08 ふたつの世界についての考察

 ファイナルファンタジータクティクス(以下FFT)とベイグラントストーリー。メインスタッフがほぼ同じということもあって、このふたつの関係について考えてみた人はきっと少なくないはず。何といってもベイグラントにはFFTを彷彿とさせるものが数多くあるのです。
 ということで、【もしも】FFTとベイグラント、ふたつのゲームの世界が繋がっていたら。その場合の歴史の流れについて考えてみました。かなり強引&自己設定&推測入ってますので鵜呑みにしないようくれぐれもご注意を…。

それぞれの項目について

  1. グレバドス教成立…
    イヴァリースの国教であるグレバドス教に関してはまだ勉強不足のため、この図が間違っている可能性は高いです。が、長年隠れた存在であったゲルモニーク聖典がグレバドスの正当性を唱えるものではなくゾディアック・ブレイブの真実について解き明かすものだったため、実際には教会によって「隠されて」いました。
    一般的には教会が作成した「教え」が広く浸透していました。後にシモン・ペン・ラキシュによってゲルモニーク聖典の謎が解明されるに至りますが、自己保身と教会の権威の失墜を恐れた同氏は解明の事実を公開することはしませんでした。
  2. クレメンス公会議…
    フューネラル教皇が内戦中に死亡、以降教会は混沌としていましたが、戦争終結から5年後に新しい教皇を決める会議が開かれました。これをクレメンス公会議といいます。この会議の際、元南天騎士団の参謀位にあったオーラン・デュライが「デュライ白書」を公開。グレバドス教の根幹を揺るがすゲルモニーク聖典の真実、そして獅子戦争に教会が裏で深く関わったことを示唆する説を唱えるも、権威失墜を恐れた教会によって、異端者として火刑に処されます。
    その後、400年間デュライ白書は隠匿され続けてきました。
  3. デュライ白書の再公開…
    長い年月を経て、デュライ白書が再公開。それと前後し、白書著者の子孫にあたる神学者であり歴史学者でもあるアラズラム・J・デュライ氏が教会と白書の真実性について対決姿勢。氏の代表的著作である「ブレイブストーリー」は他の本と同様に教会の実体を暴露すると共に、当時の戦乱を真の意味で終結させ、その故に教会によって「異端者」の烙印を押されたラムザ・ベオルブ、ならびにデュライ白書の著者オーラン・デュライの名誉回復を訴えるものでもあります。
    また、氏は「魂」と「器」という言葉にたびたび触れており、これは彼自身のルーツを辿る上でも非常に興味深いものとなっています。
  4. キルティア時代終焉、ヨクス教成立…
    古代キルティアが終焉した後に誕生した聖ヨクスを開祖とするヨクス教は、神の偉大さや奇跡を教義としています。神の神聖さを唱えるが故に、それまで日常的な存在であった「魔」を邪悪な力、それを浸透させたメレンカンプを邪悪な存在と定義付け、自教の優位性を高めるためにこれらを排除する方向で活動を広げていきました。
    「魔」と密接な場所であったレアモンデをヨクス教徒の街とし、内包したのもその一環ではないかと考えられます。
  5. バレンディア内戦…36年前
    それまでのグルナス家の腐敗した専制政治に不満を抱いた諸貴族が、ナルザーク王家への国家主権変換を求めて一斉に蜂起。国全土を巻き込む内戦は2年に渡り続きました。結果、ナルザーク王家が勝利し、以来バレンディアは議会制が成立。この戦乱で多大な活躍をおさめたバルドルバ公爵をはじめとした一部の貴族が権力を拡大します。
  6. レアモンデ大地震…25年前
    ヨクス教徒が多く生活し、彼らはライムストーンを掘り、最高級ワインを製造することで生活の糧を得ていました。ライムストーンを掘り進めるために切り開いた坑道はアリの巣のように巡らされているといいます。しかし、大地震によって最盛期には5000人いたといわれる人口の大半が死亡、街はその機能を失いました。
    メレンカンプが造ったともいわれるこの街は元々魔との繋がりも深い場所でしたが、このことがきっかけで更にその繋がりは深くなったと考えられています。なお、最近になってこの地震の変異性に対する考察が数件報告されています。

 それぞれの項目に関する考察はとりあえず置いておくとして、このふたつの年表は一体どのように重なり合うのか。それに絞って考察を続けていきたいと思います。ここでポイントとなるのはA.J.Duraiことアラズラム・J・デュライ氏のルーツ。ベイグラント冒頭において魂と肉体の関連性についての考察をし、FFTにおいて隠された真実を解明した歴史学者さんですが、ふたつの世界を繋げるために、まずこの人が「イヴァリースで教会相手に対決姿勢を取ることになった経緯」について考えます。

 そもそも、イヴァリースが国教としているグレバドス教もバレンディアが国教としているヨクス教もそれぞれ一神教であり、他の神は認めていません。仮にヨクス=グレバドスだとすると、成立過程において自己の教えを広めるためにヨクス(グレバドス)がどのような手を使ったが分かります。すなわちそれがゾディアック・ブレイブにあたるわけですが、実際にはヨクス教は成立段階から魔を排する宗教であり、隠された事実とはいえ、魔と近い位置にいたグレバドス教と同一視するのはかなり困難といえます。
 また、グレバドス教教会上層部がその復活を果たそうとした聖天使アルテマは、ヨクス教では「堕天使」となっています。どうやら(デュライ白書が世に認められていないと仮定するならば)ヨクス=グレバドスという図式は成り立たない、つまりイヴァリースとバレンディアは同じ土地ではないということができるでしょう。

 さて、以降の考察では「このふたつの国は別の国である」と仮定し進めていきますが、そのように仮定した場合、次に問題になってくるのがふたつの国の「位置」です。

五十年戦争ではイヴァリースVSオルダリーア&ロマンダという図式が成り立った。イヴァリースとオルダリーアは同等、またはオルダリーアの方が国力は上と推測される。ロマンダは図では北に位置しているが、海を挟んでいる(らしい)ということ以外は不明。この他、東に行くとニンジャの国がある。

 一神教であるふたつの国が隣り合わせになっている、というのはかなり考えにくいことです。そうしたら互いに自分の宗教を広めるためにしょっちゅう宗教戦争をしていなければなりません(少なくともこのふたつの宗教の場合はそれが考えられます)。
 ということで、両国の間には緩衝地帯としての第三国が入ることになるわけですが、ここではその第三国としてイヴァリースの戦争相手であるオルダリーアを考えてみました。オルダリーアは上述のようにイヴァリースと対等な国力、あるいはそれ以上と考えられます。獅子戦争が終結し政権が変わったとはいっても、しばらくは睨み合いが続いたのではないでしょうか。もし、そうだとすると「相手の国に不利で自分の国にとっては若干有利な」事柄というのは「見て見ぬふり」をするかもしれません。中世のヨーロッパのように。
 ただし。これは国同士の話でして、おそらくは「オルダリーアもグレバドス教である」と考えられます。となると話はちょっと厄介になってくるのですが(宗教上の理由は何らないため、グレバドスの要請があれば異端者検問はあるだろうと推測)、獅子戦争を終結させたディリータ・ハイラルとデュライ白書の著者であるオーラン・デュライが反目しあっていた、はっきり言ってしまえばデュライ白書の目的の中に「現政権への批判」が込められていた場合にはこの件は考えなくてもよいと思います。
 話が前後しますが……今考えているのは「クレメンス公会議からのデュライ家の足取り」。白書の著者であるオーランから現代のアラズラムまで、デュライ家が一体どのように歩んできたか。教会にオーランが火刑に処されたとあれば、家族にも累が及んでいるはず。アラズラムまでデュライの血が続いているという事実を鑑みると、クレメンス公会議前にオーランの家族(誰だ!)はイヴァリースを脱出していると考えるのが普通です。

 そのようにして、オーランの家族が半ばオルダリーアに保護される形で国外へと逃れることは出来ても上述の理由により留まることは出来ないはず。何国か通過して安住の地を見つけた、というのが妥当です。
 それがバレンディアと私は考えています。よって上図ではオルダリーアの隣に位置しているバレンディアですが、何国か挟んだところにあると考えることもできます。ただ、数百年後の「現在」において「十二宮物語」が知られていたり(秘石に関する記述はバレンディアで広く知られている、と推考)「英雄」や「天騎士」の存在が知られていたりという事実、そして両国の建物の雰囲気から察するにせいぜい数国分の距離ではないでしょうか。

 何故デュライ家がバレンディアに留まったかというと、それはアラズラム・デュライ氏のコメントに原因を得ています。氏はおそらくイヴァリースに在住して数々の著作をなしたと考えられますが、ベイグラントの冒頭メッセージからも分かるように、かなりバレンディアの一般的な考えに基づいた考察をしています。要するに一代で考えが染み付くというわけではなく、何代も続いてこそ土地に根差した(あるいはヨクス教の教えが?)考えが彼の思考の源流になり得たと考えられるのです。
 もうひとつの考え方としては、ヨクス教が一神教であるが故にグレバドス教も排するための「切り札」としてのデュライ家…というのもありますが、今回は割愛。
 ベイグラント冒頭文章を見ると、アラズラム・デュライ氏はかなりヨクス教にも精通しているようです。おそらくはイヴァリースだけに留まらない、かなり高名な歴史学者だったのではないかな、とそう思います。

 色々言葉が足りないところもたくさんありますが、今回はこのへんで。FFT、ベイグラント…ふたつのゲームの「その後」と「教会」はどうなったのか非常に気になるのでありました。

2000.04.20