Memories

 ええ? 僕も?
 話せと言われば話すけど、でも殆ど知ってると思うよ?
 そうでもない? そうかな。
 まあいいや。
 眠くなる前には切り上げるけど、時間はまだたっぷりあるからね。話すとしようか。



 ひとつめ。憶えているなかで一番古いもの、だね。
 オルランドゥ伯がベスラで仰っていたのを憶えてる? 確かアグリアスもその場にいたよね。
 そうそう、僕の小さい頃の話。伯の剣を持とうとして怪我をしそうになって、父上に叱られたっていうあの話。
 憶えてたらよかったなって思うんだけれど、やっぱり記憶にないんだ。
 僕の記憶で一番古いのは、ディリータ達と出会ったときのもの。親御さんを失ったディリータと妹のティータが引き取られて邸にやって来たときのことは憶えてる。
 二人は父上の後ろに隠れてた。背中を押されてようやく前に出たけれど、顔は強張ってた。
 たぶん怯えてたんだと思う。そして疲れ果てていた。何が起きてるのか分からないっていう表情をしてた。逃げ出そうとしてたかもしれない、何度も後ろを振り返ってた。
 ほんの少しだけ好奇心が顔を覗かせてた。
 僕らも……僕もどうしていいか戸惑った。同じ年頃の子達には初めて会ったようなものだから、勝手が分からなかった。彼らの事情は一応聞いてたけれど詳しくは知らなかった。
 父上の服の裾を掴んでる。ずるい。好奇心もあったけれど嫉妬も少しあったよ。仲良くしなさいと言われてもすぐには頷けなかった。それは彼らも同じようだったけれど。
 間ができた。握手を求めたのは僕だった。でもまた間ができた。促されてディリータが僕の手を取った。
 アルマも分からないなりに手を差し出した。……ティータはその手にちょっと触れただけで、すぐに手を引っ込めた。
 それが僕の一番古い記憶。
 まあ、ディリータとはわりとすぐに打ち解けたと思う。お互い他に友達もいなかったから、大抵一緒にいた。他愛もないことで喧嘩したり、調子に乗って遊び回ったり、その末にみっちり大人達に怒られたり、揃ってべそをかいたり。色々あったな。
 父上から草笛を教わったりもした。
 ティータのことは妹のように思ってた。あんまり一緒に遊んだりはしなかったけれど、大事な子だったよ。ただ、アルマがすぐに修道院に行ってしまって、ティータはひとりになっちゃって……今思うと辛いときもあったんじゃないかなって思う。いや、本当はそればっかりだったんじゃないかなって。実際、学校で辛い目に遭ってるってアルマから聞いたことがある。
 僕はそれを聞いても何もできなかった。何もしなかった。ティータだけじゃなく、ディリータとのこともそうだ。
 なんとなく一緒にいて、なんとなく仲良しで、そのまま一緒に大人になるんだと思ってた。少し形は変わるかもしれないけれど、でも何も変わらないで生きていくんだと思ってた。
 さっき、アグリアスが言ったよね。閉じられた、狭い世界にいるって気付くのは難しいことじゃないって。いつかは知ることだって。
 僕はそれに気付くのがとても遅れた。それどころか、目を背けて気付かないふりをした。自分がいる世界がすべてで、当たり前だと思ってて、そうじゃない世界を見てもぴんと来なかった。身分の違いなんかも努力さえすれば埋められるんじゃないかって思ってた。
 ディリータが苦しんでたときも隣にいたけれど、少し遠いことのように感じてた。大丈夫とは言えなかったけど、何もできなかった。何もしなかった。
 取り返しがつかなくなって、初めて気付いた。気付いたけれどそれでも何もできなくて、もがいてもがいて。
 そうして、僕なりの答が出たときには殆ど手遅れだった。自分の愚かさを呪ったよ。でも、それは何にもならないと思ったからとりあえず封じ込めたけれど……今も後悔してる。
 ……ん? 大丈夫。泣いてないよ。
 話が逸れたけれど、そんなわけで僕の古い記憶はディリータに繋がってる。どうしてもそうなっちゃうんだよね。苦い思い出もあるけど、そればかりなような気もするけど、大切な記憶なんだ。忘れたくないし、捨てたくない。
 今もそう思ってる。



 ふたつめ。初恋かー。
 んー。あー。えー。
 いや、アグリアスに答えてもらおうって思っただけで、自分が話すことになるなんて思わなかったし。
 交換条件? そんなふうに言われても。
 聞きたい? え、別にそうでもない? ……そうなの?
 それはそれでなんだか悔しいような。

 で、誰でしょう。
 ……答えてくれないし。訊くな? それはそうだけれど、ひとりで語るっていうのは結構難しいね。アグリアスもお疲れさまでした。
 うん、聞けてよかった。
 僕の場合は……そうだね、誰だったのかなあ。
 さっき話に出てきたティータは妹のように大事に思ってた。可愛くて大切だったけれど、そういう感じじゃなかった。
 アルマは妹だよ。勿論、昔も今も変わらずに大事だし大切だし可愛いし器量良しだと思うし、変な虫が付かないか心配してたのに僕のせいでとんでもないことに巻き込まれちゃって苦労させたしそれは本当に申し訳ないって思うけれど今は巡り巡って幸せなのって言ってくるからもう何も言えないし幸せならいいんだって返すしかないし……い、息が続かない。
 兄って辛いなあと思ったけれど、ね。やっぱり違う。
 アカデミーの先輩とか同期とか後輩とかにもそういえばいなかったな。ガリランドの掃討戦からの大事な仲間達にもそう思ったことはないよ。
 恐れ多くもオヴェリア様……も違う。オヴェリア様を好きだったのはディリータだよ。あれは初恋だと僕は見るね。
 本当ははっきりきっぱり初恋はアグリアスだよって言いたいんだけれど、確証はないっていうか……どうなんだろう。
 真面目そうで少し怖い人だなって、最初はそんな印象だった。近寄りがたいって思ってた。でも一緒に行動しているうちに僕にはない強さが眩しかった。憧れで、目標で、心強かった。傍にいてくれて嬉しかったし、離れたくなかった。離したくなかった。
 恋だと思うよ。そうそう、今も恋してるよー。え、寒々しいからやめろ? ちょっと酷すぎませんか。



 みっつめ。最後の問いだね。
 何で騎士になった……なってないな、僕は。どうして騎士になろうと思ったのか。
 自然な流れ、っていうのかな? 流されるままにそうなるんだと思ってた。なんとなくそれでいいんだって思ってた。
 アグリアスとは真逆の意味で単純だったと思う。
 父上の言葉もあったよ。今際の言葉で……不正を許すな、人として正しい道を。自分の信じる道を……そう言い遺してくれた。
 身分上の騎士として生きろって意味じゃなかった。父上は心の置き方を最期に教えてくれたんだ。
 ただ……その場で僕は頷いたけれど、意味はたいして理解してなかった。こういう意味だったのかなって思えるようになったのは、ずっとずっと後のこと。
 本当に流されてた。何も知らなかった。考えてなかった。
 そのまま叙任されてたら、どうなってたんだろう。
 違和感にはいつか気付いたんだろうか?
 押し寄せる現実に抗おうと思ったんだろうか?
 それとも、何も考えずに剣を持ってたんだろうか?
 なんとなく、で人を殺したんだろうか? 殺されたんだろうか?
 殺せ、と命じてたんだろうか?
 今も時々考えるんだけれど、気付いたとしても知らないふりをしてたと思う。それか、分かってるってふりをしながら、全然分からないままだったか……後者かな。
 大義のためにとか言いながら、立場に胡座をかいて利用し続けたと思う。
 結局、それはできないって思ったから今の僕がいるんだけれど、でもどうかな。はたして父上の言葉を掴みきれているんだろうか。
 ……いや、まだだよね。うん。
 この思いを、道標を、僕は生きてるかぎりずっと抱いていく。



 さて、こんな感じかな。
 さすがにもう夜も遅いね。寝ようか。
 色々聞けて本当に良かった。きっと今夜見る夢に出てくるのは、ぬいぐるみを抱いたアグリアスかな。
 僕も話せて良かった。やっぱり懐かしくなったな。

 じゃ、おやすみ。良い夢を。