Salute

 白っぽい青空が続いている。
 のろのろと足を上げ、そして下ろす。地を踏みしめるたびに、足裏にできた肉刺が潰れていく感覚が届く。
 風に嬲られながら、あまねく降り注ぐ陽に白っぽく輝く地を──先を見据える。時に霞んでしまう目を叱咤しながら、散らばりかけた意識を繋ぎとめる。
 回想という名の短い書を閉じ、オリナスは軽く咳き込んだ。ひりつくような喉の痛みに顔を顰め、鞄から皮袋を取り出す。
 口に含んだ水はぬるかった。
 水だ、と思う。塩気などどこにも混じっていない、ただの水。数週間前に己がいやというほど、飲んでいた──飲んでいたらしい海水と、今手にしている水は、無論全く異なるものだった。
 ──あのとき、あんなに水を飲んだのに。
 栓をし、袋を鞄にしまいながらオリナスは苦く笑った。……深い水底に沈んだはずなのに、身体がすべて海となってしまうほど水を飲んだはずなのに、何故か自分はこうして今、荒野を渡っている。
 「運が良かったな」と自分を波間から引き上げた男はそう言い、笑った。戸惑いながらも慣れぬ言葉で場所を聞き、咄嗟に日々の糧を稼ぐ手立てを聞いた。嘘をついた。
 何故、そう訊ねたかは今でも分からない。分からない、とそう思う。楽になりたいと願って海に身を委ねたはずなのに、覚めぬ夢を求めたはずなのに、生きることを何故選んだのか。
 そうした日々の末にこうして歩くことを選んだ、その理由は。
 だが、それはおそらく既に自分の中に息づいているのだろう。それを見て見ぬふりをしている……避けることができればと思っている。そうして分からないと小さく叫んでいる。本当は分かっているにも関わらず、だ。
 一歩、そうしてまた一歩。
 歩みの果てにあるものが、己の求める答であることを願って。そして、水底に沈むことのできなかった己が命の使い立てが──今、目を背けているそれであることを願う一方で、違うものであることもまた、願って。
 一歩、そして一歩。
 ただ歩くことのみに集中していたオリナスは、それで気が付くのが遅れた。
「──」
 何か黒いものが目の先を高速で横切ったような気がして顔を上げてみると、その先にもまた黒い影が過ぎった。
 オリナスは目を見張った。そうして立ち竦んだまま──それ以外本当に、何も思いつかなかったのだ──「それ」の放つ視線に射抜かれた。
 黒く、大きな鳥だった。自分を獲物と見定めたのだろう、ゆうに数歩分はあろうかという翼を羽ばたかせ、ぎらつく両眼で己を捉えながら、いつのまにか鳥が上空を旋回している。
 陽光を跳ね返したのか、鋭い嘴がギラリと煌めく。
「……ッ……」
 真っ白になりかけた頭を振り、腰に手をやる。数日間の労働で得た代価はそこにあるはずだった。旅装を調えるため入った道具屋の店主が「これくらいはもっとかないと」としつこく勧めてきた短剣が。
 訳知り顔の主人はしげしげと自分を見つめて「本当なら」と言った。「剣も使えない、黒魔法も……そんなに使えるようにはどうも見えんな。そんな人間が旅をするってんなら、護衛のひとりでも雇わねばならんのだがね」
 何と返したのかは覚えてはいないが、短剣だけをただ買い求めた。役立てるつもりもなかった──そんな状況に追い込まれたならば、今度こそ覚めぬ夢に入り込んでしまえばいい。ただそれだけのことだと、多分そう思っていた。
 奇声をあげ、鳥が急降下する。抜けぬ短剣を諦め、オリナスはすんでのところで彼奴の嘴をかわした。
 背中を冷たいものが伝う。瞼の裏が不自然に白くなり、頭が膨張したかのような感覚が襲う。乾いた口唇を湿らせる余裕も、咄嗟に地についた手の汚れを落とす余裕もない。
 鼓動が止まりかけ、そして次の瞬間大きく跳ねる。干上がった喉から音にならない詠唱が零れ、意味をなさずに地に落ちる。
 それでも目は鳥から──自分の命を奪おうとするものから逸らすことができない。逸らすこともできず、逃げることも戦うこともできず、そして竦んだ身体を叱咤することもできず。
 獲物を逃した鳥が怒りの叫び声を上げる。その狂声を耳にしながら、彼奴が再び急降下しはじめるのをオリナスはただ見ていた。
 ──ここで終わる。ここで、結局ここで終わる。
 
 鋭い破裂音が、そのとき響いた。

「!?」
 耳障りな鳴き声すらかき消してしまうほどの轟音に、オリナスは我に返った。
 自分の目の前から鳥は唐突に姿を消していた。あの鳴き声も、羽音もなく、まるで魔法を使ったかのように。
「──」
 勿論、消えたわけではない。その証左に視線を動かすまでもなく、先刻の鳥が地に転がっているのが見てとれた。何の力によるものか翼と腹が抉られており、絶命したことが一目で分かる。
「おーい、大丈夫か?」
「……あ」
 背後からかけられた声にオリナスは振り返った。目の前の凄惨な状況に似合わぬような、のんびりとした声だった。
「あ、大丈夫のようだな」
「間一髪というところでしたね」
 ともに安堵の表情を浮かべ、二人の男がこちらへ歩み寄ってくる。
 オリナスは一歩引きかけ、しかし踏みとどまった。おそらく助けてくれたのは彼らなのだろう、せめてその礼くらいは言うべきだと内心で思う。……それ以上の接触は避けなければならないが。
 そう思いながら、近づいてくる二人を改めて見やる。
 少し変わった風情だ、とオリナスは感じた。二人は普通の旅人のように見えて、全く──少なくとも、オリナスが今まで見てきた旅人たちと比べるかぎり──雰囲気を異にしている。何が、と具体的に言うことは難しい。あえて挙げるとすればそれはやはり、気配ということになるのだろうか。
 彼らは旅慣れている。否、旅に慣れているのではない──戦い慣れている。このような状況に何も考えずとも的確な行動を選び取れる、そんな類の者達だ。
「危ないとこだったな。ま、無事でよかった」
「あ……ありがとうございます」
 一方に平易な口調で話しかけられ、オリナスは慌てて礼を述べた。その言葉に、見た目通りの気安さで男は気にするなと手を振る。
 男もまた、旅装だった。邪魔にならぬよう束ねた金の長髪。質素に見えてその実、質のよさげな外套、そしてその外套から覗く銀の留め飾り。
 「マイスター」。その留め飾りを帯びている者はそう呼ばれる存在なのだと教えてくれたのは、ウォージリスで自分と話した誰だったろうか。
「怪我は?」
 他方の問いに、オリナスは無言で首を横に振った。ありません、と開きかけた口をそのままにして、そうして近づいてきた青年を見る。
 先に話しかけてきた男の軽装とは異なり、青年は皮鎧を身に纏っていた。その上から羽織った外套を徽章で留めている。おそらく名のある剣なのだろう、腰には細かい紋様を入れた片手剣を下げていた。
 甲冑に浮かぶ──そして、徽章に掘り込まれた紋章に見覚えがあった。
 記憶が正しければ、また、かつてパラントが己に寄越した本の記述が正しければ、その紋章はこの地を守る騎士団のもの。
「ライオネル……聖印騎士団の、方ですか」
 考えはいつのまにか口から漏れ出てしまった。
 目の前に立った青年が軽く片眉を上げる。いかにも、と頷いてみせる表情の中に探るような気配があった。
 その様子に、オリナスは己の失敗を悟った。何もわざわざ確認する必要などない。この地に住まう者ならば、紋章を見ただけで彼が何者であるか分かることだろう。それはもうひとりの男についても同様だ。そして紋章など知らぬ他国の者であれば、少なくとも荒野をひとりで渡るなどという愚かな選択はしない。不案内な土地で──自分のように無謀な真似は。
 故に、男達は自分を目の前にして顔を見合わせた。そうして揃って再び自分を見やる。
「……」
 まさか、気取られた──?
 胸に過ぎった思考に顔が強張る。視線を逸らすこともできずに、ただ眼前の大人二人を見つめ返すのみ。
 まさか、とは思う。あんなに短いやり取りと観察のみで、何者か知ることができる者などそうはいないだろう。ましてや、自分の今の姿を知る者など、少なくともこの国にはいないのだから。
 未だ沈黙を貫く風情の二人の前でオリナスは誰にも聞こえぬよう、考えすぎだ、と小さく呟いた。そう結論付けたかった。
「そ。こう見えてもこいつは騎士団の人間だったりするんだよな。まあ俺は違うけど」
「……は、はあ」
 そんなオリナスの心の内を知ってか知らずか、「マイスター」が親指で青年騎士を指しながら明るい口調で補足するようにそう言った。
「こう見えても、ってムスタディオ殿、それは酷いですね」
 ムスタディオという名であるらしい「マイスター」の妙な紹介に、青年騎士が苦笑する。
「ん? 気にするなコリン、言葉のアヤだ」
「どんなアヤですか。……ああ、すまない」
 騎士の言の後半と視線はオリナスに向けられた。徽章へ刻まれた紋章に驚いた拍子に開けたままだった口を慌てて閉じる。
「……今回はたまたま通りがかったから良いものの。君のような少年がひとりで旅をするには、まだここは危険すぎる」
「……」
「まあな。お前さんが持ってるのってその腰の短剣だけだろ? それであの鳥仕留めるってのもちょっとホネだもんな……武器屋の親父に何か言われなかったか?」
「……」
 咎めるような響きを帯びた騎士の言葉にも、その後を引き継いだムスタディオの問いにもオリナスは答えなかった。それを見て、再び二人が顔を見合わせる。
 心を許すわけにはいかない。彼らが何者か、自分はまだ知らない。それ故に。
 そう思いながら、同時にオリナスは己の未熟さ、不甲斐なさを呪った。無言を貫かなければ襤褸が出てしまうことにも、そもそもこうして見知らぬ者と会話をする必要が生じてしまったことにも──否、余裕がない、そのこと自体に腹が立った。
 薄い氷の上を歩いているようだ、と思う。そうしてまた別の心が、そんな氷など割ってしまえばいいと言う。そうすれば、鳥に襲われるまでもなく、暗く冷たい水底へ沈めるのだからと。
 その感情は、いっそ醜悪。
「ふーん……」
 一言も答を返されなかったムスタディオが、何に感じ入ったのか数度頷く。手にしたままだった銃を腰元のホルダに収め、丁寧に釦で留めた。
「ま、答えにくいことか。旅、初めてなんだろう? どこへ行くんだ?」
「……ルザリアへ、白魔法を学びに」
 用意していた答を慎重に告げる。答を取り繕ったとは思われぬよう、意識して間を開け、平静を装う。
 告げること自体はさして難しいことではないとオリナスは思う。「答」は自分にとっては、けして「嘘」ではないのだから。
 「いつか」──幼い時には漠然とそう思っていた。「いつか」魔法を学びたいと……学ぶために「外」へ出たい、と今となっては懐かしくなってしまった岬の城でそう思っていた。
 ただ、場所が変わってしまっただけ。そうして、実現したいと願うのではなく、言い訳に利用すると決めただけ。
 積み重ねた想いの果てにあるのは、別のものであると気が付いただけ。
「そうか。そりゃ大変だな、まだ遠いし、これからも今みたいなことあるだろうしな。ああ、コリン。何か丁度良いのってないか?」
「え?」
「そうですね……」
 思案げに「コリン」が顔に手をあて、考える素振りを見せる。だが大して悩む風情でもなく、逆に彼はムスタディオにひとつの提案を繰り出した。
「普段使いの剣でもいいのですが、確実性に欠けますからね。慣れぬ者が扱うのは危険です。それよりも、小ぶりの銃の方が」
「ああ、それもそうか」
 大きく頷き、ムスタディオは再び腰のあたりに手をやった。そうして先刻とは別のホルダをそれごと抜き取ってしまうとオリナスに突き出す。
 ──展開が読めない。
「ほら」
「え、あの……」
「あと、これもか。使い方は多分何とかなるだろ。威嚇に使え」
 肩にかけた鞄から出された数個の筒は、銃に込める弾丸を入れたもののようだった。
 ホルダから覗く銃身も、この弾丸にも見覚えはある──かつて、自分が暮らしていた国は銃の生産が盛んだったから──が、手にしたことはない。
 それをムスタディオは突きつけて寄越した。抱えきれずに思わずあたふたと持ち直したオリナスに、また別の包みが投げて寄越される。
「これもかな」
 横から声が降ってくる。騎士の声だと認識しながら、オリナスは彼が投げてきた包みを眺めやった。
 ──薬草の仄かな匂い。その割には、袋は不自然に重い。まるで……そう、まるで路銀が入っているかのように。
「こ、こんなのいただけません!」
 まるで、ではなかった。かすかに耳にした硬い音がそう確信させ、オリナスは紅潮させた顔を勢いよく上げた。彼らの行動理由は分からない。分からないが、行きずりの関係で施しを受けるわけにも、つもりもない。そこまで零落れたと思いたくはなかった。
 だが。
 そんな自分に、ムスタディオは分かっている、と言いたげな表情で笑みをつくった。そうして自身が無理やり渡した銃と傍らの騎士が投げた包みを握らせる。
「あんまりごちゃごちゃ考えなくても良いさ。俺の余計な世話焼き、そう思ってくれればいい。こんな見るからに」
「……」
 言葉を切り、ムスタディオが一瞥するようにオリナスを眺め回す。何かを言いかけ、だが、彼は別の何かに言葉を求めたようだった。
「……こーんな見るからに旅慣れてませんってな坊主を見て見ぬふりなんかしたら、後で夢見が悪そうだ」
「……。……あり……ありがとうございます」
 礼を言うほかない雰囲気で、オリナスはようやくそれだけを口にした。まだ解せぬことは多い──むしろ、そればかりだ──が、彼らとこれ以上会話を続けるわけにはいかなかった。
 おそらく、彼らは薄々ながら、察している。
 大したことはないさ、と笑うムスタディオと、隣で佇むコリンに再度礼を言うと、オリナスは背を向けた。
 それならば、彼らが完全に気付く前に──あるいは。
「ああ、それから。白魔法、学ぶんだったらルザリアじゃないぜ? ルザリアは王都。魔法はガリランドだ。覚えておいても損はないはずだ──ロマンダの少年」
 最後にそう投げかけ、機工師は片目を瞑ってみせた。その言葉に反射的に振り返り、オリナスはぎくりと身を竦ませる。
 ──あるいは、彼らがそ知らぬふりをしてくれている間に。
 竦ませた身のまま、オリナスは彼らを肩越しに垣間見た。だが無論、自分のような未熟者に、すべてに長じた彼らの思考など読み取れるわけもなく。
 ──その間に。
 数瞬の逡巡の後、オリナスは自分の行く先に向き直った。そうしてその場に佇む二人の視線を感じながら、少しばかり慣れた荒野へと再び歩み始めた。

「……やれやれ」
 少年の姿はもう点ほどになり、目を凝らさなければ見えぬようになった頃、少年を見送っていたムスタディオはようやく緩く息を吐いた。一体何に疲れたのだろうと自ら思いながら、肩をぐるぐると回し、首を鳴らしてみせる。
 疲れたといえば、疲れたとそうして思う。疲れたというべきか、あんなに緊張したのは久々だ、と彼は苦く笑った。
 それは本当に偶然のことで。
 ライオネルの城を辞し、家への帰途半ばだった。昔に比べて魔物の出現も減ったな、などと所用のついでに護衛役を買ってくれたコリン──「こう見えても」ライオネルの騎士団の副団長──と言い合っていた最中に、少年と行き会ってしまった。
 図体が大きいばかりの怪鳥は、さして難敵というわけでもない。少々旅慣れていれば難なく追い払うこともできるその鳥は、少年を嬉々として追い詰めていた。身を守るすべを何ひとつ持っていないと、鳥でさえ気付くほど無防備である少年を。
 頭で考える前よりも先に、手が動いた。護身用に携えた銃を構え、騎士に目配せをした。
 久々に放った銃弾は、一発。
「ああしてみると、本当にそっくりだな」
 少年が去っていた方向とは別の方向に歩き出し、ムスタディオは呟く。
 確かに噂はあった──亡命した先の王子が王権を奪取すべく近いうちに帰還するという、時を経れば必ず出てくるようなそんな噂は。無論、あくまで噂であり、小耳に挟んだ時もまるで本気にしていなかったのだが。
 遠目にも分かってしまった。少年が呆然とした表情で振り返った際に、「彼」であると。
 少年の纏う気配が、「彼」であると。
「……似ていますか、やはり」
 ふと隣を見ると、興味を多少含ませた瞳でコリンが訊ねてきた。風にはためく外套をうまく流し、並んで歩く。
 知悉した気配ではないながら、気付くところはやはりあったのだろう。既に彼が「彼」であると認識した上で話を進めるコリンにムスタディオは頷いた。
 あの気配を知ったのはもう幾年も前のことになるのだろうか。それでもやはり覚えている。忘れてしまってもおかしくはなかったが、何故か覚えている。
「そうだな、やっぱり──顔が似ているってわけじゃないと思うが、心の、気持ちのありかたが──あの姫さんにちょっと似てたよ」
「そうですか……」
 懐かしい、と少しばかり思った。
 「彼」が持っていた気配……空気。それは、己が少年時代に出会った王女のものと確かに似ていた。故にすぐに彼が「彼」だと、気付く前にそう感じた。
 上に立つ者でありながら、本能がそれを拒んでいる──そんな気配。悪くすれば、他者に翻弄されてしまうだろう弱さを含んだそれ。
 少年の場合はどうだろうか、とムスタディオは思う。かつての彼女のように庇護される道を選び、その末に運命と他者に翻弄される人生を送るのか。揺らした瞳のまま、思考を停止させ、己の不幸を嘆くのか。それとも別の人生を生きるのか。掴むのか。
 そもそも、彼は何故。
「……それにしても、何故ひとりで」
 似たようなタイミングで、思考の帰着を問いという形にしたコリンが首を傾げる。そうすると少し若く見えるな、と傍らで歩きながらムスタディオは思い、幾つかの可能性を思いつくままに彼に提示した。
「一、単独で王権奪取。二、恨みある国王を暗殺。三、言っていたとおり魔術の勉強をしに。どーれだ?」
「……三番以外どれもこれも物騒ですね」
「四、王城で働いているきれいなお嬢さんをゲット」
 どこまで本気なのか、といった風情で溜息をついたコリンに、ムスタディオは軽く肩を竦めてみせた。
 どの選択肢を選んでいようと、そして、全く別の目的でこの国に「戻ってきた」のだとしても、少年がひとりであんなふうに荒野を彷徨っていること自体が不自然だ。亡命したとはいえ──否、それでこそ支援者の存在は不可欠だ。多いとはいえないだろうが、それらの者と行動を共にするであろうし、少年が仮にそれを望まずとも彼らが少年を離すわけがなかった。
 それなのに、「彼」はひとりで。
 ついに足を止め、ムスタディオは振り返った。そうして少年が歩いていった方角を眺めやる。
 おそらく、少年は北を目指した。
 魔法を勉強するためにではなく。別の、目的で。もっとも、彼自身まだ迷っている様子だったが……。
「とりあえず、鳥を飛ばしておきましょう。それからのことは、また改めて」
「……そうだな、それでいいだろう。あとはあいつ次第だ」
 どう動くのか。推測はできるが、実際のところは自分達には分かり得ない。分かったところでどうすることもできない。それならば、分かり得る者へ知らせるのが得策だ。
 ピィ、と鋭く響く指笛の音を聞きながら、ムスタディオは鳥の姿を探して空を見上げた。
 少年はどう動くのか。そうしてあの男はどう動くのか。──それで、時代が変わる。

 時代が、世代が、坂を転がるように。あるいは、緩やかに。