Seize the Future And Light

 じとりと恨めしそうな視線を背に感じながら、ムスタディオはすり減った石畳を歩いていた。
「こんな、ことに、なる、なんて」
「身ぐるみ剥がされるよりはマシだって、もう何度も言ったろ」
 弟子の大袈裟な嘆きに素っ気なく返す。こんなやり取りを数刻前からずっと続けてきたので、投げやりな返事になっても仕方がないとムスタディオは思った。付き合いきれない。
「ついてない……」
 ──いや、ついてるだろ。
 そう思ったが、後ろを歩く弟子の呟きにムスタディオは答えなかった。自分の弟子だから、どんな性分かは分かっている。ゴーグの機工士の典型例で、興味を持ったことならまっしぐら、寝食も忘れがちになって発掘やら研究やらに血道を上げる。その一方で世間知らずなところも多々あって、弟子は今回の旅でも様々な局面で事あるごとに絶句していた。……たとえば、街道を通るために山賊に法外な「通行料」を払うなんてこととか。
 確かに、出くわした山賊は自分達を値踏みしていた。頭のてっぺんから足の爪先まで眺め回し、装備や荷物なんかにも手を触れた。それだけで全身が縮むような思いになったと弟子は言い募るのだが、まあ、山賊がしつこかったことは否めない。
 質素な旅装に、山賊は何かを諦めたようだった。ここで追い剥ぎをしても得るものは少ないと踏んだのか、あるいはムスタディオが放った殺気に気付いたのか。ムスタディオが想定していたより若干多めの金品と引き換えに、山賊はザーギドスへと続く街道への「通行許可」を出した。
 それから数刻。
 山賊の根城は振り返っても見えなくなり、砂っぽい風と弟子の恨み言を背に歩き続ける。
 ところどころにある傾いだ道標を頼りに、国境の街であるザーギドスへと。

 旅のきっかけは、英雄王からの親書だった。
 親書はごく短かった。「ゼラモニアに赴き、話を聞いてくるように」と、それだけが走り書かれていて。
 いつものことながら、と工房で親書を数度読み返したムスタディオは天を仰いだ。
 端的で、強引で、こちらの都合などお構いなしで、何を考えているか分からなくて。
 振り回されている感は大いにある。あるが、しかし。
 溜息を長々と吐き、親書というにはあまりにも適当な紙切れを作業台に放り投げ、部屋を出る。
 向かう先は父の作業部屋。
 旅に出ることを告げるためだった。


 ……とある出来事を契機に、ムスタディオはイヴァリースの新しき王であるディリータ・ハイラルと面識を得た。それは、ムスタディオの望むところではなく、半ば強制的にでもあったが。
 国を二分した内乱も終わりそれから数年、徐々に訪れた平穏を誰しもが享受し始めた頃だった。仲間達との別れの後にゴーグへ帰ったムスタディオもまたそのひとりで、坑道に潜っては発掘品を改める日々を楽しんでいた。
 自分を慕う弟子も得、ゴーグを束ねる寄合からも認められ、最年少で機工師となった。そうした矢先。
 ──ゴーグの力が、地に足がついた知識が、過去から未来へと続く知恵が、ほしい。得体のしれない何かではなく。
 表情が読めない顔つきで、新王ディリータはムスタディオに言った。
 王城で。それから、何故か酒場で。二度。
 最後は自分が折れた格好になった、ムスタディオはそう思う。他人事のように自らを語る新王はどこかおかしくて、だが、彼が語る未来にはかすかな光があった。
 その光に賭けようか、不意にそう思ったのだ。再び世界を覆ってしまうかもしれない闇に立ち向かうすべを、光が欲するならば。ようやく訪れた平穏を、彼が守り抜くのならば。
 かつて、自分は親友と共にほうぼうを駆け巡った。「妹を助けたついでだよ」と親友は最後に笑っていたが、闇に沈みそうな世界を救ったのは彼だった。そう、かそけき光をすんでのところで掬い上げたのは。
 別れの平原で彼は言った。光を、未来を、託す。誰に、そう問いかけた仲間はいなかった。皆、知っていた。分かっていた。彼が想いを託したその先を。
 自分もそのひとりだった。
 彼の言葉はどこまでも自分の深いところに落ちていき──、だからこそ、彼が想いを託した男のまなざしに未来を見たかった。賭けたいと思った。
 託す、そう言った親友の言葉を信じていた。否、今も信じている。
 だからこそ。

「……ん?」
 己の不遇をひたすら憂いていた弟子の声色が変わったので、ムスタディオは回想を切り上げた。振り返ると、後ろを歩いていた弟子は片手を目元に翳して前方を見つめている。
「誰か、いますね」
 にわかに緊張を帯びた声で弟子が言う。反対の手で指し示したその先をムスタディオは追った。
 見えるのは、今日の目的地であるザーギドスの街。イヴァリースのどの街にもある教会の尖塔はザーギドスには存在しない。そびえ立つ尖塔のかわりに目印となるのは、玉ねぎにも似た風変わりな屋根を持つ異教の祈りの場だ。
 やっぱ、不思議な形だな。遠目でも目立つその屋根を久々に眺めたムスタディオは思ったが、弟子の視線の先には祈りの場はなかった。
「師匠、どこ見てるんですか。あれ、あそこです」
 のんびりとした様子の師に焦れたのか、弟子は口早に言った。
「お前な、もう少し落ち着け」
 弟子が携行していた小型の望遠鏡を押し付けられ、ムスタディオは不平を言った。仕方ないな、そう思いながら不承不承に望遠鏡に目を当てる。
 ザーギドスの街が大きく見えた。丘の頂上に座す祈りの場も。
「もっと、下です。外門の前で手を振っている男が」
 弟子の声に従い、視点を下に下げる。街道から外門へと入っていく旅人達が見えたが、少し横に目をやると、そこには確かに手を振っている男がいた。
 明らかに、こちらに向けて。
「誰だ……って。……おいおい……」
 望遠鏡を下げ、ムスタディオは思わず仰向いた。──なんでこんなところにいるんだ。
「顔見知りですか?」
 問うてきた弟子には答えず、望遠鏡を放って渡す。仰向いたままよろよろと数歩進み、それからムスタディオは前を見据えた。
 溜息を一度。そうして、一歩。あとはほとんど駆け足になった。
 男は手を振っている。まだ遠目にしか分からないが、おそらく笑っているのだろう。
「……あのなあ」
 やがて外門に辿り着き、ムスタディオは男の前に立った。お疲れ、そう茶化すように言った男を睨みつけ、もう一度溜息をつく。
「お前ら、どうしてそんなに神出鬼没なんだよ……」
「お前ら?」
 ムスタディオの愚痴に、男は小首を傾げた。分かっているのかいないのか、浮かべる笑みの先は読めない。しかし、そんなことはどうでもよかった。
「お前といい、あの王様といい……幼馴染ってやつは似るのか?」
「ああ、なるほど。苦労してるね」
 ムスタディオが続けた愚痴を、男は他人事のように躱した。そういったところも何処か似ているように思えて、ますます暗澹たる思いになる。
 だが。それでも。
 こみ上げる笑いを無視して、ムスタディオは辺りを素早く見回した。鈍足の弟子は未だ追いつかず、旅人達の視線はこちらには向いていない。呼びかけるなら今だった。
「誰かさんのおかげでな。……ラムザ」
 小突きながらムスタディオが言うと、男は相好を崩した。うん、と大きく頷き、片手を挙げる。
 ムスタディオも片手を挙げ──、そうして手は打ち鳴らされた。
「久しぶり、ムスタディオ」



 弟子に親友を紹介すべきか否か迷ったが、そんなムスタディオの逡巡をよそにラムザは自ら『僕はラムザ・ルグリア。ムスタディオの友達なんだ』と偽名を名乗ってのけた。ぽかんと戸惑う弟子にダメ押しのような凄みのある笑みを向けて『ちょっと借りるよ』と言い放ち──、自分は物じゃないというムスタディオの反論も弟子の当惑も退けて、ラムザはムスタディオの手を引いた。
 外門をくぐり、街に入る。ムスタディオはちらりと背後を振り返ったが、弟子はついてこなかった。
「あまり時間がないんだ」
 目抜き通りは緩やかな坂になっていた。この通りはそのまま祈りの場まで続いているが、ラムザは通りの途中で裏路地に入った。
「……迎えに来るってことはそうなんだろうな」
「そう。僕が来たほうが早いし、ゼラモニアは物騒だから」
 君はともかく、あの子に戦地を歩けというのは少し酷だよ。
 ラムザの言はムスタディオにも分かっていた。英雄王に請われ(命じられ)たままゼラモニアに赴くことになったが、押し切る格好でついて来た弟子の存在は悩みのタネだった。物見遊山じゃないと何度も言ったのに、「師匠ひとりじゃ自分が不安なんです」などとのたまうものだから、勝手にしろと返してしまったことを心底後悔している。足手まといなのはそれほど負担でもなかったが、王と自分を繋ぐ何か……眼前で笑う「ゼラモニアの鬼神」の存在を知られてしまうことは少しばかり面倒だった。
 もっとも、父をはじめとしたゴーグの機工師達の間ではラムザの存在は知られている。だが、それは戦中にラムザがゴーグをよく訪れていたためで、さらに言えば(本人は否定するが)ゴーグを救った存在として認められたためだ。それに、ライオネル領にあってもゴーグはそれほど信心深い土地柄ではない。「異端者」として追われてもなお、ゴーグは見て見ぬふりをするという形でラムザを守った。
 だが、それは「年寄り」の思い出話であって、弟子をはじめとした「若者」達にとっては既に戦は縁遠い話だ。ラムザの名を、彼がどんな人物なのか、何を為したかを知る次世代は少ない。秘匿しているわけではないが、語る機会も必要もなかった。
「隠れてるつもりはないんだけど、四方八方に迷惑をかけたくはないからね」
 ムスタディオの考えを読むように、笑い含みでラムザが言う。だな、と短く返し、ムスタディオは自分の手を引いたまま先を行くラムザの背を眺めた。
 諸々を背負っているはずなのに、それを感じさせない背だった。──あの頃とは違う。
「……手、そろそろ離せよ」
「あ、ごめんごめん」
 結構な力で引いていたラムザの手を、ムスタディオは力任せに引っ張った。男同士で、などと云々言うつもりはないが、なんとなく落ち着かない。その意は過たず伝わったようで、ラムザは素直に手を離した。
「ここだよ」
 数区画進んだ先にある宿屋でラムザが足を止める。
「ここが、「あれ」か?」
「そう」
「なるほど、ね」
 ラムザの肯定に、ムスタディオは相槌を打った。ザーギドス特有の複雑に組まれた石造りの建物は、特に目新しいものではない。一見何の変哲もない安宿に思えたが、ここがゼラモニア独立運動軍の連絡所なのだった。
「シャアラ」
 宿の前に立っていた「ご婦人」にラムザが声をかける。短いやり取りの後に符丁めいた言葉をラムザが告げると、彼女は煙管をゆらゆらと振ってみせながら顎をしゃくった。
「ああ、この子が」
 意味ありげな視線を投げてよこしたシャアラに、ムスタディオは軽く会釈した。どう返してよいものか一瞬迷ったが、彼女のような存在はゴーグにだっている。そして、右往左往した挙げ句に餌食になってしまうには、自分は若くはないのだった。
 ラムザに続いて、ムスタディオは宿に入った。縁が欠けた急勾配の階段を三階まで登り、奥まで進む。廊下の突き当たりにある扉を特徴的な打音でラムザがノックすると、やがて中から応えがあった。
「戻ったか」
 扉が開く。変わらない口調と声色に、懐かしいなとムスタディオは思った。
「アグリアスさん、久しぶり」
「ああ」
 必要最低限の幅で開かれた扉から滑り込むように部屋に入り、ムスタディオはアグリアスに声をかけた。驚きはない。ラムザがここにいるということは、ほぼ間違いなく彼女も同行しているのだろうと予想していた。
 かつて、ラムザからは「ゼラモニアの独立運動に加担することになった」とごく短い手紙が来たのだが、その手紙には「アグリアスも参加してくれている」と書き添えられてあった。なんだ、結局は一緒にいるんじゃないかと妙に安堵したのを覚えている。めでたしめでたしとしてしまうには程遠いのだろうが、背中を任せられる仲というのは互いに落ち着くのだろうと思った。
「元気そうだな、よかった」
 素早く扉を閉め、アグリアスが笑みを見せる。
「それなりに、だけどね。……えーと、こちらが?」
 向けられた笑顔を嬉しく思いながら、しかしムスタディオは視線を部屋の奥へ移した。明り取りの小さな窓があるだけの薄暗い部屋の奥には、古ぼけた机に行儀悪く座っている男がひとり。
 ──この男が。
「ああ。推察通り、俺が独立運動軍の長だ。名前は……」
「誰も知らないから、いいんじゃない?」
 弾みをつけて立ち上がった男の言葉を遮って、ラムザは笑った。
「へ?」
「ラムザ」
 ムスタディオの困惑とアグリアスの溜息が重なる。自分で上げておいて変な声だとムスタディオは思ったが、この場にいる誰もが気に留めなかった。よかった、とどうでもよいことを頭の片隅に置き、次いで溜息の主を横目で見やった。
 アグリアスはムスタディオに向けて肩を竦めてみせた。咎めの響きを持った溜息だったが、これが初めてのことではないのだろう。そう考えてみると、若干投げやりのようにも聞こえたかもしれない。
 改めて、男に視線を移す。
 ラムザのように偽名を使うのにも似る感覚で、この男もまた通り名を用いているのだろうとは思う。しかし、誰も名前を知らないということはどういう──。
「まあ、それもそうか」
 男はラムザの言葉をすんなり受け入れたようだった。人好きのする笑みでもってムスタディオの前に立ち、手袋を取る。
「そんなわけで名前は伏せておこう。ここにいる連中と同じように「長」と呼んでくれてもいいが、あんたにとって俺は首領なんかじゃないからな。好きに呼んでくれ」
「はあ」
 流されたとは思ったが、一方でそのほうが助かるかとムスタディオは思った。ゼラモニアから見れば、部外者である自分が断片的にでも情報を持ってしまうのは危険だと思うだろう。また、ゼラモニアに自分を害する気はなくとも、ゼラモニアと敵対するオルダリーアにとっては何らかの「旨み」を感じるかもしれない。下手に巻き込まれるのは御免だった。
「そうですね……じゃあ<エーミア>と」
「呂国語で<長>か。なるほど、アンタ……もとい、貴殿が暮らすゴーグはロマンダと縁があると聞いている。ゼラモニアでもオルダリーアでもイヴァリースでもない……まったくの第三国というわけでもないが、多くを知る者はいない。そういった意味では、なかなか面白い」
 手袋を取り、ムスタディオはエーミアと握手を交わした。ぶんぶんとそのまま勢いよく手を振られ、思わず傾いでしまう。それがどう面白かったのか、背後でラムザが吹き出すのが聞こえた。──あいつめ。
「……面白いかどうかは何とも言えませんが、俺のことは「アンタ」でいいです。そうだ、畏国語話せるんですね?」
「込み入った話は無理だが、日常会話だったらな。ああ、適当に座ってくれ」
 机の手前に据え付けられた応接用の椅子を勧められ、ムスタディオは素直に座った。エーミアは再び机に座り、アグリアスは窓辺に、ラムザは扉側へと立つ。
 それぞれがあるべき場所に収まったのを見て取ってから、「さて」とエーミアは手もみをした。
「話を始めるとしよう。ムスタディオ、アンタは畏国王から何を聞いている?」
「特に何も。ただ、「行って話を聞いてこい」とだけ」
 隠すことでも取り繕うことでもないので、ムスタディオは正直に話した。
 ディリータが送ってよこした親書には本当にそれだけがあったのだ。あぶり出しでも仕掛けてあるのかと思うほどに何も書かれておらず、まあそれはいつものことだったのだが、こんな長旅を命じるにもその調子かと呆れるばかりだった。
 とはいえ、仔細を尋ねるのも面倒なので、こうしてこのまま来てしまったのだが。
 ムスタディオの言葉に、エーミアはにやりと笑った。ラムザが「ディリータだねえ」と呟く。
「そうか。では次の質問だ。イヴァリースがゼラモニアを「支援」していることは知っているか?」
「……風の噂には。それで俺達がどうなるとかまでは聞こえてこないので、今のところ特に気には留めてませんが」
 ゴーグは世情に疎い。本当は国の触れも出ていたが、機工士達の興味はそちらには向かなかった。弟子の世間話には出てこず、自分だって機工師連の寄合で初めて知ったくらいだ。
「了解。畏国王は上手に情報統制しているんだろうな。実際、イヴァリースが表立って何かを仕掛けていることはないし、これからもないだろう。オルダリーアとゼラモニア、両者を牽制するのが「天秤」の役割だ」
 しかし、とエーミアは続ける。
「この天秤を畏国王が自在に操れるかというと、それもまた違う。悔しいことだが、今はオルダリーアに傾いてしまっているからな」
 ムスタディオは頷いた。ゴーグを離れてからここまでの長旅で、次第にそんな話を聞くようになった。なんでも、先の衝突でオルダリーアはゼラモニアの領を削ったらしい、久々にゼラモニアが負けたらしい、とそんなふうに。
「それをなんとかしたいと?」
「勿論。できれば、畏国王の意図するところよりもゼラモニアに傾いてほしいが」
 ムスタディオが問うと、エーミアは傍らに寄せてあった書類を手に取った。
「ゼラモニア語は?」
「残念ながら。なんて書いてあるんですか?」
 首を横に振ったムスタディオに、エーミアは「オルダリーアに放っている諜報からの文だが」と前置きをした。
 そうして、わずかに声を潜める。
「ロマンダがオルダリーアに武器の供与をした、と」
「……」
 すぐには言葉を返せずに、ムスタディオは黙した。
 五十年戦争と呼ばれる戦でも、ロマンダはオルダリーアに与した。理由は何だったか忘れたが、とにかくそういった事情から来る戦力差でイヴァリースは破れ、国が混乱するままに内乱へ突入した。そして、戦地となったゼラモニアもまた荒廃した。
 ──あんな苦しい日々が、また来るのか。
 ぎり、と歯噛みをし、腕を組んで仰向く。煤けた梁と破れた漆喰を眺め、大きく息を吐いた。
 ──自分には何ができる?
 ちっぽけでろくな力も持たぬ機工師の端くれに、できることなどない。決して自らを卑下するわけではないが、ムスタディオはそう思っていた。発掘と調査に明け暮れ、現には半ば背を向けている自分。かつては国のほうぼうを駆け巡ったが、国や世界のために動いたのかと訊かれたら、首を横に振っただろう。再び戦の影が迫ったとしても、何もできないと諦めたのだろう。……少なくとも、酒場で王の真意を見たあの日まではそう思っていた。
 だが、闇に飲まれぬ未来を見たいと思ったときから、自分の道ゆきは再び向きを変えた。
「オルダリーアだけが相手ならなんとかできるが、ロマンダが背後についてしまうとなると、かなり厳しい。だから、イヴァリースに援助を求めようとしたんだが、先に向こうさんから連絡が来た。使いをよこすから、話はその者にしてくれと」
 エーミアはそう言うと、ひたりとムスタディオを見据えた。
「事情は分かりました。それで、俺に──」
 雑な命令が来たのか、とムスタディオが溜息混じりに言いかけたそのとき。
「……来たか」
 窓辺に立っていたアグリアスが低い声でそう呟いたのと、乾いた破裂音が窓の外で響いたのはほぼ同時だった。
 一瞬の静寂。次いで、悲鳴と怒声。
「オルダリーアにバレたみたいだね。仕方ない、行ってくる」
 なんでもないことのように扉の側のラムザが言う。外の緊張とは真逆の物言いをする彼を、ムスタディオは見つめるほかなかった。
「ああ」
「ムスタディオと長は頼んだから。──ムスタディオ、君はここにいるんだ」
 アグリアスに指示し、ラムザはムスタディオに向き直った。いつの間にか腰を浮かせていたムスタディオを制し、笑いかける。
「……まあ、邪魔か」
 ラムザの言外の含みを察し、ムスタディオは再び椅子に座った。銃の腕も、こうした場面での対処法も、すっかり錆びついてしまっている。ただの平民に戻った自分がしゃしゃり出ても、足手まといになるだけなのは自明の理だった。
「そう。でも、それでいい」
 職分がそれぞれ違うからね。ラムザはそう言うと、扉に手をかけた。そんな彼を急かすように再び破裂音が響き渡る。
「じゃ、また後で」
「──ラムザ!」
 手を振ったラムザを、しかしムスタディオは引き止めた。驚いたように振り返る親友めがけ、ホルスターに収めていた銃を投げる。
「うわっと。ムスタディオ?」
「そいつは「お試し品」だ。うまいこと使ってくれ」
 獲物を上手に受け止めたラムザに、ムスタディオは言った。そうして、口の端を上げてみせ、何気なさを装って続けた。
「気をつけろよ」
 ムスタディオの願いに、ラムザが目を瞠る。だが、それはほんの僅かなことで、彼はすぐに笑みを深めた。
「誰にものを言ってるんだい?」


「あいつ、あんな奴だったっけ」
「揉まれたからな」
 ラムザが出ていった扉を眺めながらムスタディオが呆然と呟くと、こともなげにアグリアスは返した。
「時は流れる。変わらないものも、変わるものも当然ある。お前が師となったのと同じだけの時のあいだで、あれはふてぶてしくなった」
「ああ、なるほど。アグリアスさんの指輪も?」
「……避難するぞ」
 自身への問いを無視した彼女に促され、ムスタディオはやれやれと立ち上がった。ホルスターに残った銃を取り、背後のエーミアに視線を流す。
 エーミアは興味ありげな顔つきで、ふふんと鼻を鳴らした。
「そいつらの話は面白い。酒の肴に聞くんだな」
「勿論です。そうだ、エーミア」
 聞こえるのは、悲鳴と怒声。耳に残るのは、嘆きと叫び。
 変わらないものは。変わるものは。
 守りたいと思うものは。見たいと願うものは。
「何だ?」
 向き直ったムスタディオに、エーミアが聞き返す。──あの王と同じように、親友が光の欠片を垣間見た男。
 何ができるだろう、と今でも思う。だが、何かはできるだろう、と今では思う。そんなふうに思えるようになった。
「我が国の王への伝言でも、俺個人への頼み事でも、あとでなんでも聞かせてください。あなたはそれに足る人物だ」
「それは、ラムザが俺を認めたからか?」
 エーミアは挑発するように笑った。だが、それは不思議とムスタディオの心を脅かせない。
「少し違いますね」
 故に、ムスタディオもまた同じように笑う。
「あなたに信を置いた「あいつら」を、俺は信じているんです。そして」
 誰か、ではなく。自分が。
「俺自身が未来を見たいと思った」
 光は影を生み、表には裏がある。神秘の力は消え失せたとしても、人の蠢きはこれからも闇を成すだろう。自分もまた、そのひとり。けして光だけの存在ではない。
 けれども。否、だからこそ。
「……分かった」
 エーミアが片手を差し出す。ムスタディオはひとつ頷くと、その手を取った。
 未来を掴む、手を。

あとがき

2023年ムスタディオ誕生日記念話でした。獅子戦争終結後(クレメンス公会議からさらに数年後)の話ですが、ゼラモニア(畏国と鴎国の間に挟まれた鴎国属領)独立運動軍のキャラが出ています。エーミアは妄想というか空想というか捏造というかなオリキャラですが、これまで書いた話では「Versus」「薄味の謎」「剣と盾」などに登場しているキャラです。他方、ムスタディオとディリータの話は「Elaborate Crown And Cidre」「進捗報告」で展開しています。なお、「薄味の謎」「剣と盾」「進捗報告」は2021年に発行した同人誌「Timeline until abandon the crown」に掲載していますが、2023年11月のディリータ誕生日記念にWeb再録する予定です。気になるぞーという方はあわせてお読みいただけますと嬉しいです。

しかしながら、ムスタディオの話というよりは、ディリータの話だったりラムザの話だったり(そして少し?ラムアグだったり)といった感じになりました…。彼自身が言うほど世情に疎いわけではないと思っていますが、ゴーグ全体が疎そうではあります。地理的にも騒乱には縁遠い土地柄かなと思っています。

2023.10.15