MENDING FACT

 天空に架かる月が蒼ざめた光を朧に投げた、夜。
 そんな夜があってもいい。

1.

 雨なのに。いや、そのためか。
 石洞をそのまま利用したような酒場はその時間、活況を呈していた。
 雨宿りにと訪れる者。雨の不興を嘆く者。
 騒がしさに掻き消えそうになるギターの調べに頬杖をつく者。
「賑やかなことだな」
 空けたばかりのジョッキを弄び、酒場の片隅で彼女はぼんやりと呟いた。
「雨が長いからな。辛気臭いよりはいい」
 向かい合わせに座る男がとりなすように。しかし、彼女はそんな言葉に呆れ顔で応えた。
「……病み上がりのくせに飲み過ぎだぞ、ティーガー」
「あれくらい怪我のうちに入らんさ」
 ティーガーと呼ばれた男は笑った。そのまま一気にジョッキを傾け、代わりを要求する。
 実際はかなりの痛手を負っていた──。
 一週間前のことをティーガーは思い起こした。
 同僚であった神官・グリッソムとの戦いは困難を極めた。死後、いずれの経緯を辿ってか、自らの死体に入り込んでしまったグリッソムの魂はその瞬間から死霊と化した。そう、あのリスクブレイカーと一戦を交えた後だ。
 自らの死を否定し、現の事象をも否定した盟友。
 奴は何を思い魂を残したのか。いや、残す羽目となったのか。
 そして……。
「ティーガー……何を考えている?」
「いや、何でもない」
 適当に答えた。届いたジョッキを卓に置いたままぼんやりバンドを見つめるふりをした。
 そうして考えることはやはり一週間前の。
 次第に色が混濁し、最後に対峙した時には死人のそれと化していたグリッソムの瞳。魔都で起きた様々なる奇怪な出来事。それに関わる者達の行方。
 ──この真実を伝える必要がある!
 行動を共にした女コマンダーを先に行かせ、自分は「現実」と向き合った。「真実」を伝える役目はひとりでいい。そして、それは自分の役目ではなかった。
 己の為すべきは、決着をつけることだと。そのためには死をも覚悟した。
 腐臭が鼻をつく。腐りかけた肉を己の斧が断ち切る音。
 ものともせずにゆらゆらとグリッソムが近寄る。
 焦点のさだまらない、瞳。
「何がおまえをこうした……? 魔か?」
 答はない。
 グリッソムのスタッフが空を切る。すんでのところで躱し、ティーガーは骨を砕いた。
 神の代理人である聖印騎士が魔に触れるなど、あってはならないこと。何故奴は禁忌を犯した?
 魅入られたのは、魔に心奪われたのは。
 それは、魔都に足を踏み入れたというだけではないはずだ。
「それとも信……ッ!!」
 言いかけた言葉が詰まった。思わぬ力で強打された脇腹から血が滲む。
 聖堂を支える柱の数本が倒れ、砂埃が舞った。
 痛みで霞む目を据え、迫りくる盟友に斧を構え直す。汗で柄がずる、と滑った。
 手にその時の感触が未だに残る。
 肉と骨を断つ音。
 いっそそれは生者を斬るよりも生々しく。
 自らも数多の傷を負い、ティーガーは自問した。これはグリッソムの意思なのか?
 死を否定した友。だが、望んだのはこんな形での生ではないはず。
 無論、これは生者の目。だが──
『グリッソム……!』
 横凪ぎに一閃。血飛沫が飛び、胴体と頭が永遠の別れを告げる最中、暗がりに光が灯った。
『……グリッソム……?』
 ごふ、と崩れたグリッソムの躰から数多の光。彼を構成するすべてのものが光と塵と化していく。
 烈しい風が吹き、そうして次の瞬間。
 先に魔都を脱出し同僚の生還を待ち望む女コマンダーの前に、彼は立っていた。

 それからふたりはこうして共にいる。
「まあ、私はあんたが生きていてくれてよかった。……あれで死なれたら後味悪いからな」
「ニーチ、おまえさんがそんなことを言うとはな?」
 からかうように言うと、途端にじろりと睨まれた。
 傷だらけのティーガーを見て即座に手当てをし、看病をしたのは彼女だった。だが、とティーガーは思う。
 自分の負った傷はこんなものではなかったはずなのだ。
 死霊と化したグリッソムから受けた傷は、致命傷ともなりうるようなものもあった。しかし、強大な力によって彼女の前に飛ばされた時には既にそれはなく。ましてや傷ついた痕もなかった。
 ──考えられるのは、あの時吹いた風。
 あれは浄化の風によく似ていた。すべてを癒す風と強い力。おそらくはあの時「何か」が起きたのだ。
 「何か」とは?
 そして「真実」とは?
 休憩を取っていたバンドが再び演奏を始めた。同じようにぼんやり眺めていたニーチが顔を上げる。
「トリステッツァか。……好きな曲なんだ」
「ほう?」
 セパデアードとカスタネットに彩られ、奏でられるギターの音色には哀愁の中にどこか力強さがある。先ほどまで騒いでいた客達もこの曲は知っているのか静まり返り、石洞にはバンドの奏でるメロディが響き渡った。
 途中まで同じように聞き入っていたティーガーは、扉の開く音にふと視線を変えた。
「……?」
 雨に濡れた黒いコートを羽織る男がひとり、店主に何かを頼んでいる様子。少しのやりとりの後に男はスツールに腰掛けた。
 ──あれは。あの男は。
「おい、ニーチ」
 曲に聞き入っていた同僚の肩をティーガーは叩いた。何か、と見やる彼女に彼は親指でカウンターを指し示す。
「あれは……」
 男の姿を認めた瞬間、ニーチもまた顔色を変えた。頷き、ふたりは立ち上がる。
 物語は演奏への拍手と共に始まった。

2.

「なるほどな……大まかな経緯は分かった」
 雨は未だ止む気配を見せない。
 沈みがちな酒場の雰囲気をせめて盛り上げようと楽しげに演奏していたバンドも引き上げ、聞こえるのは囁くような話し声とグラスのぶつかる音。そして、氷の転がるような音。
 立ち込めるのは紫煙と雨の匂いだ。
 けして多くはない卓のひとつを囲み、ティーガーは確認を取るようにもう一度頷いてみせる。
 それは確認というより、飲み込みきれない事実を半ば強引に飲み込んでしまうためのものだったかもしれない。
 一週間前に起きた出来事に裏付けするような事実の数々を咀嚼するための。
 ぽつりぽつりと言葉少なく自分と同僚にそれらの事実を語った男……VKPのリスクブレイカー、アシュレイ・ライオットはもう話すことは何もないといった風情でグラスを傾けていた。
「で……」
 漂った沈黙を空になったジョッキと一緒に隅に押しやり、隣に座っていた同僚ニーチが話を繋げる。その表情を盗み見るとやはり彼女も多少の混乱を来たしているようだった。
「あんたはこれからどうするんだい?」
 ここで語った事実も語られなかった事実も抱えてこの男は何処へ行くというのだろう。
 魔を抱えて何処へ。
 自分達は行くべき場所がある。聖印騎士団の生き残りとしてやらねばならぬことも。
 見聞きしたことを正確に伝えるという役目を自分達は負っているのだ──、二人のコマンダーはそう感じていた。
 しかし、このリスクブレイカーは?
 アシュレイ・ライオットは表情を変えぬまま目線を上げる。そうして雨に溶け込むような声で逆に問い返した。
「……お前達はどうするというんだ?」
 言葉にふたりは顔を見合わせた。
 胸の内にある考えが浮かんだ瞬間だった──。

3.

 まさかそんな言葉を聞くとは。
 ニーチとティーガーは言葉に顔を見合わせた。正直、驚いたのだった。
 他人と関わりを持たない──他人に興味を持つことなどない──、アシュレイ・ライオットにはそんな雰囲気がある。それは誰かから聞いたものではなく、この狭い酒場で話を聞きながら彼らが思ったことだった。
 だが、依然対峙した時とそして今と。眼前の男が持ち得る空気が違うとしても彼らは気付かなかっただろう。気付くほど互いを重要視してはいない。
 故に驚きはあくまでも軽いもので。
「そうだな、それを今考えているところなんだが」
 ティーガーはそう言うと、卓に肘を突くのを止め大柄な体を反らした。暇そうにグラスを磨いているマスターに酒の追加を告げる。
 長い夜になりそうだ。
「……まだ、飲むのか?」
「そう呆れるな、ニーチ。……で、だ。ある程度の考えはある。あの街で起きたことを明らかにしたい。見聞きしたことを正確に伝える役目を負っていると俺達は考えている」
 立て続けに現れた異形の者。
 変わり果てた朋友。
 人が持ちうるはずもない不可思議な力。
 何故それらはレアモンデにこそあったのか。
 魔を「悪しきもの」と捉えてきたヨクスの地において、何故「魔」そのものが息づいていたのか。そして、それは「何処へ」行くはずだったのか。
 追求し、明らかにする必要があった。
「こんなところだ。お前は?」
「……託されたことを果たすつもりだ」
 再度の問いにライオットは短く答えた。省かれた主語は「誰から」託されたのかを暗に指し示す。彼に「魔」を託した者が同じように願いをも託したのだろう。
「それは?」
「……」
 ライオットは答えなかった。答えられないのか、答える必要がないのか。ティーガーとニーチは再び顔を見合わせる。
 ここで語った事実も語られなかった事実も抱えてこの男は何処へ行くというのだろう。
 何をするというのだろう。
 その身に負った「魔」を彼はどうしようというのか。
 そして、そんな男を目の前にした自分達の最良の選択は。
 運ばれてきた酒を各々の器に注ぐ。形ばかりの乾杯の仕種でティーガーは考えを口にした。
「……まあ、答えないという選択肢もあるだろうが。それはそれとして、俺達もお前に頼みたいことがある」
 勿論、断ってくれても構わない。酒を煽り、ティーガーは結んだ。
「ティーガー?」
「単刀直入に言おう。俺達の手助けをしてくれないか」
 瞬間、ライオットの目が僅かに見開かれたようにティーガーは感じた。同時に隣に座っていたニーチからも視線が飛んでくる。それは咎めるといった類のものではなかったが、やはり驚きの色が多分に含まれていた。
 それはそうだろう。VKPのリスクブレイカーだったアシュレイ・ライオットは今をもってしても確実に「敵」の位置にいる。
 だが、今をもってすればそれは非なることもまた、確実なことだった。
「俺達は事実をすべて目の当たりにしたという訳ではないからな。むしろ傍観者だ。傍観者にしかできないこともあるが、その前に情報量が絶対的に不足している。これではたとえ『真実』を明らかにしても異端者扱いされるのがオチだ」
「『真実』を明らかにするだけが目的ではないと?」
「ああ」
 ティーガーは頷き、同意を求めるべく同僚を見た。視線を受けたニーチは苦笑いを浮かべている。
「前もって受けるはずだった説明をすっ飛ばされてしまったな。だが、私からも頼みたい」
 ニーチは浮かべた苦笑を潜めた。そうしてかつての敵を見やる。
「こいつの言葉じゃないが……『真実』を明らかにしただけでは何も生まれないだろう。もしかすると、先に何かあるかもしれない」
 隠された真実を明らかにする、そんな綺麗事ではおそらくすまされない。
 予感があった。
「だがこれは……お前にもメリットのあることだと思うが」
「……いいだろう」
 じっと考え込むように伏せていた瞼を開くと、アシュレイは結論を口にした。ただし、と条件をつける。
「もしもお前達と相反することになった時は切り捨てるが」
「ああ、それでも構わない。いや、その方がいいだろう。……その方がいい。やってくれるか?」
 言葉に何を思い出したのか、ティーガーはニ、三度「その方がいい」と繰り返した。そうして、これで決まりだなと呟くとジョッキを再び掲げる。ニーチがそれに倣った。
 そしてアシュレイもまた。
 雨に沈む酒場に器のぶつかる音が響いた。

あとがき

これは多分にFFTのオーラン・デュライ氏を意識したものに…なるはずだったのになれなかったものです。
それにしてもこの3人が一緒に行動するなら、アシュレイからじゃなくてティーガーやニーチから近付くと思います。あ、でもそれは私が書くアシュレイさんがどこまでいってもやっぱりとっつきにくいためかもしれません…。

2000.04.13 - 2000.10.31