真夜中の訪問者

 さっそく、四人は調査を開始した。
 まず厨房に行って現在の状況を確認してみる。すると、丁度いいことに本拠地ミルフォード城の料理担当……というよりシチュー担当のレスターがそこにはいた。
「あれ、皆さんでどうしたんですか?」
「いや、ちょっとね」
 不思議そうな顔をしているレスターをフリックは手招きした。
「?」
 長いコック帽を外し、レスターはやってきた。今日の仕事はどうやらもう終わりらしい。後片付けもなされていて厨房はいつものとおりぴかぴかだった。
「最近、あんたシチュー作ってる?」
 クレオは最初に事実を確認した。もうとっくに答が出ているはずの事実。
 レスターはこのシチューを作れるはずがない。
 そう思いながらもクレオは聞いた。案の定、レスターの答はクレオを満足させるものだった。
「いえ……最近は作ってないんです。だけどですね」
「だけど?」
 壁によりかかり、腕組みをしてフリックが訊ねた。同じような格好をしてまたヒックスはテンガアールにどつかれている。
「けど、朝になったらシチューが出来てるっていうのかい?」
「そうです! え……でもどうしてそれが分かるんですか」
 ますます目を丸くしてレスターはクレオに詰め寄る。
「いや、それはね」
「不思議なんですよ。朝起きるとシチューが出来ている。作り方も申し分ない。もしかしたら私が作ったのより美味しいかもしれない! そう思うといてもたってもいられなくてぜひ教えを請いたいと思いつついつも忙しくて時間がなくてそうこうしているうちにもう一週間なんです、嗚呼!」
「わ、分かったから」
 途中から暴走して頭を抱え、地団駄を踏むレスターの肩をクレオはぽんぽんと叩いた。しかしレスターの暴走は止まらない。
「弟子などは小人さんの仕事だとかいうし、材料はちっとも減ってないし。これはいったいどういうことなんでしょう? クレオさんフリックさん何か知っているんですか? この味はいったいどうやって作るんですか?」
「私は?」
 テンガアールが自分を指して不機嫌な顔をした。が、皆それを無視する。
「材料がなくならないのか?」
「ええ」
 クレオとフリックは顔を見合わせた。誰か自分達の知っている者がこのシチューを作っている。それは想像に難くなかった。だが、その人物が材料まで運んでいるとは想像しがたかった。
「そうか……」
「クレオさん、何か知っているんでしょう?」
 涙顔でレスターはクレオに迫った。思わず後ずさりをしてしまうクレオ。
「ま、まあ……これからそれを確認するんだけど」
「私も連れていってください! シチューを作り続けて早三十年! ここで引いたら御先祖様に合わせる顔がないのです」
「レスターさんって代々シチュー専門のコックさんなんだ……」
 とは、ぼんやりヒックス。
「分かった。分かったから落ち着け」
 ありがとうございますぅぅと前掛けで鼻をすするレスター。あとの四人はただただ呆気に取られて彼の姿を見ているしかなかった。
 何はともあれ、こうして仲間は五人に増え、彼らは一番怪しい時間帯……すなわち夜中に厨房を見張ることになったのである。

 調査班は夜には五人になっていた。しかし、深夜には六人になっていた。
 五人が厨房に行こうとしているのを見て、酒場帰りのビクトールが面白そうだとついてきたのである。
「面白いとは思えないと思うぞ?」
 小声でフリックがビクトールに言った。既に全員が厨房の片隅に身を潜めて隠れている。
「まあまあ」
 手をひらひらとさせビクトールも答えた。聞けば、彼もまたシチューの味の違和感に気付いたとのことである。
「一体誰が……あんな高度な極上シチューの味を作れるんでしょう」
 一番身を乗り出して様子を探りながらレスターが上ずった声で呟いた。
「少し落ち着いて、レスターさん」
 レスターを元の位置にひっぱるテンガアールとヒックス。
「し……静かに。足音がする」
 クレオが神経を集中させ、耳をすました。他の者も同じようにする。
 ただひとり、レスターだけがそわそわとしていた。

「今日こそ……」
 どさ、と何かを下ろす音がする。それに紛れて聞こえたのは疲れたような、やつれたようなそんな声。全員が聞き覚えのある声だった。
 灯かりがつけられ、厨房が明るくなる。
 そこで彼らが見たのは、紛れようもなく解放軍のリーダー、リューイ・マクドールの姿だった。


「え」
 驚きのあまりレスターが声を上げ、途端にビクトールの大きな手にその口を押さえ込まれた。むがもがとひとしきりもがいたあとで、納得したようにレスターはおとなしくなった。
「やっぱり」
 フリックが溜息まじりに呟く。クレオもそれに頷いた。
「どうして? どうしてリューイが?」
「ま……見てな」
 六人の視線の先ではリューイが物凄い勢いでたまねぎをむいていた。
「なんて素晴らしい手さばきなんでしょう……」
 リューイがたまねぎをあっというまにみじんぎりにしていくのを見ながら、レスターはうっとりとしていた。にんにくを放り投げると空中でリューイはこれまたみじんぎりにしてしまう。
「なあ……クレオ。あいつって料理が出来るのか?」
 ビクトールが聞いた。
 大鍋を火にかけ、リューイは水を入れた。どうやらスープブイヨンを作る気らしい。
「ひととおりは出来るよ。掃除洗濯料理。グレミオがやってたけど、実はリューイさまは全部できる。けど……」
「けど?」
 フリックが聞き返した。そうこうする間にスープブイヨンのための具をリューイは鍋にどんどん入れていく。
「シチューだけはグレミオが譲らなかったから。作らせなかったな」
「なるほど」
 フリックとビクトールはクレオの言葉に顔を見合わせ、頷いた。それが懐かしいと思った味に何かが足らない要素だったのだ。
 たまねぎを炒め始める。焦がさないように、飴色になるまでじっくりと。たまねぎを見つめるその目は普段の時より、戦闘の時よりずっと真剣なものだった。
 あんなに真剣な顔見たことない。テンガアールが呟いた。
 ぱたぱた、と足音をたてリューイが何かを取りに走った。小麦粉とバターと生クリーム。ホワイトソースを丁寧に丁寧に。
「上手です……リューイさま……」
 うっとりした表情のまま、レスターはメモをとっていた。きっと明日からはレスターのシチューの味も更に向上することだろう。
 他の五人は、そんなレスターを放っておいて厨房を気付かれないように後にした。
 テンガアールとヒックスにもう寝るように、と言い大人三人はなんとなく城の中を歩いていた。
「やっぱり寂しいんだな」
 沈黙を破り、そう呟いたのはフリック。思わず他の二人も頷いた。
「やっぱなぁ……思い出すよな。あいつはそんなこと言わないけどよ。せめてシチューでグレミオ思い出そうとしてるんだろうな」
「ぼっちゃん……」
 クレオは目を閉じた。そうでもしないと熱くなった目頭から涙が零れそうだったからだ。
 今は亡き者への哀悼。
 そして、死してなお少年の心を捉えて離さない者への、ほんの少しの怒り。
「……早くこの戦争を終わらせないと、な」
 何かを思い出したのか、フリックはクレオとビクトールの肩をぽん、と叩くと自室へと戻っていった。その背中もやはり、寂しい。
「クレオ……酒場行って飲みなおさねぇか?」
「いいね。そうしようか」
 残された二人は来た道を戻って酒場へと向かった。


 窓の外、天空に高く架かるは三日月。
 細く冷たい光が、やがてあまねく地上を照らすまで。
 運命はあと少し時を必要としていた。

 ………。
 誰かが呼んでる……。
 リューイは暖かな空気の中、うとうととまどろみながら頭の片隅でぼんやりと思った。
 とても聞きなれた声。だけど、もうずっと聞いていなかった。
 ずっと聞きたかったあの優しい声。
 やっぱり夢かな。少年は急速に浮上していく意識に逆らいながら思う。
 ──夢でもいいから……傍にいて。
「……お傍にいますから」
 そんなことを囁かれて手を軽く握られた。やはり暖かい。
 その暖かさに笑う。夢なのに妙にリアルで。


 ──変だよね。夢でも洗濯物やシチューや僕の心配ばかりして。
「そんなに変でしょうか……ぼっちゃん、ほんとに眠ってるんですか?」
 ──変だよ。すごく変。だってもういないの……に?


 ?
 ??
 沈みかけた意識が疑問符とともに一気に覚醒する。

 次の瞬間少年はパチ、と目を見開いた。


「ああ……気付いたんですね」
 そこにあったのは懐かしい顔。夢じゃないと気付いてリューイは目をパチパチと瞬かせた。起き上がるついでに自分の頬を張る。痛い。
「ぼっちゃん、ほっぺたはれちゃいますよ」
「グレミオだ……」
 そういえば夢じゃなかった。記憶が徐々に戻ってくる。
 集まった108の宿星。レックナートの祝福の言葉。ビクトールの否定。
 ──そして。
「お久しぶりです、ぼっちゃん」
 穏やかに微笑む大事な大事な人。自分のことを一番よく知っている人。
 その人に向けてリューイはゆっくりと腕を伸ばした。小さい時に飛びついたように。そうするとこの人は何時だって自分を抱きしめてくれた。
 それは、今も変わらない。
「ほんとに……ほんとに久しぶり」
 あとは言葉にならなかった。穏やかな、静かな再会。ただ自分を包み込むぬくもりだけが確かなもの。
 グレミオも何も言わず背を撫でる。その心地よさにうっとりと目を閉じ、リューイは懐かしい空気を吸い込んだ。


「クレオさん達に聞きましたよ。まったく心配したんですから」
 数刻も経っただろうか。夕闇に包まれる部屋の中、グレミオが囁き声でリューイに言った。
「何…?」
 グレミオの顔をもっとよく見ようと、リューイは体を引き離した。目の前の彼はちょっと怒ったような、それでいて途方に暮れたような顔をしている。
覚えがある。これは自分がグレミオを困らせた時の顔だ。
「……何かした?」
「ここ二、三週間ほど毎夜毎夜、夜更かしをしていたそうですね? ぼっちゃん」
 グレミオの整った眉が少しばかり釣り上がる。
「……」
 リューイは心の中で舌打ちをした。誰にもばれてないはずだったのに。
「そ、それは」
「私が生き返ってすぐにぼっちゃんが倒れて皆さんがどれだけ心配したことか!」
「……ごめんなさい」


 グレミオの話によるとこうである。
 レックナートの導きにより、グレミオが生き返った直後にリューイが倒れた。
 揺すっても叩いても気付かない。ウィンディの策略かと誰もが思い、生き返ったばかりのグレミオが生前の(?)動揺加減を披露しかけたその時。
『あー……それは』
 背後から苦笑まじりの声が聞こえた。振り返るとそこにはビクトール。
『それは? どういうことですかっ』
『グレミオ……あとでゆっくり話す。けど、そいつ多分寝てるだけ』
 ビクトールの傍らでフリックが同じような表情でいた。
『……は?』
 そうしてグレミオは事の顛末と事情を全て知ることになる。


「毎晩毎晩シチュー作って夜更かししていたなんて……」
「だ、だって」
 グレミオがリューイから視線を逸らす。不安になって思わずリューイはグレミオの瞳を覗き込んだ。
 瞬間、グレミオが見せたのは────とびきりの笑顔。
「嬉しいじゃないですか……。ぼっちゃんがこのグレミオをそこまで想っていてくれたなんて」
 つられてリューイも笑顔になる。そのリューイの頭をぽんぽん、と撫でるとグレミオは立ち上がった。
「グレミオ?」
 ほんの少しでも今は離れるのが怖くて。リューイの笑顔が凍る。
 ──またどこか遠くに行ってしまう。
 咄嗟にリューイはグレミオの服の裾をしっかりと掴んでいた。
「……大丈夫ですから、ぼっちゃん。もうどこにも行きませんよ」
 やわらかな微笑と共に額に口付けを落とし、グレミオは言った。
「ほんとに?」
「ええ。それより、ぼっちゃん」
 おなか、すきませんか? グレミオは笑った。
「すいた……けど」
 何か食べるならグレミオの特製シチューがいい。そう言おうとした矢先にグレミオが言葉を続けた。
「そう思って、ぼっちゃんが眠ってらっしゃる間にレスターさんに厨房をお借りしました。久々の……」
「食べる!」
 今度はリューイがグレミオの言葉を遮った。


 いただきますからごちそうさままで。
 そしてまた、いただきますからごちそうさままで。
 それを繰り返すこと数回。
 その間、ほんの十分。


「もう……食べれない…動けない……」
「食べ過ぎです……ぼっちゃん」
 グレミオが苦笑まじりに向けた視線の先では、リューイが幸せそうにくすくす笑いながらベッドに転がっていた。手にした鍋は既に空である。
「だって久しぶりだったんだもん。もう食べれないって思ってたから……ね、グレミオ?」
「なんですか?」
 簡単に鍋と皿を片付けているグレミオの背中にリューイは声をかけた。振り返り、グレミオがこちらにやってくる。
 その姿にリューイは長年の疑問をぶつけてみた。
「クレオ達に聞いたんでしょ? 僕のシチューの欠点」
「ええ。それを探すためにずっとシチューを作り続けていたようだと」
「うん。でも分からないんだ」
 今までずっと傍でグレミオのシチュー作りを眺めていたので同じシチューを作れる自信がリューイにはあった。しかし結局それは無理で。
「それはですね……これです」
「え?」
 グレミオが出した緑の物体にリューイは目を丸くした。
 ──気付かないはずだ。
 笑顔で彼がさしだしたそれは自分が大嫌いな……セロリ。
「これを入れるのと入れないのとでは大分味が違うんですよ。……ぼっちゃん、どうしました?」
「グレミオなんか……」
「はい?」
 リューイの声が震えた。俯いた顔にどうしたのかとグレミオがおどおどしたその時。
「グレミオなんかだいっきらいだ──!」
 絶叫が本拠地にこだました。


「あ、グレミオ生還第一回目の大嫌いコール」
 階下の食堂。フリックは微かに聞こえた絶叫に顔を上げた。
「……通算記録では七十五回目……かな」
「数えてるんか、クレオ」
 久しぶりのグレミオシチューを平らげながら言ったのはビクトール。
「まぁね。でもあれがぼっちゃんの愛情表現。ほんとに怒った時は水を打つように静かだから」
「なるほど」
 ビクトールとフリックは、クレオの言葉に顔を見あわせ苦笑した。


 しかし、彼らはまだ知らない。
 自分達もまたリューイに同じように怒鳴られるということを。

 ……だが、それは三年半ほど後のお話。

<終>

あとがき

書いている時には冬に放映していた某シチューのCMを思い出していました。まさにグレミオ的なセリフがあったのです。

1999.11.26