PHANTOM PLUS GHOST

4. MERELY SOMETHING TO DO

VERSION C

 足音にシドニーとキャロは同時に顔を上げた。
「こら、そっちに行くな。目の届かん場所に行くんじゃない」
 隣室から聞こえてくる声がそれに続き、同時に目を上げた二人は知らず顔を見合わせる。そうして次の瞬間、シドニーは隣室に視線を移し、キャロは己が今居る──正確にいえば捕らわれている──室を眺めやった。
 室には、シドニーと彼女しかいなかった。室の隅で大人しく虜囚の身となりながらも、展開される現実について素早く分析を巡らせる彼女と、その手にすなる幻術と物言いによって余人の追及を舞うようにかわす、その彼しか。
「何をやっているんだ? あいつは」
「……さあ?」
 独白のようなシドニーの問いに、キャロは小首を傾げてみせた。我ながらぞんざいな返答だ、と彼女は返してしまってから思ったが、シドニーはそれを気にするふうでもなかった。
 跳ねるような軽い足音の後に重い足音が続く。まるで──いや、そうに違いない──追いかけっこをするような足音がふたつ。
「……本当に何をやっているんだ」
 再度シドニーは呟き、肩を竦めた。
 キャロは返答しなかった。目の前の彼が疑問に思って言葉を発した訳ではないのは、すぐに分かる。秀麗といっていい眉を潜め、不可解といったような表情を浮かべる彼は、要するに呆れているだけなのだ。今の自分とちょうど同じである。
 もう少し状況が穏やかであれば、おそらく自分も口にしただろう言葉。
「……」
 故に言葉を発さず、彼女は残りの二人が「追いかけっこ」を繰り広げている隣室にただ目を向ける。
 跳ねるような軽い足音の後に、重い足音。
 軽い足音は幼い子供のもの。重い足音はその子を攫ってきた大人のもの。
 そうして彼女を攫ってきたもうひとりの大人は、彼女の目の前で窓辺に佇んでいる。四人は今、隠れ家らしき一軒家に身を潜めているのだった。
 音が止まぬ隣室から視線を転じ、キャロはシドニーを再び見やった。視線に気付いているのか否か、シドニーは先刻からの視線を変えず、やや憮然とした面持ちでいる。
 隣室の状況が気に食わないのだろうか。キャロは事件への分析をやめ、類推を始めてみた。──要するに、彼女自身も現況に退屈していた。
 確かに、とキャロは思う。自分達は、いや、彼らは逃亡の途中である。逃亡なのか……それとも、何か企みがあってこうして身を隠しているのかそれは分からない。だが、白昼を堂々と歩いていられる状況ではないということは分かる。そして、それにも関わらず呑気に追いかけっこなどをしている相棒の無用心さに腹を立てているのではないだろうか。
 ──違うか。
 自分で立てた仮説をキャロはすぐに否定した。
 逆ならありえるだろう。今まで見たかぎり、シドニーとハーディン──隣室の「大人」だ──では常に悠長に構えているのはシドニーの方である。自信を多分に含んだまなざしは意識的ではあるが、無理はない。そんな彼が無用心だといって腹を立てたりするだろうか? この場合、答は「否」である。
 では、と再び仮説を彼女は立てる。
 ハーディンが小さな子供ひとり捕まえあぐねていることに憮然としているのだろうか。それとも、自ら立てた作戦が順調でないのだろうか。もしくは──……。
 浮かび上がってくるひとつひとつの仮説を目の前に並べては消していく。確かな原因としてそれらの仮説を決定付けるには、少々証拠が足りなかった。
 ──退屈なのだろうか。
 最後にひとつキャロは思い浮かべ、それを消し去ってしまうべきか迷った。迷い、それが最も正当な理由のような気がして、己の結論として残してみる。常の自分ならばけして下さない分析結果だろう。だが、彼の雰囲気は妙にそんな言葉が当てはまった。
 思わぬ結論に彼女は数度瞬きをし、そうして小さく息をついた。

VERSION S

 実はキャロの分析はある意味において当たっていた。シドニーは確かに退屈していたのである。
 公爵邸に潜入し、レアモンデに舞い戻ってから約四半日。計画の範疇からはややそれ気味で現実は動いているが、それも許容範囲内。今は撒いた餌に「獲物」が食いつくのを待つ、それだけの時間……退屈といえばこれほど退屈なものはない。
 窓辺に寄りかかり、シドニーは息をついた。
 隣室からは先刻から賑やかな足音が聞こえてくる。何をやっているんだと小声で呟きもしたが、それはどうやら聞こえなかったらしい。足音が途絶えることはなかった。
 ──あいつの方が慎重派なはずなんだがな。
 跳ねるような軽い足音の後に、重い足音。
 その重い足音の持ち主は、先刻「気軽に」聖印騎士団の団長のもとへと赴いた自分に「気をつけろ」と再三念を押したのだった。無論それは常のことで、今に始まったことではないが。
 その彼が足音をどたどたと立てて歩き回っている。幼子と追いかけっこなどに興じて──否、興じさせられている。
 ──一体何をやっているんだか。
 再度呟き、窓辺を見やる。幸いなことに兵の姿は見えなかった。当たり前ともいうが。
 危険が近付いているならば、己とてこんなところで悠長に時を消したりはしない。それ以前にハーディンが自ら動いていることだろう。それについては心配していない。
 とはいうものの。
 シドニーは反動をつけ、凭れていた窓辺から身を起こした。そうして一歩を踏み出そうとしたその瞬間、隣室の騒音は途絶えた。
「……」
 室の隅に膝を抱えて座り込んでいるVKPの分析官と目が合う。先刻から隣室の様子を窺っていたのだろう彼女は、忙しく瞬きをした後、隣室へと通ずる扉を見やった。彼もそれに倣う。
 ひとつとなった足音は、大股に扉へと向かってくる。
「やっと捕まえたっ」
「……いつまでかかっているんだ?」
 やがて開かれた扉に、シドニーは言った。見据える先、ハーディンは肩で息をしながらそんな彼を気まずそうに睨む。その腕には幼子がぶら下がっていた。
「……」
 腕には幼子。引っ張られたのか、走り回った際にそうなったのか、髪はぐちゃぐちゃで服はよれよれ。はしゃぎ回る子供に相当手こずったらしいハーディンの今の姿は、教団幹部というよりも保父そのもので、シドニーは内心で笑った。
「いや……手荒に扱うわけにもいかんだろう?」
 子供だし、とハーディンはシドニーにそう言い、幼子を床におろした。そうして扉を閉め、開かぬように刻印で「ロック」する。
「?」
 扉に向かってハーディンが何事かを唱えたのに気付いたのか、幼子は戯れていた男の腕から身を離すと扉に駆け寄った。つま先立ちになり取っ手を探る。
 扉は無論開かない。──当たり前だ、その為にこそロックしたのだから。シドニーはむきになって扉と格闘する子の背を眺めながら思う。
 ──子は切り札。公爵の嫡子たる彼にはそれ相応の価値がある。それと同時に、己にとってもある種の意味が。……戯れにでも逃げていってもらっては困るのだ。
 開くわけもない扉と戦う幼子を眺めたまま、シドニーはそう己の中で結論付けた。今はそれ以上のことを考えるのは無意味だと、半ば自身に言い聞かせるように。
 故に、ハーディンに目線を走らせる。無言の指令を受け、ハーディンは再度苦笑しながら子供を扉から引き離した。
「あまり手間をかけさせるな。大人しくしていろ」
「……」
 穏やかに語りかけるハーディンを幼子はきょとんと見上げ、こくりと頷いた。──その姿にシドニーは咄嗟に言葉をかけていた。
「そうだ。言うことを聞かない奴は……」
 何故言葉をかけようなどと思ったのか、それは分からない。子供のことはハーディンに任せ、自分は関わらないつもりだった。いや、今もそのつもりなのだが……それなのに何故といわれれば、やはり退屈しているのかもしれないとシドニーは思った。否、そう思うしかないのだった。
「?」
「シドニー?」
 突然かけられた言葉に、幼子はきょとんとした眼をそのままシドニーへと向けた。それに倣うようにハーディンや室の隅の彼女でさえも同じような視線を彼に寄せる。
 だが、シドニーは敢えてそれらを無視した。
 ──言うことを聞かない奴は。
 言葉を宙に浮かせる間、己が放った言葉を唇で復唱する。そうしてにっと笑みを作り、作った声色でシドニーは続けた。
「言うことを聞かない奴のところには、オバケが来るぞ?」
「──」
 視線の先、幼子の瞳がガラス玉のように丸くなるのをシドニーは愉快に思った。声の出なくなった喉からひゅっと空を切るような音がそれに続く。
「……おい」
 呆れるような、咎めるような相棒の呻きを当然の如く無視し、さらに言葉をシドニーは継いだ。
「ここにはなるほど、たくさんの死にきれぬ魂が住んでいる……。その中には子供の行いを見張っているようなのもいる」
「おいおい」
「そうしてたとえば、走り回って周りを困らせるようなののところには怖いオバケをよこす。せいぜい気をつけるんだな」
「……」
 最後に一瞥すると、幼子はさすがに固まってしまっていた。どんな子供でもオバケは怖い。一歩よろめいたその背をハーディンが慌てて支える。
「おいおいおい……シドニー」
 口から出任せで何を言っている。ハーディンが言いたいのはそんなところだろう、とシドニーは横目で彼を見やる。そんな彼にシドニーは肩を竦めて素気ない返事をし、内心で舌を出した。
 ──あながち、出任せでもないんだが。
 だが、真実というわけでもない。もっとも、その真偽の程はこの場においては「どうでもいいこと」ではあったが。
「何だ、ハーディン? ──ああ、そうだ」
 問い返しておいて、しかしシドニーは友人から視線を逸らした。そうして室の隅でこの様子をじっと見守っていた分析官を見やる。
「……何?」
「分析官殿はどのように教えられたのかな?」
「……──は?」
 シドニーの問いに、突然声をかけられた彼女は、立ち上がりかけたまま素で斜めに傾いでしまったのだった。

VERSION H

 ──最早疑う余地はあるまい。
 長々と続くやり取りにハーディンは天井を仰ぐ。古ぼけた天井にはクモの巣の跡があり、染みが滲んでいる。
 誰も直さない家。魔に浸った家。
 しかし今は天井などに思いを馳せている場合ではない。ハーディンは一瞬目を瞑ると、視線を元に戻した。
 目の前ではシドニーが「役人」に問いを重ねている。その愉快そうな横顔は、ハーディンにとって見慣れたものだった。
 ──疑う余地など少しもない。いや、疑うまでもない。
 硬直してしまったジョシュアの片手を取り、ぽんぽんと撫ぜてやる。そうしてようやく我に返った子を見下ろし、ハーディンは小さく笑んでみせた。それでようやくジョシュアにも笑顔が戻った。
 要するに。
 内心でハーディンは思う。要するに、シドニーは本当に暇なのだ。この重大かつ火急的な現在に在って!
 ……先刻までの自分を手の届かぬほど高い棚に上げ、ハーディンの思考は続く。
 僅かな時間だが、それでも空隙の時間。本当に本当に何もやることがない──できないというべきか?──こんな時にはシドニーは決まって戯言を言い出すのだ。
 深刻な状況でも、平穏な状況でも変わりなく。
 ──自分を落ち着かせるために無意識裏に繰り出しているのかもしれないが。
 ハーディンは思い、しかしその思考を中途で放り投げた。
「……考えたところで何かが変わるわけでもなし」
「どうした、ハーディン」
 ぼそりと呟いた独白を聞きつけたシドニーは、にこやかな表情のままハーディンに向き直る。いいや、とハーディンは慌てて首を振ってみせ、気付かれぬように幼子と共に一歩引いた。
 そうか?とシドニーは小首を傾げて視線を戻す。どうやら視線の先にある分析官との会話はまだ続いているらしい。
「聡明なる君にも子供の頃があっただろう? さて、どのように教えられたのかな?」
「……」
 分析官は無言のまま、シドニーを見据え返していた。返答に困るといったような顔つきではなかったが、それは彼女が表情を押し殺しているからにすぎない。
 それもそうだろう、とハーディンはやはり思う。こんな状況で誘拐犯と呑気に雑談など、普通はできないだろう。少なくとも、自分にはできない。そして、「頭の固い役人」であるところの彼女ならば、尚更だ。
 だが。
 短くはない沈黙の後、ハーディンの予想はあっさりと覆された。
「……確かに聞いたわね」
「ほら、シドニー。何を馬鹿なことを言って……えええ?」
 まるで取り合わないだろうと予測したハーディンは、己が耳を疑った。そのままの勢いで彼女を見ると、ちょうど視線が合う。ほう、と面白げに相槌を打つシドニーの声がどこか遠くに聞こえた。
 分析官は真顔だった。とはいえ、さすがにどこか諦観した風情はあったが、それ以上の素振りは見せない。
 何をそんなに驚くことがあるのかしら、と彼女の瞳はハーディンに告げていた。その様子にハーディンは自分が思い違いをしていたことにようやく気がついた。彼女は表情を押し殺しなどしていなかったのだ。
 ──どうやら彼女は見かけによらず、こんな状況で呑気に雑談ができる豪胆であるらしい。
 思わず再度天井を仰いだハーディンだったが、そんな彼を置いて二人の会話は続いた。
「で?」
「別に……。言いつけを守らなかったり、夜遅くまで起きていたり、そんな子のところにはユーレイが来ますよ、と言われたくらいだわ。その子と同じくらいの年頃だったわね」
 何かを思い出すように分析官は語る。その姿にハーディンは、この女にも子供時代があったのかと妙な感慨を覚えた。
「それはそれは」
 それで?とシドニーはさらに先を促した。
「実際会ったらどうするつもりだったのかな?」
 そう問うた彼に彼女は「そんなものはいないと思っていた」と素気なく返し、ハーディンを──、否、ハーディンの腕の中にいるジョシュアを見た。でも、とそうして続ける。
「でも、もし会うのだったら冬にしてほしいと願っていたわ。そうしたら何とか部屋から連れ出して、家の外から追い出してコチコチに凍らせてしまえるから」
「コチコチ──」
「ほほう」
 シドニーの頷きにハーディンは幼子ごと横に傾いだ。
 ──らしい、といえばとてもらしいということに、なるのか。
 普通の子供だったら、もう少し驚いたり泣いたりするのではないだろうか。冷静に願ったり戦略を練ったりするものなのだろうか。いや、そうではないだろう。
 自分などは、眠れなくなるくらい震えて怯えたのだが──無論、それはもう遠すぎる過去だが──それが普通なのではないか。
「なあ、ジョシュア。あいつらは絶対おかしいからな」
 オバケについて更に深く語り合う二人は放っておき、ハーディンは腕の中の子供に語りかけた。
 幽霊談義になってからもう大分時間が経っている。こんな時にこんなことで時間を費やしていいものだろうか、いやよくない──そうは思うが、それをひとまず棚上げにし、ハーディンは延々オバケ話を聞かされた幼子のケアを始めた。
 ──子供なんだ。なのに目の前の大人どもときたら。
「まるで話題を選ばん」
 ハーディンは思考の先を呟き、ジョシュアの薄い金色の髪をそっと撫ぜた。怖くないように、怯えずに済むように何度も撫ぜる。
 子供なんだ。まだ幼い。そんなに長々と話したら怯えるだろうが。内心で彼は悪態混じりの続きを呟く。
「だが、オバケは凍るものなのか? そう考えたことは?」
「あら、それもそうね」
 ──まだまだオバケ談義は止みそうもない。
「……お前はあんな大人になるなよ」
 溜息をつき、ハーディンはジョシュアに話しかけた。その声に今までじっと話を聞いていた幼子はハーディンを仰ぎ見る。
「──」
 ジョシュアと視線が合った瞬間、ハーディンは絶句した。
 幼子の瞳は好奇心できらきらと輝いていた。話に聞き入ろうと身を乗り出していたのか、ハーディンの腕をそうして小さな手でしっかり握っている。
 まさか。ハーディンは眼前が暗くなる想いで幼子を覗き込んだ。
 まさか。まさか、いや、やはり血は争えない、そういうことなのだろうか。
「ジョ、ジョシュア……?」
 大きな瞳でハーディンを見上げるジョシュアに、ハーディンは縋るように問いかけた。その問いにジョシュアは小さく首を傾げてみせると、再び注意と視線を二人の会話へと戻す。その姿がハーディンの推測が正しいことを如実に物語っていた。
「ジョシュ──」
「あら……」
「どうやら「怖がり」はお前だけのようだな、ハーディン?」
 そして。
「──」
 すっかりジョシュアを注視していたハーディンは、名を呼ばれ我に返った。視線を上げると、会話を止めた大人二人が自分と幼子を眺めていた。──揃いも揃って、同じような表情をして、である。
「怖がらなかったのは誤算だったが。──ほら、お前だけだ、そんなに眉根を寄せているのは」
 怖がりだからな、と再度意を込めてシドニーは揶揄った。その言葉に再々度ジョシュアがハーディンを見上げ、そうなの?と無言の問いを繰り出す。
「な、だ、誰が」
 シドニーとジョシュアのなかなか見事な連携に、ハーディンは咄嗟の言葉を失った。だが、声を励ましあらん限りの大声でシドニーの発言を否定する。
 無論、このときハーディンの脳裏からは、VKPのリスクブレイカーもクリムゾンブレイドの連中も綺麗さっぱりと抜け落ちていた。
「誰が怖がりだと!? おいシドニー、いい加減なことを言うな!」
 ジョシュアを引き離し、ずんずんと歩を進めると、ハーディンは気楽に窓辺に凭れていたシドニーをがくがくと揺さぶった。
「おい、痛いぞ。だってお前、初めてここに来た時は、それはそれは酷く不安気で──」
「昔の話を今更持ち出すな!」
 にこやかに言いかけたシドニーの言葉をハーディンは叫んで遮った。忘れたい過去であるのに、友人は事あるごとにこの話を決まって持ち出す。否、ハーディンにとって忘れたい過去であるが故にシドニーが持ち出すというのが正解なのだろう。
「確かに」 
 背後から賢しげな声が響く。
「私達が話している間、物凄く暗い表情だったわね。その子をぎゅっと抱きしめて、まるで小さな子がぬいぐるみを──」
「……お前達がお気楽すぎて頭痛がしていただけだ!!」
 泣きたい気分でハーディンは怒鳴った。
 先刻からの頭痛は今や激痛と化していた。

VERSION OTHERS

「……何か聞こえたか?」
「聞こえた。……くすくすくす、というような怪しげな笑い声と、雄叫び……」
 「制圧」したレアモンデ市街地を巡回していたクリムゾンブレイドの兵士達は顔を見合わせた。見合わせた視線の先、互いの瞳が恐怖にかられているのがよく分かり、彼らは同時に唾を呑む。
 ここは、レアモンデ。数多の者が命を落とした場所。
 ここは、死の街。生きて帰って来れた者はなく、異形の者が未だその姿を留める場所。
 見合わせた視線を二人はそろそろと動かす。その瞬間、この世のものとも思えない咆哮が彼らの全身を圧した。
 背筋を冷たいものが駆け上る。この場を離れたいという咄嗟の願いが足を浮つかせた。
「こ、こっちは問題なかったな!」
「そ、そうだな。隊に合流するぞ!」
 互いに頷き、兵達は全速力でその場を離れた。
 故に彼らは知らない。自ら下した判断によって、自分達が手柄を取り零したことを。
 そして、それ故に彼らは知らないのだった。
 最高に機嫌がよくなった教祖と、怒りでバーサク状態になった教団幹部と出会わなかった自分達は、最高に運がよかったのだということを。

 この期に及んで、レアモンデは平和なようであった。