A SUNNY DAY

 突き抜けるような空の蒼は、既に大分その色を失っていた。

 僅かに開かれた窓から滑り込んだ風がはたはた、とカーテンを揺らす。穏やかな陽射しに照らされ、十分に暖められたそれは優しく室に馴染んだ。窓の外では木立がさわさわと葉ずれの音。
 音は不意に大きくなり、そして止んだ。
 奇妙な静寂が広がり、老人はうっそりと顔を上げた。陽の光は色を変え、不可思議な黄金色があたりを染め上げている。
「……雨が近いのかもしれませぬな」
 老人の視線の動きに気付いたのか、入室を許された男が口を挟んだ。いっときの間に止んだ風はまた吹き始め、窓をかたかたと鳴らす。僅かな冷気を孕むその流れは躰に障る、と窓は閉められた。
 窓が閉められ、外界と遮断されてしまうとまた奇妙な静寂がこの場を包む。追憶色に染められ、時は止まるか戻ったかのよう。
 そんな室の中でも一際光のあたる壁を老人は見つめていた。正確には壁にかかっている絵を、である。
「……突然の頼み、無理を言ってすまなかった」
 ふと、老人は口を開いた。絵から視線を少しも動かずに。
「いえ。自分の作品が世に出るということは、絵師として幸いなことです」
 老人の言葉に応え、絵師もまた自らの描いた絵── 一枚の肖像画 ──を眺めやった。
 絵は長い時を経てきたためか少しばかりくすみ、色褪せていた。しかしながら逆にそれらは、この絵に時の流れを感じさせるものである何かがある気さえ起こさせた。
 不可思議な雰囲気を持つ絵に描かれたは、今この室で病に伏せる老人の若き日の姿と美しい女、そして幼子。
 それはどこにでもあるような。
 そして実際、この絵は一枚ではなく。
「この絵を表に出すことはないと思っていたのだが」
 沈黙の後に老人は言い募った。声音に多分に含まれる疲労。その合間に滲む慈しみを察して絵師は微笑んだ。
 遠い日に闇に葬られた一枚の絵。
 手を差し伸べられた古い一枚の。
 まったく同じ構図で肖像画をと、この老人から絵師が望まれたのは、二月ほど前のことになる。彼はいぶかしみながらも絵を完成させ、つい先日老人の本邸に納めた。
 そして今日。
 彼は再び老人に呼ばれ、このグレイランドの別邸に参じた。老人の言付けに従い、手には闇に葬られた古い肖像画。
 同じであって同じでない、知る者もおそらくないであろう一枚の。
 人の手を借り老人の寝室に飾られたそれは長い年月を経てなお、その場にあったかのように静かに佇んだ。

 時は、光はゆるりとその歩を進めていた。
 黄昏時の陽光が老人の見つめる肖像画に陰を落とす。
 自分の描いた幼子が今どうしているかなどということは、絵師は知らない。話を聞いたことはなかったので、まもなくに儚くなったと思われた。
 故にこの老人は肖像画を仕舞い込み、表に出さなかったのだろう。もちろんそれは単なる推測にすぎないが。
 そして、今再び世に出したのはおそらく──―。
「……嵐も近い」
 絵師の思考は老人の呟きによって遮られた。
 枝が風にしなる。吹き付けたそれに叩かれ、窓枠が音を立てた。
「雲の流れも大分速くなってまいりましたから……おそらくは時を待たずして雨かと」
 窓の外、蒼かった空の色を埋めるようにして雲が覆うのを目で追いつつ、絵師は老人に語りかけた。
 応えはなかった。

 遠い日に闇に葬った絵。
 けして表に出ることのなかった一枚の。
 手を差し伸べた、いや差し伸べられた──―。

 嵐が。雨が。
 全てを覆い、洗い流す時がやがて始まる。

あとがき

肖像画の謎について。あの肖像画って別邸にあるんですよね、不思議なことに。ジョシュアと公爵と奥さんという構図ならば本邸にあってもおかしくないはず。ということで勝手に「怪しい」と思うようになった次第です。そんな経緯から別邸の肖像画について考えたのがこの話でありました。

2000.04.01 / 2001.07.12