SPORADIC SHOWERS - mending fact extra -

「哀しいと、思ったのよ」
 彼女はぽつりと漏らした。
 一日の終わりを緩やかに告げる追憶色の陽射しに、時さえもが止められたような空間。夜に向かう一瞬前の静寂を押し破るように彼女は繰り返し呟いた。
 何がきっかけでその話題になったのか、彼女自身よくは覚えていなかった。多分、些細なことだったのだろう。
 呟いた言葉に、隣に座っていた男が視線を投げる。しかしすぐに視線は戻され、卓に置かれたグラスへと落とされた。
 続きを促す合図だと彼女は解釈し、言葉を繋げた。
「……真実ばかりを誰もが語るとは思っていなかった。嘘をつくこともあるし、人を騙すこともある。当然のことだわ。でも、その時に思ったのは……」
 ふと思い出したのだった。過去と呼んでも差し支えないほどの時を得、心の何処かに沈んだあの出来事を。──その中で交わした会話を。
 もう数年前にもなるだろうか。
「哀しいとだけ、思ったわ」
 少し間を置き、キャロは言った。
『他人の過去を読みとって真実を手にしても、押しつける能力があってはその言葉が真実か嘘なのかわからない。「彼」は真実を話していても、それを信じさせられてしまう限り真実か嘘かを私たちは見抜けないわ』

『ふん、馬鹿なことを。人間は誰だって嘘をつく。負の能力があろうがなかろうが嘘をつき、信じさせることは誰だってできる』
 だが──、本当は?

 窓際に置かれた飾り皿の数々が光に反射し、きらきらと輝いていた。
「知っている。聞いていた」
「……そう」
 かつての同僚であるアシュレイ・ライオットの告白に、彼女は小さく頷いた。驚くべきことでもなかった。確かに、彼もあの場に居合わせていたに違いないのだから。
 魔都で時折感じた不思議な気配。今ならそれが彼のものだったと理解できる。自分が心を読み取ることを覚えたように、彼は他者の意識を通じて情報を得ることを覚えた。
 そうして彼は散らばった真実の破片を集めていったのだ。誰にも拾うことのできなかった破片を拾い、繋ぎあわせ、一枚の絵を作り上げた。
 だが、絵が「何を」描いたものなのか、それを知り得ることはできない。絵は彼の心にのみ存在する。おそらくは、数多の眠れる魂と共に。それが魔を継いだ彼に要求されたことだった。
 哀しいと評した者の魂もそこで眠っているのだろう。
「──彼は、哀しみを抱えたまま?」
 彼女は訊いた。訊きながら視線の端で新たな継承者となった男を見やる。男は件の無表情で前を見据えたまま動かない。
 多分、違うのだろう。沈黙の間に、彼女は己が繰り出した答を思う。答に理由はなく、ただそう思った。 寧ろ、そうであってほしいという願いかもしれなかった。
 真実か嘘か。
 人に押し付けるということは、己にも押し付けるということ。
 「彼」は、誰よりも自分自身に意識を押し付けていた。
 ──それを哀しいと思ったのだ。
 ふと思い出したのは、そういうことだった。
「それについては、分からない」
 やがて男は問いを返した。視線を僅かに彼女に向け、何かを思い出すような顔つきで言葉少なに語った。
「だが……何らかの答は導き出したようだった。それを俺は聞いただけだ」
 それきり再び口を噤む。己が語ることではないのだと言いたげな彼の素振りに彼女は苦笑すると、そうね、と相槌を打った。
 知り得ているが、語ることではない。他の誰でもない「彼」にしか真に知り得ず、語れない──語ってしまえば途端に価値を失ってしまう──、故に語らない。ただそれだけのことなのだ。
 「彼」は語るべき相手に語ったのだろう。そして、おそらくそこに哀しみはなかったはずだ。
 やはり理由はなく、ただそう思った。

 軋んだ音を立てて酒場の扉が開かれる。今日の仕事を終え、憂さを晴らしに来る者達がそろそろ集う頃合いか。
 立ち上がると、キャロはアシュレイを見下ろした。年に数回、互いの情報を交換し合うだけの相手。その相手と、こんな会話をしたことは今までなかった。そしてこれからも。
「また連絡して。あなたが、必要と思った時に」
 別れ際の彼女の言葉に彼は頷き、軽く手を挙げた。
 それだけで、彼らは別れた。

 ──物語は静かに、誰の手も届かぬところで続いていた。

あとがき

割とキャロさんが感傷的ですが、彼女もまた何かの拍子にあの時の出来事を思い出していくのではないかなと思っています。今回はシドニーのことでしたが他にもあれこれと。アシュレイみたいに一応自分の中で物語が帰結しているのとは違って、まだそこまで到達していない彼女にはいろんな見方からこの出来事を追っかけてほしいなあと思っていたり、多分そうなるんじゃないかと思ったり。

2001.07.26