何だか色々考えて今頃寒くなってる次第です。本当は何かSSのような形で書ければよかったかなーと思うのですが、書きたいので書いてしまう。日曜日に放送したNHKスペシャル「世紀を越えて」を見て色々思ったことです。同じことをぐるぐる語っている、そんな気もしますが…
あくまで推測の域を出ないのですが(まあ、ベイグラントは推測中心だからいいんですが)シドニーの生誕は「魔を抑え切れない&更に利用しようとした」公爵が考え出した自身のクローン化に端を発しているのでは。
そうすることによって魂を共有し(結びついた魂?)純粋な「魔」の要素を自身の「端末」であるシドニーに移し、メレンカンプ以来ともいわれるほどの魔力を復活させた。しかも、魂をリンクさせていることで「主(マザーコンピュータ)」である公爵の命が途絶える際には「従(端末)」であるシドニーもまたその命を失う。要するに「魔を従に奪われることなく、消滅させることができる」ということがこの時点で可能になります。
あう。しかしこれは悲しい。でもまだ続きます。
そのようにして誕生したシドニーでしたが、ひとつ問題があります。彼が語る「僕が生まれた時、父さんがそうしてくれたように」という言葉です。これは何を意味するのか。そして「俺の四肢は魔(神?)に捧げたのさ」という言葉。上述のような経緯を辿れば「助けた」どころか「利用した」になってしまいます。
そこで推測。多大なる魔力を持ち生まれてきたシドニーは、その強大な力のためか魔に半ば命を喰われた状態で生まれてきたのではないでしょうか。故に「生命」を体の隅々まで行き渡らせることが出来ず、四肢は壊死していた。しかし、それでもなお貪欲に魂を貪ろうとする魔をくいとめるべく、公爵は大地震を起こした……おそらくそこに働いた心理は「今この子供を失えば多大な損失を被る」という打算的なもの以上にやはり「我が子なのだ」という精神回路が発動したから。と信じたいです。
しかし、このような事情とシドニーの心情はまったくの別物です。父である公爵の思惑も知っていたでしょうし、ある程度理解してもいた。自分にも「命の重み」はなかったが、しかしそれはギルデンスターンの語るそれとは違うと信じていた。そして彼は何より自分という存在が生まれてきたことを恨んだりはしていない。していれば大聖堂屋根裏であんな幻影は現れないはずです。
彼は自分が生まれてきたこと、そして消えていくはずだった命を「助けて」もらったことを心のどこかで感謝してきた。すべてを肯定することはできなかったと思います。でも、だからこそ病に伏した父を助けようとした。だけどこの行為はもしかしたら父親には「クーデター」に映ったかもしれないですね。「従」は「主」を越えてはならない……魔を利用しようとし、その力を欲する「分身」の姿は公爵から見ればもっとも危険な存在です。故に彼は息子から力を得ることを拒み、魔都をだれにも渡すなときつく命じた。それを聞いたシドニーの心境は複雑かつやるせないものがあったでしょう。
このようなプロセスのもとに公爵邸襲撃事件が起こるわけですが、主な要因は#2に挙げたとおり。今回はそれに至るまでの経緯を(かなり独断&偏見が入りましたが)考えてみました。
シドニーは自身の消滅も知っていた。故に後継者を探さなければなりませんでした。それは多分にジョシュアを意識したものだったでしょう。魔都に漂う魂は自分と結びつくはずもなく、それはジョシュアも同様だった。「不完全な死では意味がない」と語るのはそこにあります。
でも本当は最初からシドニーは「結びついた魂」として自分を贄とし、ジョシュアを後継者にするつもりじゃなかったのかな……そんな風に思います。言ってることが#2と違うんですが。しかし初めて顔を合わせただけでは(たとえ血が繋がっているとしても)魂の繋がりを求めようもなく、また、ジョシュアにそこまでの適性はなかった。
しかし、同時にシドニーはとある人物を発見します。言うまでもなくそれがアシュレイ。何故アシュレイが魔都の後継者に成り得たのか。それは今度トピックを変えて(もしくはSSで?)語ってみたいと思います。
最後に。もしも公爵がこんな人間だったとしたら、物語冒頭で従者に命令した彼と、シドニーを静かに迎えた彼とではまるで別人です。一週間で公爵の心境は何故変化したのか。事象の移り変わりだけではないと私は思うのです。「誰か」が「何か」を言ったのかもしれない。そんな風に考えたりするのですが、どうでしょうか?
2000.04.26