かないつもりだったが、奴らのやることは俺にはよく理解できんぞ」
 オヴェリアに付き合い、半分ほど海坊主と化しているディリータは溜息まじりに呟いた。彼の──いや、彼らの目の前にどどんとそびえているのは巨大な「○」と「×」。その先が見えないほどのでかさ加減である。
「面白いこと考えるねぇ」
「感心しすぎだ、お前は」
「さてっ!」
 ふむふむ、と好奇心で目を輝かせんばかりなオーランに適当なツッコミをディリータが入れたその時、例によって例のごとく、マメコウのやたら元気な声が響いた。薄手のパーカーシャツに短パンという軽装はいかにもマリンルックといった具合で妙に似合っているといえなくも……ないかもしれない。
 さらに例によって例のごとくの前フリのあと、マメコウはじゃじゃーんと目の前の○×パネルを指差した。
「ここでのクイズは簡単! 今からおひとりずつ○×クイズに答えていただきます。正解と思われたほうに走って行き、そのままばばーんとパネルを蹴破ってください!」
 では、と最初の回答者を物色しはじめたマメコウから視線をはずしたディリータは、偶然目があったラムザと同じ方向に首を傾げた。
 どちらも、それだけか?と言わんばかりである。
「きっとそれだけじゃないよねぇ……」
「最初の奴がどうなるかを見届けんうちにはわからんな」
 だがしかし。
「まずはディリータ・ハイラル殿にやっていただきましょうっ」
「……」
 ディリータの額に一筋の汗が流れた。
「うわ、最初の奴だ。がんばれーディリーター」
「呑気すぎだ……ラムザ」
 やんややんやと無責任にはやしたてる参加者やらスタッフやらを軽く睨みつけ、ディリータは○×パネルの前に進み出た。○×パネルは大体二十歩ほど離れたところでどどんとそびえている。
 その先には何が待っているのか。それはやはり誰にも分からない。
「おっかない顔してますねえ。緊張してますねえ」
「……そんなことはないさ」
 小声で話しかけてきたマメコウに、ディリータは溜息まじりで答えた。緊張はしていない、と思う。少々上がった心拍数も、妙に腕を振りたくなるのも、けして緊張しているせいではない。……はずだ。
 ラムザのそばにいるムスタディオとやらとは正反対で、自分はこんな余興にむきになったりはしないのだ。
 ふー、と思い切り深呼吸をしながら何やらぶつぶつと呟いているそんなディリータを見て、くすりと笑うと、マメコウは今一度参加者とディリータに向き直った。出題カードを取り出して「さあ!」と一呼吸置く。
「……」
「準備はいいか!? では、問題!」
 ざわめいた話し声もやみ、打ち寄せる波の音だけが砂浜に響く。
「問題。『酒場にミルクはある。○か×か!!』」
 マメコウの出した問題に、ディリータは無言の鉄仮面で応えた。
 ──が、内心はどうしようもなく焦っていた。有体に言えば、分からない、のである。
(酒場にミルク!? そんなの聞いたことないぞ!)
 これが彼の本心である。
 酒場を訪れたことがないわけではない。色々な噂が集まってくる酒場は、貴重な情報源だ。そのため、ここにいる誰よりも多く酒場には足を運んでいたはずなのだが──しかしいつも生ビールを頼んでいたのでミルクの有無など気にもとめていなかった。
(チーズはあるだろう。でもミルク……ミルクは……どうだ?)
 どこか遠くの一点を見つめながら、しかしあくまで平静を装うディリータ氏を端から眺め、ラムザは溜息をついた。
「残念だったねえ、ディリータ」
「何がだ、ラムザ?」
 聞きとがめ、訊ねてきたアグリアスにラムザは苦笑する。たぶん自分のパーティであれば誰もが勿論知っていて迷うことなく「○」に飛び込むだろうこの問題を、あろうことか幼なじみは分からないのだ。それもこれももうすぐ酒場デビューかという頃に別れたのだから、この場においてはまさに自業自得といったところかもしれない。
 簡単にいえば、このディリータ、ラムザが酒場ではいつもミルクを頼むのを知らなかった。
「さてそろそろタイムリミット! さあ飛び込めー!」
 急かすマメコウを横目で見、ディリータは再度深呼吸をした。そして自分が思い定めた答へと走っていき──。

どぼん!!!

「な……。な……ッ?! 何だこれはーー!?」
 僅か数瞬後、「×」と大きく書かれていたパネルは蹴破られ、その向こうに海坊主ならぬ「泥坊主」と化したディリータがいた。
「ぎゃっ」
「ディリータ!」
「お、泥も滴るいい男ってやつだな」
「……滑稽ね」
「そうかードロンコプール作ってたのか!」
「やーい」
 パネルの向こうは、スタッフが練りに練り上げたドロンコプールだった。
「正解は○! 次代の英雄が泥に沈んだッ!」
 妙に嬉々として説明するマメコウの言葉を他の参加者達はやはり同じように嬉々として、そしてディリータばかりが呆然として聞いた。軽く泥の海をかき、思いがけずくらった屈辱に、しかしいつものようにヒステリーを起こすこともできない彼の姿はまさに哀れという言葉のみで言い表される。
 しかもあまりに勢いよく飛び込んだものだから、頭の先からつま先までオール泥という素晴らしさで敗者席に佇むはめとなった。
「ディリータ、大丈夫……?」
「姫様、近寄ってはなりません。お召し物が汚れます」
「ひどいぞ、バルマウフラ……」
 想い人の暖かい言葉にほろりとした直後に、部下であり戦友でもある同僚の言葉に思わず恨めしげに見上げたディリータであった。


 が、しかし。
 当然この泥の海に飛び込んだのは、彼ばかりではなかった。機内、もとい学内ペーパーをクリアした三十五名のうち、実に二十二名が泥の藻屑と消えたのである。
 泥に頭からつんのめった者、泥に落ちるまいと空中でもがいた後落下した者、パネルを壊して嫌な現実を見てしまい、回れ右したところをスタッフに蹴り落とされた者等々……そのたびに笑いとバンザイと悲鳴が砂浜に響き渡った。
 ──そして夜。
 泥を落とした敗者たちは恨めしげな顔をして勝者が眠る宿舎へと向かう。手に手に持つのは、なぜか表が○で裏が×と書かれている枕だった。