Comet

 机の上に山積みになった書簡や出しっぱなしの何冊もの書物を眺め見、オーランは溜息をついた。
 行き詰まっている、と思う。重要なことを見落としているのは確かで、しかしそれが何なのか分からない。先の戦乱における教会の動向は既に把握済みだし、それに立ち向かった「勇者」の真意も今は理解している。
 後は、「事実」という点と点を線として繋ぎ、さらにそれを「真実」という糸に撚っていくだけ。……その先はいつか誰かがやってくれるだろう、そう願っている。
 それなのに。
「どうにも、うまくいかないな……」
 ひとりごち、かぶりを振った。インク壺に蓋をし、羽根ペンを片付ける。書簡を選り分けておくのは面倒で、どうせ明日また出すのだからと鍵付きの文箱に突っ込んだ。書物も同様に、とりあえず重ねておくだけにした。
 これまでもこういうことはあった。膨大な事実に溺れそうになったときや、そこから導き出される真実への恐怖を覚えたとき、そして「未来」という時間が自分にはないのだとふと思ったとき。
 乗り越えられると思っているし、思ってもいた。だが、実際にはどうだ。頭は空転し、手は止まったまま。羽根ペンからインクが滴って、貴重な紙を汚してしまった。
 ――逃げ出したい。
 頭をもたげた考えに苦く笑う。それこそが恐ろしかった。自ら望んだことを果たそうとしない自分が怖かった。知り得なかった真実を知りたいとあれほど強く願ったのにもかかわらず。
 再び溜息をつき、散らかった机から目を背けた。そのまま窓の外を眺めると、夏の短夜もようやく闇を得たようだった。燭台の灯火を吹き消すと、その闇が部屋にも落ちる。
 もう寝てしまおう、とオーランが書斎の扉に手をかけたそのとき、扉が開かれた。


 夢見が悪くて、と書斎を訪れたバルマウフラは言った。
 居間に移り、蝋燭に火を灯す。ぼんやりと映し出された彼女の顔色は冴えなかった。
「早寝しすぎたのかしらね」
 そう言ってどこか力なく笑った彼女にオーランは寄り添った。夏だし、暑いだろうかとも思ったが、邪険にされることもない。「いつもの」彼女を思うと少し不思議ではあったが、そんなときもあるだろうとも思う。自身が参ってしまっているのと同様に、彼女もまた不安定なようだった。
 話そうとしない限り、夢の内容は聞かないほうが良いだろうと思い、オーランは彼女を軽く抱きしめた。
 そうして努めて明るい声色で語りかける。
「気分転換に星見はどうだい、バルマウフラ?」


 家から程近い森の中にぽっかりと空いた「星の広場」。詮無きことを話しながら草の上に寝転ぶ。そうして空を見上げてみれば、宝石箱をひっくり返したかのような賑やかさの星夜だった。
「星並びは結構覚えたのだけれど」
 すう、と深呼吸してバルマウフラが言う。くどいほど何度も聞いたから覚えてしまった、と続けて小さく笑う気配がした。
「それは嬉しいな。はじめは興味なさげだったからね」
「なさげ、じゃなくて興味なかったのよ。星詠みは胡散臭くて嫌いだから」
「随分と辛辣だね……」
 ぽんぽんと言い返してきた彼女に苦笑し、オーランもまた深く息を吐いた。
 占星で自らの――そして世の運命を諮ることについて、オーランは懐疑的だった。バルマウフラが暗に言うように、人の世の流れは結局は人そのものが作っていくのだと思う。特に、異形が消えた今では、星は「ただそこに在るだけ」なのだと。
「でも」
 バルマウフラは空に手を伸ばした。あの星、とそうして南天を指す。そこには夜空のどの星よりも眩く光る箒星があった。
「あれは何? あんなの、見たことないわ」
「ああ……あれは」
 ごく僅かに揺れる声色で言う彼女の不安は、この星から来ているのかもしれない。「いつもは」見えないはずのものが見えてしまう恐怖。
「彗星だね。名前は分からないけれど、たぶんそうだと思う。巡り星とは成り立ちが違うと言われていて……でもこれほど明るいのは僕も見たことがないな」
「貴方でも知らないことがあるのね」
 くす、と彼女が笑う。
「それは勿論そうさ。……いや、知らないことばかりだ」
 つられて笑みを浮かべかけたオーランだったが、自ら口に出してしまった言葉でその笑みを消した。最後は尻すぼみになってしまった声音を不思議に思ったのだろう、バルマウフラが星闇のなかでこちらを向く。
「オーラン?」
 名を呼ばれたが、オーランはすぐには答えられなかった。無言のまま箒星を見つめる。
 箒星もまた、巡る星なのだと古い文献にはあった。長い年月を経て、この世界に再び姿を見せる稀有な存在。ただ、それはいつになるのかは分からず、不可思議な星。
 ――未来に届く、未来を見る星。自分が為し得ない、未来。
「……また、面倒なこと考えているでしょう」
 バルマウフラはそう言い、オーランの手を数度軽く叩く。その優しい感触に、オーランは我に返った。
「知らないことがあったっていいじゃない。辛いことや苦しいことから少しばかり逃げてもいい」
「バルマウフラ……」
 でも貴方は。彼女は続けた。
「きっと、逃げないわ。自分の願いに結局は忠実に生きる……そして、私はそれを見届ける」
 オーランはようやく彼女に目を向けた。
 交わした「契約」があった。揺れるだろう心を繋ぎ止めてほしいと、自由の身になった彼女に乞うた日のことを思い出す。
 自らの想いを、考えを、先のない未来を。そうしたたぐいのものを彼女にすべて明かしたわけではない。それでも何か感じるところはあるのだろう、彼女はまたオーランの手を叩いた。
 その手を取り、そうして繋ぐ。
 いつか、遠くはない未来。命を終えるそのときに、このぬくもりを忘れぬように。
「ありがとう」
 掠れてしまった声でオーランが言うと、どういたしまして、とバルマウフラはすました声色で応じた。
「だけど、オーラン? 逃がすわけにはいかないこともあるわ」
「え? ……痛ッ」
 ぎゅう、と手の甲を抓ってきた彼女に、オーランは嫌な予感がした。このままだと何かしらの説教が飛んでくることは請け合いだ。
「さっき、ちらりと見たけれど。あの部屋の散らかり具合は何?」
 ――やっぱり。
 身を起こしておどろおどろしく言うバルマウフラに神妙に向き直り、しかしオーランは愉快な心持ちになった。
 いつか、遠くはない未来。すべてを終えるそのときに、このやり取りも懐かしく思い出すだろう。
「もう、聞いてるの?」
 笑みは伝わってしまったらしい。きつい口ぶりになった彼女を引き寄せて腕に閉じ込め、オーランは「聞いてるよ」とささやいた。

あとがき

2024年オーラン誕生日記念話です。別ジャンル用の資料(星関連の本)を読んでいたら頭の中にオーランが出てきまして、そういえばもうすぐ誕生日だ!とそのまま資料を読みつつ思いついたのが本作です。

探究の旅に行き詰まってしまったオーランですが、本当になんで白書公開に至ったかの真相を知りたいです…。自分から公開したんだろうと思っているのですが、支援者とか教会暗部とか色々な人に嵌められた説ももしかして?

彗星といえば、年代的にハレー彗星かヘール・ボップ彗星なのですが、昔々の人々にとっては彗星は恐怖の対象だったらしく(地域によって異なりますが)、その点もうちょっと書ければよかったなと思っています。

2024.7.6