SOLEADO / CIELARKO

 某月某日。
 キャロが仮住まいをしているフラットへ届けられたのは、一通の招待状だった。
「……誰かしら」
 ポストが閉まる金属音を背に、階段を昇る。昼でも暗い通路を歩き、つきあたりにある自室の扉を開けた。
 椅子に座り、自分の住所と名前以外は何も書かれていない封筒を眺め、彼女は首を傾げた。こんなふうに手紙の類が届くことなど、ここ最近は無かったことだからだ。
 逃げるようにしてVKPから去り、何度目かの季節はもう間もなく。無論、追跡されぬよう自分の居場所は極力隠し、それ故に自分が今ここに住んでいるということを知っている者も片手指にも足りる程度――そんな生活を送っているというのに。
 キャロは暫く封筒を眺めた。そうして諦めて封を開ける。外観どおり、中に入っていたのは一通のカードだった。

 ――親愛なる情報分析官殿

 招待状は、そんな文句で始まっていた。
「……」
 その出だしに、キャロは思わず一旦カードを閉じた。
 軽い疑念は一気に確信となり、心が俄かに騒ぐ。細く息を吐き、自分でもよく分からない覚悟を決めると、彼女は再びカードを開いた。

 ――親愛なる情報分析官殿
 いかがお過ごしだろうか?
 早速だが……

 自分の元役職名から始まったそれは、文面自体は落ち着いた、別の言い方を言えば何の変哲もない平凡な招待状だった。文面から察するに、ワインパーティーへの招待のようである。
「……」
 キャロはカードと封筒を並べて卓に置き、じっと見つめた。
 品の良い紙と飾り文字をあしらった筆跡。カードにも封筒にも差出人の住所はおろか、名前すらない。
 単なる広告のようでもあるが、広告ならばこんな風に凝った直筆の手紙などではないだろう。大体、情報分析官などという役職名でなく、名前で来るはずだ。
 それが役職名で来るということは?
 ひとつひとつ、可能性を思い浮かべてみる。だが、それらは招待状に散見される別の証拠により、候補から外れていった。
 自分の所在を知っている手紙。上質の紙に凝った筆跡。見当たらない差出人名。役職名。そして。
 招待状は、あるひとつの特徴があった。
 それを考慮に入れると、この招待状の出自には道理が通る。だが、別の理由で無意識に、そして真っ先に考慮から除外したのがこの特徴でもあったのだ。
 ――考えるだけでも頭が痛い。
 キャロはとにかくそれを見据えた。いっそそうするだけでカードを宙に浮かせてしまうくらい、強いまなざしで。
「……グラン通り三十番……。チェールアルコ、か……」



 夕刻の空は、透き通った青紫色をしていた。
 通りに連なる建物の隙間から見える切り取られた空には、徐々に帳が落ち始めている。夜と昼の境目の頃合、キャロはグラン通りを歩いていた。
 招待状が届いた日から数日。カードに指定されていた日付、それが今日である。
 表通りから一本入っただけのその通りは、今時分の空の色によく似合った落ち着いた雰囲気を見せていた。居並ぶ店々は酒場ばかりだが、陽が沈んだばかりの頃合では飲んだくれもいないし、粗野な振る舞いをする者もいない。もっとも、夜更けになったとしてもこの通りの雰囲気はそうは変わらないだろう。
 ゆっくりと目的の店まで歩く。通りすがる人々の中に紛れ込み、時折通りの四方に視線を走らせる。だが、そうしてみても尾行の類はついぞ見当たらない。
 ――やはり、VKPや法王庁の罠などではない。すると。
 思考を巡らせながらゆっくりと歩く。もっとも、歩を遅くしているのは、思考のためでも注意のためでもない。単に歩きにくいからだ。
 罠でも構わないと考え、パーティーとやらへの参加を決めた彼女が真っ先に手配したのはドレスだった。前裾が短く、後ろに流れるようにデザインされたそれは、無論、常のような丈の短いスカートとは大分勝手が異なる。
 油断すると裾を踏んづけてしまいそうで、それ故にゆっくり歩くしかほかなかったのだ。
 これで。
 目当ての店らしい看板が見え、キャロはほんの少し歩を早めた。
 これで、もしも、自分の予想と違っていたら。
「ちょっとその先は考えたくないわね……」
 緩く弧を描く数本の真鍮の曲線が――酒場の名である「虹」なのだろう――命を宿したかのように看板で踊っている。
 それを確認し、キャロは酒場の扉を押した。


 酒場の中は薄暗かった。
 まだ早い時間のためか、客はまばらにしかいない。ちらりとだけ彼女に視線を走らせたマスターらしき男は「どこでも好きなところを」と目線で告げ、磨いていたらしい手元のグラスに再び注意を落とした。
 キャロは次々に視線を移していった。まばらな客。磨かれたグラス。燭台。陽光の降り注がない窓。そして。
 この店の片隅。さして目立たぬところに二人の客がいた。
「……」
 視線が、そこで止まる。見覚えのある二人が自分を見ていた。
 一人は腕を組んだまま、無表情で。もう一人は両肘を卓に突き、あくまで愉快そうに。ついでに言えば、服を着込んで。
 二人は、自分を見ていた。


「まったく、息が止まりそうだわ……」
 元同僚だったアシュレイ・ライオットに椅子を引いてもらい、席に着いたキャロがまず真っ先に零したのはそんな科白だった。
「ほう?」
 斜め向かいに座った男がその言葉に反応する。シドニー・ロスタロット。今は亡きアルドゥス・バイロン・バルドルバ公爵の影の右腕にしてメレンカンプ教団の主宰……そして、レアモンデに刻み込まれた魔を司っていた男だ。
 挨拶をするのも驚くのも忘れて、キャロはまじまじとシドニーを見た。その軽い口ぶりは誰が化けているでもない彼独特のもの。そのことに妙に安堵している自分がいることに気付き、キャロは何だかおかしくなった。
 シドニーと反対側の斜め向かいには、アシュレイ・ライオットが。
 機嫌がいいのか、単に地なのか、愉快そうにしているシドニーに比べて、アシュレイはあのレアモンデの頃とあまり変わらず、無表情。
 ――いや、それよりはほんの少しばかり和らいだろうか。あの時、彼が纏っていた神経質な雰囲気は大分影を潜めているようにも思える。
 もっとも、任務中に和やかな雰囲気でいられても困るわけだが。
 アシュレイとシドニーの二人を目の前にして、キャロは無性に溜息を吐きたくなった。目の当たりにしている光景は予想と何ら違わなかったとはいえ、実際に二人が並んでいる姿を見るとやはり戸惑いは隠せないのが正直なところだった。
「……あまり凝視されても困るんだが」
「あ」
 アシュレイの言葉に、思考に没頭していたキャロは我に返った。そのやり取りを見てシドニーがまた笑う。
「あの時と同じだな。分析官殿におかれては、聞きたいことが山のようにあるのさ。だが、あまりに大きすぎてどれから聞いていいか分からない。至って君らしい」
 饒舌にシドニーは語った。その語り口こそ彼らしく、ますます脱力して本日何度目かの溜息をキャロはついた。
「……キャロでいいわ。貴方の言うとおり聞きたいことは山程あるけれど……でもその前に」
「何だ?」
 マスターからメニューを受け取ったアシュレイが何か注文するのを横目に、キャロは身を乗り出した。
 招待状にあったひとつの特徴。これだけは確認しなくてはならない。
「あの招待状を書いたのは、貴方?」
「ああ。よく分かったな?」
 あっさりと、肯定。
「分かるわよ……」
 華麗な飾り文字に何よりの特徴である、気取った文章。別の言い方をすれば酔い気味ともいえるその文章は、おそらく逆立ちをしてもエージェント・ライオットには書けはしないだろう。
 とすれば、残る可能性は只一つ。シドニー・ロスタロットしかキャロには考えられなかったのだ。
「あんな酔っ払った文章、お前を知る者であればお前以外考えられんだろうが」
「酷いな、それは。元はといえばお前がいつまでもカードを書こうとしなかったのが悪いのだろう?」
「ああ言えばこう言う……」
「何か?」
 いや、とアシュレイは不毛な会話を切り上げた。このまま続けても薮蛇になるだけと判断したらしい。
「普段どんな会話をしているか分かるわね……」
「何か?」
「何でもないわ。でも、ワインパーティーというのは?」
 キャロの二つ目の質問に、シドニーは「ああ、それは」と目配せをした。顔なじみでもあるらしいマスターがワインのボトルとグラスを三脚持って現れる。確認もせずに卓に置いたところを見ると、そのワインはどうやら彼らが持ち込んだもののようだった。
 直前までワインクーラーで冷やしていたのか、古びたラベルには水滴がついている。それをそっと拭い、キャロはラベルを読んだ。
 付けられた銘は、ウィルトゥール。
「これ、もしかして」
「そう、ご推察どおり」
 今はもはや手に入れることなど不可能になったワインが目の前で注がれていく。透き通った琥珀の海を無数の泡が微かな音を立てながら昇っていくそのさまは、彼女にあの街を思い出させた。
 ウィルトゥール。最早幻と消えたレアモンデ産最高級スパークリングワインである。
「先日……ついでがあったので。まだ割れずに何本か残っていた」
 余程厳重に保管されていたのか、あの大崩壊にもいくつかの貯蔵庫は事なきを得たのらしい。それぞれのグラスに注ぎ終え、そんな風に説明したのはアシュレイだった。
「で……持ってきたというわけ?」
「? ああ」
「……そう」
 無表情の端に不思議そうな面持ちで自分を見やるアシュレイにキャロは肩を竦めてみせた。
 元からレアモンデは二十数年前の大地震から殆ど侵入できない状態だった。それ故にレアモンデ産のワインは幻のそれとして超高級と銘が打たれたのであるし、危険を覚悟で潜り込む輩も多かったのだ。
 ましてや、数ヶ月前の大崩壊でレアモンデのワインは完全に幻となった。ワイン雑誌の片隅に小さな嘆きの記事が掲載されていたのを覚えている。
 なのにだ。
 ――どうやって侵入したのかとか、どうやって戻ってきたのかとか……まだあるのかとか。聞くことは本当に山程だわ。
 キャロは再び溜息をついた。呆れるためではなく、気持ちを切り替えるために。
 聞くことは山程ある。そのための時間はきっとあるだろう。無いというなら作るまでだ。
 今は、まず。
「では、乾杯だな」
 再会に、と気取って言うシドニーの言葉に、キャロは自分のグラスを掲げた。


 彼らの話は彼女の想像の範疇内のものもあれば、範疇から遠く飛び越えたものもあった。
 情報を得ようとあの手この手で迫ってきたVKPを退けるのに彼女が苦労したように、彼らの前にも数多くの困難が存在したらしい。とはいっても、それを易々と越えているあたりが彼らなのかもしれないが。
 無論、こういった場合に主に話すのはシドニーだった。飲んでもさっぱり酔わない体質なのか、それとも他の原因によるものなのか、若しくは元々なのか、饒舌にして多弁な彼の話術は巧みで、ぐいぐいと話に引き込まれる。
 魔などに頼らずとも、これならば政治家から噺家まで好きな道を選べたろうになどとキャロは思う。もっとも、だからこそ彼が隠れ蓑として選んだのが宗教という存在だったのかもしれないが。
 他方、アシュレイ・ライオットはやはり寡黙だった。
 時折頷くのみで自ら進んで話すような真似はしない。シドニーが話を大きく脱線させた場合に一言二言口を挟むか、同様にシドニーが話を過大に誇張させた場合に制止するかのどちらかといった程度で、その絶妙なタイミングにキャロは妙な感心をしてしまったほどだった。
 そうして話題は多岐に渡った。あの事件の顛末。魔について。現在。過去。生き残りの者達について。ついでに、レアモンデに現存するワインについても。
「……なるほどね」
 空になったグラスの淵をそっとなぞり、キャロは相槌を打った。
「今だから言うけど、流石の私もハーディンのあの科白には仰天したものよ。仰天して「それはどういうことッ」って詰め寄りたかったのだけど」
 だが、それは叶わなかった。叶えるよりも先に、目の前の男が転移の呪文を唱えてしまったからだ。
「あの状況で考えていたのがそういうこととは……職務に忠実というべきか、天職だったというべきか?」
「私だからよ」
 なるほどね、と呆れ顔でキャロの口真似をしたシドニーは、新たに抜こうとして格闘していたボトルをアシュレイに手渡した。
「でも。似てないじゃない? あの子と……「小さな」貴方はそっくりだったけど」
 僅かな小言と共に注がれたアウデンティアをグラスの中で巡らせ、思い出すようにキャロは言った。
 それが事実なら――シドニー・ロスタロットとバルドルバ前公爵が親子だったのが本当だったら――全ての符合はぴたりと当てはまる。納得できる。
 だが、それでも何故か感情では許容できないでいる。
 前公爵を直接間近で見たことはない。だが、情報分析官である以上、この国の重鎮の顔は知っていて当然だった。当然の如く知っていたのだが、それでも。
 心底嫌そうに睨むシドニーを平然と見つめ返しながら、彼女は思った。
  ――少なくとも、ぱっと見では似ていない。
「目元、かしらね……。あとは……お母様似だとか?」
「……あのな」
「その件に関しては、二つほど推測がある」
 ますます凄んだシドニーを珍しくアシュレイが遮った。よく見れば彼の頬もほんのり染まっている。相変わらず無表情で無愛想だが、彼も相当酔っているようだ。
「何?」
「ひとつは、あの公爵の若い頃とそっくりだという仮説。そしてもうひとつは、こいつがあのまま年を取った場合、あの公爵のようにな……でっ」
「……」
 鈍い音と共にアシュレイは突然絶句し、その場に突っ伏した。自業自得だ、と平然とシドニーが吐き捨て、アシュレイが涙目で睨みつけているところなどを見ると犯人は彼らしい。
 大方、脛でも思い切り蹴り上げたのだろう。シドニーの足は金属製と聞く。その足で蹴られたら――それは推して知るべしというものだった。
「……」
 だが。
 ――想像しなくて済んだのは、幸いだったのかも。
 アシュレイには悪いが、とキャロはそっと心中で安堵した。
 前公爵みたいになったシドニーを想像するのは――流石に、ぞっとしなかった。
 卓と仲良くなってしまったアシュレイからふと視線を上げると、シドニーのそれと出会う。シドニーは悪いものでも食べたような顔で盛大な溜息を吐いてみせた。
「……飲みましょうか」
「そうだな。馬鹿は放っておくことにして」
 かくして、彼らの尽きることのない話は夜更けを過ぎてもなお続き、そうして。


 翌日。
「楽しかったわ。美味しいワインも飲めたし……また誘って頂戴」
 早朝、酒場の前で二人にキャロは微笑んだ。
 流石に頭は重く、朝陽は眩しい。それはシドニーも同じようで、多少の酔いが未だ残っているというような顔をしていた。
 彼と握手を交わし、一人だけこの朝に相応しい面持ちで佇んでいるアシュレイとも同じように握手をする。彼のリスクブレイカーは卓に突っ伏したまま寝たせいか、元々おかしい前髪が更におかしな方向へ向いていた。
「ああ。いいのが手に入ったらまた連絡しよう」
「お願いね。楽しみにしているわ」
 そうしてキャロは彼らに背を向け、歩き出した。
 これは別れなどではない。自分達はまた何度でも会うだろう。ワインのために。――いや、諸々のために。
 歩きながら目を細め、そっと空に手を翳す。
 やはり、朝陽は眩しかった。

あとがき

酒盛りしているだけでしたが、もしもシドニーがアシュレイとエンディング後も行動していたらというトンデモ前提の話でした。キャロとシドニーがどんどん話を進めていくのが目に浮かぶようです。アシュレイさんはきっとあまり喋らないだろうなあ…。とにかくキャロ強しなのでした。

2004.08.13 / 2017.08.30