The Way To The Truth And The Fact

2

 小さな窓を開ける。空気の入れ替えには甚だ心もとない窓だったが、しばらく経つと緩やかに春の風が吹き込んできた。
 朝方はまだ冷え込んでいたが、昼の間に陽の光をたっぷりと含んだらしい。風は春特有の埃っぽさを僅かに含みながらも暖かかった。
 その暖かさに、メリアドールは息をついた。陽もようよう射さぬこの部屋は、弱き者が休むには少々厳しい。整えられているから黴臭さは感じないが、部屋はそれでも薄暗く、寒々しかった。
 ──この春風で、少しは和らげばいいのだけれど。
 そう思いながら、寝台に寝かせた娘を見やる。
 懺悔室で娘が倒れたあの後、メリアドールは駆けつけた神父らに娘をこの部屋に運ばせた。同時に、渋る審問官を退け、娘の身柄と処分を引き受けた。ミュロンドへの連絡も然りだ。
 部外者の身ではあるが、やはりあの審問官には任せておけない。メリアドールは自らの直感を信じていた。……昔は、その直感が早とちりという形になって災いしたこともあったが、あのときの──ラムザを弟の仇だと思ったときの──感情や判断は今も正しかったと思っている。後悔はしていない。
 今回の騒動も同じだ。もしかすると、後には審問官の言が正しかったと思うのかもしれない。だが、それでも今は。
「そのときは、私が判断すればいいだけね……」
 本当に、ただそれだけのことだ。難しいことではない。
 メリアドールがそう結論づけたそのとき、娘が小さく身じろぎをした。どうやら意識を取り戻したらしい。
 娘は薄く見開いた目を数回瞬かせ、ぼんやりと天井を眺めた。そうして、再び目を閉じる。その様子は、夢の残滓が残っているような具合だった。
「気が付いたようね」
 意識が浮かび上がったその一瞬を見逃すわけにはいかず、メリアドールは娘に声をかけた。それほど大きな声を出したつもりはなかったが、声はよく響いたらしい。娘は勢いよく半身を起こした。
「ここ、は……ッ」
「ああ、無理をしないで。ゆっくりと息を吐いて……そう。枕を背に当てるから、凭れなさい」
 目眩を起こしたのだろう、傾いだ娘をメリアドールは支えた。ヘッドボードに枕を置き、娘を凭れさせる。
「ここ……? いったい、なにが……」
 なかなか整わない呼吸を後回しにしてでも状況を把握したいのか、娘は急いた様子でメリアドールに問いを重ねた。
 メリアドールは思わず苦笑した。手近な椅子に座り、投げ出された娘の手を取る。そうして手の甲を優しく撫でると、「ひとつずつ答えるわね」と娘に笑みかけた。
「ここは、ディジェットの教会。あなたは審問官に見つかって、この教会に連行された。そのときに毒針を使われたから、倒れてしまったのよ」
 噛んで含めるように言葉を重ねる。思い当たるふしがあるのか、娘は険しい顔になった。
「あ……そういえば……」
 あいつ、と吐き捨てるような物言いで娘は呟いた。
「ばったり出くわして、逃げきれなかった……。しつこいったら……」
「そんな類の人間ね、あの審問官は」
 娘の言葉にメリアドールは頷いた。
「追い払ったけれど、随分とあなたに執着していたわ。……格好の獲物を捕らえたと思ったんでしょうね?」
 確認の響きでメリアドールは続けた。審問官が並べ立てた罪状とやらが正しければ、確かに娘は罪人に違いない。
 それをメリアドールは否定できなかった。この娘は、どこかそんな雰囲気をまとっている。諜報の役目を負っていたという審問官の話も「ありえそうな話」だと思えるような何かを娘は秘めていた。
 少なくとも、ただの善良なる平民といったふうではない。これもまた直感といえるのだろう。メリアドールは自らの勘を今度も信じることにした。
「獲物……」
「教会を欺き、逃げた──。審問官はそんなふうに言っていたけれど、何かあったのかしら?」
 聞いてもいい? メリアドールは笑みを崩さずに娘に尋ねた。相手に有無を言わせない口調になっていることは承知の上で、敢えて同意を求める。
 ──命令するよりもタチが悪いわね。
 内心ではそうも思うが、事情を知るには必要なことだった。審問官から「娘の処分」を引き受けた手前、一応は聞いておかなければならない。
「何か……。ええ……そうです」
 促すメリアドールに、娘は言葉を濁しつつも首肯した。それでも話すべきか迷っているのだろう、視線が宙にさまよう。
 話せ、そう言われてもすぐにすべてを吐露、いや、白状する者などそうそういない。分かりきっていることだったから、メリアドールは焦らなかった。幸い、時間に追われる身ではないというのもある。
 ひとつずつ、事実を積み重ねればいい。あるいは、娘が語るかもしれない嘘を。
「ああ、その前に。名前を聞く必要があるわ。いえ、私が先に名乗るべきね。私は……」
「メリアドール様。メリアドール……ティンジェル様」
 まずは名乗ろうとしたメリアドールを、はっきりとした口調で娘が遮った。
「──」
 さまよっていたはずの視線は、いつの間にかメリアドールに固定されていた。強い意志を持った娘のまなざしは、挑戦状を相手に──メリアドールに──叩きつけているようでもあった。
 急に変わった娘の雰囲気にメリアドールは一瞬呑まれかけたが、その動揺を表には出さなかった。ええ、と頷いてみせる。
「私を知っているの?」
「ミュロンドにいたことがありますから」
 お役目で、と娘は素っ気なく言った。
「そう……。騎士団の人間なら見知っている者ばかりなのだけれど、あなたは違うわね。審問官はあなたのことを諜報員だと言っていたけれど……?」
「ええ」
 娘は過去を隠すふうでもなかった。諸々を諦めてしまったのかもしれない、メリアドールは娘の様子にそんなことを思う。
 過去が未来の邪魔をする。そして、自由を。裏切り者という烙印を押された末に。
 ……それは、自分も同じ。後悔はしていないが、その事実は揺るがない。過去を消せはしない。
 メリアドールはそっと目を伏せた。……少し、何かが痛んだような気がした。
「メリアドール様」
 急に口を噤んだ相手をどう思ったのか、娘が気を引くようにそんなメリアドールに呼びかけた。
「別に開き直っているわけじゃないんです。ただ、本当のことを答えただけで……あの審問官なら嘘で切り抜けられますが、メリアドール様を相手にするのは無理だろうと思っただけのことです」
 そう言うと、娘は切れ長の瞳を細めた。
「無理?」
「ええ。虚実で己を塗り固めた相手を煙に巻くのは容易いことです。でも、そうでない者……たとえばメリアドール様のように、ご自身のなかに真を置いている方には私は勝てない。だったら、早々に白旗を掲げたほうがマシですから」
 問い返したメリアドールに、娘は事も無げに言った。まるでメリアドールのことをよく知っているとでもいうような口ぶりに、メリアドールは当惑した。
 この娘は、いったい何者だろう。只者ではないとはじめに思った自分の勘はやはり正しかったらしいが、それにしても。
「随分と、高く買ってくれているようだけれど」
 メリアドールが探るように言うと、娘は笑った。
「……まあ、半分以上は受け売りなんです。「あの男」についていったなら、そうなんじゃないかっていう知人の推測で。あとは、私がミュロンドで聞きかじっていたメリアドール様の評判からの推測ですね」
 手品の種明かしをするように、すらすらと娘が答える。その言葉に引っかかるものがあり、メリアドールは口元に指を当てた。
「あの男? ……まさか」
「勿論、ラムザ・ベオルブです」
 さすがに声は潜められたが、娘はメリアドールが思い描いた青年の名をはっきりと告げた。同時に、嘘やごまかしは見逃さないというような強いまなざしをこちらに向ける。
 ──この娘は。
 混乱しそうだった。ひょんなことから関わったこの一件は、思いもかけない方向に向かおうとしている。こんなにも簡単に「異端者」と呼ばれる者の名が出てくるなんて。
 知らず、メリアドールは娘を見据えた。
「あなた……」
 だが、何をどう答えてよいかは分からなかった。迂闊なことを言おうものなら、再び追われる身となる可能性もある。審問官は娘のことを「裏切り者」と称したが、実は未だに教会と通じているかもしれない。秘密裏に命を受けて動いているという線も否定できない。
 そう考えると、より深く娘の素性を知る必要があった。今はまだ何の情報も手に入れていないに等しい。それは、あまりにも危険な状況のように思えた。
 気を入れ替えるためにメリアドールは咳払いをし、改めて娘に正対した。
「……あなたには、色々聞きたいことがあるわ。まずは、そう。聞きそびれていたけれど、名前を……」
 そこまで言いかけて、メリアドールは口を噤んだ。部屋の外がなにやら騒がしい。
 複数の足音が止まった。言い争いにも似た会話が続いたかと思うと、急に途切れる。悲鳴のような声で制止するのは、先程の神父か。殺気立った気配。
「ああ……まったく……」
 何事かと構えたメリアドールの耳に、娘の投げやり気味な呻きが聞こえた。
 そうして、一瞬の静寂。
「バルマウフラ!」
 壊れるのではと思うほどの勢いで扉を開いたのは、見知らぬ男だった。