Indefinable Relation

「あ」
 聞きようによっては間抜けな響きを帯びた同居人の声に、オーランは旅支度の手を止めて振り返った。
 同居人──バルマウフラは窓を見つめていた。いや、正確には窓の外を。
 つられて、彼女の視線の先を追う。誰か来たのか、あるいは何か気になるものでも見つけたのかと思ったのだ。
 だが、それらしきものは何もない。訪問者の姿はなかったし、あやしげなものもなかった。見えるのは、家をぐるりと囲んで閉じ込めてしまうような木々と、木々から落ちる枯れ葉だけ。
 冬の気配を感じさせる風は、少しばかり強く木々を揺らしている。ついでとばかりに、この家も。カタカタと窓の木枠が音を奏で、黒木の梁も呼応するかのように軋む。さっきからなんとなく冷えるなと思ったのは気のせいなどではなく、どこかから入り込んだ冷気によるものだろう。冬の備えを進めておいたのは正解だった。
 とはいえ、気にかかる何かがあるようでもなかった。
「バルマウフラ?」
 呼びかけてみたが、彼女はオーランを見もしなかった。ぱちぱちと忙しなく瞬きをすると、視線を机へと移す。彼女にしては大股で部屋を横切り、そうして机の上に置いてある暦を手に取った。
 ぱら、と暦を一枚めくる。何なのかオーランにはさっぱり分からなかったが、彼女の目当てはすぐに見つかったらしい。口元に人差し指を寄せるいつもの癖を見せながら暦をじっと見つめ、彼女は考え込み始めた。
「どうしようかしら……」
 唸るように呟く彼女をオーランはどうしたものか迷った。もう一度声をかけるべきか、そっとしておくべきか。おそらくは見て見ぬふりをするのが正解なのだろうが、好奇心が邪魔をする。ついでに、彼女が自分を無意識に無視するような態度を見せたのも気にかかった。普段でも彼女が無視することは多々あるが、それは意識的に彼女がしていることだから別段気になるようなことでもない。……こうして改めて考えてみると、おかしな話ではあるが。
 好奇心と、ほんの僅かな疑心。オーランの良心がそれらに負けようとした矢先。
「ねえ、オーラン」
 彼女から不意に声をかけられ、オーランは我に返った。
「な、なんだい?」
 慌てて応じたためにみっともなくも上ずってしまったオーランの声色は、バルマウフラにそのまま伝わってしまったようだった。オーランが取り繕う間も与えず、彼女は呆れ顔を見せた。
「何をボケっと考えていたの? 旅の支度は?」
「え? ああ、もう少し……」
 ボケっと、というのは少し酷いなと思いながらオーランは答えた。考え込んでいたのは自分ではなく君のほうじゃないかとも思ったが、言うとやぶ蛇なような気がしたので、どちらもぐっと飲み込む。
「そう? それなら、ついでに頼まれてくれないかしら」
 その内心はさほど気にならなかったのか、バルマウフラは腕を組んだ。自身の二の腕を指先でトントンと叩き、小首を傾げる。
「何を?」
 オーランが問うと、ん、と彼女は頷き。
「荷物の配達をね」
 そうして、悪事を企む者のような笑みを浮かべた。

「……これは?」
「さあね?」
 包みを手にした男の訝しむ声に、オーランは肩を竦めて返した。
 自分で考えても不敬極まりない返しだったが、幸いにもこの場には男と自分しかいない。人払いをしたのかと思ったが、他者を厭うふしのある男は常にこうなのらしい。
 そして、自分はこの男に膝を屈したつもりはないのだった。
「俺は彼女から託されただけだ。そいつをお前に渡してくれと」
「はあ」
 男は神妙な顔つきで包みを眺めやっていたが、オーランがそう答えると、どこか気の抜けた返しをした。
「開けるぞ?」
「どうぞ。別に俺に許しを得なくてもいいと思うがね」
 投げやり気味になってしまったオーランの返しに、男は眉根を寄せた。包みを結わえた青いリボンを解く手を止め、こちらを見やる。
「嫌なのだろう?」
 揶揄するような響きも持ち合わせていたが、男の声色は不思議と穏やかだった。珍しい、とオーランはその声色に思う。それと同時に、何故か居心地の悪い気分になった。
「……嫌か嫌じゃないかと問われれば、そりゃ嫌さ。大体、おかしいだろう」
「まあ、そうだな」
 オーランの指摘に、男は素直に頷いた。それもまた珍しいことだった。
 彼女の言葉を思い出す。
『もうすぐ誕生日なのよ』
 暦に記された数字を弾いて、彼女は笑った。
 誰の? 心当たりがないのでそう尋ねると、ディリータよ、と事もなげな応え。
『たぶん、色々と言うわね。でも、受け取りはするでしょう』
 何を送りつけようかしらね? 傍らに立つ自分の戸惑いなど気にせずに彼女はそう言うと、気に入りの椅子に座った。トントン、と指先が腕を叩く。
 彼女の思考は一足飛びのようだった。自分を置き去りにして、どんどん先に進んでしまう。色々と訳が分からなかった。
 荷物の配達。ディリータの誕生日。荷物とは、その贈り物だろうが……彼女はこうした祝い事に長けていただろうか。
 自分のときは、と思い返してみる。何かの話のなかでお互いの誕生日を教えあったことがあった。どちらも夏生まれだったので奇遇だと笑ったが、そのときは残念なことに夏は過ぎていた。
 来年は、という話にはならなかったと思う。
 それなのに。
『バルマウフラ、ちょっと待ってくれ』
 心に広がる靄を感じながら、彼女を呼び止めた。我ながら少し驚いてしまうほどに固い声色になってしまったが、彼女にもそれは伝わったのだろう。目を瞠ってこちらを見やった。
 そうして告げた、自分の問いと心の内。そうして聞いた、彼女の応え。
 それは──。
「不思議そうだったよ」
 首を軽く振り、オーランは壁に凭れかかった。行儀の悪い行いだったが、咎める者はやはりいない。男──畏国王ディリータ・ハイラルも止めはしなかった。
「ほう」
「『何が悲しくて別の男への贈り物を届けなきゃならないんだ』。そう告げたら、さすがに気付いてくれたが」
 彼女とのやり取りを思い出し、オーランは溜息をつきたくなった。
「くれたが?」
「……すべて理解してくれたとは言い難いな。何故か知らないが、嬉しそうだった」
「そうだろうな」
 あっさりと得心したディリータをオーランは睨んだ。何が、と問い返そうとしたが、その前にディリータが続ける。
「状況のおかしさはさておき、お前が「誰か」に嫉妬したこと自体がバルマウフラには嬉しかったのだろう」
「……」
 ディリータの推測はオーランも考えたことだった。きっと、それは当たっている。
「とはいえ、あまり褒められるような行いでもない。指摘されるまで気付かなかったとしてもな」
「……ああ」
 あのとき、悪事を企むように彼女は笑っていた。自分にとってはそれはまさに「悪事」だったわけだが、彼女の企みの矛先は自分ではなかった。そのことにもまた、名状し難い思いになって。
「罪作りなことだ」
 笑うディリータに、オーランは今度こそ溜息をついた。
「まったくだ。……俺は確かに渡したからな」
 壁から身を離し、包みを指差す。役目は終えたのだから、ここに留まる理由もない。そう思って扉に手をかけようとしたオーランを止めたのは、穏やかな声色だった。
「前に」
 独り言のような具合の言葉だった。そして、述懐の声色。振り向いたオーランを見やるでもなく、ディリータは手元の包みを弄ぶ。
「誕生日祝いの品を携えて、南天の陣までラムザが忍んで来たことがあった」
「……ラムザが?」
 告げられた禁忌の名に我を忘れてオーランが問うと、ディリータは目を細めて頷いた。
 常日頃の見えぬ仮面は、その表情にはない。
「無論、入り込めるはずもないから、奴は城壁の前でうろうろとしていたらしい。それを、バルマウフラが見つけた」
 何を贈るか散々悩み、周囲も巻き込んで最終的にラムザが選んだのは、星まわりのワイン。
 毒殺でもするの? そんなふうにからかった彼女に、彼もまた笑ったという。そうして、いくつかのやり取りの後にその贈り物を彼女に託した。──ひとり酒は寂しいだろうから一緒に飲んでくれないか、という言葉とともに。
「結局は、ほとんど飲まれてしまったがな」
 緩やかにディリータは笑い、オーランを見た。
「ああ、なるほど」
 ディリータのその笑みに僅かに危うさを覚えたが、オーランは自分の好奇心を無視した。これ以上踏み込むべきではないと思い、話の方向を「今」に戻す。
「彼女が誕生日祝いに「それ」を選んだのが何故なのか、ようやく分かったよ。少し不思議ではあったんだが、なるほどね」
 大仰に頷いてみせたオーランに、ディリータは顔をしかめた。
「中身を知ってるんじゃないか」
「知らないとは一言も言ってないな。何だと思う?」
 ふと愉快な心持ちになり、オーランは問うた。隠そうともしなかったためにそれはそっくりそのまま伝わったらしく、ディリータがますます嫌そうな表情になる。
「さあな。酒とも思えんが」
 酒瓶が入っているにしては軽い。ディリータはそう続け、再びリボンに手をかけた。はあ、とよく分からない溜息をつき、包み紙を丁寧に開いていく。
 おや、とオーランは思った。リボンも包み紙も雑に扱うかと思ったが、真逆の慎重さでディリータは包みを解いていった。妙なところで神経質なのかもしれない。
「……ちょっと意外かも」
「何が」
 呟きを聞き咎め、ディリータが睨む。不服そうなその表情がまたおかしかった。
「いや、なんでも?」
 緩みそうな頬を引き締めてオーランはうそぶいた。
「……知ってはいたが、やはり変な奴だ」
「お前ほどじゃないが」
 呆れ混じりの声色で呟いたディリータにオーランが即座に返すと、ディリータは「知らぬは己ばかりなり、だな」と嘲りの笑みをつくった。
 ──今日は色々と面白い。
 常のようで何かが違うその笑みもやはり面白かったが、オーランはこれ以上は何も言わないことにした。本格的にディリータの機嫌を損ねるのは得策ではない。それに、バルマウフラへの土産話にするには充分だった。
「……薬草茶?」
 包みから現れた茶筒を片手に、ディリータが呟く。
「ペパーミント、ローズヒップ、カモミール……。効能は、「二日酔い」?」
 ラベルを読み上げていく声色は不審そうだったが、「効能」に差し掛かると剣呑なものに変わった。
「何だこれは」
「書いてあるそのままさ。彼女曰く、『これから必要なものでしょうから』だそうだ」
 茶筒に成分と効能を書き込みながら笑った彼女を思い出す。それから、いつのことだったろうか、「てんで弱いのよね」とこき下ろしていたことも。
 自分には見せない類のその笑みに複雑な気持ちになったのは事実だが、酷い嫉妬や疑念は不思議と湧き上がらなかったのも事実だった。彼女と目の前の男が「何らかの関係」にあったとは思えなかったのだ。
 ……まったく別の、ある種においては秘められた関係ではあったが。
「嫌味か?」
「好きに受け止めればいいんじゃないか? 嫌味かもしれないし、思いやりかもしれない」
「……面白がっているだけだろう」
 物好きなことだ。ディリータはそう言うと、茶筒を机の上に置いた。
「彼女もそう言っていた。……さて、失礼するよ」
 いよいよ笑い出しそうになるのをすんでで抑え、オーランは再び扉に手をかけた。そうしてもう片方の手を後ろ手に振ろうとしたそのとき、「おい」と呼び止める声があった。
「お前からは?」
「え?」
 思いがけない言葉に振り返ると、ディリータが手のひらを上に向けていた。「悪事を企む者の笑み」で、何かよこせと続ける。
「誕生日祝いを? 俺から、お前に?」
 思わず呆けてしまった声で訊き返したオーランに、ディリータは頷いた。
「あるいは、砂吐き料だな」
「は?」
 さらに頓狂になった声で訊ねたオーランを挑発するように、ディリータの手がゆらゆらと揺れた。どこまで本気なのか、そして「砂吐き料」とは何なのか。ディリータの素振りがまるで分からずにオーランは首を傾げた。
「……似た者同士か。手に負えんな」
 それをどう思ったか、ディリータが呆れたように宣う。
「ツケにしておくから、いつか払え」

 ──後日。
「馬鹿じゃないの?」
 土産話の後に疑問を投げたオーランは、バルマウフラに盛大に怒鳴られた。
「貴方と一括りにされるのは御免よ。それに何? 散々惚気話をしてきたの?」
「え? もしかして、砂吐き料って……」
 ようやく思い当たるふしを見つけたオーランに、バルマウフラは首を振った。そうして背伸びをすると、同居人の頬を引っ張る。
 彼女の手は遠慮がなく、さすがのオーランも涙目になった。
「いひゃいよ」
「無自覚なのも大問題ね。渡してくれとは言ったけど……まさか、そんなことを、しでかしてたなんて」
 打ち震えながら一言一言を区切ってバルマウフラが言う。何が悪いのかとオーランは内心思ったが、それを訊くのは悪手だと知っていた。
 そして。
 変な話だが、こういう彼女を見るのは楽しくて、愛おしかった。
「……何を笑ってるのよ」
 拗ねた顔はそのままに、低くつくった声色で問うてきたバルマウフラをオーランは抱きしめた。君も大概だったよと耳元で囁くと、暴れる気配をみせていた彼女が動きを止める。
「な……」
 少しだけ身を離して覗き込む。はくはくと口を開け閉めするだけで何も返せなくなった彼女は、実に可愛らしくて。
「似た者同士だからね、仕方ない。ツケは倍返しでいつか支払おう」
 自分が。あるいは、彼女が。
 未来のすべてを口には乗せず、そうして彼女をもう一度抱きしめた。

あとがき

2023年ディリータ誕生日記念話でした。…すっかりオーバル話になりましたけれども!

タイトルの「Indefinable Relation」とは「名状し難い関係」という意味ですが、ディリータとバルマウフラの関係は男女関係にはないのではと思っています(そう思いたいのもある)。でも、なんとなく説明できなさそうな感じ。互いに心の底ではそう思ってはいないけれども、実は「同志」「仲間」という言葉も案外合っているのかもしれません。

なお、ラムザがディリータに誕生日プレゼントを持ってきた一連の話(「Dear Friend」「Grenache Sagittarius」)や、オーランの「倍返し」話(「Chocolate Rhapsody」)なども過去に書いていますので、興味があるぞーという方はあわせてお読みいただけますと嬉しいです。

2023.11.25