GOOD FELLOWSHIP

「グレッグミンスターにいますから、よろしければ遊びにきてくださいね」
 傍らに立つ少年の付き人なのだ、という男の言葉にヒューイはこくりと頷いた。
 それを見て、その男も少年もほっとしたように微笑む。今まで寂寥の色しか浮かんでいなかった瞳に何か暖かい色が加わった、そんな感じの微笑みだった。
「では私達はこれで」
 最後に男がにっこりと笑い、彼らは村を離れていった。
 それをただじっと見送る。魂の半分が去っていく、そんな想いに囚われながら。
 ――だけどそれだけではなく。
「それでは……我々も城に戻りましょうか。なんだか不思議な人でしたね」
 いつまでも……あの二人が森に消えてしまっても、未だにその方向を見つめているヒューイの肩に手を置き、カミューが言った。他のメンバーもその提案に頷く。
「そうですね……。ミューズに行き、和議を結ばなければ」
 何故かパーティーの中で一番憂鬱そうな顔をしていたカスミが言葉を引き継いだ。
「帰ろうか? ヒューイ」
「うん……」
 ナナミが自分の顔を覗き込む。どうしたの?とその瞳が問いかけている。
 しかし、ヒューイは答えなかった。ただ、森を見つめるだけ。その瞳には、今はもう去っていった少年の姿が映っていた。
 寂しそうな横顔。傍目から見ても分かる癒えない傷。
 極端に口数が少ないのも多分そのせいで。
 ――守りたかったのに。手から滑り落ちていくんだ……
 グレッグミンスターの彼の自宅で、小さく呟かれた言葉。
 それらが急にヒューイの脳裏によみがえり、くるくると回り始めた。
「……」
 森から目を移し、ヒューイは自分の仲間を眺めた。ぼんやりとした彼の所作にどうしたのか、というような感じで彼らはヒューイを見ていた。
 部下というわけではなく、自分を見てくれる、支えてくれる大事な仲間達。
 ――そうだ、大事な仲間……。……仲間?
 この大事な人達。きっとあの少年……リューイにも。
「ナナミ」
「ん? なに?」
「それからみんな……」
 もしかしたら自分は彼の傷をもう一度抉ってしまうのかもしれない。
 けど、自分の見たのが間違いでなかったら。ヒューイは思った。
「なに? どしたの、ヒューイ」
「どうしたのさ」
 ルックの投げやり気味な言葉にヒューイは小さく頷いた。前にあの少年と一緒に戦った彼にはもう分かってるのかもしれない。そんなことも思った。
「せっかく帰ってきたばかりなんだけど。もう一度グレッグミンスターに行こう」
 ヒューイはにっこりと笑うとそのまま踵を返した。バナーの森は深い。今からだとグレッグミンスターに着くのは日が暮れる頃だろう。そう考えると自然に駆け出していた。
「ええ? ちょ、ちょっと待ってよヒューイ」
 ナナミが慌てて追いかける。カミューは小さく頷くとそれに続いた。カスミはしばらく何か考えていたが、頭をひとつ振りヒューイのあとを追った。
 そして、残された一人。ルックはというと。
「やっぱりね」
 やれやれ、というように肩を竦めて散歩をするような足取りで森へと入っていった。
「僕の足はこんな山道を歩くためのものじゃないんだけどね……」
 言い訳のような、そんな言葉を残して。

「やっぱり自分の家がいいですか? ぼっちゃん」
 以前とひとつも変わらない所作で家のことを手早く片付けながら、先程の付き人……グレミオは嬉しそうに言った。何処でもらったのか、それとも自分で買ってきたのか、器用な手付きで花を生けている。
「うん……そうだね……」
 その横のベッドに突っ伏したまま、リューイは頷いた。何処にいても、あのトラン湖に浮かぶ城にいた時でさえもこんなに心が落ち着いたことはなかったのに。
 この安寧感は一体どうしたことだろう。
「家が一番いいな……。やっぱり」
 頭に巻いたバンダナを取り去り、ごろんとリューイは仰向けになった。靴を履いたままだったので、お行儀が悪いですよ、とグレミオがささやかな小言を言う。
 それを軽く受け流し、リューイは天井を眺めた。
 ――こうしていると何もかも昔のままで。勘違いしそうだ。
 家の空気。優しい人々。グレミオのシチュー。
「ぼっちゃん、寝るんだったらちゃんと着替えてくださいね?」
「うん……」
 曖昧に頷いてリューイは壁際に貼られてある絵を見た。その瞬間、現実に心が引き戻される。もうこの世にはいない、一番の友達の笑顔。
 イワノフに頼み込んで描いてもらったそれは、記憶を元にしたものだというのにまるで今にも動き出しそうで。
「じゃ、私は下にいますからね」
 花を生け終わり、後片付けをしてグレミオは出ていった。それを見届け、リューイは起き上がった。そうして、再度まわりに誰もいないことを確認してから、外すことのない右手の手袋を取る。
「ソウルイーター……」
 右手の甲に刻まれた紋章。一体幾人がこの紋章を受け継いできたのだろうか。
 永遠の証。そして……生と死を司るもの。
 この紋章を持つこと自体が、人との交わりを避けなければならないことを彼は知っていた。本当ならこんな場所にいてはいけないはずだ……頭の奥で自分の声が鳴り響く。
 ――戦乱を巻き起こし、人の命を奪い……そのせいで……
 自分の内なる声にテッドの声が重なった。紋章の力を恐れて長い時をひとりで過ごした友の声。そして、それを利用しようとしたウィンディの声も遠くで聞こえるような気がして、彼は頭を振った。
「ソウルイーター。どうして、僕は生きている?」
 右手を責める風でもなく、ただリューイはぼんやりと呟いた。
 温かい空気が何より怖かった。人の温もりに触れた途端にすべてこの紋章が食い尽くしてしまいそうな気がした。
 そう考えることは全てから彼を遠ざけ、いつしか彼の瞳は常に遠いどこかを彷徨うようになっていた。人としての魂を何処か……あの崩れゆく城に置き忘れたような。
 ――いつかは自分を置いて皆どこかに行ってしまう。
 昨晩、カスミが見せた表情が忘れられなかった。
 ――そうでなければこの紋章が……。自分が。
 一体どれだけの人の魂をこの紋章は吸ってきたのだろう。彼は思った。
 オデッサ。グレミオ。父であるテオ。テッド……そして軍師マッシュも。
 彼に近しい人は皆この紋章に吸われていった。運命という優しいものではなく。
 それがはっきりと分かった時のことは今でも覚えている。自分は何処からか斧を持ち出して、それで右手を断ち切ろうと思って……。
「ああ、それでビクトールに殴られたんだっけ」
 放り投げた手袋をたぐりよせ、その手にはめながらリューイは呟いた。
 確かマッシュが刺された日。……ということはシャザラザードが落ちた日のこと。
 ソニアの話を聞き、マッシュが刺されたショックですっかり頭が混乱した彼はその紋章を右手ごと切り落とそうとした。そうすればもう誰も苦しめることもない、自分も逃れられる……そう思ったのだ。
 出来なかったのは、その場に飛び込んできたフリックに羽交い締めにされたから。大馬鹿野郎と怒鳴られ、リューイは目を丸くした。
『そんなことしても誰も喜ばない。オデッサなんか絶対怒るぞ』
 そう言われ、力が抜けたところにビクトールがやってきてリューイは平手打ちをくらった。多分、手加減はしていたのだと思う。しかし、フリックが押さえ込んでいなかったら横に吹っ飛んでいたことだろう。
 それからビクトールもフリックと同じように、馬鹿だなと言い。しかしその目が静かに細められていたからリューイは二人の前で泣き喚いてしまった。
 もう三年も前のことだ。
「……なんか思い出しちゃったな」
 再びそのまま後ろ向きに寝転ぶ。もうこのまま寝てしまおうと思い、足で靴を脱ぎ、ぽんぽん、と放った。
 思い起こしてしまった事実に目を背けるように、彼は目を瞑った。もういないのだ、という事実に。
 ――あのふたりも。もうきっといない……。
 解放戦争の最終局面、バルバロッサを討ち取って城から脱出する時にビクトールとフリックのふたりは自分を庇って、自ら盾となった。
 嫌だ、一緒に逃げるんだ。そう言っても肯んぜず。いいから早く逃げろ、と揃いも揃ってふたりとも微笑みなど浮かべてしまって。
 凄い兵士の数だった。斬っても斬っても現れる。実際、リューイもあの後にも何度か戦闘を繰り返した。確かにあそこでふたりが先に行かせてくれなかったら、全員が死んでいたかもしれない。
 ――けど。そんなことしてくれなくてよかったのに。
 城から逃げ出て陣営に辿り着き、ふたりが帰ってくるのをじっと待っていた。震える肩を抱いてくれたのはグレミオ。気休めにしかならない口調だったが大丈夫ですよ、と呟いてくれた。
 だから彼は待った。マッシュが死んだという報が入り、慰労の意をこめた祝勝会が始まっても、表面だけで笑顔を浮かべながらふたりが帰ってくるのを待っていた。
「……馬鹿だよね」
 ふたりは戻ってこなかった。人々は、直接は言わなかったが誰もが暗黙のうちにふたりの行方不明を死ととらえた。それは彼もそうで。
 特にフリックは深手を負っていた。あの傷で逃げきるというのは到底不可能だった。
 ――彼らもまた自分とこの紋章がその命を奪った……。
 いつしかリューイはそう思うようになっていた。兄のようなふたりを、自分を受け入れてくれたふたりもまた大切な人だった。それ故にソウルイーターはその魂を欲したのだと。
 ――もうこんな思いはしたくない。
 心の底からそう思い、グレッグミンスターを離れた。そして、この地に戻ることなどないだろうと思っていたのに……。
「ぼっちゃん、起きてます? ……なんですかこの靴の飛びようは」
 三度ノックされ、それから扉が開く。顔を出したグレミオは何か言おうとしたが、言葉を紡ぐ前にその視線は扉の前に転がる靴に注がれた。
 途端に無言になる。この保護者は自分に甘いくせにこういうところだけは妙に厳しい。
「ははは……」
「まったくいつまで経っても子供のような……。ああ、ヒューイさん達が戻って来てますよ」
「え?」
「明日一緒にウィンダミアまで行かないかって」
 ――わざわざそれを告げに?
 起き上がった彼にグレミオは頷いた。


「ほんと……お節介だよね」
「え?」
 今日は遅いから泊まっていってください、というグレミオの言葉に甘える格好でその日、ヒューイ達はマクドール邸に厄介になることになった。結局連泊である。
 明日はリューイも一緒に旅立つ。ただし日帰りで、というグレミオの言葉には従わなければならない。そこまで心配するんだったら一緒に来ればよいのに、とリューイは笑いヒューイ達も内心で頷いた。
 しかし、とりあえずこれで第一関門は突破である。
 ほっと胸を撫で下ろし床に入ろうとした時、同室のルックにお節介だと言われたのだった。ちなみにルックとヒューイ、ナナミとカスミ、カミューというのが今回の部屋割りである。
「お節介だって言ったの」
「まぁね」
 いつでも不機嫌そうな真の紋章使いの声に、ヒューイは小さく笑った。
「自覚あるんだ?」
「でも皆共犯じゃない? 少なくとも僕より事情を知ってる君らの方が性格悪いよ」
「……まぁね」
 ルックは肩を竦めてみせた。そうすることで素っ気無さを表現しているらしい。
「面白そうだものね。あの変に傷ついたような目に光が戻るのを見るのは」
「そこまでは思わないけど……。それで僕が言い出した時何も言わなかったんだ」
「そう」
 ヒューイが一緒に城へ行こう、と誘いをかけた時他の四人は何故か何も言わなかった。ナナミやカミューは事情に詳しくないからそれもそうなのだが、カスミやルックは一時期彼と共に戦ったはずである。
 なのに、この二人はかつてのリーダーに対して何も言わなかった。
「カスミは違うかな。これも変に同情しちゃってるから」
 うっとうしいったらね。そう呟いてルックは床に入った。なかなか辛辣である。
「手厳しいね」
「うるさいな。おやすみ」
 それきりルックは何も言わなくなった。諦めてヒューイも床に入る。
 ――確かに自分はお節介だし、余計なことなのかもしれないけど。
 目を閉じると、疲れていたせいか急速に眠気が襲ってくる。
 ――でも。会うことができたらほっとする人もいるよね……。
 最後にそれだけ考えて、ヒューイは眠りに落ちた。