ソウルキスの功罪

 此処で――この地で、武器の扱い方と酒の飲み方を教わった。他の様々な事柄と同じように。
 うまくいったものもあれば、そうでないものもあった。魔とそれに連なる者達を「友」としたが、「彼ら」が拙い魔術を使う己を取り巻いて忍び笑ったときもあった。恐ろしい場所にやって来てしまった、と落ち着かない様子で最低限の読み書きと計算を教えて三月で逃げていったのは、「父」が寄越した教師だった。それではまったく物足りなかったから、父に宛てて手紙を書いた。期待はしていなかったが、次の月に小部屋を埋め尽くすほどの書物が届いた、そんなこともあった。頼れる――否、利用できそうな「仲間」を、と此処を抜け出して説法の真似事をしながら「外」を歩いたこともあった。そうして得た「親友」は酒精が回って酒瓶を離さなくなった己の姿に、飲ませ方を失敗したと後悔したらしい。後悔といえば、その言葉を聞いたときの頭痛も覚えている。どうにも酒は己に合わないらしかった――陽気に笑い上戸になり、寝こけ、目が覚めたら必ず頭痛と胃痛が待ち受けている。流石に二日酔いの姿は信徒には見せられないから、普段は代わりのものを飲んでいた。そうして、どうしても酔いたくなったときには親友と飲んだものだった。
 眉根を寄せて幾種もの瓶を作業机に置く男を眺めながら、過去の連想を打ち切ったシドニーはひっそりと笑った。納得がいかない、といった雰囲気を珍しくも全方向に押し出している男の――アシュレイのその表情は面白かった。今まで見てきた彼の表情はというと、基本的に無表情か苦悩する姿だった。まあ、それは概ね己が押し付けた「意識」が彼にそうさせたのだけれども、彼が大事に大切に抱え持っていた夏の丘でのあの緩やかな表情は、己が対峙した彼とは無関係なように思えた。
 今、その無表情は少しく変化しようとしている。彼自身が気付いているかは分からないし、仮にそうだとしても見て見ないふりをするだろう。そう、今はまだ。
 憮然とした顔を隠さず、アシュレイがシドニーを見る。レアモンデ崩壊から数日が過ぎ、養生の時は共に終わった。「次」を思ったシドニーがふと思い出したのは、この事件前の出来事だった。公爵邸襲撃事件を起こす数日前のこと。
 メレンカンプ教団のなかでも「戦闘員」を集めた決起集会は大いに盛り上がった。それぞれが密命を帯びているから、作戦のことで何かを言うことはない。日頃は控えている(別段シドニーは教義にそういったことを織り交ぜてはいなかったが、ハーディンが睨みを利かせたらしい)酒を酌み交わし、これまでの歩みに思いを馳せ、俗謡を替え歌にして教祖を称える。ハーディンは顔に大きな手を当てて仰向き、シドニーは肩を竦めて面白そうな表情を浮かべてみせた。煽りはしなかったが、各々の素顔が垣間見えて愉快だった。――この場の全員を利用し、裏切る算段でいたが、別に悩むことも心が痛むこともなかった。ただ、愉快で、刹那的で、依存していて。そうして終わりが近付いてほしい、と願った。
 あれから、まだ半月にも満たないのではないか。己の望み通り、すべては終わりを迎えた。魔の行く先は唯一人――アシュレイ・ライオットへと移った。不帰の魂となったものも含めてアシュレイはすべて引き受けているらしい。この事件で死に、魔となった者達。なり損ねた者達。光の、闇の塵となって風に溶けた者達。
 己もじきに、同じ風に溶ける。いや、今は冬だから、雪に消えるのかもしれない。
 待ち遠しいと思った。


「……それでシドニー。これをどうするんだ? 飲むつもりか?」
 不機嫌といっても過言ではない声色でアシュレイがシドニーを呼ぶ。我に返ったシドニーはニヤリと笑んだ。「飲むに決まっているさ」と答えて凭れていた壁から身を離し、作業机に並べられた酒瓶を眺めた。
 かつてはワインの名産地として名高かったレアモンデ。瓶詰めされたワインのラベルは流石に古びているが、状態は良さそうだった。瓶そのものの形が凝っているシャトーのものもある。初めてワイン貯蔵庫に「遊びに」行ったときは酒樽の多さに圧倒されたが、風変わりな瓶は子供の心に不思議に響いた。
 その不思議な形の瓶をひとつ取り、ラベルを確かめる。他には、と眺めると、目当ての酒が二種類あった。流石はリスクブレイカー、こちらが指定した酒をすべて確保してきたらしい。そのほかにも自らが飲みたいのか何なのか、最高級ワインやらつまみになりそうなものやらも作業机に置かれている。「どうするんだ?」と訊きながらも、何をするのかは察しているのだろう。
「カクテルは作れるか?」
「……作れるように見えるか?」
 アシュレイに鸚鵡返しにされてしまったシドニーは少し考え込んだ。何気に似合うと思うのだが、と考えて「将来の彼の姿」としては面白いのではないかとも思う。もっとも、己がそれを見ることなど叶わないが。
「よくよく混ぜるだけだ。本当はシェイカーがあったほうがいいんだが、適当に混ぜてもそれなりに纏まる」
 挿げ替えたばかりの義手で酒を指さしていく。簡単な説明と分量も付け加えて後は任せることにした。
「オレンジを持ってこいというのは、このためか……」
「街の南に木が植わっているからな。今頃が収穫の時期だから、丁度良かった」
 アシュレイが手持ちのダガーで複数の酒瓶の封を切る。スパイスと薬草の混ざった不思議な香りがうっすらと広がった。それらを混ぜ、オレンジの果汁も絞ると、アシュレイは工房に備え付けられてあった同じ形の酒杯を二つ取った。口を合わせてどうやらシェイカーの代わりとして使うらしい。失敗することも考え、シドニーは数歩離れた。勿論、アシュレイからは鋭い視線が飛んできたが、気にしない。
 ふう、と息をつき、神経を研ぎ澄ませたアシュレイが即席のシェイカーを振る。シドニーが好む香りがさらに増していった。
「それくらいで良いな」
 放っておけばずっと振っていそうなアシュレイに向けてシドニーは声をかけた。ぴたり、と動作を止めたアシュレイが別の酒杯に中身を注ぐ。ほら、と手渡してきたアシュレイに、シドニーは苦笑した。
「すまないが、俺は飲めない」
「……は?」
 豆鉄砲を食らった鳩の顔で見てくるアシュレイをシドニーは記憶に留めようと思った。しかし、そのままでは気の毒ではあったので、説明のひとつでも入れておこうとも思った。
「グラスが持てない……とか?」
「両手で持てば良いだろう? ……そうではなく、強すぎる」
「このカクテルが? ……まあ、弱くはなさそうだが」
 だったらどうして、と瞳で訊く継承者にシドニーは両手を軽く挙げた。
「好きなのさ。この【懐かしい】香りが」
 以前の酒盛りで、作られたカクテル。失われた魂を慰撫してほしい、そう誰かが笑って言い、別の誰かが「それだったら」とこのカクテルを作った。実際の意味合いは捨て鉢なものだったが、名前は気に入った。
 ソウルキス。魂が震え、魂を震わせ、そうして。
「じゃあ、これはどうするんだ?」
「お前が代わりに飲んでくれないか? そうだな、これは壮行会のようなものだか……」
 まっすぐに見据えてくるアシュレイを何故か見ていられずに、目線を伏せたシドニーだったが、言葉を途中で奪われた。
 甘い。温かい。すうっとする。
「アシュレイ……」
 口移しで飲ませてきた男をシドニーは睨んだ。だが、そんなことはお構いなしとばかりに、アシュレイは再びシドニーへと顔を寄せた。
 仕方ない、とシドニーは瞼を閉じた。一度目のときよりは、ゆっくりと、そして優しく流れ込んでくる。何故か、それも良いかと思えた。
 甘い。温かい。すうっとする。
 溶け込んで、解けて。――そうして。

 理性で固めた心を、魂を、震わせる。シドニーはその時を少しばかり己に許した。

あとがき

ベイグラWebオンリー「魔都deファンダンゴ」ワンライワンドロ企画に参加した作品です。ルーレットで出てきた結果は「ソウルキス」。ベイグラではダガーの名前ですが、カクテルもあるそうで、ワインベースのスパイスとベルモットが効いたすっきりさっぱり飲みやすいカクテルなのだそう。でもワインとかスピリッツ入ってるし、この名前からは妖艶な感じがするぞ!と思ったのですが、妖艶になる前に終わってしまいました…まあ元々書けるとは思っていませんでしたが! しかし最後に意地でねじ込みました…。ははは。

2025.02.23 / 2025.02.24