Memories

 降り注ぐ光が少しずつ和らいでいる。
 風が少しずつ冷たくなっている。
 季節が移ろい始めている。少しずつではあるけれど。
 時が移ろい始めている。少しずつではあるけれど。


 それでも、家の中よりは陽光降り注ぐ外の方が勿論明るいのだった。
 昨日の夕暮れは見事だった。今朝の空気は少し冷たかったが、澄んでいた。そんなふうだから今日は穏やかに晴れている。
 眩しさに少し目を細め、アグリアスは庭に出た。
 小さな庭には秋の花が咲き始めている。昔は花を愛でることもあまりなかったが、今となっては庭に手に入れるのもアグリアスの趣味のひとつだった。もっとも、初めの頃は殆ど枯らしてしまったりもしたのだが。
 辺りを見回すと、庭に一本だけ植わっている木の下でデッキチェアに寝そべっているラムザがいた。膝掛けを持ってくれば良かったかと思いもしたが、この気候ならば風邪はひかないだろうと判断してそのまま歩み寄る。
「おはよう、アグリアス」
「起きたか」
 寝顔でも見ようかと覗き込んだが、ラムザは既に目を覚ましていた。
「寝るつもりじゃなかったんだけど、こう天気がいいとやっぱり眠くなるよね……ふわあ。アグリアスもどう? 隣、空いてるよ」
「遠慮する」
 手のひらで示されたデッキチェアを見やりながら、アグリアスは即座に断った。今は眠くないし、疲れてもいない。
 それに、勧められるままに休んでみたら、いつの間にかとっぷりと陽も暮れようかという頃合いになっていたことが前にあった。あれは失態だった。
「それは残念」
 そう返してくると思ったのだろう、たいして気にしていない風情でラムザはへにゃりと笑った。
「……夢、を見たよ。夢を」
 視線を何処かに移し、ラムザがぼんやりと呟く。普段よりも少し幼いその口調と表情に、まだ夢の世界に片足を突っ込んでいるようだなとアグリアスは思いながら彼を眺めた。
「ん?」
「父上がいた」
 紡ぐ彼の声をそうして聞く。
「大きくなったな、抱き上げたいが少し難しいか。そんなふうに言って笑ってた。嬉しくて……でもすぐにああこれは夢なんだって気付いて、それでもかまわないって思った。父上がいるなら、それで」
 それだけで嬉しかった。ラムザは続けた。
「声が出てこなくて。声にならなくて、ただじっと父上を見つめた。そうしたら、手をぎゅっと握ってくれた。僕が最後に知ってる痩せ細った手じゃなかった。剣を握る手だった。……そこで目が覚めた」
「……そうか。良い夢だったな」
 ラムザの柔らかい笑みを眺め、アグリアスは言った。こんな顔をしているのならば、それは確かに良い夢だったのだろう。
「そうだね。それがひとつめの夢」
「ひとつめ? 二度寝したのか?」
 問うと、ラムザは頷いた。だって、と続ける彼の物言いが子供じみていて、アグリアスは昨夜に引き続き呆れた。昨夜は妙に年寄りめいた物言いだったが、今日は子供のようだ。夢のせいかもしれないが、そうでなくとも彼には時々こんなところがある。
 少しは歳相応になってほしいものだが。そう思うし、口にもするが、あまり効果はない。
「続きを見たかったんだ。途中で切れてしまったからもう一度、と思って寝てみた。そしたら、次はどんな夢だったと思う?」
 何処かに彷徨っていた視線が向けられる。そのまなざしは、「此処に」彼が戻ってきたことをアグリアスに告げていた。
「どのような、と言われても……。お父上の夢ではなかったのか」
「少し違った」
 思い出したのか、ラムザが笑みを深くした。面白い夢だったよ、と前置きをして続ける。
「父上がいたんだ。また会えた。良かった。そう思って駆け寄ったら、父上は何もないところを指した。なんだろうってそっちを見たら、兄上達がいた。ええって思ったら、ティータもいたんだ」
 もしかするとこれはあの世というものなんじゃないか。ラムザはそう思ったらしい。
 確かに、とアグリアスもまた思う。
「じゃあ僕も?と思ってさすがに焦ってきょろきょろとしたら、隣にアルマがいた。ああ、これはあの世じゃないって分かってほっとしたんだけれど、アルマが僕から視線を移して……そっちにはディリータとオヴェリア様がいた。オヴェリア様の横にはアグリアスがいて、それからあの頃の皆も。気が付いたらなんだか勢揃いだった」
 夢の中で出会ったという者の名を挙げながら、指を折ってラムザが数えていく。両の指でも収まりきらないその名前の殆どはアグリアスにも聞き馴染みのあるものだった。懐かしい。
「……それは賑やかだな」
「すごかった。人が多いからかもしれないけれど、あんまりにも騒がしくて。少し静かにって言うんだけれど……あ、この夢では声が出たからそう言えたんだけどね。でも、皆笑って聞かないし。そのうち決闘は始まるし?」
 そう言って片目を瞑ってみせたラムザにアグリアスは首を捻った。
「誰と誰がだ?」
「アグリアスとディリータ」
「……」
 幼馴染のいる西を指し、ラムザがあっさりと言う。その愉快げな顔つきに、アグリアスは腰に手を当てると大仰な溜息をついた。
 そうして、繰り出すのは少し作った声。
「ああ、それは是が非でも実現させたかったな。いつぞやはお前に止められたから叶わなかったが」
「まだ言ってる……。止めたこと、相当根に持ってるね」
「まさか?」
 呆れるように言ったラムザにアグリアスは肩を竦めた。どうとでも捉えれば良いと思いつつ口角を上げると、ラムザも笑った。
 それを見届け、アグリアスはここへ来た本来の目的を切り出した。
「先刻、手紙が来た。読むか?」
「あ、そうなんだ。うん、読む」
 手にしていた紙片をラムザに渡すと、彼は少し目を凝らしながら文面を追った。故国の世情を伝えるその手紙にところどころ頷きつつ読み進めていくのをアグリアスは静かに待つ。
「そっかー。なるほどね」
 読み終えると、ラムザは椅子から立ち上がった。大きく伸びをし、アグリアスに向き直る。
「ちょっと行ってこようかな」
 旅に出る、と軽い口調で告げるさまは容易に想像できていたので、アグリアスは思わず苦笑した。いつものことだ。
「懐かしくなったか?」
 見上げて視線を合わせると、ラムザは頷いた。
「少し、ね。話をして、夢を見て、これを読んで……そしたら懐かしくなった。それに、そろそろ頃合いだと思う」
「そうだな」
 季節は移ろい、時も移ろい、そうしていつしかそれらは雪のように降り積もった。
 星が巡り、月も巡り、過去は、駆け回った日々は、色褪せた昔となった。
 もっとも、すべてが消えてしまったわけではないが。誰しもが忘れてしまったわけではないだろうが。
 それでも。
「できれば顔も見てこようと思う。元気でやってるみたいだけれど」
 誰とは口に出さず、ラムザは再び西を見やった。その視線をアグリアスも追い、頷く。
「まあ、気をつけて行って来い。……だが」
 続けようとした言葉は吸い込まれた。唇に乗せられた柔らかい感触と背に置かれた優しい手。これもいつものこと。
「ちゃんと帰って来るよ。大丈夫」
「あまり心配はしていない」
 腕の中でそう言ってみせると、ラムザは「そうだね」と笑った。僅かに力のこめられていた腕が解かれる。
「支度をしなきゃ。アグリアス、手伝ってくれる?」
「誰が手伝うものか」
 振り返りながら先を歩き始めたラムザの背をアグリアスは軽く叩いた。そうして囁く。
 いつものように。昔からのように。
「信じている」
 心からの言葉を。
「うん」
 短い言葉の応えは、いつものように短かった。

<終>

あとがき

エンディングから相当時間が経って二人でのんびり暮らしているラムザとアグリアスさんの話でした。拙作「SALUTE」のエピローグからちょっと前の時間軸になるのかな、という具合です。にしても、秋の夜長話を5月に書いたので季節感があまり合ってないかもしれません…。

2018.05.28