Versus

Balmaufra

 自分と、これからの未来のための。


 みゃあみゃあ、という鳴き声が港町いっぱいに響いている。
 おそらくは船の積荷か何かに期待しているのだろう、気がつけば空にはたくさんの海鳥が飛んでいる。青い空に鳥が映えていて綺麗だと彼女は思った。
 そうしてそのまま歩き出そうとして、ふと振り返る。続いて聞こえるはずの足音が──いつもならば自分より先に走っていってしまうような軽い足音が──聞こえない。
「ウィル?」
 まさかはぐれてしまったかと名を呼んで周囲を見渡すと、探し人は幸いすぐに見つかった。彼女の数歩後ろで子供はじっと空を見上げている。
 ほんの少し前の自分がただ眺め見たようにではなく、真剣に。まるで何かを空の中に見出すかのように。
「……」
 その様子に彼女は──バルマウフラは小さく溜息をついた。手にしていた鞄を持ち直し、ゆっくりと我が子に歩み寄る。
 ウィルも気付いたのか、視線を空の高みから彼女へと移した。その瞳が微かに潤んでいる。
「やっぱり探していたのね?」
「……うん」
 行き交う人々の邪魔にならないようにと、手を引いて道の端に寄ると、バルマウフラは注意深く鞄を置いてウィルの傍らにしゃがみこんだ。
 手袋を外し、眦に滲んだ涙を指で拭う。そうして彼女は子供が口を開くのを待った。
「鳥さんたくさんいたけど……セセリいないよ?」
 やがて紡がれた言葉はバルマウフラの想像通りのものだった。それもそのはず、こうしたやり取りは長い旅程の最中に何度もしてきたのだから。
 再び溜息をつきそうになるのをぐっと堪え、バルマウフラは少しでも安堵できるようになんとか笑みをつくってみせた。
「……そうね。まだ姿が見えないわね」
「父上のところにやっぱり行っちゃったのかな……」
「……」
 ウィルが言い募る。その表情がどんどん暗くなっていくのを見て、彼女は困ったなと内心思った。
 セセリは、オーランが飼っていた鳥だ。何か役目を負った鳥というわけではなかったが、主によく懐いていた。彼が出かける際は付き従っていたのを思い出す。文使いも時折していたようだった。
 もっとも、「餌をくれる人」くらいにしかバルマウフラのことを鳥は思っていなかったようだが、子供のことは別だったらしい。赤ん坊のときからセセリはウィルのことを構った。
 そして、森の中で育ったウィルにとっては、セセリが唯一ともいえる「友達」だった……。
 ついに本格的にぽろぽろと泣き出したウィルを宥めながら、この旅路で、とバルマウフラは頭の片隅で考えた。
 最初の頃──森を出て大きな街道に入るまでは、鳥は少し離れながらも二人に付き添うように飛んでいた。休む時にはウィルの傍にいたので、それで大分気が紛れたのも事実だった。
 しかし、いつしかセセリは姿を見せなくなった。鳥車に揺られながら空を見上げても、真白の鳥はどこにも見当たらなかった。
 オーランの元へ戻ったかとバルマウフラは思い、ウィルにもそう話して聞かせたが子供は納得しなかった。『父上からセセリを預かった』からそんなはずはない、ときっぱりとした口調で言い返した。
 だが、旅の途中で何度空を見上げて待ってみても鳥は現れなかった。そうしてそのたびに母子の切ないやり取りは続けられたのだった。
 街道に入り、いくつもの街を通り、国境すら越えて、この港町でも──「海向こう」へ向かう船に乗り込もうとしている今もなお。
 ──噂話に、公会議で起きた「事件」を聞いた今もなお。
 鳥は戻ってこない。
 これだけ離れてしまったのだから、と思う自分がいる。主のことが気になったのだろう、とも考える自分がいる。それは諦めという言葉が似合っていると思ったが、自分はともかく、子供に強いるには難しくも思えた。
 しかし、いつまでもこの場に留まっているわけにもいかない。乗船の手続きや宿の確保などは早めにしておきたかった。
 バルマウフラはウィルの濡れた頬を取り出した手巾で拭うと、辺りを見渡した。
 行き交う人々。荷車。通りに面して連なる店。店の屋根越しに見えるのは、船の帆か。
「船を見に行きましょうか、ウィル」
「おふね?」
 泣き顔のまま問い返した子供にバルマウフラは頷いた。
「鳥さん達もここより船の近くにいるようだし、ね」



「大きいねー!」
 はたして、船は二人の想像よりずっと大きかった。
 岸壁に係留された船の中には小舟のようなものもあったが、帆を持つ船ともなると家が数軒も入るのではないかとバルマウフラでさえ思うくらいの大きさがあった。しかも、それがずらりと遥か奥まで何隻も続いている。
 さすがはオルダリーアの中でも有数の港町だ、と歩きながら彼女は思った。
 一方ウィルはというと、今は好奇心いっぱいの表情でバルマウフラの手を引きながら先を歩いていた。
 ともすれば走りだしてしまいそうな我が子に苦笑し、その手をしっかりと彼女は握る。人の数はそれほど多くはないが、転んだ勢いで海に落ちてしまっては大変だ。
 忙しそうに働く水夫達の邪魔にならぬよう、そうして二人は歩いた。
「どのおふねにのるの?」
「そうね……まだ分からないけど、あれじゃないかしら」
 問われ、バルマウフラは目に止まった一隻の帆船を指差した。舳先に、今まで見たことがない動物の像が取り付けられているのが特徴だ。
 ──海向こうの国には、僕らの知らない生き物もいるそうだよ。
 ふと、オーランが笑顔で語っていたのを思い出す。オルダリーアから先の旅をどうするか考えていた時、彼は色々な知識に混ぜて確かそんなことを言っていた。
 鳥のような大きな翼を持ち、空を自在に駆け巡る──、海向こうの人々にとっては「良き友」というらしい翼竜。
 話半分に聞いていたが、こうしてみると憶えているものだと彼女は思った。
「すみません、あの船は──」
 休憩している風情の水夫に慣れない言葉で訊ねてみると、バルマウフラの示した船は確かに「海向こうの国」行きのものだった。今は出港の準備中で、まだ乗船手続きも受け付けているんじゃないかと水夫は付け加えてくれた。
 鴎国語は分からないウィルに説明してみせる。すると、子供は「当たりだね!」と喜んだ。
 バルマウフラもつられて微笑みながらもう一度舳先を見やり、そうして固まった。──舳先の天辺に見慣れた白い鳥が止まっている。
 我が子にとっての「良き友」が。
「母上?」
 立ち止まった自分を不思議に思ったのか、ウィルが見上げてくる。その視線を誘導するようにバルマウフラは再び舳先を指差した。
「ウィル。あそこに」
「……? ──あ」
 促され、ウィルもまた舳先の天辺を見上げた。すぐに気付いたのだろう、声が上がる。
「セセリ!」
 呼びかけられた鳥もまた気付いたように空へと舞う。そうして翼をはためかせると、二人の頭上をくるくると回った。
 青い空に白の鳥が眩しい。
 やがてウィルが片方の手を空へと伸ばした。心得たとばかりに鳥は翼をたたみ、その腕に落ち着いた。
「……見届けてきたのね」
 喜ぶ子の隣でバルマウフラは鳥に語りかけた。きっとこの鳥は二人のかわりに「彼」を見届けてきたのだ、そんなふうに思えたから。

 声が聞こえたのか、真白の鳥は頷くようにクゥと一声鳴いた。

<終>

あとがき

2016年7月に発行した同人誌「VERSUS」を再録しました。実に8年半ぶりのFFT本となったのですが、また同人誌を作ることになるとは正直思いませんでした。きっかけを与えてくれた「ロードオブヴァーミリオン3」でのラムザとアグリアスさんの設定に感謝、です。

ということで(?)この作品はクレメンス公会議前後が舞台です(拙作「WHITE FIRE」と同じ時間軸になります。あわせてお読みいただければ幸いです)。それぞれの思いがあるんだろうなと思って書いてみましたが、通じ合っているかというとそうではないような。人と人の関わりは難しいところです。

2016.07.03 / 2020.09.06