Salute 2

終章

 括りつけの木棚を開け、中から寝かせていた酒瓶を数本取り出すと、彼女はそれらを小さな卓に置いた。
 見計らったようにコツコツと何かが窓枠を叩く。その音に窓へ視線を向けると、彼女は小さく「ああ」と呟いた。
 瓶を倒さぬように卓の脇を横切りそうして窓を開けた瞬間、冬の色を帯び始めた風が暖かい室に流れ込んできた。
 慣れた所作で鳥の胸元に指を置くと、鳥も心得たものかおとなしく彼女の指に乗った。その──鳥の右足には、紙が括り付けられている。
 窓を閉め、鳥を指に留めたまま「いつもの場所」へと彼女は移動する。部屋の片隅の目立たないところにある止まり木に鳥を移し、近くの袋から鳥用の餌にと溜めていた籾殻や干した果実の残りなどを器で汲み、別の器に水を注ぎ、あわせて傍の台に置いた。
 鳥が餌にありつこうとするのを一瞬だけ留め、彼女は鳥の足に括られた紙を外した。
 広げ、ごく短い手紙をざっと読む。手のひら大の紙片のそれは、間もなく帰ってくるだろう息子からの手紙だった。
 
 暖炉の火を弱めて外に出る。既に傾いた初冬の陽射しは儚いが十分眩しい。
 一瞬眩んだ目はすぐに慣れ、彼女は翳した片手を下ろした。
 木が風にゆっくりと騒ぐ。草が風と遊ぶ。そうして生まれるシルフィの音。
 潮をはらんだ風は草原へと吹き渡っていく。村を少し外れればすぐに広がる草原へ彼女は足を運び、草がうねるように靡いていくさまを眺めた。
 やがて南東の空にふたつの白い点が見え始める。点はぐんぐんと大きくなり、竜の形になっていく。その『良き友』である竜達を彼女はよく知っていた。
 ──さて。
 近付きつつある竜とその騎乗者達を思い浮かべながら、彼女は不敵に笑んだ。
 ──まず何て言おうかしら。
 そして彼は一体自分に何と言うだろうか。そう、彼はどんな風に自身の上に歳月を降り積もらせたのだろう。あの子を見て、彼はどんな表情を浮かばせたのだろう……。諸々の興味は巡り、消えずに円を描いていく。否、消さないで後に取っておこうとそんな風に彼女は思った。
 一度旋回して二匹の竜は草原に舞い降りた。
 まず真っ先に駆けてくるのはいつもと同じ、セレスタ。そして後の三人は何か話をしながらゆっくりと歩いてくる。
 抱きついてきた少女を受け止めながら、彼女はかつての戦友を見つめた。
 そして彼もまた。


 全速力で抱きついたセレスタを難なく受け止めたかつての同僚は、記憶にある風貌とそう大して変わっていなかった。そして身のこなしも。
 一言二言少女に彼女が何事か囁く。そうして少女が身を離すと、彼女は──バルマウフラは皮肉を散りばめたあの笑みで、両手に腰を当て己を見やった。
 そんなところも変わっていないとディリータは思う。彼女の息子から聞き、理解していたが……確かに語られたそのままのバルマウフラがそこにはいた。
 無論、彼女の前にも時は止まったわけではない。自分やラムザと同じように彼女も時間の針を少しく進めてはいる。
 おそらく、彼女も同じように思っているだろう。それだけの時が、流れた。
「……久しぶりだな」
「お久しぶり。元気そうでまったく何よりだわ。──貴方もね、ラムザ」
「久しぶり、バルマウフラ。君こそ元気そうでよかった」
 互いの挨拶が終わると、三者の間に不思議な間隙が生まれた。誰も何も言い出さない、だがそれでもどこか満ちている合間。それこそが旧い……かつてを知る者との邂逅に生まれるもの。
 彼女と最後に会ったのは、オーランのそれよりもさらに昔のことだ。まだ戦も終わらぬ頃のゼルテニア城で──追捕中のオーランを追い詰めた際、己に付き従っていたのが彼女だった。あの場で己はオーランと彼女を前に野心を語り、その言葉に一方は拒絶を示し、他方は裏切り者を始末すべく己に刃を向けた。
 あれから会っていなかった。会うつもりもずっとなかった。
 何か他に言うことはないのか、と語る瞳にディリータは何と返していいのか、事実窮した。仮面も王冠も既に持たず、贖罪も断罪もないのだと説き伏せられた己はどう振る舞って良いか分からないというのが正直なところだった。
 そのとき。
 不意に背を叩かれディリータは少しばかり前のめりになった。一歩足を踏み出した姿勢のままで振り向くと、そこにはラムザがかすかな笑みを浮かべて立っている。そうして彼は唇の動きで短い科白を紡いだ。
 ──僕と、同じだろう?
 音にはならぬ響きでラムザはそう言うと、両目を瞑ってみせた。ああ、とその所作にディリータは思う。思い、知らず苦笑した。
 時はそうして動き出す。
 時を経て生まれた新たな希みのために。
 昔願った希みのかわりに。
 久しぶり、とか元気だったか、とかそういった一連のやり取りの後に続くのは、平易な言葉で良い。ぎこちないやり取りを越えた後に在ればいいのは、飾らない距離感。時を経て生まれるであろう新たなそれ。
 息を吐き、肩に入っていた力を抜くと、ディリータは改めて彼女に向き直った。
「まったく相変わらずだな。素早い身のこなしはさすがだ」
「褒め言葉として受け取っておくわ。そうでもなければ貴方の刃を避けることなど出来はしなかったんでしょうから?」
「……本当に変わらないな」
 吐かれた科白に呆れてディリータが言うと、バルマウフラは待っていたように相好を崩して笑った。そうしてくるりと軽やかに身を翻す。
 その動きは、隣に立つ少女とよく似ていた。
「さあ話を聞かせて頂戴。ウィルに聞かせたような小難しい話なんかじゃなくて、もっと面白いものをね。セレスタにウィル、ラムザも一緒に……。とっておきの葡萄酒を用意しておいたから、それでお祝いしましょう」
 歓声を上げてセレスタとウィルが歩き出す。彼らを追うようにバルマウフラもゆっくりと草原を歩き始めたが、止まった気配に何を思ったのかふと薄い青色の空を仰ぐと、彼女は微笑んで言った。
「星まわりの葡萄酒の中から選んだのよ。──誕生日の葡萄酒はひとりで飲むものじゃないわね?」
 昔なじみの言葉に、ディリータは破顔した。

吟遊詩人の歌

風は目には見えない
それは仕方がないけれど
大きな風車の羽根を回すから
風は確かにそこにある

時も目には見えない
それは仕方がないけれど
それでも確かに流れていくと知っているから
人は未来に何かを残そうとする

続いていくと知っているから
伝える何かを求め そして繋いでいく

<終>

あとがき

本作はクレメンス公会議から二十年後くらいのものとなっています。前作「Salute」の続きとして書きました。……続くなんて思ってもいませんでしたが、久々に書いてみたらディリータの眉間の皺が確かに取れてきたかな、やっぱりラムザ他の面子に少し振り回されてたほうがいいんじゃないかとか適当なことを考えてもみました。それも懐かしいです。
また、オリジナルのキャラクターであるところのセレスタは元気いっぱいな子で話を大幅に伸ばしてくれもしました。リュシィとは別ベクトルですが、面白いキャラかもしれません。きっとディリータはこの手合いには負けると思われます。自分のテンポが保てなくなるというかなんというか。
最後までお読みいただきありがとうございました! ちなみに、本作品に登場する造語などはエスペラントだったりフランスだったりイタリアだったりする言葉を拾ってきています。当時のマイブームが思い出されます(「ARIA」の影響大だったような)。

2021.07.24追記:自分用の本の作成ついでに少し修正をしました。読み返してみて「このとき楽しんで書いたのね(今もですが)」というのがひしひしと文面から伝わってきまして、こういうのも二次創作同人の楽しさだよなーと思ったのでした。

2007.12.29 / 2021.07.24