Versus

Ramza and Agrius

 途方に暮れ、立ち尽くした日があった。
 焦燥に駆られ、呆然とした日があった。
 ともすればそれは、絶望という言葉が似合っていたのかもしれない。
 だが。
 そんな時、力強く励ましてくれた男がいた。立場や身分といったものも脇に置き、仲間だと言いきった男がいた。
 その言葉にどんなに自分は救われただろうか。今も思う。
 あの言葉があったからこそ、きっと自分は今もこうしてあるのだろう──。


 それはひとつの契機。
 自分と、他の誰かのための。


 青空が広がっている。
 快晴とまではいかないが綺麗な青空だとそんなふうに思いながら、ラムザは屋根の上に寝転んでいた。
 空の中には雲がひとつふたつと浮かんでいて、風と戯れるようにその姿を変えていく。雲をまたたく間に流してしまうには風はあまりに穏やかで、それ故午睡にはうってつけのようでもあった。
 陽の光もまた、弱すぎず強すぎず降り注ぐ。そんな昼下がりだった。
 ──だが。
「……」
 先刻咄嗟に折り畳んでしまった紙片をもう一度広げ、中に書かれてある文を目で追う。けして長くはない、むしろ素っ気ないほどに短い文章はあっという間に読み終えてしまった。
 読み違えたかと思うような記述もない、簡潔な文章。それ故に。
「やはり、というべきなんだろうか……?」
 紙片を丸めて懐にしまいこむと、ラムザはもう一度空を眺め呟いた。穏やかな陽射しのもとで過ごすには似つかわしくない暗い表情が浮かぶ。
 紙片は──手紙は、故国から鳥が運んできたものだった。今はもう一緒に暮らしていない妹が早鳥を使ってまで彼に報せてきたものだった。
 その中には、いつもならばあるはずの時候の挨拶や近況といったものはなく。
 かわりに、急いで書いたような筆跡で綴られた文には。
 ──公会議で起きた騒動。そしてその行く末について。
 それだけが書かれていた。
 おそらく妹は自身の勘で手紙を送ると決めたのだろう、とラムザは感じていた。敏い彼女のことだ。
 いつだったか──戦も終わりを告げ、彼女と共に国境近くの村に隠れ住んでいた頃のことだと思う──雪のように降り積もった話を自分は彼女に少しずつ話した。そんな中で「彼」についても話に出したことがある。
 戦乱のさなか、自分のことを「仲間」だと言いきってくれた「彼」のことを。遠く離れてはいるがそれでも仲間だと言ってくれた時のことを。
 それを彼女は覚えていたのだろう。故にこんな手紙を送ってきた。
 その「彼」が引き起こした公会議での騒動。……そしてその行く末。
 驚きはあった。というより、驚きしか初めはなかった。まさかと思い俄には信じ難かった。
 だがこうして時を少しばかりおいてみると、それは微妙に変化していく。例えばそう、自分には予感めいたものはなかっただろうか?
 あの戦をくぐり抜けた後、「彼」……オーラン・デュライには一度だけ会ったことがあった。異国──今では第二の故郷といえるかもしれないこの地のことだが──で待ち合わせ、求められるままに話をした。自分が知り得るすべてを語った。
 何故そんな話を彼が知りたがるのか。語りながら浮かんだのはそんな疑問。だがそれに応えるような彼ではなく、自分もまた深くは詮索しなかった。「無茶はしないように」とだけ言って別れた。
 故に今。
 出てきた言葉は「やはり」というもので。そう、やはり彼は。
「無茶はするなって言ったような気はするんだけどね……。でも、それが君の」
 繰り出した答なのか。残りは口の中で空転した。
 青空に浮かぶ雲。その輪郭が微かに崩れたような、そんな気がした。

「アグリアス」
 仮拵えの練兵場から出たところで声をかけられ、アグリアスは声のした方を振り返った。声に聞き覚えがある。
「長か」
「訓練ご苦労さん。これ、お前さん達のところに来る鳥だろう? なんだか腹空かせてたみたいだから適当に食わせたがよかったか?」
「ああ、すまない」
 くだけた労いの言葉とともに問われて、アグリアスは頷いた。その頷きに、「長」と呼ばれた男は大仰に笑う。
 口調と態度はらしくないが、男はこの「砦」の長だった。
 この砦に集う人々……そして密かに連なる者ならば誰もが知っている人物。いや、彼を慕っているからこそ人々はこの砦に集うといえるのかもしれない。
 独立という名の自由を願うこの地の人々なら誰もが知っている。この地を──ゼラモニアをオルダリーアの属州などではなくかつてのように独立国とする、その旗頭が今アグリアスの目の前にいる男だった。
 いいってことよ、と長は続け、鳥をアグリアスに預けた。腹が満たされて満足なのか、文を運ぶという名の役目を終える前に鳥は珍しくうつらうつらと船を漕ぎ始めている。それとも、人々と同じように鳥もまた彼を慕うからか。
 起こす必要は特段感じなかったので、起こさぬように注意を払いながらアグリアスは鳥の足に括りつけられた紙片を外した。そのままそっと紙片をずらし、まずは末尾に書かれた頭文字を確認する。
「恋文か? 隅にはおけないがラムザにはばれないようにしろよ?」
「違う。……鳥を知っているなら少しは察してほしいものだが?」
 茶化すように問いかけてきた長を睨みつけると、空いた両手で彼は降参の意を示した。だが、その顔はやはり笑っている。
「盗み見するような真似は性に合わないのさ。大体そちらさんの言葉は俺には難しいしな。まあ、ゆっくり読むといい……って言いたいところなんだが、もうすぐ「話し合い」の時間だ。それまでにはいつもの広間に来てくれ」
「分かった。ならば私も同行しよう」
「いや、その前にラムザを探してくれ。さっきから探してるんだが見当たらない」
 手を振りながら去ろうとしている長に律儀に頷き返そうとしてアグリアスは首を傾げた。
「いつもの場所にいないのか?」
「いなかったな。まあ、少しくらい遅くなっても構わんが」
 二人とも参加してほしい。長は念を押すようにそう付け加えるとあとは振り返りもせずに去っていった。
 残されたのは、アグリアスとその腕に止まる鳥のみ。
「……ラムザ?」
 見当たらないという長の言葉に促されたかのように、そっとその名をアグリアスは口に乗せてみた。
 無論、今までもラムザが見当たらないと長が(長以外の者でもそうだが)アグリアスに問いかけることはあった。彼女ならばすぐに探せるものだと単純に思いこんでいるらしい彼らには──そして綺麗さっぱり姿も気配も隠した上で日光浴など嗜んでいるラムザにも──どうしたものかと思案したが、アグリアスはひとまず割り当てられている室に戻り、眠っている鳥を宿り木に移した。
 ついでのように、先程の紙片を開いて目を走らせる。差出人の頭文字と筆跡から昔なじみのものだとは分かっていたが、その中身までは推測できていなかった。
「──」
 読み終えるのにそう時間はかからなかった。だが、あくまでも短い文で綴られたそれにアグリアスは思わず息を呑んだ。
 時候の挨拶などはなく。
 記されているのは、故国で起きた出来事について。昔なじみの──今は王の側近を務めている者から届いた手紙は不穏めいていた。
 再び回廊へと出る。砦の「仲間」には不審がられぬ程度に、だが足早に。
 手の中には紙片。
 回廊の窓越しに見える──見ずとも目に飛びこむ空の色は青。


 公会議で起きた騒動。そしてその行く末について。
 時同じくして──慌てふためいた教会の目をおそらくは逸らす目的で──王が向けた矛先について。
 それは。

 よく知った彼女の気配が近付いてくるのに気付き、ラムザは瞬きをした。そろそろ来る頃合いかと思っていたがそれは正しかったらしい。
 傍らで雑穀を啄んでいる早鳥を少し撫ぜてからそろりと起き上がる。そうして屋根を器用に伝い歩き、先刻自分が架けた梯子から降りようとしたところで声をかけられた。
「ここにいたのか」
「探した?」
 少しな、と生真面目な口調で続けられた言葉にはどうにか作った笑みで返し、梯子を降りる。
「探していたのは私ではなく、長だが。もうすぐ話し合いの時間だそうだ」
「ああ、なるほど」
 井戸の横を抜け、回廊に入る。今まで日向にいたせいか目が眩むような感覚を覚えたが、そのままラムザは歩き出した。探しに来た彼女──アグリアスもそれに続く。
「天気がいいね」
「……そうだな」
 二人はそのまま並ぶようにして歩いていたが、やがてどちらともなく歩を止めた。指定された広間にはまだ程遠いというのにである。
 ──話しておかなければならないことがある。そう感じたがために。
「アグリアス」
「ラムザ」
 気取られそうで今まで視線は合わせていなかったが、お互いの名を呼んだのは殆ど同時で、それで不意に視線があった。
「──」
 彼女は何かを告げたそうな顔をしていた。そしてその中に少しばかり驚きの表情が。おそらくは自分も同じような顔をしているだろう、そんなふうにラムザは思う。
「……何かあった?」
「そちらこそ」
 言葉を鴎国語でもなくゼラモニア語でもなく、イヴァリースのそれに変え、ラムザは念のため声を潜めてアグリアスに訊ねた。誰が通るというわけでもない回廊だが、なんとなくそうした方がいいと思った。
 だが、自分の問いにアグリアスは答えなかった。そのかわり、先に話せ、と促すように彼女は頷く。
 ラムザは促されるままに懐に手をやった。先刻の紙片を取り出し、広げてみせる。
「アルマから手紙が来たよ。……公会議でオーランが処刑されたらしい」
「……そのようだな」
 切り出した言葉には驚かず、アグリアスがもう一度頷いた。そうして彼女もまた手にしていたらしい紙片を掲げた。
「私のもとにも鳥が来た。ルークスからのな」
「ルークスさんから……公会議のことを?」
 それもあるが、とアグリアスは答えた。紙片をラムザに差し出し、読んだほうが早いと続ける。受け取るかわりに、ラムザもまたアルマからの手紙を彼女に渡した。
 ──ルークスさんからの手紙。
 士官アカデミー時代の頃の知り合いだ、とアグリアスはルークスのことを以前そう話していた。まだ国を完全に離れるよりも前、戦が終わり、それに乗じた混乱も少しずつ鎮まり始めた頃から時折ではあるが鳥が飛んで来るようになった、その相手だと。
 鳥が運んでくる文に大抵綴られているのは畏国の今について。そして「彼」について。名は濁しているが、自らの主君についての今についてもそれには綴られていた。
 不思議に思い、鳥を前にして一度アグリアスに訊ねたことがある。何故ルークスはこのような背信ともとれる行動を──自分と共に再び行動している以上、彼女もまた異端として故国では扱われる者なのだ──、文を鳥に託しているのかと。
 だが、そんな自分の問いに彼女も分からないと首を横に振った。そうして付け加えるように「何か思惑があるのかもしれんが……ルークスはあまり裏表がないからな。脅されていないかぎりは自分で送って寄越しているのだろう」と呟いて、鳥を空に放った。返事は無論持たせずに。
 もう数年は前のことになる。
「……アルマからのはもしかすると噂話かもしれないってそう思ってたんだけど、本当のようだね」
 手元の紙片に目を落とし、ラムザは顔を顰めた。
 王の側近ともなれば、公会議には参列していたのだろう。その視点から綴られた事実はもはや変えようも、動かしようもなく。
 新たな教皇を決めるための公会議。そこで起きた告発という名の騒動。波紋。異端者としての烙印。世俗の腕の行使。
 妹から届いた手紙と同じくらい簡潔だが、類推の滑りこむ余地のないそれは僅かな希望をも打ち壊した。……戦乱のさなか、自らを仲間だと宣してくれた男はこの世にもういない。
「ラムザ……」
「アグリアスは憶えているかな。オーランに初めて会ったときのこと……追われているようだったから助けようとしたけど、彼がとんでもない術を使ったから結局は僕らの方が助けられたこと」
「憶えている。雪が降り積もっていて、足場が悪かった」
「そうだね」
 少しだけ時間を長からはもらおう、と言うとラムザは壁に寄りかかった。窓はあれど、方角が悪いためか陽射しも入り込まない回廊の壁はひんやりと冷たい。
 その僅かな冷たさが今の自分には必要だった。同じくらいの時間もまた。
「後に……確かグローグかどこかで再会したな。去り際に自分もまた仲間の一人だと言っていた」
 アグリアスの述懐に、ラムザは懐かしいと思った。
 途方に暮れ、立ち尽くした日があった。
 焦燥に駆られ、呆然とした日があった。
 そんな時間ばかりが過ぎていった日々の中で、自分と共に戦ってくれる「仲間」にもどこか申し訳ないと思うような日々の中で、足元はあっさりと崩れそうになっていた。
 だが。
 ──きみには仲間がいる! 命を賭して戦ってくれる仲間がいる! 僕もその仲間の一人だッ!
「そう。僕のことを異端者と知っていて、それでもそう言いきってくれたのはとても心強かったよ……」
「……そうだな」
 考えるまでもなく訥々と滑らせた言葉に、傍らに立ったアグリアスが頷く。表情の読めない口調だが、こうして傍にいてくれるということ自体に彼女なりの優しさがあった。
 その優しさがありがたいと本当に思う。思うが故に、だがこれ以上は甘えられないとも思った。
 ひとつ大きく溜息をつくと、ラムザは知らず伏せていた顔を上げた。壁からも身を離し、アグリアスと視線を合わせる。少しだけ心配そうな表情で見やる彼女にそうして笑んでみせた。
「まだ……確かに落ち着いてないけれど。ルークスさんからの手紙の続きも気になるし、そろそろ向かおうか」
 手紙の続き。
 アグリアスから渡された手紙の先をもう一度確認する。
 ──今回の事件で慌てた教会の、その視線を逸らさんと王が向けようとしている矛先について。
 それは。


 広間には既にいつもの面子が揃っていた。
 ラムザとアグリアスの二人が入室すると、それまでざわめいていた場が一瞬静まる。けして少なくはない視線にラムザは小さく首を竦めると、長を見た。
「ぎりぎり間に合ったな。もう始めようとしていたところだ」
「ごめん」
 長の口調に咎めるような響きはなかったが、ラムザはそれでも素直に謝った。椅子はもう空いていなかったから、他の何人かがそうしているように扉近くの壁際に寄る。アグリアスもそれに続いた。
「まあ、お前さんのとんずらは今に始まったことじゃないが……っと。いいから話を始めろって?」
 そのまま世間話の体で話し続けようとした長を、古参の仲間が焦れたふうで急かす。話があると聞いたんだが?と続いた言葉にその場を占めた者達は居住まいを正した。
 アグリアスはもとより、ラムザもまた。
「そうだな。じゃあ始めるか」
 いつものようにどっかと卓に座ると、長は話し始める。
 まずは、先日発生した鴎国の正規軍との小競り合いについて。ゼラモニアのはずれ、鴎国側と接している街で起きたその騒動は、呆気無く正規軍によって鎮圧されてしまったらしい。命からがら逃げ出した後に砦まで辿り着いた者によると、騒動に加担した者は捕らえられ、政治犯として連行されたとのことだった。
 早まりやがって、と誰かが小さく舌打ちをする。
 続けるぞ、と長は舌打ちには頓着せず手にした紙を振る。独立を支持する貴族からの支援について。新しく入った仲間について。その他、鴎国の現状などについて、中央に潜りこんでいる仲間からの報告。
 それぞれの面子に対する大雑把な指示も。その中にはラムザやアグリアスに対するものもあった。どうやらこれから自分達は鴎国へ「調査」に赴くことになっているらしい。
 繰り出される言葉を頭に入れるように、ラムザは軽く頷いていた。
「そしてもうひとつ。酒場で聞いた噂話だが」
 顔を上げると、何故か長はラムザに視線を投げた。目が合ったのを不思議に思いラムザが小首を傾げると、長は続けた。
「お隣さんが──イヴァリースが兵を出すという噂があってな。勿論このゼラモニアに向けてだ」
「──」
 ラムザとアグリアスは思わず顔を見合わせた。長のみならず、他の仲間の視線も飛んできたがそれに応える余裕はなかった。
「……誰かに話した?」
「いや、誰にも」
 小声でラムザが問うと、アグリアスは首を振った。
「何か知ってるのか?」
 そんな二人の様子に感じるものがあったのか、長が訊ねる。問い詰めるようなふうではないが、しかし隠し立てはできなさそうな彼の口ぶりに二人は目で合図を送り合うと、やがてラムザが話し始めた。
「さっき早鳥が届いたんだけど、確かにそんな話が出ているらしい。……目的や時期、規模については分からない」
 中央筋からの手紙だ、とラムザは繋げた。
 ルークスの手紙には「教会の視線を逸らすための派兵」とあったが、今は触れないでおいた。話してもよかったのかもしれないが、この人数に正確に説明するとなると少なからずの時間を要したし、うまく伝えられるかどうかも自信がなかった。それに、オルダリーアならともかくイヴァリースの事情には興味がないという者も多いというのもある。
 客人というわけではないが、ラムザもアグリアスもこの地の人間ではない。砦の……今こうしてともにいる面子を仲間だと勿論思うが、まだ壁があるとも感じていた。
 このような流れになるのならば、先に長には話しておくべきだったかとラムザは思った。もっとも、そんな時間はなかったのだが。
 ラムザの言葉に長はなるほどね、と頷いた。
「それを読んでてさっきは遅れたんだな。分かった、ならば少し裏をとっておく必要があるな」
 助け舟のような長の科白にラムザは頷いた。その頷きを見て、長がパシンと紙を叩く。
「よし、今回はここまでだ。さっき出した指示をそれぞれくだいておいてくれ。……ラムザ、アグリアス。イヴァリースの二人は居残りだ」
 少し付き合え、と長は卓上の瓶を指差した。


 ごくごく軽い薬草酒だ、と長は言いながら揃わない茶器にそれを注いだ。
「飲まないようにしてるんだけどなあ」
「飲めないってわけじゃないんだろう? まあミルクはないからそのかわりだと思ってくれ」
「……どこからその話を」
 その昔、酒場でミルクを頼んで笑われたことがあった。それを思い出すたびに世間知らずだったと情けなくなるのだが……どうやら長は誰かからこの話を聞いたらしい。
 その「誰か」──アグリアスはすました顔で茶器を受け取っていた。
 ちらりとそんな彼女を見やると、ラムザは苦笑する。そうして自分も茶器を受け取りながら思考を潜らせた。
 イヴァリースでの戦いが終わって、あの時の仲間達とはその場で別れた。アルマを取り戻してそれで終わりだったかというと──まだ他にもすべきことがあったのかもしれないが──どうもしっくり来なかったが、他方でこれ以上自分達が動いて出来ることもないだろうと感じたのも事実だ。
 だから別れた。いつかまた会うこともあるだろう、と曖昧な握手でもって。
 そのとおり、今でも早鳥を通じて文のやり取りをする者はいるし、そうでなくても皆元気でやっているだろうと信じている。
 そんな中、アグリアスは少し……特別だ。
 アグリアスも皆と同じように別れたのだが、その後何時かの氷祭で偶然再会した。あの時のことはとても驚いたからよく憶えている。人探しを手伝っていた自分に気配を隠して近寄ってきて驚かせたのが彼女だった。
 ──それからは何故か離れず。
 それまで行動を共にしていたアルマが、ゴーグに行きたいとやがて言い出した時もアグリアスが傍にいた。いつの間にムスタディオなんかにと悲嘆に暮れた自分の肩を彼女がぽんぽんと叩いてくれたのも今となっては懐かしい思い出だが。
 アグリアスがあの一件で何かを感じたのか、それとももっと別の何かがあったのか……それは自分には分からないが、それからというのも行動は二人でとるようになった。
 そうして畏国を離れ、鴎国へ。人の動向を眺め、畏国と同じように虐げられている者の存在を知った。歯痒い思いをした。
 そんな矢先、いつものように酒場で情報を集めようと足を踏み入れた矢先──、一人の男と目が合った。それが今目の前にいる長だ。
『力を借りたい』
 待ち伏せの目で長はあの時そう切り出したのだった。
 何のことかとはぐらかしても無駄で、彼はすらすらと自分達の素性について言い当ててもみせた。そして驚いた自分達に──アグリアスに至っては剣の柄に手をかけさえした──彼は彼なりの「正体」を明かした。
 オルダリーアの属州・ゼラモニア……長いこと自由を奪われているこの地の、独立を果たさんと活動する組織の「長」だと。
 ラムザは彼の言葉に道理で、と頷きもした。どこかで見覚えのある顔だと思ったら、それは別の酒場でのことだったのだ。──賞金首の似顔絵は、酒場にならまず大抵貼られている。
 この酒場にはないな、とぐるりと頭を巡らせると長は『ここは行きつけだからな』と言って笑った。
 彼との幾つかのやり取りの後、いつものようにラムザはアグリアスに視線を送った。『どうする?』とそうして訊ねると彼女はただ頷いた。
 それは昔と同じようで、しかし少しばかり踏み込んでいるようでもあるような、どこか不思議な感覚だったが悪いものではなかった。故にラムザは長に向き直ると頷いてみせたのだった……。
「……どうだ? まあまあいけるだろ?」
「ん? ああ、そうだね。少し癖があるけど……美味しい。アグリアスは?」
「もう少し甘くなくともいいのではないか?」
 あまり甘い物が得意ではないアグリアスが正直に言うと、長はふむ、と首を傾げた。
「まあ、このまま熟成させると度数も上がっていくからいいんだよ。今はまだ若いからこんな味だが……いつもの酒場から味見してくれって一本貰ったのがこれだ」
「なるほど」
 長は酒を呷ると、器を卓に置いた。さて、と頭を掻き回しラムザとアグリアスの二人を改めて見やる。
「さっきの話題だが。イヴァリースが派兵してくるとなると正直頭が痛い。鴎国の連中が俺達をぎゅうぎゅうに締め付けるのは困ったことながらいつものことだが……それに加担するのか、それとも?」
 五十年戦争のようにゼラモニアの領土を欲すべく兵を動かすのか。
 それとも?
「……それとも」
 器を手で転がしながらラムザは呟いた。正面の長と傍らのアグリアスの二人の視線は気にせず、先刻読んだルークスからの文を思い出す。
 ──今回の事件で慌てた教会の、その目を逸らさんと王が向けようとしている矛先について。そのひとつがゼラモニアへの派兵だとそこには記されてあった。
 おそらく、とルークスの文にはあったからその中には願望めいたものもあるのだろう。だが、今はその言を信じようとラムザは思った。その上で考えを巡らせてみる。
 一体、畏国王は……ディリータは何を考えているのか?
「僕達のところに届いた手紙には、この前起きた事件の目眩ましに派兵を決めたようなことが書いてあった。どこまで本当か分からないけど……これを信じてみると、鴎国と手を組むというのは考えにくい……組むとしても今すぐという話じゃない」
「ふむ」
 公会議の事件はそう前の話ではない。手を組む心積もりが元々あったとしても、鴎国とやり取りを交わすにはもう少し時間を要するだろう。そう考え、ラムザは長の考えを否定した。
 ふたつめ、と続ける。
「前のようにイヴァリースの領土にしたい、というのも考えにくい。……というか、国力が回復しているかかなり疑問なんだ。ようやく落ち着いてきたかどうかというくらいだからね。そんなだから、三番目の線、僕達に力を貸してくれる──独立を支援してくれるというのもやっぱり考えられない」
「……だろうな。大体、そんな義理もない」
 長の言葉にラムザは頷いた。飲み終わってしまった器を卓に置き、傍らの彼女を見やる。
「アグリアスはどう思う?」
「私もこの地に兵を送るのは解せないが……今までのような小競り合いを我々と鴎国がしていると色々考えるところが出てくるのではないか?」
「色々、か。考えにくいことも考えうるって話だな」
 今度は長が頷いたが、ラムザはそれに続かなかった。頭の隅で何かが引っかかったような気がしたのだ。
 ──考えにくいことも考えられる。
 そんな言葉が何故か引っかかった。
「……」
「どうした?」
 黙り込んだのを不思議に思ったのか、アグリアスが声をかけた。その言葉にラムザは我に返ったが、うまい言葉が見つかるわけでもなく、ただ短い返事をした。
 そうして再び考え込む。
 ディリータが一体何を考えているのか。おそらくそれは今自分が導き出した三つの答とはどこか「違う」ものだ。
 教会からの目眩ましのために、という話はやはり本当だろう。そして、元々この地への派兵を考えていたというのも。
 だが、それならば何故この地に住んでいる自分に宛てるような早鳥を送らせたのか。
 勿論、文の差出人はルークスだが、今回の文の「裏」には彼がいるとラムザは思った。それは、「派兵」という内容が一歩踏み込んでいたためだ。その点がいつものルークスの近況文と同じようで違う。
 ディリータが自分に宛てて送った文。
 その意味するところとは。
「まあ、今は分からんということは分かった。これから情報は集めるし、いざという時の備えもしておく必要がある」
 切り替えるような長の言に、ラムザは顔を上げた。確かに彼の言うとおり、ここで答探しをする他にもすべきことがある。
「……で、ちなみに事件てのはお前さん達に関係あるのか? そんな顔をしてたが」
 器を再び取り、一人手酌で瓶を傾けていた長が訊ねた。ついでのように、飲むか?と問われたが、二人ともやんわりと手を挙げて断った。
「昔の仲間が処刑された」
 ラムザは短くそれだけを言った。瓶を卓に戻そうとした長の動きが一瞬、止まる。
「昔の仲間が、この前までのイヴァリースの内乱について纏めたものを公会議で発表したらしい。教会はその内容をよしとしなかったんだろうね……異端宣告の後、彼は火刑に処された」
「内乱について纏めたもの……ってそれだけでか?」
 長が訊き返す。確かに只の戦であれば、そう思うのも無理はない。
 だが。
「彼の報告書には僕が……僕達が戦った異形の者のことにも触れられていたんだと思う」
「異形の……。ルカヴィとかいう奴だな」
「そう」
 王位争いの戦。その裏で暗躍したのは、教会の威信を復活させようと目論んだ当時の教皇フューネラルの一派。だが、それをさらに影から操っていたのは神殿騎士団団長ヴォルマルフだった。
 御伽話のようなゾディアックブレイブ伝説の真相。
 騎士団さえも殲滅させた異形の者。
 持つ者の心根によってその力を変えた聖石。
 それらは幾筋の糸となって絡み合ったが、戦を終えたラムザの前には事実の羅列のみが残った。それで良いとさえ思った。
 仲間が無事であれば。妹を取り戻せたならば。戦いが終われば。それで良かったのだ。
 故に、時を経てオーランから「話を聞きたい」と打診があった時には正直戸惑った。誰かに話すなどとは──同じ頃出会った長にも簡単にしか話していなかった──思ってもいなかったがために。
 だが、結局は会った。会って話をした。
 それでもあの時点でオーランは、既に多くの「事実」を手に入れていたのだろう、とラムザは考えていた。勿論、彼の持論には推測の域を出ないところもあったが、質問の中にはラムザの方が驚くほど「事実」に近い「真実」もあった。
 幾筋の糸を彼は解き、真実とした。そうしてそれは──。
「教会が真相の暴露を恐れるだろうとは考えなかったのか? その……ああ、名前を聞いてなかったな」
「オーラン。オーラン・デュライという名前だよ。……確かに僕もそう思ったけど」
 一連の話を聞いた後に繰り出されたその考えは当たり前のようで、ラムザは視線を落とした。落ち着いてきたはずの声がまた震える。
「でも、オーランには彼なりの思うところがあったとしか言いようがない。けれど、本当にどうしてそうしたのか今の僕には分からない」
 誤魔化すように片手を挙げ、ラムザは踵を返した。
「救国の英雄さんでもか?」
 どこか揶揄するような長の声が背後から飛んでくる。
「……僕はそんなんじゃなくて只の臆病者さ。そんなふうに……英雄と言われるべきなのは、ディリータだ」
 振り向かずラムザは言い、そのまま広間を出て行った。

 手中で遊んでいた茶器を卓に置く。そのついでに長を見やると、彼は大きな溜息を吐いていた。
「ディリータ、ディリータ・ハイラルがねえ……」
「知っているのだろう?」
 ぶつぶつとそうして何か呟いているのは、自分に聞いてほしいためなのか否かアグリアスにはよく分からなかったが、とりあえず訊ねてみた。
「勿論さ。平民だったのがたちまちのし上がっていつのまにか今では国王。隣の国のことだ、いくら疎くてもそれくらいは耳に入れてるし、ラムザにも聞いたからな。──そんな今の畏国王が実は幼馴染だってことは」
「……」
 すぐさま返ってきた答は予想通りだったため、アグリアスは何も言わなかった。ただその場に佇み、長の次の言葉を待つ。
「聞いた時にゃ驚いたが、今ではそうでもないな。民衆にとって戦いを引き起こした連中はうんざりだったろうし、そんな時に出てくれば英雄と呼ばれてもおかしくはないんだろうさ。それが偶然、奴さんの馴染みだったとしてもだ。ただ……」
「ただ?」
「話がうまく出来過ぎててな。俺としては多少気に入らんというところだ」
 珍しく真顔で長はそう続け、まだ酒の入っている瓶に栓をした。場所は違えども立場は少しく同じ……それ故に彼なりに思うところがおそらくあるのだろうとアグリアスは思う。
 もっとも、ディリータ・ハイラルについては自分もラムザとは違う感情が未だある。それは、けして良いものではないということも確かだ。消えずに残る瘡蓋のようにこの感情は時々疼く。
「アグリアス、お前さんもなんだか言いたげなところがあるが、なんだったら聞くぞ?」
「……いや、いい」
 何かを察したのか、長が聞いてくる。だが、それには頭を振って応えた。そうして先刻のラムザと同じようにアグリアスもまた片手を挙げる。
「直接言おうと思う」

 未だ青空は広がっていた。
 このままだと明日も晴れそうだなと心の上面で思いながら、ラムザは再び屋根の上に寝転んでいた。
「……」
 その青が少し目に痛くて、ひとつ寝返りを打ってみる。そうすると、砦の──砦とはいうがその実は打ち捨てられた古い城だ──高みに掲げられた旗が見えた。ゼラモニアではなく、オルダリーアの旗だ。
 仲間達が何と言おうと、長は鴎国の旗を掲げろと指示していた。それは彼自身の考えというよりは半ば脅迫するような鴎国からの圧力だったためだが、独立と自由を尊ぶ仲間の中には承服しかねるという者もいた。
 ──掲げる旗がゼラモニアではなくオルダリーアであるならば自分は離れる。
 ──いっそ何も掲げない方がいいのではないか。
 かけられる言葉にいつも長は首を横に振った。形に囚われるな、とその後に短く続けているのが常だ。
 そうして今日も鴎国の旗は掲げられている。この地に住まう者達の内心とは裏腹に。
 またひとつ寝返りを打つ。遠くに連なる山々は、今日は霞んで見えた。
 それはまるで自分の今の心だとラムザは思った。考えがうまくさだまらず、その結果として先刻は言い逃げのような形になってしまった。
 だが、自分には実際よく分からないのも事実だった。火の向こう側に消えたというオーランの内心も、他者を使ってまで文を送って寄越したディリータの思考の先も。
 ──分からない。
 もやもやとした想いが胸を占める。
 無論、他の人間の心をすべて読み取ることなど難しいとは思う。難しいというより、おこがましいという方が正しいだろうか。ましてやそれで堂々巡りになるなど、非生産的だ。
「けれど……」
 知らずラムザは呟いた。それで、普段は読み取れるはずの気配に気付くのが遅れた。
「けれど?」
「……!」
 繰り返された声とともに落ちた影に驚き、慌てて上半身を起こす。振り仰ぐと、そこにはアグリアスが立っていた。
「アグリアス……」
「探したぞ」
 少し逆光になっているためか、彼女の表情はよく読み取れない。だが、口調はいつもよりは尖っているようにラムザには聞こえた。
「怒ってる?」
「何にだ?」
 問い返すと、アグリアスはさっさとラムザの隣に座った。その素早い所作にラムザは呆気に取られる。
「何にって……。話の途中で出て行ったこととか」
「大体の話は終わっていただろう」
 靡く髪をかき上げ、彼女は言った。風が出てきたな、などと旗を眺めながら。
「……不甲斐ないこととか」
「それは前と変わらないな」
「……」
 思わず言い募ってみたがあっさり断言されて、ラムザはもう一度アグリアスを見た。それに気付いたのか、彼女は口の端をにっと吊り上げてみせる。
「アグリアス?」
「別に怒ってなどいない。もしそう見えたり聞こえたりしたというのなら、それはどちらかというとラムザ、お前の思い込みだろう」
 ──じゃあ、呆れてるとか。
 笑んで話すアグリアスにさらにそんな言葉を繋げようとしたが、ラムザは結局止めた。自分でも卑屈だと思ったからだ。
「思い込み、か」
「そう。……まあ、先程は唐突だったから若干面食らいはしたがな。それだけだ」
 だがそれよりも、と彼女は続ける。
「隠してもいない気配にさっぱりと気付かないのは、一人前の剣士としては褒められたことではないと思う。砦の中にいるとはいえ、油断しすぎではないか?」
「う。……ごめん」
 思わぬ角度から飛んだ叱責にラムザは謝った。
 確かにアグリアスの言う通り、気配に気付かず一人悶々としていた。それはこの場所がそう簡単に見つかるところでもないと高をくくっていたというのもあるが──幾つかの屋根を渡らないと辿り着かないのだ──、気が緩んでいると指摘されれば頷くしかない。
 ──あれ。そういえば。
 ラムザはそこで首を傾げた。そういえば、アグリアスは自分を探したと言っていたような気がする。確かそんなふうに声をかけられた。
「探したって言ってたね。何かまだあった?」
 訊ねてみると、彼女はそう言われればそうだな、と曖昧に答えた。
「用が特段あって探したのではないが……少し話をしたくてな」
「話」
 繰り返すと、アグリアスは頷いた。切れ長の瞳が少し細められる。
「さっき話は終わっていたって言ったけど、それとは別の話?」
「同じでもあるし、違うものになるかもしれない。それはラムザ次第だ。……言いたいこともあったし、聞いておきたいこともあるから来たのだが、迷惑か?」
 アグリアスの問いにラムザは首を横に振った。
「迷惑なんてそんなことない。……というか、やっぱりごめん」
「何がだ?」
「心配かけてるな、と思って」
 そう告げると、アグリアスは少しの間何も言わなかった。それはそのまま肯定を意味していた。
 彼女らしい、とラムザは思う。厳しい時もあるが、この年上の騎士はその実優しい。先刻の回廊でもそうだった。
「気にするな。そして謝罪ではないだろう?」
「……そうだね。ありがとう」
 顰め面をつくってみせたアグリアスにラムザは小さく笑い、感謝した。その言葉に彼女の表情が和む。
「それでいい。──さて」
「話、だね」
 アグリアスは頷いた。
「まず聞こうか。まだ悩んでいるのだろう?」
 問われ、ラムザは彼女から視線を外した。面と向かって言われると、少し心に痛いものがある。
「……分からないんだ。オーランのことも、ディリータのことも。何故、どうしてとやっぱり考えてしまって先に進まない」
 教会に「真実」を叩きつけたオーランのことも、再び戦を起こそうとしているディリータのことも。
 少しの沈黙をおいて、言葉を探すようにラムザは言った。その言葉にアグリアスが口を開く。
「切り分けて話そう。オーラン・デュライのことだが……彼のとった行動を知った時は私も驚いたし、何故とも思った。命知らずだとさえ考えた。そこまではラムザ、お前と同じ想いだと思う」
「……うん。ただ、もし」
「もし、知っていたなら? 残念だがこれは既に過去だ」
 ぼんやりと纏まらない考えを告げようとしたラムザをアグリアスが遮る。そうして彼女は過去だ、と言いきった。
「何かできたかもしれない、とお前は言うだろう。だが、過去は変えられない」
 アグリアスの言にラムザは横面を叩かれたような気がした。
 どうして、という問いかけも。もし、という仮定も。
 すべては過去になってしまった。けして変えることのできない「事実」に。
「過去は変えられない……か。悔しいな……」
 半ば呆然として呟くと、ややあって応えがあった。
「そうだな。その想いは持っていた方がいい」
「……そうだね」
 ラムザは唇を噛んだ。悔しさと寂しさがせめぎ合い、それは雫の形となって頬を伝った。
 誤魔化すように空を見上げる。青空に浮かんだ雲はひとつふたつ。その輪郭が微かにまた崩れたような、そんな気さえした。
 傍らのアグリアスは何も言わなかった。ただ、いつかのように手を伸ばし、ラムザの肩を軽く二度叩いた。
 ──労るように。そして、後押しをするように。
 やがてラムザは濡れた頬を手で擦った。そうして再度アグリアスを見やる。彼女は普段の真面目な表情でラムザを見ていた。
「大丈夫。……あとはディリータのことだけど」
「派兵の話──こちらは未来だな。だからこそ訊ねるが、もし本当に剣を交えることになったらどうする?」
 何故という考えを飛び越えたアグリアスの問いに、ラムザは返事に窮した。
「それは……」
「それは? 考えてもいなかったという顔だが」
「……」
 そんなことはない、と言いかけてラムザは止めた。図星だったからだ。
 そのまま黙り、アグリアスの言葉を頭の中でもう一度繰り返す。
 もし本当にディリータと剣を交えるようなことになったなら、果たして自分はどうするのか。
 この、ゼラモニアの地で戦うこととなったら。
 その時は。
「……前と変わらないと思うな。相手がディリータだったとしても、きっと僕は剣を振るうよ」
 むしろ自分に言い聞かせるように、ラムザはアグリアスにそう告げた。
「本当は戦いなんてなくなればいいと思ってる。昔もそうだし……今もそうだ。僕の想いは変わらない。けれど」
 ラムザは視線を彷徨わせた。ひとつ溜息をつき、掲げられた鴎国の旗を眺める。本来ならばこの地には相応しくない旗を。
 オルダリーアはゼラモニアを対等の存在とは扱っていない。他の州よりも税は重いし、監視するための鴎国兵も多く配備されている。故に長が話したように其処彼処で小競り合いが起きているのが現状だ。
 息苦しさから脱却したいと願う人々。声を受け、また自らの意思で独立を目指さんとこの砦に集っている「仲間」達。少しの壁はあれど、仲間だと自分は思っている。
 そう、彼らを守るためなら──。
「けれど、仲間を……誰かを守るために必要なら、僕は剣を持つ」
 大きく旗がたなびく。
「……そうか。それがお前の答なのだな」
「拙いけどね。……アグリアスは?」
 ふと気になり、ラムザはアグリアスに訊ねた。再び共に行動するようになってから聞いたようで聞かなかったことがある。
 何故彼女は今も自分の傍らで剣を持つのか。
「私か? 確かに故国に剣を向けるのは心苦しくもあるが……ラムザ?」
「そうじゃなくて。いや、それもあるけど……。聞いておきたいんだ」
 アグリアスの答は流れには沿っていたのかもしれない。だが、自分の問いに対する答とは少し違うような気がしてラムザは訊ね直した。
「何をだ?」
「どうして今も僕の隣で剣を手にしているのか」
 言いながらアグリアスを見つめる。視線を感じたのか、アグリアスもまたラムザを見た。
 続きを、と彼女のまっすぐな視線に促されたような気がしてラムザは言葉を繋げる。
「再会して、一緒に行動するのが当たり前のように思っていたけれど……それは僕にとってとても心強いことなんだけど、アグリアスの意思みたいなものをちゃんと聞いたことがあったかなって」
 イヴァリースの戦乱時にも同じようなことを聞いたことがあった。その時彼女は自分と共に戦うことを誓ってくれたのを憶えている。別の、本来彼女がとるべき近衛騎士としての道──守護者としての道──よりも、闇に消える道を選んだことを。
 今はどうだろうか?
 ラムザがそう話し終えると、それまで黙って耳を傾けていた彼女はゆっくりと瞬きをした。
「確かに話したことはないかもしれんな。……この剣を」
 置こうかと思ったことがある。
 続いた言葉にラムザは息を呑んだ。
「──」
「だが、それは先の戦でのことだ。今ではない。今は……そうだな」
 心配するな、とアグリアスは微かに笑って続ける。
「今も道標がある。私には私の戦う道標が」
「道標? それは?」
 ラムザは訊き返したが、アグリアスは笑んだまま首を横に振った。
「それは秘密だ」
「え」
「教えてもいいが、そうすると少しつまらないのでな。だから秘密だ」
 彼女の言にラムザは思わず深々と溜息を漏らした。せめて手がかりだけでも、と続けようかと思ったが彼女はこれ以上口を割らないだろう。
「……分かった。そういうことにしておくよ……。アグリアスの意思があるならそれでいい。それが一番大事だからね」
「ああ」
 アグリアスが大きく頷く。そうそう、と思い出したように彼女はそうして続けた。
「言っておきたいことがある。──ラムザ、私もあのオーラン・デュライと同じようにお前の仲間だ」
 かつても今も、そしてこれからも。
「アグリアス……」
「重荷に感じることはない。だが、覚えておいてほしい」
 それだけだ、と言うと彼女は立ち上がった。戻るぞ、と手をラムザに向かって差し伸べる。
 陽は少し西に傾き、空の色も淡くなりつつあった。
「ありがとう」
 ラムザはアグリアスの手をとって立ち上がった。剣を持つ者特有の無骨な手はどこか温かく、しっくりときた。
 それが少し嬉しくて、頬が緩む。そのまま先に歩き出したアグリアスの背に、故にラムザは小さく呟いた。
「……きっと守るよ、アグリアスのことも」
「何か言ったか?」
 風にのって言葉が届いたのか、アグリアスが振り返る。ううん、とラムザは笑った。

 ──特別だから。
 いつかそう告げられることを信じて。