#05 四日目

 朝。
 出しっぱなしにしていた便箋に一文だけを記し、ディオンは自室を出た。


 衛士が謁見室の扉を開く。重々しい音が響き終わると、衛士はディオンに入室を促した。
 謁見室に足を踏み入れ、一礼をとった。重臣が連なるなか、まっすぐに御座を目指して歩を進める。重臣達が向けてくる視線は常より鋭いものだったが、ディオンはそれに取り合わなかった。
 空の御座を見つめ、定位置で留まる。再び礼をとって膝をついたディオンは、神皇と神皇后の来臨を待った。
 後ろで、臣のひとりが咳払いをする音がした。ざわめく者はなく、彼らは視線だけでディオンを貫いていた。
 そうして待つこと、暫し。
 やがて、侍従長が「お出まし」を告げた。神皇とその一族のみが通ることの許される扉が開き、シルヴェストルとアナベラが現れる。臣達が礼をとる衣擦れの音がさざめいた。
 ディオンもまた、深く礼をとった。
「――まずは、現況を報告せよ」
 常の流れを飛ばし、シルヴェストルはディオンに言った。は、と答え、先日より始まった合同軍事演習について説明する。演習の模様は、日の午前と午後に分けて文使いの鳥によって報告が為されていた。最新の報告は昨日午前のもの。今回の主目的である二隊に分かれての大規模演習の報だった。
 ディオンの報告を、シルヴェストルは流し聞きしているようだった。片肘をつき、興味なさげにディオンを眺めやっている。
「お前が出向かなかった、その理由は?」
 一通りの報告を終えたディオンに、シルヴェストルが問うた。
 問いは、おそらくこの後に続く下問の内容に繋がる、とディオンは思った。合同軍事演習の企図自体は既に正規軍経由で神統府にも伝達済みだ。神皇も元老院も、そのほかの主だった臣達も承知済みのはず。演習許可の書状に記された神皇の署名を、正規軍の軍団長と共に確認していた。
「此度の演習は、皇国正規軍と聖竜騎士団の連携確認を主としています。また、指揮系統に乱れが起きた場合を想定した訓練も兼ねています。そのため、指揮官を敢えて不在としました」
 故に、軍団長も合同演習には参加していない。正規軍副長と聖竜騎士団の各部隊長および親衛兵長――テランス――が合同演習を率いている。
 皇国軍の指揮系統は若干複雑だ。正規軍と聖竜騎士団の二軍が存在している現状、これをどう見るかは人によって異なっている。名目上は正規軍の中に聖竜騎士団を内包している形になってはいるが、精鋭部隊であり遊軍でもある聖竜騎士団は、言ってしまえばディオンの私兵だ。危うしという声が複数聞こえてくる現況、あくまでも正規軍と連携して動くのだとアピールする必要があった。
 正規軍の軍団長が総指揮を執り、有事の際は副長がその任を継ぐ。ディオンが正規軍の指揮を執ることは表立っては想定されていない。「有事」の戦況ならば、バハムートが戦力の要となる。
 本日の演習報告が届く明日には、軍団長と演習の結果を協議する予定となっていた。『案外、忌憚のない自由な発想が生まれるかもしれませんな』と軍団長は言っていたが、どうだろうか。
 さらに、演習の目的は他にもあった。これを告げれば、シルヴェストルは尚更「何故、此処に?」と問うと思われたので、ディオンは敢えて伏せた。企画書に記した「バハムートの攻撃の際における自軍の散開演習」には触れずにおく。
「そのような訓練など、必要とも思えんが」
 やはりシルヴェストルは、つまらなそうに言った。
「しかし――」
「敵兵がどれほどいようと、バハムートには勝てん。小手先で戦況は変わるまい」
「小手先……」
 分かってはいたが、それでもディオンは絶句した。戦における考え方が根本から違う。
 バハムート――召喚獣が出れば、戦況は確かに容易く変わる。だが、それはドミナントを有する他の国も同様だ。召喚獣の強大で圧倒的な力に只人は為すすべもないが、かといって召喚獣が無敵なのかというと、けしてそうではない。……否、召喚獣の憑代たるドミナントの力に限界値が存在するために無敵ではない、というべきか。資質や召喚獣の類にもよるのだろうが、過去の文献を漁れば「召喚獣はあくまで切り札とすべし」といった結論に至るものが多かった。
 今はもう国を去ってしまった師も言っていた。『この世に、無限というものは存在しないのです』と。
 畢竟、戦においては多くの場合「数」に重きを置くことになる。そして、その質が高ければ高いほど、自軍に勝利を齎せるのだ。
 ……などと、此処で進言するのは無意味なのだろう。
 小手先、と呟いた以上は何も言わなかったディオンに、シルヴェストルは冷厳に問う。
「表向きの理由はそういうことか。――真か?」
「グエリゴール神に、猊下に、誓って。お疑いならば、我が身に代えてでも」
 ディオンの誓約が聞こえたのだろう、連なる臣達がざわついた。そのなか、シルヴェストルが鼻で笑う。
「お前の命は、お前のものではない。勘違いをするな、ディオン」
 聖杖で床を突き、シルヴェストルはディオンに言った。シルヴェストルはディオンを子としては見ていない。人としても。自分の駒にしかすぎない、と彼は強調したのだった。
「……失礼をいたしました」
 ディオンがこうして謝罪する。此処までが「常日頃」のやり取りだったが、シルヴェストルは揶揄の響きで、続けた。
「それを不服としたが故に、昨日のような騒ぎを起こしたか?」
「違います!」
 反駁したディオンの鋭い声が謁見室に響く。ざわめきがぴたりと止んだ。
「不穏な気配ありとの報があった、と言っていたな。神統府――神皇宮にはそのような報は伝えられていなかったようだが」
「事が事ですので内密にではありますが、神皇宮の警護隊には伝達いたしました」
「――と、聖竜騎士団の団長殿は言っているが、実際はどうなのだ? 警護隊長」
 シルヴェストルから話を振られた警護隊の礼装を纏った男に、周囲の視線が集中する。ディオンも同じように警護隊長を見やった。
「私のところには何も上がってきてはおりませぬ。隊の者も、知らぬと」
「では問うが、何故私が神皇宮に入ることができた? 何故、常と同様……いや、それよりも手薄な警備体制を敷いていたのだ?」
 しらを切ると決めていたらしい警護隊長にディオンは問いを重ねた。その剣幕に慄いたか、「それは」とだけ言いかけ、後の言葉が続かない警護隊長にディオンがさらに糾弾しようとしたときだった。
「よいではありませんか」
 涼やかで艶のある声が、ディオンの言葉を遮った。
 声の主は、神皇后たるアナベラ。ディオンの謁見の際には無言で微笑むばかりの彼女が、珍しく口を開いた。
「アナベラ?」
 シルヴェストルにとっても、アナベラの発言は意外だったらしい。斜め後ろを振り向き、アナベラの言葉の意味を探ろうとしているようだった。
「ディオン殿は、猊下の窮地を救われました。それは事実ですもの」
 アナベラはそんなシルヴェストルに小首を傾げて微笑んだ後、ディオンにまなざしを置く。他者を美しく圧するさまに、ディオンは一瞬吞まれかけた。
 奥歯を噛みしめ、アナベラを見据える。ディオンのその様子に、ふ、とアナベラは笑みを深めた。
「闇に消えた星が何処に在るか、ご存じかどうかは別として」

§  §

 幹部用の会議室内の空気は、重かった。
 謁見室での出来事は、ディオンが語らなければ聖竜騎士団まで伝わるのに時間がかかる。あの場に此方側の支援者は複数いたが、この状況では身動きは取れない。そして、ディオンもそれを強いるつもりはなかった。
 努めて平静を保ち、淡々とことのあらましをディオンは説明した。私情は交えない。
「――以上だ」
 説明を終えたディオンは、幹部達のひとりひとりに目を置いた。いずれも目を逸らさずにディオンの視線を受けていたが、その目に浮かぶ感情は総じて怒りに満ちていた。だが、表立ってそれを表す者はいない。そうしても事態は変わらないことを彼らは知っている。
 それに、とディオンは思った。幹部には気遣いの者が特に多い。ディオンの難しい立場と内心の感情を慮っているのだろう。……有難かったが、心苦しくもあった。いっそ、激情をぶつけてきても構わないのに。
「アナベラ様が「星」の在処を口にされたと?」
「ああ。本当にあの貴族が裏にいたのか。やはり、まったくの別の手か。……神皇后は何かを知っているようだったが」
 第三部隊の部隊長の問いにディオンが答えると、首席参謀が隠しから紙片を取り出した。
「団長の命により、件の貴族の動向を監視させました。終日在宅し、人の出入りもなかったようです。人は、ですが」
「ストラスはやって来ていた?」
「そうです。少なくとも二往復した、とは監視の者の話でした。しかし、勿論そのようなストラスは此方へはやって来ていない。飛んでくるのは、合同演習の報告のみです」
 首席参謀にディオンは頷いた。そうなると、ストラスは何処と行き来していたのか。
「最後にストラスが動いたのは?」
「昨夜遅く――」
 言いさした首席参謀の言葉を遮ったのは、扉をノックする音だった。控え目ながら打音の間隔は短い。火急の用だろうと判じたディオンは、扉を開けるように命じた。
 現れたのは、首席参謀直下の諜報員だった。走って来たのか荒い息のまま緊張した面持ちで一度敬礼すると、ディオンに目線で発言の許可を求めた。
「どうした?」
 ディオンが訊くと、諜報員は「例の者が、毒殺された模様です」と短く告げた。一瞬でその場の空気が凍り付く。
「……。……本当に、殺されたのか? 自死ではなく?」
 ディオンは諜報員に問うた。諜報員は頷いたが、その後に「実は」と続けた。
「首謀者の捜査に協力する姿勢を、例の者は見せていたようです。『自分は違う、そのような豪胆さはない』と執事に打ち明けていたとのこと。昨夜には、『後ろめたい所業の覚えはない。だが、気になる点はある』とも告げていたようで」
「例の者はともかく、執事の口の軽さには問題があるな」
 諜報員の話に、第三部隊の部隊長がぼやく。ディオンは苦笑した。
「気になる点とは?」
「いえ、そこで話は途切れたようです。ストラスが来たので、執事は辞去を命じられたと」
 首席参謀の問いに、諜報員は答えた。
「それはいつの話だ?」
「ストラスがやって来たのは、今日の朝九時頃です。監視も外から確認したとのことでした。私と監視で情報を纏め、此方に上がる直前で騒ぎが起き……」
 諜報員は、そこで言葉を閉ざした。ディオンを含め、室内にいる全員が扉を見つめる。荒々しい足音と制止の声。部屋の外から聞こえるそれらは次第に近付いてきた。
 ディオンは、物陰に潜むよう諜報員へ目線で命じた。幹部達にも無言の圧をかける。
 扉は数度、激しく叩かれた。壊れるのでは?とディオンは逃避めいたことを思ったが、まさか居留守を使うわけにもいかない。頷き、部隊長に開けるよう指示した。――外にいるのが「何者」であるかは分からないが、歴戦の勇士である部隊長ならば、如何様にも動けるだろうと思ったからだ。
 短刀を隠し持った第三部隊の部隊長が扉を勢いよく開ける。扉がすぐ開くとは思わなかったのだろう、平服姿の複数の男が同時に部屋へ転がり込んだ。
 見ようによっては滑稽なそのさまだったが、後に続いた者へディオンは目線を置いた。
 法を司る者が身に纏う法服。襟や裾には豪奢な刺繍が施されたこの法服を纏えるのは、この国では唯一人しかいない。
「司法長官、どうなされた?」
 転がった男達を一瞥していたその者は、ディオンの声かけにゆっくりと視線を転じた。
「殿下、いえ、ディオン様。神皇猊下の命により、お話を伺いに参りました」
 言葉遣いは丁寧だが、否やを言わせない口調で司法長官が言う。ひた、と見据えてくる彼に、ディオンは心の内で溜息をついた。
「話なら此処で――」
「そうはいきませぬ。神統府司法庁までご足労を願います」
 四角四面な口ぶりで司法長官が告げる。内心に留めておこうと思った溜息を、ディオンはつい漏らした。仕方がない、と呟いて立ち上がる。
「無駄足だとは思うが、それに見合った対価は支払ってもらおうか」
「それは、私の一存では決められませぬことゆえ」
 首席参謀、事務次官、部隊長の肩をディオンは叩き、他の幹部と隠れている諜報員を見まわした。そうして、行ってくる、とだけ言いおいてその場を出た。

§  §

 各所の燭台の灯火が潰える頃、司法庁で「無罪」を言い渡されたディオンは、その足で自室に戻った。
 長い、長すぎる一日だった。
 伝令と従卒にそれぞれ指示し、他者をすべて退け、ディオンは自室の扉を閉じた。雑に閉じたせいか、大きな音が響く。今日のみならず昨日から続く一連の騒動のすべてを表しているようなその音に一瞬身が竦んだが、同時に名状し難い感情が沸騰した。
 自室を見渡す。狂暴なほどのこの苛立ちを何処に向ければよいのか、一瞬迷った。ざっと見渡し、カウチソファに鎮座していたクッションを壁にぶつけることにした。あまり物を持たない性分だが、それでも調度品がある方向は逸らして投げる。ひとつ、ふたつ。クッションはディオンの意を汲んだか、壁に鈍い音を立てただけで床に転がった。
 空となったソファに座り込んだディオンは、昨夜と同じように深く息を吸おうとした。しかし、何故か空気が入らない。不思議に思った瞬間、警鐘のような音が脳内に響いた。これ以上は「キケン」だと己が内の獣が唸る。自傷の愉悦に身を晒すな、と「それ」は珍しくも諭してきた。
 その唸りに応じるように、吐息が零れた。は、は、と呼吸を重ねているうちに少しずつ息が整ってくる。……その代わりに途方もない虚脱感が襲い、視界が歪んだ。
 思わず、目を強く瞑った。すると、眼裏に奇妙な光景が浮かんできた。
 闇と暗灰の世界だった。空は闇、眼下の建物群は灰色に塗りこめられている。
 あれは何処だろう。分からない。
 光を、放った。誰かが、己に向かって叫ぶ。その意に応えたくて、渾身の力を込めて闇の塊に向かった。襲い来る何かを薙ぎ、避け、必死に。身が砕けてもよい、それこそが望み、この禍々しい世界を穿つ一端にでもなるならば、己は救われる。否、己にそれは許されない。分かっている。己は世界を壊した者。多くの命を壊した者。我が身ひとつで贖えるものではない。――それでも。
 ふと、力が抜けた。耳に届くのは風切りの音。奇妙な浮遊感は、己が落下しているためか。闇に一条の光。託せた、と理解し、さらに力が抜けていく。己の内から石砂のように崩れていく。体も。心も。
 それでよい、そう思った。
 わたしは。これが。ほんとうの。
「……」
 予言の類か。それとも、バハムートが見せた過去か。まったく別の世界か。
 判別のつかなかった光景と、己の「最期」の言葉を認めたくなくて、ディオンは無理やりに目をこじ開けた。床に敷かれた絨毯の模様がぼんやりと目に入る。次第に明瞭になっていく模様を無意識に眺めていると、すう、と普通に息ができた。
 虚脱感だけが残る。その感覚に抗えないままソファに寝転び、ディオンはひとりの名前をぽつりと呟いた。


 真夜鐘が鳴る頃に寝室へと移り、体だけでも休めようと横になった。
 聞こえるのは、鐘の音。身の内で木霊するのは、数多の声。
 ――聞きたいのは、唯一の声なのに。

 短くも浅い眠りのなか、予想していた通りに多くの夢を見た。