Candle Flame

「なんてことなの! すばらしい、すばらしいわ!」
 部屋に戻ってくるなり叫んだエミュウを、バルマウフラは横目で眺めた。
「信じられない! 嘘みたい! 夢でも見ているのかしら!」
 エミュウのボルテージはますます上がっていく。その勢いでもって、声はどんどん大きくなり、彼女はやがてくるくると踊りだした。
 ──手がつけられないわね。
 閉めた扉に凭れ、溜息をつく。いつだってエミュウの感情の変動は激しいが、今日はまた格別だとバルマウフラは思う。静謐が求められるこの場において喜怒哀楽を素直に出し過ぎてしまうエミュウは異端子で、厳格な先輩達には目をつけられている。こうして騒いでいるのが誰かしらの耳に入り、「尋問」の挙げ句にこっぴどく「説教」を受けるのは、ほぼ間違いがなかった。
 説教のたびにエミュウはしおれる。だが、次の日にはけろりとしているものだから、先輩達の神経はますます尖っていく。そうして、その矛先はエミュウのみならず、彼女と親しい面々にも向けられるのだ。
 そのひとりが、同室であるバルマウフラだった。
 割り振られた四人部屋で暮らしているのは、今はエミュウとバルマウフラのみ。残りの二人は、先々月に消えた。──どこかの任地に行ったのか、逃げ出したのか、「還った」のか。それはバルマウフラ達には伝えられていない。
 巻き添えは御免だわとバルマウフラが思ったその矢先、踊り続けるエミュウの足が空のベッドにぶつかった。
 大きな物音と「ひゃっ」という声が同時に響いた。そして、しばしの静寂。
「いたーい……」
「自業自得よ、エミュウ」
 ベッドの上にごろりと転がりながら、情けない声を上げたエミュウをバルマウフラは睨んだ。
「いつものことだけど、あなたは感情を前に出しすぎ。何かあるたびにそんなに大騒ぎするの、疲れない?」
「全然?」
 きょとんとした顔でエミュウがバルマウフラを見つめる。無邪気ともいえるその表情は、自分達が属している組織とはそりが合わないのではないかとバルマウフラは思っている。いや、自分だけではない、おそらくはエミュウ以外の誰もがそう思っているに違いない。
 ──だから、きっと。
「……こちらは疲れるのよ、エスメラルダ」
「エミュウよ、バルマウフラ」
 わざと本名で呼んだバルマウフラに被せるようにして、エミュウが言った。
「エスメラルダなんて子はもういないの。私は、エ、ミュ、ウ」
「はいはい」
「あの子はもう死んだの。ここに来る前に。消えて、どこかへ行って、野垂れ死んだ。私は、エミュウ」
 真剣のようでいて、夢見るような顔つきでエミュウはいつもと同じ台詞を口にする。不思議な、まじないのような、言葉。ここに居る者ならば、一度は聞いたことがある彼女の叫び。
 エミュウの過去をバルマウフラは知っている。バルマウフラが聞いてもいないのに、「陰の情報通」と呼ばれる先輩が「必要なことだから」とわざわざ教えにやって来た。エスメラルダという少女の過去と、エミュウの今。裕福な生まれだったのに、否、それ故に辱めを受けた少女。両親にも見捨てられて絶望した少女は命を絶とうとし、とある教会で短剣を自らの喉元に当てた。
 エスメラルダは死んだ。消えた。そうして、エミュウが生まれた。
 どこか遠い国にいるという、鳥の名前。倒れていた少女を介抱した神父が、彼女にその名を与えた。
 そうして。それから。
「はいはいはい」
 バルマウフラが肩を竦め、手をひらひらと振って降参の意志を示すと、エミュウは満足げに頷いた。
「はい、は一回よ。──ねえ、バルマウフラ」
 幾分か落ち着いた声でエミュウに呼びかけられ、バルマウフラは凭れていた扉から背を離した。
「なあに?」
「本当に、嬉しいの。だって、猊下に相まみえたのよ? それだけじゃなく、お言葉も賜って……さらにそのうえに」
「……」
「私に、お役目をくださった」
「……あのね、エミュウ」
 エミュウが転がっているベッドの端にバルマウフラは腰掛けた。はあ、と再び漏れた溜息はどこかへ落ちたような気がした。
 ──どこまでも純粋なエミュウ。あるいは、純粋を装っているエスメラルダ。
「バルマウフラは違うでしょう? 引く手もあまたで、誰からも頼られて、教皇猊下とお言葉を交わしたこともしばしば」
 エミュウの思い込みを正そうとしたバルマウフラを、当のエミュウが遮った。
「私は初めてなの、誰かに頼られるのが。それがいきなり、ザルモゥ様という高位の方のお供に選ばれたのよ? 頼みます、猊下が直々に私にそう仰ったのよ」
 声がわずかに湿り気を帯びる。
「私のような末端の者に、目をかけてくださったことが、嬉しくて……夢みたい」
「夢かもしれないわね。それも、悪夢かも」
「ひどいわね、バルマウフラ」
 バルマウフラの合いの手に、エミュウはくすくすと笑った。すん、と鼻を鳴らし、歌うように続ける。
「お御堂の灯火が増えて、消えて。そして、またひとつ灯されて。ずっと、ずっと、それを見てきた」
「……」
「誰もそれを数えたりなんかしない。私も、あなたも、先輩達も、神父様も、誰も。……昔は、違ったのかもしれないけれど」
 そんなことは知らないわ。エミュウが言った。
「きっと、これからも灯火は増えていく。消えても、減っても、それでも。このままじゃ、どんどん増えていく。──私はそれを止めに行く」
 歌の響きは急に途切れた。強い意志に満ちたエミュウの言葉が、バルマウフラには陳腐なものに思えた。
「……そんなに気負う必要はないんじゃない? ザルモゥ様が向かう王都は美しいと聞いたわ。物見遊山とでも思えば?」
「不良さんね、バルマウフラは」
 陳腐さから逃れたくて軽口を叩いたバルマウフラに、半身を起こしながらエミュウは微笑んだ。
「あなたも次の任務があると聞いたわ。ゼルテニアに赴くのですって?」
「ええ」
「じゃあ、この部屋もしばらくは空っぽね」
「……そうね」
 見つめてきたエミュウから視線を逸らし、バルマウフラは頷いた。
「ねえ、バルマウフラ」
 だが、エミュウの呼びかけはバルマウフラの逃げかけた視線を絡めとった。そうして、固まってしまったバルマウフラに彼女は手を伸ばす。
 バルマウフラの頬を、エミュウの指先が撫でた。
「私が消えたら、あなたがお御堂の火を灯してね」

 悲鳴。
 町外れの教会から聞こえたそれに、何かを破裂させたような音が続く。さらに、異変に気付いた人々が逃げ惑う足音。
 少し離れたところで聞いていたバルマウフラは思った。あの、悲鳴は。
「……エミュウ」
 失われた命の名を呟く。一度死んだ者に与えられた、仮の名を。
 お御堂の火を、灯してね。彼女はそんなふうに言っていた。そのことを思い出し、しかしバルマウフラは首を横に振った。
「お御堂は、もう空っぽよ」
 本当は、そうさせないために、自分はここにいる。──いるけれど。
 気付けば震えていた指先を握りしめ、地面を見る。
 何かが変わろうとしている。彼女が、自分が、皆が、夢見ていた方向とは違う向きに風が吹き始めている。壁を壊すような音を立てて。

 そればかりを、バルマウフラは感じていた。

あとがき

2023年バルマウフラさん誕生日記念話として書きました。バルマウフラさんと同じような立場の子(オリキャラ)のお話ですが、神殿騎士団のみならず教皇側(教会の中枢)が使える駒も多数いたのだろうなと。そのなかで。バルマウフラ達は末端の駒にしか過ぎなかったろうなと考えています。ディリータの補助として派遣されたバルマウフラは一風違った未来を進むこととなりますが、他の人達は…。

しかしこの話、とある歌からプロットを起こしましたが、歌の残滓のかけらもない状態になってしまいました…。バルマウフラさんに合うなーと思ったその歌をもうちょっと前に出して、いつか書きたいなと思います。

2023.08.15