#03 二日目

 言いつかっていたのだろう、従卒は朝の支度手伝いにテランスが訪うときと同じ刻限にやって来たが、そのときにはもうディオンは身支度を終えていた。
「も、申し訳ございません……!」
「謝らずともよい」
 己の我儘に振り回されるばかりに、みるみるうちに顔色が青褪めていく従卒が気の毒で、ディオンは苦笑した。
「其方は何も悪くない。ただ、良い機会だと思ってな」
「……機会、ですか?」
 うっすらと涙目になりながらも律義に問い返した従卒に、ディオンは頷いてみせた。
「余はこういった身分だが、他者の手を借りずとも一通りはできる。あの「世話焼き」がいるときはどうしても難しいが、確認はしておきたいのだ」
「は、はあ……。承知、いたしました」
 だいぶ無理のある言い訳であることはディオン自身分かっていたが、従卒は素直に聞き入れてくれた。もしかすると、テランスから何か指示されているのかもしれない。引き下がるその按配に、何処かテランスの意図を感じる。
 礼をとり、「朝食の準備をしてまいります」と言って従卒は退出した。
 むう、とディオンは唸った。従卒に告げた言葉――言い訳――は本当のことでもあったが、大方は別の感情であのようなことを言った。「私」の部分が混ざる時間にテランス以外を入れたくないというのが本心なのだが、その心をテランスは見抜いていたのだろう。……同時に、テランス自身の独占欲も大いに含まれてはいるのだろうが。
 彼の手の内で転がされているような気がするのはいただけないが、それでも気が楽になったのは事実だ。
 よく磨かれた姿見の前で不都合がないか確認する。来客を迎える昼餐前に再度支度をし直すが、そのときには従卒に手伝ってもらうしかない。仕方がない、と割り切った。

§  §

 昼餐の戦果は、上々といえた。
 聖竜騎士団に肩入れをしている幾人かの有力者を招いての昼餐は、それぞれの思惑が混ざり合いながらも総じて支援の継続を約してくれた。政情が「向こう側」に急速に傾き始めているなかでは、彼らは奇特といえるのかもしれない。だが、「道理」と「義務」を弁えているが故に、聖竜騎士団に――バハムートのドミナントであるディオンに利を見出しているのだろう。少なくとも、今は。
 しかし、この先は分からない。ウォールードの動きもそうだが、神皇である父の意向や星詠みの神託が引き続き戦を良しとするのならば、今まで以上に戦功を求められる。何かひとつでも誤ったのなら、支援者はあっさりと離れていく。そして、あの女のもとへ走るのだ。身分ある者としての良心は咎めるのだろうが、負け組にそれでも与したいと思う者はそう多くはあるまい。
 近い将来、ウォールードとの衝突は起きる。オーサ海峡をめぐって向こうが顔を出すのが先か、此方側が防衛に動くのが先か。いずれにせよ、軍備は万全にしておく必要があり、それ故の合同演習だった。そして、己自身についても。
 騎士団本部に寄る前に自室に戻ったディオンは、ひとりきりの部屋で腕を擦った。小さな、ごく小さな沁みだというのに、それは周りの皮膚や筋肉を巻き込んで痛みを齎す。戯れに白い沁みを軽くつついてみれば、その感触は紛うことなく石そのものだった。
 石化の始まりに感じた絶望と不安にはいつしか慣れた。今までと同様、いや、それ以上にバハムートが求められるのであれば、石化は急速に広がるだろう。石砂となって砕け散るベアラー達と同様の末路を己も辿る。決まっていた道だ。かといって、未練がないかというと嘘になる。テランスのことを思うと、どうしても。
 あの男は、最愛は、見送ってくれるだろう。ディオンはそう思う。それは幸福なことだと思った。砕けた石のひとかけらでもよい、拾ってくれたならさらに嬉しい。
 だが、彼自身の心はどうだろうか。あれだけの、心の奥底からの愛情を一心に注いでくる彼は、己が消えたならどうなるのか。……幸せを掴めるだろうか。
 掴んでほしい、と思う。だが、そうあってほしくはない、とも思う。己だけを生涯想っていてほしい。
「まったく、強欲で我儘だ」
 ディオンは罵るように呟くと、若干緩んだ包帯をそのままに、団長服に着替えた。

§  §

 聖竜騎士団の本部に赴いたディオンは、昼餐での「戦果」を居合わせた幹部達にざっと説明した。望んでいた結果に面々が安堵の様子を見せたのも束の間、第三部隊の部隊長がディオンに申し訳なさそうな表情で話しかけてきた。
 第三部隊は今回の合同演習に参加していない。有事に備えて最低限の人員は残しておく必要があり、親衛兵についてもそれは同様で幾人かを残している。癖のある人物が多いが、実力や連帯感は随一ということで第三部隊は演習の対象から外れたのだが――。
「どうにも、力を持て余しているようなのです。普段の訓練ならば他の部隊長の檄も飛んできますし、それでも余裕ぶっていれば鬼の某親衛兵長が冷淡な視線と同時に得物を突き付けますし」
「……」
 柔和なところがある意味において曲者の部隊長の後半の発言に、ディオンは黙した。何やら当てこすられているような気もするが、練兵に加わるときのテランスが絶対に手を抜かないのは事実だ。自らを若輩と知り得ているからこそ、親衛兵長という立場を持つ者として全力を尽くす。
 かつて、正規軍に所属する年配の竜騎士が「廃太子様に纏わりつく従者風情のひよっこが」と聞こえよがしにテランスに蔑みの言葉を投げたのらしい。テランスはそのことをディオンには告げなかったが、別の筋から伝え聞いた。
 そのときのことを思い出すと、苦い思いが蘇る。侮蔑の言葉を投げられた本人をさしおいて当該竜騎士に食ってかからんとしたディオンに、テランスは静かに首を横に振った。大丈夫、と言って笑うテランスが分からなかった。己の立場なぞはどうでもよいが、テランスの実力は確かなのだからと言い募ったが、それにも彼は頷かなかった。ありがとう、とそれだけを言って、彼は己の額に口づけた。
 本当は分かっていた。己が動けばどうなるかということも、彼自身にもどうにもできないことも。それぞれの無力さを噛みしめた一件だった。
 あれから数年が過ぎ、テランスの実力を疑う者は激減した。そうした末に「鬼」という言葉が出てくるのだろう。
「つまり?」
「団長の御力をお借りしたいと存じます。端的に言えば、しごいてやってください」
 部隊長の依頼に、ディオンは「腕が鳴るな」と笑顔で立ち上がった。

§  §

「ご、ご指導ありがとうございました」
「うむ」
 日暮れも迫った頃合い、年嵩の団員の謝意にディオンは笑んだ。
 練兵場は死屍累々といった有様である。竜騎士のみならず、他の得物を操る者やクリスタルを用いて魔法を使う魔術士も揃っているなか、彼らの技量や連携は見事といえるものだった。だが、ディオンを打ち倒せたかというと、そのような者は誰もいなかった。
 多勢に無勢すぎるのも如何なものか。かといって、一騎打ちであれば結果は分かり切っている。ということで、数班に分かれて手合わせとなった。
「全員で打ちかかっても良かったかもしれませんね」
「それは流石の余でも骨が折れるが」
 のんびりと苦笑する部隊長にディオンは肩を竦めて笑った。
 訓練の終了を部隊長が告げ、団員達が立ち上がる。ディオンに対して敬礼をしてきた団員達に短く激励の言葉を述べ、ディオンは練兵場を後にした。
「ゆ、湯浴みの支度ができております」
 駆け寄ってきた従卒がディオンを浴場へと促す。大暴れした末に汗や埃で酷い有様だったから、指示の前に先回りして行動を起こした従卒に礼を言った。傅かれる身としては当然のことなので別段礼を言う必要もないのだが、なんとなくそうしたかった。
 ――しかし。
「ディオン様……、ええと、申し上げてよろしいでしょうか」
 従卒は何故か戸惑う様子でディオンを上目遣いで見やった。
「何だ? 申してみよ」
 従卒の言葉に、ディオンは首を傾げた。何かおかしいことでも言っただろうか。
 ディオンが促すと、従卒は決死の覚悟といった表情で続けた。
「テランス様に、ぼ……私は色々とご教示いただきました。ですが、至らぬ点ばかりと思います。遅くなりましたが、不出来な私にどうかご寛恕を賜りますようお願いいたします」
 そう言って従卒は敬礼をとる。何を大袈裟な、とディオンは半ば呆れたが、従卒の意を汲むことにした。
「其方は自らの職分のなかでよくやっている。確かに、常の「世話焼き」とは勝手が違うが、それは当たり前のことだ。気に病む必要はない」
 ディオンがそう言うと、ややあって従卒はこくりと頷いた。そうして、やはり先の表情を変えずに背筋を正す。
「テランス様からのご伝言です」
「……テランスからの?」
 問い返したディオンに、従卒は「はい」と答えた。続いて「よろしいでしょうか」と訊ねてきたので、驚きながらも否やはなかったディオンは頷いた。
「では、申し上げます」
 そう言いおいて、従卒は「テランスからの伝言」とやらをディオンに告げた。適度に他者の手を借りること、ご無理をなさらないこと、些細なことでも何かあったら必ずストラスにてご連絡を。
「後は……」
 さらに続けようとした従卒を、ディオンは片手で制した。「みなまで言うな」と呟くと、従卒は不思議そうにディオンを見つめた。
 なんということだ、とディオンは思う。従卒にテランスが指示した言葉は、そのままディオン自身にもテランスが伝えてきた言葉だ。何日も前から、それこそ口が酸っぱくなってしまうだろうとディオンが思うほどに彼は言ってきた。最初は神妙に聞いていたが、何回も聞かされれば文言は右から左へと頭の中を通り過ぎていった。
 どれほど言っても場合によっては聞かないふしのある主人をテランスは見通していたのかもしれない。こうして他者を使ってまで念を押してきたわけだ。まったくもって用意周到なことだが、呆れてものも言えなくなりそうだった。
「あれは多少心配性に過ぎるが……、分かった。伝言とやらは確かに聞いたし、其方は違わずにこの役目を果たした。問題はない」
 実際にテランスの訓戒を聞くかどうかは別として、と内心で思いながらもディオンは従卒に微笑んだ。
「……ディオン様」
 一瞬、怯んだように従卒が仰け反る。すぐさま彼は元の姿勢に戻したが、どこまでも真面目な顔で、それでも恐る恐るディオンに告げた。
「そのようなお顔を晒されるのも、あまりよろしくはない、示しがつかないとのことですが……」
「……あやつめ」
 己を取り巻く周囲には狭量なことこの上ない恋人を思い、ディオンは行儀悪くも舌打ちをした。

§  §

 夜。
 ディオンは自室から階下にあるバルコニーへと向かった。自室がある階に衛士は置かず、曲者が忍び込みやすいと想定される場所のみに配している。既に跡目を継ぐわけでもない身、ドミナントとしての価値だけが求められる今となってはそれくらいで充分なのだった。
 バルコニーに出ようとしたディオンに、不寝番の衛士が声をかけた。どちらへ、と訊ねる衛士に「夜気に当たるだけだ」と扉を開けるようディオンは命じた。
 少し考え込んでから、衛士は扉の鍵を開けた。この者もまたテランスか他の誰かに何かを言われているのだろう。不承不承といった感情が垣間見え、ディオンは溜息をつきかけた。まさか、テランスの不在中はずっとこの調子で日常が進むのだろうか。
 キィ、と音を立てて扉が開く。バルコニーに出たディオンに衛士が続こうとする前に、ディオンは半顕現した。
「ディオン様!」
「すぐに戻る。其方はそのままそこで待っておれ」
 悲鳴を上げた衛士にそう言い残し、ディオンは飛んだ。


 マザークリスタルが夜に美しく輝く。その頂はもしかすると空に繋がっているのかもしれない。人の姿に戻ったディオンは、城に多くある尖塔の天辺に佇みながらそんなことを思った。
 空を飛ぶものとして、それはとても興味深かった。確かめてみようか、と思ったこともある。今のことではない、ずっと幼かった頃の話だ。バハムートにようやっと顕現できるようになった頃の話。地を離れる歓びを、身の内に潜む獣が己に語った頃の話。
 どうだろう、とテランスには打ち明けた。マザークリスタルの天辺はどうなっているのか、空の向こうには何があるのか。内なるバハムートに唆されるままに、見てみたいと興奮気味に語った幼い己に、幼馴染は悲しそうな顔で首を横に振った。だめだよ、と涙目で詰め寄った彼は既に知っていたのだろう。ドミナントが持つ役目と、やがて迎える終わりについて。
 勿論、己も知っていた。ディオンは当時を振り返る。知っているからこそ興味を持ってしまったのだと思う。力を「正しく」使い始める前に、夢を見たかった。兵器としか見做されぬようになる前に、夢を。
 父の期待に応えるためにも、空の高みを目指す。そうすれば、この力を周囲に誇示できれば、きっと父は己を褒めてくれるだろう。……そんな淡い期待も持っていた。
 結局、泣きながらも頑として譲らなかったテランスに根負けし、ディオンは空の向こうを見る夢を手放した。そんな夢より、テランスに泣かれるほうが堪えたからだ。
 マザークリスタルが放つ神々しい光で、夜空に浮かんで見えるのは明るい星だけだった。なんとはなしに見上げたまま、ディオンの連想は続く。
 皇都を離れた際にふと夜空を見上げたことがある。あれはそう、頼み込んで休暇を得、テランスの本邸を訪ったときのことだ。
 クリスタルの欠片をばら撒いたような具合の夜空に、畏怖を覚えた。すごいね、と楽しそうに言うテランスの腕を掴み、一歩下がった。それは己が知る世界ではなかった。どうしたの、とテランスは驚いたようだったが、すぐに理解したらしい。ぽん、と自らの手を乗せ、大丈夫、と笑った。
 あれはね、確か――。
 皇都では見えぬ星々を指して、幾つかの星並びをテランスは教えてくれた。ずっと一緒にいたはずなのに、どうしてテランスは星並びを知っているのだろう。己の知らぬ何かを知っているのだろう。星並びを告げる彼の隣で、声変わり中の掠れ気味の声を確かに聞きながら、そんなことを思った。
 嫉妬だった、と今では分かる。
 そして、己が空の高みへの夢を告げたときの彼も、きっと同じ想いを抱いていた。
 夜空から視線を転じ、ディオンは地上を見やった。オリフレムの街も同じように明るかった。彼方此方にクリスタルが齎す光が散っている。繁栄の証であるその光景を、己は守らなければならない。
 生けるものを許さぬ「黒」が忍び寄っている。マザークリスタルの存在を疎ましく者がいる。戦の影、宮中の闇。
 すべて退ける。それこそが己の務め。民の、国の、……父のために。

§  §

 明らかに安堵した表情の衛士の肩を叩き、ディオンは自室へ戻った。夜闇に慣れた目にクリスタルランプの光はそれでも心地よかった。文机に向かい、備忘録と筆記具一式、そして便箋も引き出しから取り出した。
「……」
 書き終えた備忘録を机の端に寄せ、便箋を前に据える。昨日は饒舌なほどに「手紙」を綴ったのに、今日は何の言葉も出てこなかった。
 それでも何かは伝えたいと思い、彼の名前を記す。まずは備忘録と同じような内容を書き、従卒から聞いた話に呆れたことや先刻見た夜空のことも記した。
 日常が途絶えていることの違和感も、勢い任せに綴った。