The Way To The Truth And The Fact

3

 衝撃だった。

「貴方は、何を、やってるのよ! ここを何処だと思っているの!」
「それはこちらの台詞だ! 君こそ、いったい何があったんだ! 何故こんなところに」
「別に、好き好んでここにいるわけじゃないわよ! 色々あったの!」
 顔を合わせるなり怒鳴るように言い争いを始めた娘と男に、メリアドールは呆気にとられた。
「色々? 突然姿が見えなくなったから、心配したんだぞ! 君のことを審問官が連れ去った、小間物屋の主人がそう教えてくれたときには肝が冷えた……。それなのに、全部ひっくるめて「色々」で終わらせるのか!」
「じゃあ、一言一句そのまま吐けっていうの? そんなの現実的じゃないわよ!」
 ──話の論点がずれているのでは?
 他人事ながらメリアドールはそう思ったが、もはや口を挟めるような雰囲気ではなかった。勿論知り合いなのだろう、そうしている間にも娘と男は遠慮のない揚げ足取りの言葉を相手にどんどんぶつけていく。
「あああ……。あの、お静かに……」
 神父のうろたえた声に、メリアドールは戸口に目を向けた。言い争う二人を制止したいのだろうが、手を上げ下げしているだけでは何にもならない。興奮状態にある二人には神父の声などおそらく届いていないだろう。
 ──まるで役に立たない。
 そう思いながらも、メリアドールは神父に目配せをした。あとは任せて、と無音でそう言ってみせると、神父は明らかにほっとした様子になった。
「そもそも、心配してなんて言ったおぼえはないわ。恩着せがましい」
「恩着せがましいって……そんな言い方はないだろう、バルマウフラ。そりゃ、僕が勝手に心配しただけなのかもしれない。でも」
 ──まったくもって、貧乏くじをひいたわね。
 足取りも軽く部屋を辞去した神父を見送り、メリアドールはぼんやりと二人を眺めた。
 仮定形にする必要もない。まさしく、これは痴話喧嘩だ。犬も食わないというあれだ。
「でも、じゃないわよ。オーラン、貴方ね──」
 ならば、静観するくらいでいいだろう。互いに手を上げなければそれでいい。
 少し退屈かもしれないが。
 そう思ったメリアドールだったが、バルマウフラという名らしい娘が口にした男の名前に聞き覚えがあるような気がして、ふと意識を現実に戻した。
 オーラン。その名前はどこかで聞いたことがある。記憶の狭間にあったはず。
 ミュロンドで。あの戦で。
 そして──、今も。
「……オーラン・デュライ?」
 数拍を置いて、メリアドールは浮かび上がった名前を呟いた。
 その呟きに、二人は言い争いを止めた。顔を見合わせ、次いでメリアドールを見つめる。ぴたりと息が合っているとは言い難いが、それはそれで絶妙な間合いだった。
 そして、その間合いこそが事実を物語っている。メリアドールは確信した。
「聞きかじった名前なのだけれど、違うかしら」
 メリアドールの問いかけに、男は不審げな表情を見せた。
「いかにも、そうだが……。君、いや、貴女は……?」
「メリアドール様よ」
 メリアドールが口を開くよりも前に男の問いに答えたのは、娘──バルマウフラだった。どこか誇らしげな笑みを垣間見せ、立ち尽くす男を見上げる。
「メリアドール? え、まさか、神殿騎士の」
「その、まさか」
 男は頷くバルマウフラを見つめ、次いでメリアドールを凝視した。
 何をそんなに驚くことがあるのか。大きく目を見開く男の様子にメリアドールはそう思ったが、すぐに考え直した。なるほど、自分のことをまったく知らない者にとってはその正体など何の意味も持たない。意味があり、価値があると見出しているのは、男が「知る者」だからだ。同様に、バルマウフラもそのひとりに違いない。
 オーラン・デュライ。南天騎士団の魔道士。先の戦では、シドルファス・オルランドゥの片腕として情報収集の任にあたっていた。……教会からしてみれば、非常に厄介な存在だった男。要注意人物。
 それならば、と思う。直接に相対したことはないが、こちらの名を知っているのは至極当然のことだ。
「はじめまして。私はメリアドール・ティンジェル。今は殆ど瓦解してしまっているけれど、神殿騎士団の末席に名を連ねている者。そして、先の団長だったヴォルマルフ・ティンジェルの娘。貴方……貴方達には、こう名乗るべきかしら」
 メリアドールは椅子から立ち上がると、二人に名乗った。手を差し出し、握手を求める。
「いや、ああ、その……はじめまして?」
 デュライは握手に応じたが、なおも戸惑った様子を見せた。急な展開に思考が転換しないらしいそのさまに呆れたのか、寝台のバルマウフラが盛大に溜息をつく。
「……なんか、間抜けよ」
「仕方ないだろう? 何がどうしてこんなところに彼女がいると思うんだい?」
 デュライがそう言うと、バルマウフラは「馬鹿ね」とデュライに向かって言った。
「ここは教会よ? 私達がいるより、ずっと自然なことだわ」
 すまし顔で言うバルマウフラに、メリアドールは苦笑した。彼女の言うとおり、教会関係者である自分がここにいることは何らおかしいことではない。別段、ミュロンドにひきこもるのが常というわけでもないのだから。
 ──弾かれ者、ではあるけれど。
 自嘲しそうになる気持ちをぐっと抑え込み、メリアドールはデュライの出方を待った。
 手にしている情報は未だ少ない。その状態でこの男はどんな答を出すのか──、メリアドールはそう思ったが、デュライはバルマウフラと自分が知る「正答」には辿り着かないように思えた。
「それはそうだが、しかし……」
 デュライは口ごもり、バルマウフラとメリアドールを交互に見やった。
「しかし、何かしら?」
 言い淀むデュライに、メリアドールは言葉の先を促した。導き出されるはずの「誤答」をそうして待つ。
「……。もしや、審問官をバルマウフラに接触させたのは貴女なのでは? 教会の人間である貴女は逃げ出したバルマウフラを追補していた──」
「本当に、馬鹿ね!」
 メリアドールが予想していたとおりの「誤答」に素早く反応したのは、バルマウフラだった。待ち構えていたような間合いで怒鳴った彼女は、こんな展開になるだろうと分かっていたのかもしれない。
 バルマウフラの怒りを身に浴び、デュライは一瞬身を竦めた。だが、それはあくまで一瞬のこと、すぐに困ったような笑みを口の端に浮かばせた。
「バルマウフラ……」
「審問官が私を捕まえたのよ。偶然なのか待ち構えてたのかは知らないけれど……たぶん待ち構えてたんでしょうけれど。それで、奴はこの教会で自白させようとした。針を使われてしまったから、私にはどうにもできなくて絶体絶命だった。その窮地を救ってくださったのがメリアドール様よ」
 バルマウフラは一気に捲し立てると、デュライをきつく睨んだ。
「それが、君が言った「色々」?」
 睨まれたデュライは溜息をつき、得心したように「なるほどね」と呟いた。
「そうよ。……ちょっと、やめなさい!」
 強気に応じたバルマウフラの頬を、解いた髪をデュライが撫でる。バルマウフラの再びの怒鳴り声も無視して撫でるそのさまはいかにも甘やかで、メリアドールは思わずげんなりとした。
 デュライは勿論わざとやっているのだろう。いったい何の目的があるのか、それを考えるのは時間と労力の無駄だと思った。
「……。そういうことは余所でやってね」
 腕を組んでメリアドールが呆れ声で言ってみても、デュライは平然としている。他方、バルマウフラはといえば、見る間に顔に朱を上らせた。
「ほら、メリアドール様に呆れられてしまったじゃない!」
「呆れられなければいいのかい?」
「よくないわよ! そういうのは屁理屈っていうの!」
 景気よくバルマウフラが怒鳴る。多分に照れ隠しも含まれているのだろうが、彼女の怒りはある意味もっともといえた。幸いにも先刻までの弱った様子はもう見えない。怒りと、そして安堵が彼女を回復せしめたのだろう。
「まあ、そうね。なんなら、私はここで退室してもいいわよ? バルマウフラ、元気になったあなたがデュライを蹴りつける前に」
「……ッ! そんなことしませ」
「よくしているけどね」
 メリアドールの言葉にバルマウフラが咄嗟に反駁したが、それに被せるようにデュライが言う。聞きようによっては皮肉めいているが、デュライの声色は優しい。
 バルマウフラは相当に愛されているのだろう。砂を吐くほどの甘い雰囲気は第三者にはいただけないが、「裏切り者」のその後が大抵は悲惨なものだと考えると、彼女は幸せなほうだ。よかった、と純粋に思う。
「オーラン、貴方は少し黙っていて。……メリアドール様、もう少しお時間をいただけませんか?」
 ぴしゃりとデュライに言うと、バルマウフラは居住まいを正した。部屋を出ようと動きかけた自分を真顔で見つめてきたので、メリアドールは改めて彼女に向き直った。
「いいけれど……?」
 特に断る理由もないのでメリアドールは彼女の言葉に素直に応じたが、バルマウフラの纏う雰囲気の変化にそっと眉根を寄せた。
 ──また、何かが起きようとしている?
 今の今までデュライと言い争っていた彼女ではない。何を考えているのか読めない、何をしようとしているのか分からない──、そこにいるのは謎めいた娘だった。
「バルマウフラ?」
 同じ思いをデュライも抱いたらしい。困惑の声色でデュライはバルマウフラを呼んだが、彼女は綺麗にそれを無視した。
 そうして彼女は告げる。
「メリアドール様のすべてを……辿ってきた道筋のすべてを教えてください」