INTERMEZZO

 風がひゅう、と鳴っていた。
 風は死を運んでくると昔聞いたことがある。誰に聞いたかはもう忘れてしまったが。
 それを思い出したからではなかったが、こんな風の音は好きじゃない…そう思った。
 観衆のいないピエロのよう。虚しくて哀しくて。
「ナーバスになってるかな……やっぱり」
 ひとり呟いていた。誰にも聞かれることはない。
 山間に抱かれた寒村に彼女…オデッサはいた。帝国の暴略に歯止めをかけようと、勢力集めに奔走する日々。この村へもその要請に来たのだが。
 交渉はうまくいかなかった。突っぱねられたといってもいい。
 ──出来るだけ意向に添いたいとは思うのですが。
 人当たりのよさそうな村長のおどおどした拒絶を聞いたのは、ほんの小半時ほど前だ。
 税は重い。働き手である男達は先の戦いでかなり失ってしまった。役人は不正をし、それを取り締まる側も見過ごしている……というより一緒になって暴利を尽くし。それらは全てこの村にとって悪い方向へと向かわせているのに。
 それでも長は言った。これ以上失いたくはないと。
 役人達にあなたがたがやってきたことは黙っています。だからそのまま立ち去ってください。
 長は続け、目線を扉に移した。
『こんなこともあるさ』
 村長の家を辞し、重苦しい心持ちのまま村内を歩いた。最初に口を開いたのは一緒に来ていたフリック。長の家にいる時からずっと顰めっぱなしだった眉を解いてみせ、彼は言った。
『………………そうだな。先は長い』
 必要な時以外は、黙して語らないハンフリーも口を開き。それからちらりと彼女を見た。
 彼らが純粋に心配してくれたのが嬉しかった。だから。
『ありがとう、私は大丈夫よ』
 ひとつだけ溜息をつき、そうして微笑んで見せた。


「だけどねぇ……」
 村のまんなかにある古井戸のへりに腰掛け、肘を突いた。フリックは道具屋へ薬を買い足しに、ハンフリーは防具屋へ。オデッサはここで彼らを待っていた。
『不用心すぎる』
 だから、一緒に行こう? 言外にフリックがそう言ったのをやんわりと断って。
 なんとなくひとりでいたかった。やはり少しショックだったのかもしれない。
 支援を取り付けられなかったことも。全てがうまく運ばないのも。
「いけないいけない。駄目だぞ、オデッサ」
 暗くなる思考にとらわれる前に呟いてしまう。
 この道を選んだのだから。どんなに時間がかかっても帝国に立ち向かうと。
 これくらいのことで諦めるわけにはいかないのだ。
「次は頑張ろうね」
 自分に言い聞かせて、彼女は小さく頷いた。それから目線を上げる。フリック達はまだだろうか。
「?」
 ふと、視線に気付いた。気付くまでもない。目の前、少し離れたところでひとりの少年が自分を見ていた。
 暗い瞳。ぼさぼさの髪に煤けた頬。
 足は何も履いていない。着ているものも粗末な、とてもこの冬を乗り越えることなど出来ないようなもの。
 視線を返されたことに気付いたのか、少年は僅かに歩み寄った。彼女もまた立ち上がると、少年の側へ歩を進める。
 しゃがみこみ、少年に目線を合わせ。そうして言葉をかけた。
「ひとり?」
 少年は首を横に振った。そう、と呟く。
「おとうさんは?」
「いない。せんそうで、しんだ」
 表情を少しも変えず少年は答える。
「おかあさんは?」
「いる。……びょうきで、ねてる」
 少しだけ顔を歪ませた。それから自らを恥じるように何かを言いかけ。
 それを遮ったのは聞く前から少年の言葉を知っていた彼女自身。
 すっと手を上げ、少年の言葉を遮ると彼女は自分の手袋を外した。
 そのまま、少年の手をすっぽりと包み込む。
「冷たいね」
「……?」
 こんなことがあってはならないのに。心の中で呟いた。小さな者達ばかりが苦しめられる。
「お姉ちゃんの手袋をあげよう。大事に使ってね?」
 本当はこれも誉められた行動ではなかった。きりがない、と人は言うだろう。
 特にフリックには怒られそうだ、そう思った。
 彼が気難しいからではない。彼もまた自分と同じ。いや、自分以上に優しいから。
 だけどこの少年に何も出来ないというのは、そのまま自分の無力を問われているようで今はただ辛くて。
 少年は手袋と彼女を見比べ、やがてそれを受け取った。
「……ありがとう」
 嬉しそうな、だけどどこか期待外れのような。そんな表情の少年に手袋をはめてやる。
 この少年のためではなく。自分のちっぽけな、弱い心のため。
「たいせつに、するね」
 ぶかぶかな手袋を見つめ、それから彼女を見つめ少年ははにかんで言った。くるりと背を向けると後は振り返りもせずに走り去る。
 立ち上がり、膝を払い、彼女はそれを見送っていた。


 フリックが戻ってきたのは、それから少し後のこと。
 道具屋の主人が殊の外話好きで、それに付き合わされていた。愚痴のような帝国への批判が大部分だったからまだ耳を傾けていたが、でなかったら聞き流していた。そんなことには慣れている。
 ちゃんと待っていると言ってたけど。少しばかり足を速め待ちあわせの古井戸へと急ぐ。
 古井戸の前に彼の探していた人はいた。背を向け、気付かない様子でどこか遠くを見ていた。
 声をかけようか、一瞬迷った。けれど。
「フリック? 帰ってきたのね」
「あ、ああ」
 気付かれてしまったから。迷っていたことなんて隠してしまってフリックは片手を上げた。
 オデッサも同じように手を上げる。それが何処か違うような気がして彼は首を傾げた。
 手袋がない。
「あら、もう気付いちゃった?」
 妙な顔をして佇む自分にオデッサがおかしそうに笑う。なくしてしまったと付け加えた。
 そんなはずはない。フリックは即座に思った。オデッサはどちらかといえば物を大切にする方で、貴族出身だということを考えると、それはとても珍しいことのように思えていた。
 だけど実際にはそんなことを考えるより先に、フリックもまた手袋を外す。
「そんなんじゃ、リーダーが示しつかないだろ?」
 手袋をしていないオデッサの手は白くて。戦士のそれではないことを彼に実感させる。
 リーダーとして見ているのではない。ただ守るというだけでもない。
 ただひとりの。
「ほら」
「駄目よ、フリック」
 差し出した手袋を見てオデッサが微笑む。ありがとう、そう言って彼女は彼の手をそのまま押し戻した。
「リーダーが手袋をしていて、あなたがしないの? そんなの変よ」
「オデッサ」
 少しばかりまた眉を寄せ、顰めてみせる。オデッサだからそんなふうに言うのだろうとは思っていた。しかし、それではフリックは立つ瀬がない。彼女の側にいる者としても、男としても。
「その、君は女性だし」
「……フリック、あなたは私が女だからって手袋をよこしたの? それって差別だと思わない?」
 言い訳をするように紡いだ言葉は火に油。眉を釣り上げた目の前の恋人にフリックは溜息をついた。
「そうじゃなくて」
「じゃ、どうなの?」
 詰め寄る彼女にフリックは天を仰いだ。空の蒼さが目に染みる。
 そうじゃなくて。女だからというわけじゃなくて。
 いや、オデッサでなくても。手袋をはめていない仲間がいたら自分は差し出したろうと思う。
 けど、それとオデッサに手袋を渡そうとしたのは全然違う。
 自分のリーダーだった。仲間で。女で。けどその前に。
 大切な。ただ大切な。
「だから……」
 言葉を見つけだせずに、視線だけがうろうろと彷徨った。
 オデッサが自分を見上げて、くすと笑っているのにも気付かずに。
「ありがとう、フリック」
 声をかけられてフリックの視点が宙の一点で止まった。
 そろそろと顔を向けると、オデッサは笑っていた。自分の手袋を片方だけはめて。
「オデッサ?」
 彼女がはめたのは、左の手袋。もう片方は自分に差し出されていた。
「フリックは右利きだから、こちらは返すわ。剣を握る時手袋ないと辛いでしょ?」
「だけど」
 受け取ってくれたのは嬉しかった。しかし、何か違うような気がしてフリックは眉を寄せたまま。
 何より笑っている彼女の表情が読めない。おかしげな、しかし真面目な。それは勿論、いつも彼女が見せる表情のひとつではあったけれど。
「もう片方の手は……?」
 手袋を分けるということはどこかくすぐったい気がした。
 しかしそれは同時に居心地の悪い気もして、フリックは返された手袋を持て余していた。
 それを見て取ったオデッサが何か呟く。手袋を奪うと、さっさと彼の右手にはめてしまった。
「もう片方の手はね、フリック」
 そのままオデッサが片方の手を取った。手袋をはめていない左手。
 ぬくもりそびれたもう片方の手は──。
「オデッサ……」
「こうしていれば、冷たくならない」
 手袋を分けあって。残った素のままの手は繋いで。
 フリックも何も言わなかった。表情をふっと緩め、握られた手を軽く握り返す。包み込むように。
「ハンフリーの奴、遅いな。迎えに行こうか?」
 さすがにそのまま見つめ続けるのは気恥ずかしかったのか、先に視線を外したのはやはりフリック。
 オデッサがくすと笑って頷く。そうして気付かれぬようにありがとう、ともう一度呟いた。



「……」
 防具屋の主人につかまっていたハンフリーは、ふたりを見た途端変な顔になった。
 苦虫をまとめて更に数匹潰したような。
 甘いものを毎日食べたような。
 それを見た瞬間、フリックは踵を返し顔を真っ赤にさせて防具屋を出ていった。
 無論、オデッサの手を握ったまま。
 いきなり引っ張られたオデッサが慌て、それでも振り返るとハンフリーに片目を瞑ってみせた。
 恋人達が出ていった後、防具屋の主人と共に残されたハンフリーは思わず苦笑する。
 勿論それを見て、主人がぎょっとしたのは言うまでもない。

あとがき

数時間で書き飛ばしたSSです。元ネタはとある歌からでした。最初の頃は初期解放軍ネタというのは読むのも辛いし哀しいしで好きではなかったんですが書いてみました。でも、この時の彼らは不幸でもなんでもなかったからそれを強調して書くこともないんじゃないかなと思ってみたりも。

1999.11.25