その報は、早朝に齎された。
「……刺客が?」
首席参謀の言葉を繰り返したディオンに、彼は僅かに頷いた。密談用の隠し小部屋にはディオンと首席参謀、そして首席参謀が選んだ諜報員のみが場を占めている。詳しい説明を、と首席参謀の促しに、諜報員は次のように説明した。
曰く、神皇のやり口に不満を持つ輩が不遜にも暗殺の計画を企てているらしい。諜報員が口にした名はディオンも把握している貴族のものだった。身分こそ高位ではないが、財力で幅を利かせている者だと認識している。為人は多少の問題はあるが、資金難の騎士団にとっては協力を求めたい存在ではあった。……しかし、その為人とやらが強烈すぎ、かつ、ディオンが目指す方向性とは違いがありすぎた。真逆といってもよい。
その貴族は、第一に民を軽んじていた。次に、元老院の賢人や全教会の枢機卿達の悪口を紡ぐこと凄まじく、絶対的な存在である神皇――父についても疑念を口にした。もっとも、それは公の場で起きたことではなく、支援の話を持ちかけに行ったディオンのみが聞いたことではあるが、まさか己に面と向かって父を罵る者が現れるとは思わなかった。
ディオンを自分の「仲間」だと彼は解釈していたのだろう。不当な扱いを受けている者同士、現状を打破するためには手を結ぶべきで、此方の条件さえ呑めば支援は惜しまないと語った。
――いずれは、私を神皇の位へ。
ニヤリと笑んで彼がそう囁いた瞬間、ディオンは席を立った。大声で罵倒したい心を抑え、年長者である彼をただ見下ろした。一方、彼は驚く様子で目を見開いたが、ディオンの震える拳に視線を置いて「親離れをなされたほうが御身のためかと」と嘲笑った。
その者が刺客を城へ潜り込ませたらしい、とは諜報員の言だった。首席参謀の選んだ諜報員故に、報告自体は事実なのだろうとディオンは考えた。だが、違和感が拭えない。ああいったことを言う輩は、自ら事を起こすような真似を案外しないものだ。じっと待ち、自分に入り込む利を見定める。聞かされたあらゆる悪口は甚だ不愉快だったが、その口車に乗ってしまえば、彼は嬉々として己を利用しただろう。
だが、不可解なことがある。
「其方は引き続き情報収集にあたってくれ」
諜報員はディオンに敬礼をとり、小部屋を出た。腕を組んだディオンに、首席参謀は諜報員のレポートをクリスタルから得た火で燃やしながら問うてきた。
「城の警護隊に情報を流す……共有しますか?」
ああ、とディオンは答えた。
「特に神皇宮の警護兵には注意を怠るなと伝達を。……猊下の本日のご予定は?」
「午前は星詠みが登城します。午後は、謁見が二件」
首席参謀が述べた謁見の予定者に、件の貴族は含まれていない。ディオンは首席参謀を見た。
「……動きますでしょうか」
「どうであろうな。口ばかりの輩だとは思っていたが……まったく別の手の者とも限らぬ」
神皇を弑するなどということは、前代未聞の大罪となる。内心でどのように思っていても、その考えを行動に移す者はいない。自らの保身を図るのは当然であるし、仮にその行動が成功したとしても、罪人が次の高みに上ることはまずないだろう。
普通であれば、の話だ。しかし、唯一そういった企みを隠し持っていそうな者がいる。その者の顔を思い浮かべ、ディオンは己の眉根が寄るのを感じた。
――いずれにせよ、犯行計画者の推測をするよりも先に策を練る必要がある。
己ができる範疇での打つ手を思案する。幾つかの案をそのまま首席参謀に伝えると、彼はディオンの案に若干の修正と補強を施した。同意したディオンに対して礼をとり、火の始末を確認してから小部屋を出ていく。ディオンもそれに続き、小部屋の扉が見えぬようにまじないをかけた。
§ §
星詠みの来訪も謁見も恙なく終了したらしい。親衛兵からの伝達を聞いたディオンは、神皇宮に入った。
報を聞いたときから胸騒ぎが収まらない。杞憂に終わればよいが、と願いながら、何かが起きるだろうと直感が耳に囁きかけてくる。
中庭の回廊にさしかかり、四方を見渡した。常の場所に警護兵は配備され、その様子は普段と変わりはないようだった。
おかしい、とディオンは感じた。情報が警護隊に正しく伝わっていれば、警護の配置も人数も、そして人員の質にも変化があるはずだ。しかし、中庭だけではない、神皇宮に入ってから此処に至るまで、「普通通り」だった。むしろ、手薄とも言えるほどだ。
配された警護兵のひとりがディオンの存在を認めたが、すぐに別の場所へ目をやった。ディオンの来宮は予定外だろうに、「どうでもよい」といったような風情だった。……それもまた、妙なことのひとつだ。常ならば、中庭よりも随分と手前、宮の門前で引き留められる。許可もなく己がこの宮へ訪うことはもはや許されていない。
――罠か?
平穏そのものの中庭を眺めながらディオンは思う。さりとて、何かしらの策はとっておく必要があった。情報の看過はできない、何かあってからでは遅すぎる。それ故に警護隊へ情報を伝え、警備の強化を要請したのだが――。
――邪魔者は、敵は、誰だ。
唇を噛みしめ、ディオンが低く唸ったそのとき、床を叩く硬質な音が響いた。
「何をしておる?」
冷徹な声色でかけられた言葉に、ディオンは我に返った。思考よりも先に体が動き、回廊の脇に寄る。礼をとった後に膝をついて面を伏せると、杖の先端が目に入った。――この国で最も高みに在る者、すなわち神皇のみが手にする至宝。
神皇であり実父でもあるシルヴェストルの突然の登場に、ディオンは己の動揺を悟った。現況に気を取られて気配を察知できなかった己の失態もそうだが、警護兵が身動きひとつ見せなかったことにも動じた。
再度、聖杖が床を突く。面を上げよ、という意味が込められたその音に、ディオンはゆっくりと顔を上げた。
目の前には父・シルヴェストル。そして、その斜め後ろでは継母でもある神皇后アナベラが微笑みを浮かべて此方を見ていた。
「……神皇猊下におかれましては」
「此処で何をしておる、と問うたのだが?」
形ばかりでも挨拶を述べようとしたディオンを、シルヴェストルは遮った。常と同じように声音は厳しく、向けられたまなざしも冷ややかだった。……己に向ける父の態度は、もはや他者に対するそれと同じ、いや、それよりも下に見ているのかもしれなかった。ドミナントとして、兵器としての価値しか求められていない。頭の片隅に沈めている感情が浮上する前に、ディオンは口を開いた。
偽を告げるべきか。真を告げるべきか。逡巡の末に後者を選ぶ。
「畏れながら申し上げます。……不穏な気配ありとの報が――」
届いた、と続けようとしたディオンだったが、言葉を切った。中庭を挟んだ向こう側の回廊が俄かに騒がしくなり、視界の端で何かが煌めいた。
「父……猊下!」
自然に体は動き、飛んできた短刀を払い落とす。咄嗟に口に出してしまった呼び名を無理やりに変えて、ディオンはシルヴェストルを庇った。
横目で対岸の回廊を見る。賊は二名か三名か。警護兵がまごついている間にひとりが短刀を投げつけたらしい。それをようやく抑えた警護兵の横をすり抜け、二人の賊が中庭を駆ける。片方は片手剣を手にし、もう片方は魔導士の杖を翳していた。杖から赤い光が迸り、片割れの身を包む。バーサクか、と判じたディオンは、賊に向かってディアを放った。
だが、光の攻撃を賊は躱してきた。そうして回廊まで辿り着くと、片手剣を此方に向けて振り上げた。
「御前をお騒がせしますこと、失礼いたします!」
神皇宮にて武器の所持を認められなくなったディオンは丸腰だったが、正確な軌道で振り下ろされた剣を蹴り飛ばした。金属音を奏でて床に落ちた剣をそのまま足で遠ざけ、狂乱状態の賊の鳩尾を狙って拳を入れる。仕留めたことを確認した上で、今度は攻撃魔法を繰り出そうと詠唱を始めていた魔導士に向けてディオンは再びディアをぶつけた。
詠唱中で無防備だった魔導士はディオンの光魔法を避け損ね、その場に昏倒した。様子を遠くから窺っていた警護兵が走り寄り、それぞれを捕縛する。何名かの警護兵はディオンに視線をやったが、それだけだった。「誰か」に買収されているような彼らの振る舞いに、ディオンは顔を歪ませた。ここまで根が腐食しているとは思ってもみなかった。
――誰が、このような有様にした?
押し切ってきたのだろう、中庭に駆けつけてきた聖竜騎士団付きの親衛兵に、ディオンは指示を出した。
「猊下と、……アナベラ様を安全な場所へご案内せよ」
「はっ!」
ディオンの命に即座に応じた親衛兵がシルヴェストル達に向き直る。しかし、シルヴェストルに対して敬礼をしようとした彼らの前に、神皇の近衛兵数名が立ちはだかった。
「本件は私達が引き継ぎます」
慇懃無礼を身に纏わせ、近衛兵は聖竜騎士団親衛兵とディオンに言った。「去ね」と暗に命じる近衛兵に、一歩を踏み出しかけた親衛兵をディオンは片手で制した。此処で争いを起こしても事態は収束しない。悪化するだけだ。
三度、床に杖を突く音がした。兵を下がらせ、ディオンはシルヴェストルに礼をとった。膝をつくか否かで迷ったが、立ったままでシルヴェストルの言葉を待つ。
「此度の騒ぎについては、明日下問する」
「……承知いたしました」
顎を上げてディオンを一瞥すると、シルヴェストルは近衛兵に導かれてこの場を去っていった。アナベラもそれに続いたが、彼女は微笑みを終始浮かべたままで、それはディオンとすれ違う際も変わらなかった。
――誰も驚きはしなかった。
このような場に出くわして狼狽えるような父ではない、とは分かっていた。それは、事前に情報を得ていた場合でも、そうでない場合でも大して変わりはない。だが、その斜め後ろで様子を見守っていた神皇后――アナベラが悲鳴のひとつも上げなかったのは、少しく意外だった。……彼女は己の想像の範疇を超えている。主に、悪しきほうに。仮に、この件に彼女が関与していたとしても――件の貴族を手駒として扱ったとしても――、あの笑みだけですべてを終わりにするだろう。自らの尾ではなく、あの者の命を投げ捨てるに違いない。そうして、じわりと闇がまた少し広がる。
「ディオン様」
神皇宮からの退去を求められ、ディオンは素直に応じた。去り際に、賊に荒らされた中庭を見やる。飛竜草も植えられているその庭も、もう己には遠い。
感傷を遠ざけ、ディオンは宮を出た。
§ §
「自害しただと?」
ディオンが神皇宮から騎士団本部に戻った頃には、一連の騒動は幹部に情報共有されていた。合同演習に参加していない第三部隊を中心としてオリフレムに駐屯している団員にも噂話として広がりそうな勢いだったが、部隊長や他の幹部が睨みを利かせたのが功を奏しているらしく、表面上は平穏だった。神皇の指示のもと、首謀者の捜査が始まったという報告もあった。
しかし、夕刻になって事態はまた変わった。
あの騒動で捕らえられた賊達は牢に繋がれたが、全員が自害したとのことだった。どうやら奥歯に毒を仕込んであったらしく、うっすらと聞こえた断末魔に看守が駆け寄ったときには、いずれも既に絶命していたらしい。
執務室でその報を聞いたディオンは、両肘をついて組んだ手に額を乗せた。このような姿は本来ならばテランスにしか見せない。だが、正直なところで言えば少し参っていたのも事実だった。
溜息をひとつつき、考えを切り替える。首席参謀と第三部隊の部隊長が、かぶりを振ったディオンを見守るように窺っていた。
「すまない。……首謀者は尾を千切ったか。すると、捜査は難航の可能性があるな」
「……そのことですが、もうひとつ悪報が」
首席参謀の渋い表情に、ディオンは無言で先を促した。この流れになれば、大体の予測はつく。
おそらく――。
「捜査を中断したとの報が入りました。神皇猊下直々の命で……、聞くところによると、『ディオンに聞けば済む話だ』とのこと」
「……なっ!」
絶句したのは、ディオンではなく部隊長だった。初耳だったらしい彼は首席参謀に詰め寄ると、「そんな馬鹿な話があるか!」と怒鳴った。
部隊長の激怒する姿に、珍しいものを見たと思いながら、ディオンは苦笑した。
「情報の断片をかき集めればそうなるであろうな。予定外に余が神皇宮に入り込んでいたのは、賊に指示を送る、あるいは手引きするため。宮の衛兵を買い、侵入を許した。そうして猊下を弑そうとした……、いや、違うな」
シルヴェストルを己が弑する構図は、感情論の前に成り立たなかった。バハムートのドミナントを抱えていることを利用してシルヴェストルが神皇位に就いたのと同様に、シルヴェストルが神皇であるからこそ、ディオンはある程度の自由と身分を得られている。シルヴェストル――父でない者が神皇になったとしたら、己はすべてを奪われるだろう。そのように少し考えてみると、ディオンに翻意ありという線は現状では消える。
「……では?」
「猊下に敵意を持つ者は、少なくはない。故に、首謀者は確かにいる」
続きを促した首席参謀に向け、ディオンは話を進めた。
「不穏ありという報を余は猊下にお伝えした。その直後に賊は本当に現れ、乱闘の末に賊の意図を阻んだ。結果的に、余は猊下をお救いしたというわけだ」
つまり、と首席参謀がディオンの言葉を奪う。
「殿下に――失礼、団長に対する猊下の評価を底上げするために、団長自ら茶番劇を開いた。神皇猊下はそうお考えになられていると?」
部隊長ほどではないが、首席参謀の口ぶりにも静かな怒りの色があった。
「可能性としては」
道化師にでもなったかのような気分のままで、ディオンは答えた。
§ §
クリスタルランプの淡い光を備忘録の革表紙が吸い込む。ディオンはそれを暫し眺めていたが、諦めてまじないを唱えた。カチャ、と音を立てて備忘録の鍵が開く。
今日の騒動を淡々と箇条書きで記していく。できるだけ感情は排した。それこそ、かつての己が危惧した通りに心の内に刻み込みたくはなかったがために。
諜報員からの報告通り、刺客が入り込んだこと。
刺客――賊は複数名、神皇猊下の暗殺を試みたこと。
無事、猊下の安全は守られたこと。
賊の自害。
明日の拝謁での下問について。
……後は何も書きたくなかった。考えたくもない。インク吸いの紙を押し付け、備忘録を閉じる。無意識に出していた便箋に目をやり、ディオンは唇を噛んだ。
――こんな、このようなことで。
あまりにも弱い、とディオンは己自身を罵倒した。独りになった途端、感情の制御が難しくなる。落ち着け、と心に言い聞かせてもそう簡単にはいかずに何度も深呼吸した。
己がテランスに依存しているのは事実だ。幹部達が「精神安定剤」とテランスを評しているのも理解している。本当にその通りだった。
このままではいけない、そんなことは分かり切っているのに。いつまでも寄りかかっていては、甘えていてはいけない。……分かっているのに、己は彼を利用している。
ドミナントであれば、このような感情も本来は抱いてはならないのに。召喚獣の憑代として、使役されることだけを思えばよいのに。
それが、できない。
いつ、どこで、己は道を誤ったのだろう。望み、望まれることを願い始めたのだろう。
ぼんやりと、しかし、焦燥に駆られてそう思う。まっさらな便箋を退け、ディオンは机に伏した。