FORECAST AFTER ENDING ver.xx

「キャロ・メルローズ?」
 ハスキーな声に名を呼ばれ、キャロは振り返った。黒光りする太い梁をめぐらせた酒場には紫煙が立ち込めている。いくつも点された小さなあかりは室内を隅々まで明るくするにはどこにも足らず、酒場は薄暗かった。
 キャロの目の前には女がひとり立っていた。白銀の髪に褐色の肌。あかりを映した瞳には油断がなかった。そんな目をして女はキャロを見ていた。
 だが、その目に敵意がないことをみてとり、キャロは頷いた。
「ええ。あなたがニーチ?」
「そう」
 ニーチは酒を注文すると、キャロの隣に座った。酒はすぐに運ばれ、彼女はそれを一気に飲み干した。キャロは目を丸くした。
「ちょっと出がけにゴタついてね。ごめん。でも連絡がついてよかった」
 力を貸してほしかったから──。そう続いたニーチの言葉に、キャロは彼女を眺めやった。ついこの間、人づてに彼女の存在を知った時も同じようなことを聞いた。
「あ……」
 あなたたちは、と言おうとしたキャロをニーチは軽く手を上げて制した。そうして小銭を出すと卓に置き立ち上がる。
「それは歩きながら話そう。奴らも待っているはずだから」
 再び、キャロは頷いた。


 酒場を出ると、夕暮れ時で外はまだ明るかった。ニーチに案内を頼み、キャロは歩き出した。
 あれから一年が経過しようとしている。
 グレイランド事件──カルト教団によるバルドルバ公爵邸襲撃と子息誘拐、そして「何者かによる」バルドルバ公爵殺害疑惑──から一年。キャロはVKPを離れ、とある人物を追っていた。
 とある人物。それはかつての同僚であり、今は極秘ながら公爵殺害の咎で手配されている男。リスクブレイカーとして高く評価されていたアシュレイ・ライオットだ。
 VKPは当然のようにキャロにも彼の居場所についてしつこく尋ねた。だが、彼女にも分からなかった。エージェント・ライオットとはレアモンデのワイン貯蔵庫で別れたきりなのだから。
 ──エージェント・ライオットが何処に行ってしまったのか。
 それは問われるまでもなく、彼女自身が知りたいことだった。何処に行ってしまったのか。あの場所で、何が起きたのか。真相は何なのか。
 故にVKPを辞して後、事件の背景を調査すると共に、「すべてを識る者」であるはずのライオットを追い始めた。無論、VKPには気取られぬように。
 そうして一年。数少ない手がかりを得て、この街にキャロは足を踏み入れたのだった。


 道すがら、キャロはニーチから今までの経緯を聞いた。
 ライオットとの出会い、それからの行程。何かあれば会うが、通常はライオットが単独行動で、自分とティーガーという元同僚は組んで行動していることが多い──etc, etc。
 彼らが出会ったのは、グレイランドのとある酒場であったらしい。ちょうど事件発生から一週間後、公爵が死亡した雨の夜。酒場にやって来たライオットをふたりが見つけ、話を持ちかけたのだという。
「あの街で……レアモンデで見たことを明らかにすべきだと私達は思っていたからね。ライオットを仲間に引き込むのは最良だと思ったんだ。……でもすぐに少し後悔した」
「え?」
 驚くキャロにニーチは話を続けた。こういうことらしい。
 場所が酒場であったため、三人はそのまま酒を酌み交わした。夜も更け、さすがに酔いが回ってきた頃に酒場がふと騒がしくなった。と同時にライオットが立ち上がり、出るぞと言った。
 状況が掴めぬままライオットの言うとおりに酒場を出、そのまま逃げるように街の外へ出た。明日の二日酔いを覚悟しながらそうして初めてその理由を聞いたとき、ニーチとティーガー、ふたりは目の前が真っ暗になった。
 バルドルバ公爵が先刻死亡し、そのために厳戒態勢が敷かれた。間もなく公爵死亡に関する重要参考人が手配されるだろう──、ライオットはそう語ったらしい。
 そして、その参考人こそが自分なのだと。
「そういう大事なことは早く言えってティーガーとふたりで怒鳴りつけた。もちろん次の日は二日酔い。まあ、ライオットは否定したんだが、否定しただけで後は何も言わなかったな」
 改めて思い出したのか、ニーチが嘆息混じりに言葉を終えた。キャロもまたニーチと同じような気持ちだった。あのエージェントは口数が極端に少ない。本当に結論しか言わず、大分戸惑ったものだ。
 その一方で胸を撫で下ろした。とりあえずエージェント・ライオットは公爵を殺害したのではないらしいと分かったからだ。
「で、それから……この一年は情報収集に走った。他の国にも行ったな。ライオットは数国離れたイヴァリースまで行って、デュライっていう人から話を聞いてきたし」
 ふたりは通りから裏路地へと入った。
「ただ、そうして情報を集めることはできても、それを使うことに私達は長けてなかった。そんな時、ライオットがあんたの名前を挙げたんだ」
 人気のない裏通りに足音が響く。今度はキャロだけが溜息をついた。
 ──そんなことだろうと思った。
 探していた相手の方からいきなり連絡が来るなんて、何か事情があるに決まっている。ましてや、一度は足手まといと切り捨てられた身だ。
 無論、唯一の取り柄と見なされたらしい情報分析の能力すらなかったら、ここで連絡がとれたかも怪しいのだが……。
「どうした、メルローズ? 着いたぞ」
 キャロがもう一度溜息をついたのと同時にニーチが声をかけた。その声にキャロははっと我に返ると、目の前の建物を見上げた。
 何の変哲もないただの安宿だ。
「さあ行こう、メルローズ」
「キャロでいいわ。ねえ、ニーチ」
 カウンターで居眠りをしている老人の前を素通りし、薄暗いロビーらしき場所を横切る。いい加減古ぼけた階段を上りながらキャロは訊ねた。
「何だ?」
「出がけにゴタついたって言ってたわね。あれは、どういうことなの?」
 このことが妙に引っかかっていた。
 しかし、問いにニーチは一瞬きょとんとすると、それから盛大に笑い出し、たっぷり数分は笑った後でこう言った。
「ああ、それはね。それはあれなんだ。さっきここを出ようと思ったらライオットがいきなり倒れたんだ」
「倒れた?」
「心配しなくていいよ。ただの風邪だから。いやー、あいつでも風邪引くんだなあって思ったら笑えてきちゃって。さ、ここだよ」
 ひどい言われようだった。ここまで扱き下ろされているとは思わなかったが、ニーチの物言いはさっぱりしていて、キャロも好感を持った。
 それはやはり、結局のところ同じようなことを感じていたからかもしれない。
「ライオット、キャロを連れてきたぞ」
 ノックをし、ニーチが声をかける。やがて、応えがあった。
 扉が安っぽい音を立てて開かれていくのをキャロはじっと見ていた。

 風邪を引いたというニーチの言葉通り、アシュレイ・ライオットはつい今しがたまで寝ていた様子だった。寝台の上に起き上がってはいるが、あの特徴ある前髪があらぬ方向に向いている。
 しかし、その切れ長の目は相変わらず鋭いものだった。
「……メルローズ」
「久しぶりね、エージェント・ライオット」
 手袋を取り、手を差し出す。アシュレイは握手に応じた。
「今はエージェントじゃない。ただのアシュレイ・ライオットだ」
「背中にでっかい入墨しょった、ね」
 部屋の奥から声が飛んできてアシュレイは顔をしかめた。ニーチがひょこっと顔を出し、不思議そうな顔をしているキャロにかくかくしかじかと説明する。
「……というわけ。詳しくは後で本人に聞くといい」
「ええ、そうするわ」
「勝手に話を進めるな」
 アシュレイのささやかな抗議は「だって、あんた何も喋んないじゃない」というニーチの言葉で却下された。却下され、アシュレイは肩を竦める素振りだ。
「ところで、ティーガーは?」
「用事があると出掛けていったが」
「ふうん」
 適当に頷き、ニーチはまた奥へと戻っていった。キャロは手近にあった椅子に座り、改めてアシュレイを見やった。
「……」
「何だ?」
「いえ、その。少し、雰囲気が変わったと思って」
 自分が覚えているアシュレイ・ライオットなる人物はもっと鉄面皮だったような気がする。といっても、数時間しか行動を共にしなかったのだからはっきりとは分からないが。
 ミステリアスな雰囲気、とキャロは分析した。
「そうか。自分では変わっていないつもりだが」
「そんなものよ。それにしても、本当に生きていたのね。メッセージを受け取っていたから生きているんだとは思っていたけれど」
 感慨深げにキャロは言った。一年前、事件の残務処理を終え帰宅してみると、便り受けに口紅入れが入っていた。古い装飾の口紅入れ。入っていた封筒に宛名はなかった。
 それを自分はあのエージェントからだと思ったのだ。他にそのようなことをする人物は思い付かなかった。残念ながら。
「メッセージ?」
 しかしアシュレイは首をひねった。少し考えるように眉間を寄せ、それから頷いた。
「ライオット?」
「ああ、そうだ。メッセージだったな。よく分かったな」
「……?」
 ──何かがおかしい。
 少しのやりとりにキャロの直感は彼女にそう囁いた。拭い去れない違和感があった。本当にライオットはこんな感じだったろうか。
 もっと鉄面皮ではなかったかと先程思ったが、もうひとつ引っかかることがあった。
 エージェント・ライオットは自分が手を差し出した時、素直に握手に応じたのだ!
「……」
 嫌な予感がした。
「どうした、メルローズ?」
 怪訝そうな顔つきのアシュレイを見返す。そのままキャロは思案を続けた。
 自分が入れたはずの口紅入れの存在を忘れるなどということも、あり得ないはずだ。リスクブレイカーであったら、時に書類の文面をすべて記憶するということも求められる。忘れっぽいリスクブレイカーなんていない。
 ──ということは。
 答はひとつしかない。その答を確実なものへと変えるために、キャロは問いを重ねた。
「口紅入れは確かに嬉しかったけど、ワインの方がよかったわね」
「キャロ、おまえも飲める方か?」
「そうじゃないの、ニーチ。前にエージェント・ライオットがワインを見つけたならお土産として進呈するって自分で言ったのよ。そうでしょう、ライオット?」
「……」
 小首を傾げたキャロに対し、アシュレイは黙り込んだ。
「それとも、これも覚えてないのかしら」
「キャロ?」
 人数分の茶を盆に載せ運んできたニーチは状況を掴めない様子だ。だが、そんな彼女を敢えて無視し、キャロはアシュレイを見据えた。アシュレイであって、アシュレイでない者を。
 やがて。
「……さすがだな。こんなにも早く正体を見破られるとは思わなかったが」
 アシュレイの声の調子が変わった。少し大袈裟な所作を見せ、彼はにやりと笑んだ。もはや誰の目にも彼がアシュレイでないことなど明白だった。
「クリムゾンブレイドの団長がかつてあなたに化けた時の方が上ね」
 嘆息交じりにキャロは言った。頭がずきずきと痛む。
「ふふ。言うな……」
 キャロの皮肉に彼はいっそう笑みを深くすると、手を頭上に掲げ瞑目した。眩い光が部屋を包み、キャロとニーチ、ふたりも目を眇めた。
 そして一瞬の静寂。閃光は消滅し、瞼の外に慣れた明るさが戻る。どさ、という音にふたりは目を開けた。
 目の前の寝台にはアシュレイが倒れ──、いや、寝ていた。
 そして横には──。
「なっ……」
「想像どおりというか、当然というべきか。だけど、まさに神出鬼没とはこのことね……。さすが当代一のカリスマ、存在自体が奇跡だと言われただけはあるわ」
 ──絶句して飛び退いたニーチと、キャロの横にいたのはやはりシドニーだった。
 キャロは目線を下げた。とりあえず足はある。
「どこを見ている?」
 キャロの視線に気付き、シドニーはくすくすと笑った。もうひとつの椅子に座り、足を組む。その所作は自然で何の違和感もなかった。
「何かおかしいと思ったのよ。ニーチは気付かなかった? ……ニーチ?」
 今日何度目か数えるのも忘れてキャロは溜息をつくと、隣の女コマンダーを見やった。
 突然の出来事にニーチは固まってしまっていた。

 それから数刻。
 ようやく呪縛の解けたニーチとさして驚く様子もなかったキャロは、二人揃って次々とシドニーに質問を浴びせ掛けた。出先から帰ってきたティーガーも途中から加わっている。
 ティーガーはニーチと同様、シドニーの姿を見た瞬間硬直した。そして、硬直が解けた途端に十歩分くらい飛び退いた。その後も色々あったのだが、長くなりそうなのでここでは割愛する。
 ちなみに、アシュレイは本当に風邪を引いていたらしく今も眠っていた。
 シドニーは質問を厭がる様子でもなく淡々と答えた。彼はレアモンデの崩壊後、魂だけの存在となってアシュレイの中にあったが、ふとしたことで意識が戻ったのだという。
「今朝、アシュレイが派手に倒れただろう。あれは響いたな」
 なるほど、と動揺を抑えながら頷くティーガーの横でニーチとキャロは顔を見合わせた。アシュレイ。シドニーは生身の人間三人が呼んだことのない呼び方でアシュレイ・ライオットを呼んだ。
「そのまま意識をこいつは失ったからな。それに貴様達の話を聞いていると分析官が来るという」
 面白そうだ、とシドニーは思ったのらしい。意識を失ったままのアシュレイに入り込み、しかし自分も久々の感覚なのですぐには慣れず、そのまま寝ていたということだった。
「本当かよ……」
 やはり俄かには信じがたいのか、ティーガーは呻いた。ニーチは先ほどまで茶が入っていた器に酒を注ぐとそれを呷った。素面でこの話を聞くのは辛い。
 一方、キャロは平然としていた。
「……情報分析官はこれしきのことでは驚かないとみえる」
「慣れたわ」
 シドニーの言葉をキャロはばっさりと切った。このカリスマが少々突飛なことをするのは経験済みだ。いちいち驚いても仕方がないし、それでは神経がもたない。
「それより、あなたが抜けたことでライオットはどうなるの? いつまで眠っているのかしら」
「もう少しで目を覚ますだろう。ふふ、見ものだな」
「あら、そうかしら。エージェントはそんなに驚かないとは思うけど?」
 何でもないことのように会話を続けるキャロとシドニーを、残されたふたり──元クリムゾンブレイド組──はぼんやりと眺め続けていた。
 どう考えてもこれは非日常的だった。死んだと説明されていた人物がひょっこりと顔を出し、あまつさえ普通に会話をしているというこの現実に理解が追いつかなかった。
 いくら報告が何件もなされ、朋友が同じような状況になったのを今でもはっきりと覚えていたとしても、それとこれとはあまりに違いすぎる。
「おい……ライオットもあっさり受け容れたらどうするよ」
「知るか、そんなこと……」
 思い出話に花が咲いているふたりを放ってティーガーとニーチは共通の想いを抱いた。
 ──VKPの連中はどいつもこいつもこんな感じだったんだろうか。

 さらに数刻後。日付の変わる頃、アシュレイは目を覚ました。
 寝起きの目で自分を見つめる人間を順々に彼は見返したが、例の無表情はやはりそのままだった。だが、シドニーを見た時だけはさすがに少し顔色が変わった。
「久しぶりだな、アシュレイ・ライオット」
「シドニー……いたのか」
 それだけでアシュレイはまた冷静を取り戻した。再会を果たしたばかりのキャロにVKPの情勢などを暢気に聞いている。シドニーもそれに加わった。
 ──いたのか、じゃないだろう!
 取り残されたティーガー&ニーチはやはり心中でそう叫んだが、キャロがふと振り返り片目を瞑ってみせたのを見て、顔を見合わせた。
「気にした方が負けらしいな」
「……そのようだな」
 ふたり揃って溜息をつく。そのタイミングのよさに苦笑すると、彼らも会話に加わっていった。

 その後。
 情報分析能力を買われ、仲間入りをしたキャロ・メルローズの他に、シドニー・ロスタロットも彼らの仲間になった。
 アシュレイが持っている情報は当然シドニーも持ちうるものだ。だとしたら、「全然喋らない」アシュレイよりシドニーに聞いたほうが早いと誰もが判断した。
 無論、これには「本物の」アシュレイも抗議する素振りを見せた。しかし、それは例によって却下された。



 ──こうして「放浪者の物語」は再び始まった。

あとがき

「FORECAST AFTER ENDING ver.xx」という本からの再録です。いやしかしとにかくパラレル。とにかく閑話休題でありました。

2001.02.10 / 2003.12.03