Sooty Ring

2

 偶然か、必然か、それは今でも分からない。どちらでも良いことだった。

「待ち伏せでもしたかと言いたそうだが、それはないな」
 胡乱げに睨む男に、ディリータは苦笑した。
「むしろこちらが聞きたい。用のないはずの人間が何故こうも度々訪れているのかと」
 ディリータがそう続けると、相対している男はたじろいだかのように見えた。手にしていた数冊の書を抱え直し、視線を僅かに逸らす。──だが、すぐにその視線はディリータへと戻された。
「……用はあってね」
「ほう」
 男の視線と言葉にディリータはふと興味を覚えた。付き従っていた臣下に目線をやって去らせると、自らは回廊の壁に背を預けて腕を組んだ。
 王城の第三回廊。その先にある書物庫から出てきたらしい男と行き合ったのは、回廊を抜けようとした矢先のことだった。見慣れない者がいると囁く臣下の視線の先を追ってみれば、そこにあったのは見覚えのある人影。
 こうして行き合うのは初めてのことではない。以前にも数度あって──、それらはどこまでも偶然のことだったが、こうも重なると少し不思議なことのようにも思えた。
「どのような用向きか聞いても?」
「別に構わないが……。聞くにしては随分と横柄な態度を取るんだな」
 憮然とした面持ちで男は呆れたように言った。その平易な物言いが今の自分には新鮮に思え、ディリータは口角を吊り上げた。
「権力者にしては謙虚なほうだと思うが。──それで?」
「調べものをしていた」
 重ねて問うと、こともなげに男は言った。
「何の?」
「……例えばそうだな、お前と教会が抱えている秘密とか?」
「それは面白いな、オーラン・デュライ」
 男──オーランの言葉に、ディリータは笑った。それをどう受け取ったのか、オーランが眉根を寄せる。
「面白い、か」
「そうだ。そんなことはまだ誰も言い出してはいない。言い出せないだろう」
「まあ、確かに」
 ディリータの指摘に、オーランはそっけなく肩を竦めてみせた。その表情がまた面白くて、ディリータは笑みを深めた。
 ──この男は嘘を言っていない。
 そう思うからこそ、ディリータには面白かった。保身に奔走する貴族達を眺めるよりもずっと面白い、そう思う。
「調べ終わったら教えてくれ、発表の場を設けよう」
「ああ、ありがとう」
 笑い混じりの言葉を冗談だと受け取ったのだろう、投げやりな様子で頷いたオーランにディリータは続きを促した。
「他には?」
 笑いを収め、オーランを見据える。先刻見せた一瞬の逡巡をディリータは見逃さなかった。
 否、見逃せなかった。
「……他に……」
「何かあるのだろう」
 口ごもったオーランにディリータは言った。
 ──偶然だか必然だか知らないが。
 すぐには返ってこない答を待ちながらそうして思う。
 今日こうして行きあったのも結局は偶然なのだろう。……そう思うが、今までの偶然とは何か違うような気がした。必然とまではいかないが、何かが違う。
 場所。時間。そういったものではない。雰囲気。態度。それもまた、違う。
 だが、こんなふうに話を促している自分は少し珍しい。男の逡巡もまた同じで。
「……ない、といえば嘘になるな」
 絞り出すようなオーランの声をディリータは拾った。


 回廊から次の回廊へ。王城というものは、とかく大きい。
 執務室へと向かいながら、ディリータはオーランの言葉を反芻した。
『いつか彼女を』
 言葉を区切り、オーランは表情を険しくした。何処へ向けた怒りなのか、歯軋りの音さえ聞こえそうなその表情にディリータは既視感があった。──戦のさなか、ゼルテニアの夜。いや、それ以上だったかもしれない。
『バルマウフラを?』
 だから少し驚きもしたのだが、それには頓着せずにディリータは「彼女」の名を出した。オーランの怒りの矛先を知ったところで己はどうもしないだろう。「面白いから」聞いただけだ。彼が何故自分に話そうと思ったかということも知らない。
『……』
 出された名前にオーランが目を見開く。怒りで我を失いかけていたことに気付いたのだろう、肩の力を抜くようにゆっくりと息を吐き出すと、彼は書を再度抱え直した。
 書を抱えている手にディリータは視線を向けた。正確にはその薬指にはめている指輪を見やり、成程と得心する。先程から小さな光がちらつくと思っていたが、その正体はこの指輪だったらしい。
『いつか、バルマウフラを手放す……いや、彼女と別れるつもりだ』
 几帳面に言い直すオーランに、ディリータは片眉を上げた。
『喧嘩でもしたのか』
『そんなのはしょっちゅうさ。……そうじゃない、「これ」は確かな未来だ』
 それ以上の仔細は告げず、オーランは首を振った。
 だろうな、とディリータは納得した。いずれ目の前の男は先刻の軽口を本物にするだろう。教会との対立、それは自死を選ぶことと未だ同義だ。そのときに「彼女」はその場にいてはならない。無意識のうちに男は別れを選んだのだろうが、別の見方をしてしまうと「彼女」は彼にとって急所であるが故に足手まといなのだ。
 それから、幾つかのやり取りをした。
 貰い受けようか、と笑えない冗談をディリータが投げてみると、オーランは嫌そうに顔をしかめた。曰く、彼女は物ではない。また曰く、こてんぱんにされるぞ。その言葉を受けてディリータは笑った。
 そうして笑いながら──、男の真意をとりあえずは受け取ったのだが。
「随分な大仕事になりそうだ」
 一連の流れを振り返り、ディリータは呟いた。

 ──ただ、大切なんだ。

 後日、ディリータは卓に積まれた灰を眺めた。
 狭い部屋に硫黄の匂いがこもる。その匂いに一度瞑目すると、ディリータは灰の中に己の手を突っ込んだ。
 ディリータが「世俗の腕」として裁いた男の成れの果ては、それ故に今この瞬間は「世俗」のもとにあった。……あと数刻もすれば、渡せと教会が騒ぎ立てるのだろうが。
 手探りで灰をかき回す。やがて、硬い何かが指に触れた。
「……残ったか」
 取り出してみると、やはりそれは指輪だった。
 歪み、煤けてしまったそれをディリータは数度転がしたが、やがて窓の外から聞こえてきた音に促されて視線を巡らせた。どうやら間に合ったらしい、そう思いながら窓辺に寄る。
 窓の外には白い鳥が一羽。待っていたと言わんばかりに短く鳴くと、鳥は窓枠に止まった。
 鳥の足にディリータは手にしていた指輪を括り付けた。軽く背を叩くと、鳥はもう一度鳴く。何を考えているのかは窺い知れないが、文使いの鳥はかつての主の末路を悟ったのかもしれない。
 数瞬後、鳥は飛び去った。その姿をディリータは見送る。
 白が空の色に溶けるまで、ただ眺めていた。

<終>

あとがき

2020年バルマウフラさん誕生日記念話でした。彼女の誕生日は8/16なのですが、1日前倒しです。そして…これをオーバルだと言い切るにはあれでそれなのですが、でもオーバルです。オーバルなんです!

例によってオリジナルの設定やらキャラやらわんさかという具合で、読み辛いかなと思う気持ちもあります…。

色々な過去作品と絡み合っていますが、興味があるぞという方はぜひ他作品もどうぞ!(オーバル話再録本を2020年9月に発行しました)

2020.08.15