Summer Solstice

 夏至前とあっては、なかなか陽も暮れない。
 目抜き通りに居並ぶ酒場は店前にも卓を出し、その多くが既に客で埋まっていた。酒を酌み交わし、料理に舌鼓を打つ人々の顔は明るい。俗謡を大声で歌い出すには些か早い刻限だが、陽気な楽の音は既に奏でられていた。
 刹那的。だが、それもよいと思う自分がいる。
「当たりだったわね」
「確かに。適当に入った割にはよかった」
 酒場の店員にひらりと手を振り、バルマウフラが満足そうに笑む。その笑顔が可愛らしくて、オーランは頬を緩ませながら首肯した。
 まったく、彼女に落ちている。だが、それもよいと思う自分がいる。
「……何笑ってるのよ」
 お約束のようにバルマウフラが胡乱な声で訊いてきたので、お約束のようにオーランはごまかすことにした。
「いや、なんでも。さて、少し歩くかい? まだ明るいし、久々の「都会」だ」
「そうね。宿にまっすぐ帰っても面白くないし」
「僕は面白いけどね?」
 彼女にだけ聞こえるように囁いてみれば、バルマウフラはきょとんとした顔でオーランを眺めた。しかしそれも一瞬のこと、何か思い当たるところがあったのだろう。避ける間も与えずにバルマウフラはオーランの足を蹴った。──もっとも、オーランには避ける気もなかったのだが。
「頭に花が咲いてるわよ! もう知らないんだから!」
「それは困るなあ、バルマウフラ。だったらやっぱり」
 言葉通りにずんずんと先に行ってしまいそうなバルマウフラの手をオーランは掴んだ。振り返った彼女ににっこりと笑ってみせる。
「寄り道、しようか」

 
 他の都市や街と同じように、目抜き通りは教会広場へと続いていた。
 陽は西にだいぶ傾き、教会の尖塔が長い影を落としている。夕刻の鐘も既に鳴ってしまっているから、当然のことながら教会の門は閉ざされていた。
 そのことに何故かほっとするような思いになり、オーランは息をついた。傍らのバルマウフラを見やると、視線に気付いたのか見上げてくる。ようよう訪れ始めた宵闇と影のせいで彼女の表情は少しばかり分からなかったが、肩を竦めたのは分かった。
「そんなに警戒しなくてもいいんじゃない?」
「……まあ、そうなんだが」
 バルマウフラの言葉にオーランは曖昧に頷いた。
「貴方が何かを調べている……「向こう」も薄々勘付いてはいると思うけれど、今まで表立って動くようなことはしてないわ。そもそも、それだったらミュロンドに近寄らせるような真似もしない」
「そう、そうだけどね。でも、僕が言いたいのは違う」
 彼女が言わんとしていることは分かる。教会が抱えている闇を探るべく──本当は別に「闇」だろうが別のものだろうが決めつけたりはしていないのだが──動き始めてから一年、徐々に教会の「目」はこちらを向くようになってきた。とはいえ、何かを仕掛けてくるようなわけでもない。「念のため監視している」というくらいの意味合いしかなさそうだった。今のところは、だが。
 だから、そんなことはとりあえずどうでもよかった。とある筋に招かれて、ミュロンドへ足を運ぶことになった(それ故にこの街──ドーターへ来たのだが)ことに恐れを抱いているわけではなかった。
 ──心配しているのは。
「君のことだよ、バルマウフラ」
「え?」
 広場を見渡してみると、鳥車の乗り合い所は既に店じまいを始めていた。残念、と少し肩を落としつつも、オーランは訊き返したバルマウフラに説明を試みることにした。
「この前、審問官にやられただろう? 教会の諜報員だった君を処分しようとして接触してきた」
「……ああ、あれね」
 思い出したのだろう、バルマウフラは苦々しげに呟いた。
 春先のことだった。買い出しと調査のために訪れた街で下級審問官に偶然という名のもとに見つけられてしまい──、彼女は捕らえられた。運が悪ければ消されていたかもしれない。
「油断してただけよ。街に出て浮かれてたのもあったと思う。次はこうはいかないわ」
 片手を挙げ、バルマウフラは魔法を繰り出すような真似をした。そうして、妙に自信ありげに続ける。
「私のことはもう諦めたはず。──ありがたいことにメリアドール様が根回しをしてくださったらしいから」
 うん、とオーランは頷いた。
 あの事件は必然にも近い偶然で起きてしまったのだが、幸いなことに「偶然」居合わせた人物──神殿騎士の生き残りであるメリアドール・ティンジェル──がバルマウフラの窮地を救ったのだ。
 こちらの「偶然」は、本当に偶然だった。オーランはそう思う。
 バルマウフラはメリアドールのことを見知っていたらしい。だが、メリアドールはそうではなかったらしく、審問官のやり口が癇に障っただけと苦笑していた。それもそうだろう、バルマウフラは数多くいた「草」の一人でしかなかった。花形であったメリアドールが知らないのも無理はない。
 結局は、メリアドールの良心だけがバルマウフラを救った。
 そうして、これからを──。
「ミュロンドに招いてくださったのもメリアドール様のはからいだわ。ありがたく受けることにしましょう」
「……まあ、ね」
 僅かに声を弾ませ、バルマウフラが言う。その声音が何故か気に食わなくてオーランは投げやり気味に返した。それは当然、バルマウフラの気に障ることになるわけで。
「何よ?」
 険のある声音に変えて問うた彼女に、オーランは「座ろうか」と噴水の縁を指さした。
「いいかい、バルマウフラ。これは罠かもしれない」
 並んで座り、オーランは目の前の教会を眺めながら言った。
「メリアドールを疑っているわけじゃない。ラムザと行動を共にしたくらいだからね、彼女の為人は少なからず分かる。君を助けてくれたのも、そう。……だが」
「メリアドール様以外のミュロンド──教会はそうじゃないってことね? むしろ、メリアドール様が例外だと」
 弱気な考えを汲み取って続けたバルマウフラに、オーランは「ああ」と肯定した。
「それがどうかしたの? メリアドール様が例外なのは百も承知のことじゃない?」
 バルマウフラは言い切ると、小首を傾げた。
「とはいえ、メリアドール様は孤立無援でもない。もしそうだったら、メリアドール様自身が危険に晒されているわ。……そう、微妙なところなのよ」
 オーランは頷いた。
「いろんな考えがミュロンドには渦巻いている。相手を出し抜こうとして躍起になっているのが今の教会。だから、そうね。メリアドール様にも考えがあるのでしょう」
 事実が織りなす真実を導き出すため、教会を嗅ぎ回っている男。危険ともいえるそんな人物にメリアドールは事実の一端を教えると言った。「自身の道筋」を教えてください、そう請うたバルマウフラに「諾」と。
 メリアドールは良心を持ち合わせている。だが、それだけではない。彼女には彼女なりの考えがあり、こちらがそうであるように「利用」しようとしているのだろう。
 それは、明らかだった。
「まあ、罠が仕掛けられていたとしたら」
 いつの間にかぼんやりとしてしまっていたオーランをバルマウフラが見つめる。パン、と目の前で手を叩かれ、オーランは瞬いた。
「そんなふうにぼうっとしてたら駄目よ。しっかり逃げてきなさい。そうそう、追手は固まらせてね」
 悪戯めいた口調でそう言ったバルマウフラに、オーランは笑った。
「君のところに?」
「……そういうことにしておいても、いいわ」
 いつも通りにそっぽを向こうとしたバルマウフラを抱き寄せる。蹴りが来る前に素早く口づけ、オーランは彼女の耳元に囁いた。
 ──必ず、戻るから。


 広場を出、手を繋いで宿への道を辿った。
「もっとごちゃごちゃした街だと思ってた。それなのに妙に寂しくも思えて、ちょっと怖かったわね」
 昔のことよ。
 手を振り払うのを諦めたらしいバルマウフラが話し始める。
「ごちゃごちゃしてるのは今もあんまり変わらないけれど、なんだか変わったように見えるの」
「街の雰囲気とか、店構えとかかい?」
「それもあるけれど。……そうね、そうかも。光、のような」
 うまく言葉に言い表せない様子のバルマウフラだったが、オーランにはそれがなんとなく分かるような気がした。
 この街を取り巻いていた、いや、国全体を覆っていた沈鬱な空気があった。長い戦がそうさせていた。
 あの頃、民の殆どが疲れ果てていた。明日が来ないことに怯え、未来を棄てていた。多かれ少なかれ、そんな思いで生きていた。
 あれからまだ幾年も経っていない。確かに戦は終わり、王は替わったが──それだけだ。まだ何も起きてはいない。何もできていない。
 それなのに、街で行き交った人々の表情は少しく明るかった。刹那的に思えたそのさまだったが、実は真なるものなのかもしれない。何かが変わるという、希望にも似た期待。
 ──光。バルマウフラの感覚めいた言葉に、オーランは自身の考えを直した。
「あいつが聞いたら喜ぶかな?」
 新しい王を暗に指して言ってみたオーランに、バルマウフラは「さあね」と素っ気なく返した。
「当然、と思うくらいじゃないかしら? 嬉しそうに笑うところなんて想像できないわね」
「……確かに」
 オーランはバルマウフラの返しに苦笑したが、実際は違うだろうと思った。英雄王の心情も、彼女の内なる心も。
 何かを知っているわけではない。確かに、あの若き王はこんな些細な変化に喜んだりはしないだろうと思う。だが、当然だとも思わないだろう。きっと、ひたすらに上を見上げているのではないか。そればかりを自身に課しているのではないだろうか。先へ、未来へ。隠した後悔が王を突き動かしているように思えてならないのは、考え過ぎだろうか。
 そうして、彼女も自分が放った言葉が真実ではないと分かっている。軽口で返してきたのはそのためだ。
「意外ね」
「ん?」
 立ち止まり、バルマウフラはオーランを見上げた。切れ長の目を眇めて見つめてくる彼女は面白がっているようにもみえて、オーランは不思議に思った。
「随分と王様に肩入れしてるなって、思ったの」
「肩入れ」
 バルマウフラは繰り返したオーランに頷いた。
「聞こえてきた噂……事実なんでしょうけれど。それらを器用に組み立てて「本当」を導き出すのは貴方の特技かもしれないわね。ご想像通り、きっと堂々巡りに陥ってるんじゃないかしら。あの王様は根暗だし?」
 小さく笑ってバルマウフラは続ける。
「でも、彼は助けを求めないでしょう。独りで足掻き続ける。……そういう奴で、だからなのよね。見てられないっていうか」
 そして、貴方は優しいところがある。そう言ってバルマウフラは微笑むと、オーランの足を軽く蹴った。
「……そうかな?」
「もちろん、これが理由のすべてじゃないわよ? 貴方の頭の中身は殆どが好奇心でできてるんだから」
「返す言葉もないな……」
 降参、と両手を挙げたオーランをバルマウフラが見上げてくる。
「私も人のことは言えないけれど、ね」
 告白のようなその呟きは真実だ。オーランは知っていた。
 だが、彼女は動かない。動かずに、静かに見つめることを選んだ。傍らに立つ自分にそうしているように。
 きっと、彼女の在り方がそうなのだろう。──だから。
「僕は妬くけど、君は悋気を起こしてくれるかい?」
 冗談に願いを混ぜたオーランの問いを予想していたのだろう、バルマウフラはすまし顔で答えた。
「ご想像通り、よ」
 挙げたままの男の両手に自らの手を重ね、バルマウフラが笑う。それはあまりにも今の彼女らしくて。
 だからこそ、オーランは相好を崩して手指を絡めた。

あとがき

夏となったらオーラン&バルマウフラだ!と思ってしまうのですが、そんなわけでオーバルでした。たぶんこれはどちらも夏生まれのため。
しかし書きつつ「例によって話してるだけでは!」と頭を抱えたりもしましたが…まあ…ええと。

本作は過去作「The Way To The Truth And The Fact」という話の続きになります。よろしければあわせてどうぞ。メリアドールさん視点のオーバル話になっています。

王様(ディリータ)を見守るふたり、の話でもありました。いや、三角関係ではないのですが、ディリータのものの考え方をある意味ではよく知っているふたりなんじゃないかなと思っています。

2022.06.18