Elaborate Crown And Cidre

 勧められたとおりに椅子に座ると、ムスタディオは部屋をぐるりと見渡してみた。
 まず目を引くのは、掲げられた大きな旗だった。
 擦り切れたところもないその旗にあしらわれた紋章は未だに見慣れない。幼い頃から見ていたのはゴーグとライオネルの旗で、イヴァリースという国そのものの旗には馴染みが薄い。ライオネルが国王の直轄領となった今もそれは同じで、かつてよりは其処此処に掲げられることが増えた旗を見ても「新しい」という印象はそう簡単に拭えるものではなかった。
 その印象はいつか変わり、見慣れたものになるだろうか。あるいは、見慣れないままに次の紋章に移ることになるだろうか。
 前者だったらいいんだが、とムスタディオは思った。今の王に期待しているとかそういったわけでは別にないし、その治世にすべて納得しているわけでもないが、戦乱の世が再び訪れてしまうのは御免だった。
 せっかく訪れた平和はできるだけ長く享受したいと思いながら再び部屋を見渡してみたが、これといって見るべきものは他にはなかった。
 けして狭い部屋ではない。十数人は余裕で入れるほどの広さだ。とはいえ、想像していたのとは少し違った。王城ともあれば、さぞかしきらびやかなのだろうと思っていたのだが、実際に見渡してみた感想といえば「地味」というものだった。
 そもそも、玉座の間に通されるのだと初めは思っていたのだが──。
「待たせたな」
 扉が開く音と同時に張りのある声が響く。ようやくのお出ましか、とムスタディオは声の主を見やった。
 扉に立つ衛士の敬礼を気にかけるふうでもなく入室した男に合わせ、座していた他の面々は立ち上がって姿勢を正した。さてどうしようかとムスタディオはそれを見て一瞬逡巡したが、そのまま座っているのも変なので周りに合わせて立つ。
「陛下のご臨席の栄を賜りましたこと、誠に」
「御託は良い。時間がない、さっさと始めろ。座れ」
 男──国王ディリータ・ハイラル──は代表の口上をぞんざいな口ぶりで遮ると、従卒が引いた椅子に腰を下ろした。左手で宙に円を数度描くような素振りは、急いでいるという合図らしい。
 その所作に戸惑いの色が浮かぶ顔で目配せをする面々を見ながら、ムスタディオは真っ先に席に着いた。椅子が立てた音に彼らは一斉にこちらを向いたが、それには気付かぬふりで送られてきた書状に目を落とした。
 ──座れって言われたんだから、遠慮する必要なんて別にないってことだよな。
 遅れたくせに時間がないというのは随分な物言いだと思うが、庶民には窺い知ることのできない事情がきっと山ほどあったのだろうと自分にしては好意的に解釈してみる。どこぞの貴族が引き止めたとか、どこぞの美姫が誘ってきたとか、云々かんぬんの事情がそれこそ他にもどっさりと。まあ、ありそうな話だとは思う。ご臨席が取りやめにならなかっただけ我々は幸運なのだと代表は言っていたが、それもそうなんだろうなとぼんやりと思う気持ちもあった。
 とはいうものの、引っかかるところがないわけではない。むしろ、大いにあるのだが。
 妙な間合いの後に面々が着座し始める。その椅子の音にムスタディオは書状から目を離すと、国王であるところのディリータをなんとなく眺めた。
 ディリータの表情はあまり読めなかった。基本的には無表情なのだが、少し苛立っているようにも呆れているようにも見える。もっとも、そう見えてしまうのは「時間がない」という言葉から受けた印象なのかもしれない。
 きっと、長くもなく実りもない会合となるのだろう。
 よく分からない理由で呼びつけたのはそっちなんだがな、とムスタディオは思った。



 ことのはじまりは、使者が持ってきた一通の書状だった。

 国王のものだと使者が主張する署名と透かし紋章が入った書状を前に、機工師達は「どうしたものか」と唸った。
 書状の内容は「国とゴーグの行く末について話がある」というただそれだけのもので、具体的に何がどうとは書かれていなかった。故に、機工師達の間でも楽観的なものから悲観的なものまで実に様々な憶測が飛ぶこととなり、それらについて寄合で語り合っているうちにすっかりと夜は更けていた。
『まあ、こうしていても埒が明かないな』
 疲れた、と崩していた姿勢をますます崩しながら寄合の長は言った。その言葉に、居合わせていた機工師達が同意する。
『この書状だけではなんともなあ』
『まずは詳しい話を聞かなければな』
 長の言葉に呼応して出てきた発言に、それぞれが頷く。とりあえずまとめに入ったようだな、と末席に連なっていたムスタディオは思った。
 機工士を統べる者達で作られたこの寄合は、自分も含めて技術畑の人間が殆どだ。発掘調査や遺産の研究に修復といった事柄には血道をあげるが、政治の類となるとさっぱりな部分がある。最低限の世情には通じておくべきだと先の内乱を経て意見は一致していたが、ここ最近の長閑さにすっかりと油断をしていた節はあった。
 そんな面子が書状の意味するところをあれこれと推量するのは難しい道理で。
『となると、出向く必要があるのか』
『しかし、王都は遠いぞ』
『ライオネルを経由するより、ミュロンドの方が早いのか?』
『ミュロンド行きの船はそんなに出ていないだろう』
『どのみち遠いな?』
 何人かがちらりとこちらを見やる。確認なのだろうと思ったムスタディオはその視線にこくりと頷いた。事実、長らく旅をしていたこともあって、多少なりとも土地勘はある。仔細は知らないまでも旅に出ていたこと自体は知っている面々にとって、自分はそうした分野の知恵袋的存在なのかもしれないと、そう思ったのだ。
 だが。
『そうだな。ならば、ここは若者が行くべきだろう』
『もっともだ』
 他の面々も何故かこちらを見る。気が付けば、すべての視線が自分に集中していた。
 ──これは、もしかして。
『え、俺?』
 出てきたのは間抜けな声だった。その響きに、長の隣に座っていた父が顔をしかめる。
『王都に行ったことはあるのだろう、ムスタディオ』
『まあ、あるけど。……ありますが』
 確認の声色で長が問う。彼の、いや、彼らのなかではもう確定事項なのだろうと思いながら肯定した。年功序列、という単語が脳裏をよぎる。
 便利屋として顎で使われてしまうのは、若輩者の悲しいさだめといえた。
『決まりだな。ご苦労だが、話を聞いてこい』
『ラジュネさんとかマリエルさんとか、その他にもまだ若いって感じの人がいるじゃないですか?』
 一応、といった体でムスタディオは長に反論した。素直に言いなりになってしまうのは性に合わない。それに、王都まで出向いて国王に謁見するという指令はなんとも面倒に思えてならなかった。
 ──面倒というか。ぶっちゃけ、嫌だっていうか。
 ムスタディオは内心で毒づいた。
 国王と面識はないが、友人の幼馴染だったので話に出てきたことが何度かある。どんな奴なんだろうなとそれらの話の流れで想像したこともあったが、野心家らしいという印象しかそのときには持っていなかった。
 ぼんやりとしたその印象ががらりと変わったのは、ゼルテニアだっただろうか、異端審問官と対峙したときだ。
 幼馴染なんだ、と友人はそう言っていた。そのときの表情や口調が柔らかかったから、今も悪くない関係なのだろうかと思っていたのだ。友なのだと。
 なのに、あの男が友人に対して投げた言葉はまるで優しくないものだった。それどころか、繰り出した剣技で異端審問官もろとも友人をも葬ろうとした。たまたま悪い位置にいたんだよね、などと後に友人は呑気に笑っていたが、あの冷徹な剣技は絶対に故意だった。
 幼馴染イコール友、という単純な図式ではないのかもしれないし、友という定義も人それぞれだ。それ故に口を挟む余地などなく、それでも腹は立ったので仲間に散々愚痴ったのを憶えている。
 癪に障る。気に食わない。きっと反りも合わない──。あれから五年は軽く経ち、かつての旅を思い返すことも少なくなったが、過去に抱いた感情は今も少し燻っている。
 そんなわけで、他の者にこの役目をなすりつけたかったのだが。
『駄目だ。俺の腰は長旅に耐えられそうもない』
 頑健な体が身上だと日頃豪語しているラジュネが首を振った。
『弟子達がうるさくてね。今日の寄合も、忙しいんだから早く戻ってこいと大合唱だった』
 わざとらしく丸眼鏡を持ち上げ、マリエルが続ける。
 兄貴分ふたりの言い様に、ムスタディオは鼻白んだ。ラジュネが腰痛だなんて一度も聞いたことはないし、マリエルの弟子達がのんびりとした気質ばかりだということは誰しもが知っている。どちらも嘘であることは見え見えで、彼らの顔には分かりやすくはっきりと「面倒だ」と書かれてあった。
『……じゃあ、誰か』
 にっこりと笑うふたりへの説得を早々に諦め、条件に該当しそうな他の「若者」を見やる。だが、いずれの機工師も視線を逸らしたり首を振ってみせたり肩を竦めたり欠伸をしたりと、その反応はラジュネやマリエルと似たり寄ったりだった。
『えええ……』
 ムスタディオは頭を抱え、仰け反った。このままでは確実に押し切られてしまう。
『嫌そうな顔だな』
 仰け反った勢いで椅子から落ちかけている自分を見、愉快そうに長が言う。他の面々からもくすくすと笑い声が聞こえてきた。
 何がそんなに面白いのだろうか、とムスタディオは思った。なんとか姿勢を元に戻し、じろりと全員を睨む。
『なんで、どうして俺なんですか』
『なんでも、だ。この面子のなかで誰よりも若いし、土地勘もある。それに』
 長は書状を手にして立ち上がった。そうしてムスタディオの傍まで来ると、丸まってしまったその書状でムスタディオの頭を軽く叩いた。
『そもそも、この書状は誰のもとへ届いたんだ? 使者様が来たのは?』
『……うちの、ブナンザの工房です。でも、それはきっと偶然で、そうじゃなくても俺宛だっていう確証もないわけで、その』
『諦めろ、ムスタディオ。何がそんなに嫌なのか知らんが、これは寄合全員の、ひいてはゴーグの総意だ』
 ムスタディオの言を有無を言わせない口調で長は遮り、ほら、と書状を差し出した。
『……はい』
 あーあ、と小さくぼやき、溜息をつく。ムスタディオ、と咎める父の声に、分かってるよとムスタディオは投げやりに返した。
『何がどうなっても知りませんからね』
 書状を受け取ってそう念を押す。すると、長も他の面々も根拠のなさそうな笑みを見せたのだった……。

「それでは、始めさせていただきます」
 大きな深呼吸の後に意を決したような口調で代表が言う。その言葉に、彼の向かいに座っていた書記官がインク壺にペンを差し込んだ。
「まずは、各地の現況を……。ガリランドのドゥース」
 名を呼ばれ、ひとりの男が立ち上がる。若干ちぐはぐな服に身を包んだその男は、代表と同じように深呼吸をするとガリランドの現況についてすらすらと語りだした。
 それを聞きながら、ムスタディオは代表の言葉を思い出してみた。この会合は、と前置くと、代表は集められた参加者にその意義を説いたのだった。
 ──お前達にとって、これはまたとない機会なのだ。陛下にまみえ、現況を直接奏上できる。のみならず、もしかするとお言葉を賜れるかもしれないし、もしかするとお前達の意をご高察くださるかもしれん。
 正しいのか正しくないのかよく分からない敬語を交えた代表の話ぶりは、貴族らしく迂遠だった。それでも他の参加者は素直に頷いていたから、会合の主旨を彼らは前もって理解していたのだろう。あの分かり難い書状でよく分かったな、とムスタディオは妙に感心した。
 要するに、この会合は幾つかの地域の現況報告会というだけのことだった。書状には「国とゴーグの行く末について話がある」とあったから、向こうの方から話があるのかと思い込んでいたのだが、どうも違ったらしい。
 チン、と文官がベルを鳴らした。
 終了を告げるその音に、流れるように喋っていたドゥースは次の言葉を詰まらせた。うぐ、と呻き声をあげたかと思うと、自らのその声で我に返ったのだろう、彼は慌てて礼をとった。
「……次は、ベルベニアのナント」
 ドゥースの隣に座っていた美丈夫が立った。ドゥースと同様に彼もまた滑らかな口ぶりで現況を報告し始めたが、涼やかなベルの音は彼の報告を最後まで待たなかった。
 ザーギドス。ドーター。イグーロス。次第に参加者は早口になったが、いずれもベルの音に敗北していく。
 少し気の毒になってきたな、と彼らの項垂れるさまを見てムスタディオは思った。そのうち自分も彼らの仲間入りをするのだろうとも思うが、それよりも前に考えなければならないことがある。
 ──さて、何を話すかな……。
 他の参加者のような準備は全然してこなかったから、いきあたりばったりのぶっつけ本番だ。せめて話の方向性だけでも決めた方がいいのではとも思うが、熟考している暇はもうないだろう。ゴーグの皆には悪いが、思いつくままに可もなく不可もない報告で乗り切るしかなかった。
 とりあえず、舌を噛みそうな美辞麗句は省いてしまおうとそれだけは決める。慣れないことはしない方がいい。
「さ、最後となります。……ゴーグのブナンザ」
「はい」
 あ、あ、と声の調子を整えてムスタディオは書状を手にし、席を立った。
 視線が集まる。代表。参加者達。書記官に、数人の文官。何らかの地位にあると思われるその他の列席者達。
 それから──畏国王ディリータ。ディリータ・ハイラル。
 相変わらずの無表情で座るディリータの頭上には王冠があった。蔓のように編み込まれた白金のところどころに小さな宝石が埋め込まれたつくりのそれは、王冠というよりは髪飾りにも見える。もっと派手で豪華で分かりやすい冠を戴いているのかと想像していたので、その華奢な王冠は意外だった。
 もっとも、金ぴかの王冠よりも余程高価なものなのかもしれないが。そんなことを思いながら型通りの礼をとり、まずは名を名乗った。
「ゴーグから来たブナンザです。……ええと、まずは人手不足の」
 ベルが鳴った。
「解消に……はい?」
 想像よりずっと早く──まだ名乗っただけだ──鳴らされたベルの音に、ムスタディオは思わずよろけた。いくらなんでも早すぎる。
 聞き間違いだろうか。それとも、担当の文官がうっかり間違えたか?
 咄嗟にそう思い、計時担当の文官に目を向けてみる。すると、文官は困りきったような顔でとある方向を見ていた。その手元にベルはない。
 一体どうしたんだ、とムスタディオが文官の視線を追おうとしたそのとき。
 再び、ベルが鳴った。
 当惑に満ちた部屋の空気を打ち壊すかのように涼やかな音が響く。その音に、ムスタディオだけではなくその場に居合わせた者の視線は音源に集中した。
 ただひとり、最も高位にある者を除いて。
「え」
 ムスタディオの呟きは、場のどよめきに混ざった。
 文官の視線の先と同じだった音源は、いつのまにかディリータの手元にあった。片手で頬杖をつき、もう片方の手をベルに置いた彼は、指先でベルを軽く弾く。
 硬質な音が小さく響いた。
 ──まさか、本当に終われって?
 礼をとるのも席に着くのも開けっぱなしになった口を閉じるのも忘れ、ムスタディオはディリータを睨んだ。無礼である、と誰かの慌て声が聞こえたが、相手にしている場合ではない。
 無礼なのはそっちだろう、と思う。よく分からない書状ひとつで呼び出しておいて、そのくせに遅れてやって来て、人の話をまるで聞こうとしない。何の「ご不興」を買ったのか知らないが、あまりにも人を馬鹿にしている。
「俺が──」
「お前がブナンザか」
 何をしたって言うんだよ、と続けようとしたムスタディオを遮ったのはディリータだった。件の無表情はにわかに消え、愉快そうにも見える笑みがその面に浮かぶ。手元のベルを押しやると、彼は腕組みをして繰り返した。
「ゴーグのブナンザか、と訊いた」
「は? ああ……じゃなかった。……はい」
 思ってもみないディリータの問いに、ムスタディオは気勢を削がれた。問われるままに頷きかけたが、人を刺すような代表の視線に促され、言葉遣いを少し直す。
「報告は要らん。ゴーグについてはある程度調査済みだ」
「はあ」
 そうですかとやはりついて出た平易な言葉で返すと、それを気に留めるふうでもなくディリータが頷く。
「こちら──畏国とゴーグの行く末について話があった。足労だったな」
「……まあ……それなりに面倒、いや、大変でしたが。……話とは何でしょうか?」
 単刀直入に訊きながら、ムスタディオは手にしている書状を思った。書状の文言とディリータが口にした言葉は同じだったが、それだけでは何が言いたいのかよく分からないという点でも同じだった。おかげで、寄合で書状を開いてから今の今まで、なんとも宙ぶらりんな気持ちにさせられている。
 良い話なのか、それとも悪い話なのか──どちらにせよ、はっきりさせてくれた方が落ち着くというものだ。そう思った。
「そのことだが。……ああ、その前に」
 言葉を切って代表や他の参加者達へと視線を一瞬流すと、ディリータが顎をしゃくる。その所作に合わせて衛士が扉を開き、代表達に近寄った従卒が退出を迫った。
「あの、陛下、私どもの」
 悲鳴にも似た代表の声にディリータが耳を貸す様子はまるでなかった。代表はそれでも声を上げ続けたが、それを不快と思ったらしい居並ぶ列席者のひとりが咳払いをすると、ざわめいていた部屋は奇妙に静まり返った。
 じりじりと後ろ足で後退させられていた代表はその咳払いで諦めたのか、最後にムスタディオへと当惑と怒りに満ちた視線を投げ、部屋を退出した。
 とばっちりだ、とムスタディオは小さく溜息をついた。こんな状況になったのは自分のせいではなく、国側の、というより殆どディリータの都合によるものだ。睨むのなら自分ではなく、あの男にしてくれと思う。
「彼らの話は聞かなくて良いのですか?」
 とはいえ、気にはなったのでそう訊いてみると、分かっているというようにディリータの隣に座る男が笑みを浮かべた。
「他の地域もゴーグと同じように調査済みですし、整った報告書も届いています。形式だけの会合かと捉えられるかもしれませんが、こうしたことも必要なのですよ」
「そう、ですか。それなら良いです」
 どうやら、これ以上のとばっちりは喰らわなくて済むらしい。丁寧に説明され、ムスタディオはとりあえず安堵した。
「座れ。無駄話をしている暇はない」
 話が途切れるのを待っていたのか、入室したときと同じような言葉をディリータが言う。その口調はやはり自分勝手なような気がしてどこまでも引っかかるものがあったが、とりあえずムスタディオは言われたとおりに座った。
「……それで、話とは何ですか?」
「ゴーグで発掘されるという遺物……。それらから「使えそうな」ものがないか、精査してほしい」
「使えそうなもの?」
「そうだ」
 ムスタディオが訊き返すと、ディリータは鷹揚に頷いた。そうして、別の誰かに説明させるでもなく続けて口を開く。
「この国は未だ貧しく、それはお前が住まうゴーグとて同じこと。「つまらない」ものを発掘する余裕などないはずだ」
「確かに余裕はないですが……」
 殆ど断定のようなディリータの推測は正しく、ムスタディオは認めざるを得なかった。確かに、ゴーグにも「余裕」という言葉には遠い。戦時のように明日の糧に困窮するというほどではないが、かといって日々を呑気に暮らしているかというと、そんなわけは無論なかった。そう、ないのだが。
 ──つまらないものだって?
 その言い草には反感を覚えた。
 「使えそうな」ものに「つまらない」もの──発掘で得られる遺産はそういった利己的な考えで分けられはしない。分けてはいけない、とむしろそんなふうに教わってきた。発掘に携わる機工士の立場としても、ひとりの人間としても、そうしてはならないと。
 それでも、駆け出しの頃は心の内で「役に立たなさそうな、つまらない」ものと思ったこともある。父にも、他の機工師達にもそれは見抜かれ、そのたびに叱られたものだが……。
 それを──機工士の心を翻せと眼前の王は言う。
「お言葉ですが、「つまらない」遺物なんか……など存在しません。ときには調査結果が壊れた鍋だったりもしますが、それだって貴重な史料です。ですから」
「壊れた鍋で潤うのは誰だ? 歴史家か? ガラクタ屋か? 他に誰がそれで腹を満たす?」
 ムスタディオの発言を途中で遮り、ディリータが鋭い口調で矢継ぎ早に言った。
「……それは。でも、今までも」
「余裕がないと認めたのはお前だ。ならば、語るべきは理想論ではなく、現実を見据えたものでなければならない。今までもなんとかやって来れた、などという惰性は論外だ」
 思考の先回りをされ、ムスタディオは唸った。悔しいが、ディリータの言葉は正論だった。
「奉仕を求めているわけではない。「使えそうな」ものを発掘し、それを技術として確立できるのならば国として援助する」
「パトロン、というわけですか?」
「そうだな」
 うってかわり、ディリータは落ち着いた声音で話した。聞く者によっては飛びつきたくなるような、そんな甘い言葉とともに。
 ぐらり、と自身の心もまた、言葉に揺れたのをムスタディオは感じた。だが、うまい話には裏があるということも分かりきっていることで。
 この場合は、と思う。「使えそうな」技術を結集させた先に待つものは何だろうか。ゴーグに眠る数多の遺産──機械仕掛けの兵器もそのなかには多くある──を揺り起こし、ふるい分け、解明する。そうした末に生まれるものは、何か。
 光だろうか。平和という名の幸福は続くだろうか。
 闇だろうか。戦という名の絶望が再び訪れるのだろうか。
 ──自分は、自分達は、何を。何をもたらすのか。
「そう怖い顔をするな。難しく考えすぎているようだが」
 ディリータの呼びかけに、ムスタディオは我に返った。知らず識らずのうちに下がっていた目線をディリータへと戻す。
「簡単な話だ。お前達が興味を抱いたものをそのまま「技術」へ引き上げるだけのこと」
「俺達……私達の興味が、そのままですか?」
 首をひねってムスタディオが復唱すると、ディリータは言葉を続けた。
「興味を持つということは、自分達の知見が少しなりとも及ぶということだろう。何に使うのか皆目検討もつかない遺物を前にして途方に暮れたことは?」
「……あります」
 問われ、ムスタディオは過去を思い出した。
 何の変哲もない鉄球を掘り起こしたことがある。ただひたすらに重く、転がせば道をならすくらいはできるだろうなとそのときは思った。壊れた鍋と同じ類だろうとも思った。実際に調べ、分解を試みたのは父だったが、その父でさえも匙を投げた遺物の正体を知ることができたのは、偶然にも近かった。
 また、あるときは天球儀らしき遺物を発掘した。鉄球と同様にその天球儀が何であるかは最終的には推測できたが、それもまた偶然で原理めいたものはさっぱりと分からなかった。
 他にもまだ沢山ある。それらの多くが持ちうる限りの知識で対話を試みたものの、どうにもならずに諦めたものだ。好奇心は満たされず、そのたびに歯がゆい思いをした。費やしてしまった時間を思い、途方に暮れた。
 そうした末に興味を失ったものは、やはり多く。
「反対に、何らかの技術や知識があと一歩で得られそうな、そんな遺物を前にして寝食を忘れたことは?」
「……それも、ありますね」
 さらに言い当てられ、ムスタディオは目を泳がせた。思い当たる節がありすぎる。
 機工士を生業に選んだ理由は人によって異なるが、長く続けている者の多くは遺産の発掘と研究に惹かれたのだと言って笑う。自分も含めてだがそんな人間はどこか変わっているらしく、所謂「人として正しい」生活を送っている者は少ない。
「それが自分にとって、周囲にとって、真に良いものなのか。その是非はともかくとして」
 釘を刺すようにディリータが言う。そうして、彼は言葉をさらに繋げた。
「そうした果てに、何かを得る──新たな知識を自らの内に流れ込ませ、昇華し、血肉を通じて技とする。その喜びが如何ほどかは知らないが、その恩恵の片鱗にでも浴したい。そういうことだ」
「つまり……」
 ムスタディオは顎を撫でた。年相応にそろそろ髭を蓄えようかと思っているが、似合わないような気もしてまだ伸ばしていない。普段は無精髭になってしまうこともあるが、まけてしまうほどに剃ったのは登城にあたってあの代表がくどくどと言ってきたのも多分にある。
 そういえば、ディリータも髭を蓄えていない。髭があったほうが威厳が出るような気もするが、とそこまで考えてどうでもいいことだと気付いた。
「発掘し、調査し、復元し、解明する。ここまでは今までと同じですが、使えそうな──、解明できそうなものを優先しろということですか。それを国が使うかわりに、私達は対価を得ると」
「そのとおりだ。先も言ったが、この国の窮状を打破するにはなりふりは構っていられない。使えるものは使う。そのなかにはお前達も含まれている……むしろ筆頭だ」
 ディリータは言った。
「知識や技術を得た暁には、それを国の「武器」としたい。諸外国への牽制となるものや、産業化できるものがあればさらに良いのだが」
 武器、という言葉にムスタディオはどきりとした。強みにしたいという意味なのだろうが、言葉どおりの意味であれば、それはやはり。
 やはり、自分達が招くものは──。
「……壊れた鍋を復元し、その構造を明らかにしただけでも?」
 動揺を悟られないように誤魔化して話したが、語尾は震えた。
「面白いことを言う。そういった類ばかりなのかもしれんが、使えそうであれば何でも良い。壊れた鍋のフタが従来より優れたものであれば、それはそれで何かに役立つだろう」
 ムスタディオの言葉をどう受け取ったのか、ディリータは愉快そうに笑った。
「フタじゃなくて……ああ、そんなことはどうでもいいです。他には……たとえば、それが……何かとんでもない力を秘めていたとしたら……」
 ──あの石のように。
 機械仕掛けの兵器と同等の──いや、それ以上かもしれない──威力を持った聖石のことをムスタディオは思い出していた。
 初めはただの不思議な石ころかと思ったが、そうではなかった。ゴーグに眠る遺物を覚醒させたあの不思議な石は、人の願いも具現化した。絶望にも我欲にも悲嘆にも希望にも……幾多の感情に寄り添い、強大な力を解き放った。
 欲する者、呼ばれた者、真実を知る者。当然のように聖石をめぐった争いは起き、多くの人間がその争いに巻き込まれ、数奇な運命を辿った。自分も、そのなかのひとりだ。
 ──また、あんなものが出てくるなんてことも……あるかもしれないじゃないか。
 それを思うと、ディリータの案に安易に頷くことなどできなかった。気が進まないどころの話ではなく、絶対に避けなければならない。
 吹き荒れる嵐のような時代はもう味わいたくないから。誰しもに襲いかかる悲しみは縁遠いほうがいいから。
「得体のしれないものは要らん」
 そんなものはどうあっても渡せない、と言いかけたムスタディオをディリータはまたしても遮った。笑みを何処かへ消し、すいと目を眇める。
「要らない?」
 他方、ムスタディオは拍子抜けするような思いでディリータの言葉を聞いた。そんなことを言われるとは思いもしなかった。てっきり、聖石のような力こそを求めているのだとそう思っていた。
 繰り返したムスタディオにディリータが深く頷く。
「要らん。俺がほしいのは地に足がついた知識であり、応用ができそうな技術だ。伝説に片足を突っ込んだような奇跡めいたものを手に入れたとしても、それが理解の範疇外だとしたらまるで意味がない」
 その言葉に、列席者達がざわめいた。顔を見合わせて囁きあう声は、ひたひたと押し寄せる波のようにしばらく続いたが、やがて彼らは彼らの戴く存在へと視線を収斂させた。
 ひとりが口を開く。
「意味がない、と仰せになられましたが……大いなる力は保有したとしても困ることはないのでは? むしろ、オルダリーアやロマンダ、ゼラモニアなどには大変有効な手立てだと存じますが」
 ディリータの隣に座る男を除いた列席者達は発言に頷いたが、ディリータは一見つまらなそうな顔で彼らを睥睨した。
「貴公らはその力を御せるのか?」
 冷え冷えとした声でディリータが言う。その声色に数名が息を呑む音がムスタディオの耳にも届いた。
「それは」
「不可思議で得体のしれない、力……そんな力は誰の手にも余る代物だ。己を驕る者は御せると思うかもしれないが、そういう輩は必ず身を滅ぼす」
「陛下、陛下の御力を以てすれば、きっと……」
 別の列席者の取り入るような言葉は、射抜くような視線を受けて途中で消えた。
「俺に何の力があると思っているのか知らんが、俺も只人にしか過ぎん。それは貴公らがよく知るところだろう」
 誰もが黙り込む。その沈黙を肯定ととったらしいディリータは、皮肉げな笑みを浮かべた。
「繰り返す。俺は得体のしれない力など興味もないし、求めない。なりふりは構わないが、この点に関して覆すつもりはない。……そうだな。その大いなる力とやらで貴公らが俺を討つというのならば、そのときは受けて立とう」
 ディリータの笑みが凄みを増す。傍で成り行きを見守るだけになってしまっていたムスタディオもその笑みに息を呑んだが、一様に萎れてしまった御歴々の心情も部外者なりに分からなくはなかった。
 だからといって、あのとんでもない石と同じようなものを渡すつもりは毛頭ないが。
「……申し開きのしようもございません」
 部屋に渦巻いた重苦しい沈黙を破ったのは、初めに発言した列席者だった。その彼をディリータは一瞥すると、肩を竦めた。
「解明できたのなら」
 ムスタディオは割り込むように声を上げた。ディリータのみならず、居合わせる者すべての視線が向けられたことに一瞬怯んだが、それでも声を励まして続ける。
「……そのときは、使うということですね」
「使えるものであれば、だが。鍋だろうが兵器だろうが大いに活用させてもらう」
 ムスタディオが想像していたとおりの答を寄越すと、ディリータは組んでいた腕を解いた。刻限を告げる従卒の声に軽く頷くと、彼は席を立った。
「お前に……、ゴーグに取捨選択の権利はない。これは王命だ」
「……」
 言い放ったディリータに、ムスタディオは返す言葉を見つけられなかった。否と言うべきだと頭も心も叫んでいたが、声にはならなかった。
 ──間違いだなんて、分かってる。けれど、どうすれば。どうしたらいい?
 光か。闇か。もたらすものは、何。
 ──自分達は、何を。
 希望か。絶望か。生み出すものは、何。
 ──自分は。
 瞬間、脳裏に親しい者の顔が浮かんだ。父に、家族に、寄合の面々に、工房の弟子達に、ゴーグの皆。そして。
 ──ラムザ。
 かつて、この国を共に駆けた仲間を、友人を思い出す。辛く、苦しく、だがけしてそれだけではない、そんな日々を過ごしたあの親友を。
 あれは何時のことだっただろうか、妹を助けるついでのようなものだったけれど、と彼は笑った。「ついで」かよ、とそのとき自分は彼を小突いたが……ついでだろうと何だろうと、国が、世界が救われたのは事実だった。
 そして、自分のことも。彼は、自分を救った。
 なのに、とムスタディオは思う。自分は彼に何も返せていない。それどころか、このままでは彼が守り通したものを踏みにじることになる。おそらく。きっと。
 彼の幼馴染に唯々諾々と従い、世界を不透明にする。……必ず。
 ──俺に、できることは。
 膝に置いた手を握り、こぶしを作る。込み上げる焦燥をそのままに、そうしてムスタディオは立ち上がった。音を立てて椅子が転がる。
 既に退室しかけていたディリータがその音に足を止めた。
「派手な音だな」
「目録を作ります」
 からかうようなディリータの言葉を無視し、ムスタディオは言った。何を言い出したのか自分でもよく分からなかったが、言葉は口をついて出た。
「優先順位はつけましょう。ですが、その前に「つまらない」ものも「使える」ものも「よく分からない」ものも等しく目録を作ります。すべての遺産は記録を残す必要がある」
 ──それは、眠る遺産を揺り起こす役目を担う者の責務だ。
 ムスタディオの主張にディリータは僅かに目を細めた。話は聞いてやる、という風情でゆったりと構えた彼をムスタディオは殆ど睨むように見つめた。
「それが終わってから、です。ゴーグには何の権限もないと陛下……は仰られましたが、次代に継ぐためにも目録は必要です。その後に、ゴーグは陛下の御意志に従いましょう」
「ほう。それで?」
「……それだけ、です」
 嘘だった。
 泳ぎそうになる視線をディリータに固定したまま、ムスタディオは短く返した。急ごしらえの嘘など簡単にこの男は見抜くだろう。それでも、いや、だからこそ。
 目録を作る。記録を残す。優先順位をつける。そうした一連の流れにあたるのは他ならないゴーグの機工士達だ。何を捨て、何を選び取り、何を残すのか──。それを決めるのは、自分達。
 ならば。
 守るべきもの、隠すべきもの……恐怖を呼び起こしそうなそれらについては一切手を付けなければいい。葬り去ってしまえばいいのだ。
 ──俺にできることは、これっぽっちだ。
「好きにすれば良い。お前達が発掘には最も精通している」
 何も思わなかったのか、素っ気なくディリータが言う。だが、ムスタディオはその言葉を真に受けなかった。許された、とは思わなかった。
 ディリータのまなざしはそれほどまでに鋭かった。嘘を見透かす視線だった。
 だが、それも一瞬のことで。
 口の端を少し持ち上げると、ディリータが小さく何事かを呟く。何を、とムスタディオは思ったが、訊き返す前に彼は従卒を伴って部屋を出ていった。
 列席者の誰かがそろりと息を吐く。溜息のようなそれを聞きながら、ムスタディオは呆然と立ち尽くした。

 閉会を告げるベルの音が、部屋に響いた。