Before Wedding

「女王陛下にとりましても、臣や民にとりましても、今日は佳き日となりましょう」
「……ありがとう」
 礼をとって女官が告げるのを、オヴェリアは鏡の中の自分を見つめたままぼんやりと頷いた。その応えを待ち、女官や侍女達は心得たように静々と下がっていく。オヴェリアは見送らなかった。
 すべてがどうでもよい、と鏡越しの自分はそう言っている。浮かべている表情は常と変わらぬ憂い顔、こんな衣装──婚礼衣装を着た者が浮かべる類の顔ではなかった。
 それでも。
 自分の表情がいつもと少しばかり違うことに、オヴェリアは気付いていた。

 鐘が鳴り響くのと同時に、扉を叩く音がした。次いで、衛士が来客を告げる。
 諾、とオヴェリアは応えた。そうして鏡の中の自分を一瞥し、客人を迎えるために立ち上がった。
「やあやあやあ、女王陛下におかれましては、ご機嫌麗しゅう存じます。いつもお美しいと思っていましたが、今日このときの陛下はまるで女神のごとく。これはあの若ぞ……ハイラル殿も陛下の前にひれ伏すのではないでしょうか。そう、何もハイラル殿に王冠を渡す必要はないのです、陛下が」
「ミランジュ、ありがとう」
 無礼にも大股に歩み寄ってくる男の長口上をオヴェリアは遮った。その声色に男は一瞬鼻白んだが、すぐに薄い笑顔をつくり、そこでようやく礼をとった。
「……ついにこの日が来ましたことを元老院を代表して私、ミランジュがお祝い申し上げます」
「……ありがとう」
 今日はこれしか言っていない、とオヴェリアは思った。他の言葉を告げれば彼らが困ると思うと、棒読みでもなんでもよいからこう応えるしかないのだが。
「それにしても、ですが」
 オヴェリアの言葉をどう受け取ったのか、ミランジュは肩を竦めた。
「陛下にお伝えするか否か、拙めは迷ったのでございます。それでもやはり今しかないと思えば、こうして参じたのでございますが……もしご厚情をいただけますならば、元老院の総意をお聞き届けくださいますでしょうか?」
 窺うようにミランジュは言ったが、その言葉の強さにはオヴェリアに否やを言わせないものがあった。
「陛下のお心は既に定まっておられるとはいえ、この婚姻に元老院は異を唱えます」
「……」
 オヴェリアはミランジュの言葉に表情を変えぬよう努めた。繰り返し聞かされた言葉が故に、そうすることは容易かった。ただ、呆れはしたが。
 鐘が鳴る。
「ハイラル殿は陛下には釣り合いません。英雄と祭り上げられてはおりますが、所詮は平民の成り上がりです。粗野なところもあり、野心家。いつか陛下をないがしろにするに違いありません。それに」
「……」
「奴には黒い噂があるのです。──異端者と通じていた、と」
 いつもどおりの「諫言」の後にミランジュが放った言葉に、オヴェリアは眉をそびやかした。その一瞬の動揺を見逃さなかったか、ミランジュが笑う。
「ですが、ご安心ください。ハイラル殿に直接尋ねたところ、奴はそれを認めました。まあ、随分と居丈高な態度ではありましたが。しかし、奴はこうも言ったのです」
「……ディリータは何と言ったのですか?」
 声が震えた。知らぬ間につくっていた拳に爪が食い込む。
「利用しただけだ、と」
 ミランジュのねっとりとした囁き声が告げた言葉は、オヴェリアが予想していたものだった。そして、聞きたくない類のものでもあった。
「やはり奴はそういう者なのでございます。異端者とどのような間柄かは知りませんが、利用しただけだ、と。我々に対してもそうです。奴はすべてを利用してのし上がった……、ですので、我々は危惧するのです。陛下にも」
「滅多なことを言うものではありません、ミランジュ。貴方は国王となる人間に唾を吐いているのですよ? それは、彼を認めた私に対しての行いとも同義……。あまりにも礼を失している」
 睨んだオヴェリアにミランジュが沈黙する。その空白を埋めるように鐘が鳴った。

 ミランジュが去った後、オヴェリアは再び鏡を見た。
 やはり、婚礼の日の表情ではないと思う。先刻、僅かにだが浮かんでしまっていた喜色も消え失せていた。
 囁かれた数多の声に心が揺れる。信じろ、と言い切った彼の言葉に心が揺れる。
 信じろ、とオヴェリアは自身に言い聞かせた。──今は、まだ、大丈夫。
 こぼれ落ちかけた涙をすくい、そうして鏡に背を向けた。

あとがき

エンディングでディリータが国王になっていた(と思う)のですが、となるとオヴェリアさまはディリータに王冠を渡したわけで、そうするためにはポンと渡すわけにも(対外的に)いかないわけで、やはり結婚したのだろうと思っています。しかし、戦後の混乱のどさくさに紛れて結婚&即位までこぎつけたいとディリータは思っていたでしょうから、準備も整わなかったのではないかなとも思うのですが、そのへんについては書き切れず…。

従来の権力者達にとっては、ディリータ・ハイラルという若造は邪魔者以外の何者でもありません。なので、ディリータが気付かないところでオヴェリアさまにはあれこれと結構囁いたのではないかな、と思います。そのなかで「異端者うんぬん」の話も出てきたのかも。どうしてもエンディングのオヴェリアさまの「ラムザと同じように…」というセリフが突然出てきたように思えて、「姫様、誰からラムザの話を聞いた?」と思ってしまうのです。オーランやアグリアスさんの線も考えたけど、彼らがそんなことを言うとは思えないのですよね。となると、誰が彼女に囁いたのか?

…うーん、あれこれ考えると止まらなくなる…。どこかのタイミングでこのエピソードの補足話を書ければいいなと思いますが、さてはてどうなるでしょうか。

2021.09.18