Truth

 書状を読むオーランを、バルマウフラはどこかざわめく心持ちで眺めていた。
 ノワイエール子爵の使者が書状を持参したのはつい先刻のこと。
 「支援者」に名乗り出た子爵は、事あるごとに(ないときも、だが)こうして書状を送りつけてくる。大体がオーランの行動や考えに何らかの鞭撻(難癖ともいう)を施そうというものだが、どうも今回は違うらしい。
 冒頭を読んだオーランは険しい顔をしていた。それが、読み進めるうちに何故か呆れたようなものになり……最後には苦笑いに変わっていた。
 ――何かしら。
 バルマウフラは思う。ざわめく心はそのままで、まったく自分らしくないと思いながらオーランを眺めた。
 やがて、オーランは溜息をついた。隣に座るバルマウフラに肩を竦めてみせると、ソファから立ち上がって暖炉へと向かう。
「燃やしちゃうの?」
 まさに今、書状を火中に投じようとしたオーランに、バルマウフラは思わず声をかけた。
 珍しいことだった。これまで、こういった書状を処分したことはないはずだった。「いつか」「何かの折に」役立つかもしれないから。何かを諦めたような表情で目の前の男はそんなふうによく言うのだ。
「ああ。大したことじゃないからね」
 なのに、笑みをつくって男はそう言う。
「ふうん……」
 その笑みは限りなく嘘に近かったので、バルマウフラもまた立ち上がった。体の重心が段々と変わってきているような気がするのをそのままに、オーランへと歩み寄る。
「ふらついてるよ、気をつけて」
「酔っぱらいじゃないから大丈夫よ。……それより」
 支えようとしたのだろう、両の手を差し出したオーランを一瞥し、バルマウフラは書状を指さした。
「子爵は、なんて言ってきたの?」
 珍しいことだった。自分でもそう思う。いつもはこんなことを聞いたりしない。オーランが自分で話さないかぎり、バルマウフラが支援者と彼とのやり取りを知ることはない。すべてのやり取りをオーランが話すことはないし、バルマウフラもそれでいいと思っている。彼が話したいと思うことがすべて。――それでいい。
 いつもはそうなのに。今日ばかりは、妙に気になった。
「……バルマウフラ、珍しいね?」
 オーランは即答しなかった。目を細めるそのさまは、驚いているようにも面白がっているようにも見える。あるいは、煙に巻こうとしているのか。
 驚いているのは別に構わない。面白がっているのも。……だが、煙に巻かれるのは、嫌だった。
 何故か、そう思った。
「珍しいかもね」
「大したことじゃない、そう言っただろう?」
「酔っぱらいと同じよ。大したことじゃないっていうのは、大抵、大したことなのよ」
 本人が本気でそう思っていたとしても。バルマウフラがそう付け加えると、オーランが「降参」と呟く。
「……まあ、そうか」
 納得したのだろう、手にした書状に目を落としてオーランは言った。バルマウフラを垣間見、それから書状を差し出す。
「大したことじゃない、そう思っていたけれど」
 また溜息をついてオーランは言った。
「放っておくのは得策じゃないね。僕のためにも、君のためにもならない。……読んでくれ」
 隠すことでもなかった、そう言って微笑んだオーランからバルマウフラは書状を受け取った。


 それは、オーランにノワイエール子爵の娘との婚姻を促す書状だった。
「……」
 バルマウフラはその書状を二度読んだ。
 波立つ心を鎮めるかのように、重石が投げ入れられたような気がした。それは、本当はさらに心の水面を波立たせるものなのかもしれない。……だが、それ以上の威力があるようにバルマウフラには思えた。
 驚くようなことではなかった。いつか誰かが。そんな予感はあった。当たり前の未来。
 けれども。
 ――心、のなかにあるこの重みは何だろう。
 そんなことを思いながら、バルマウフラは顔を上げた。何か言おうとしたが、結局は何も言えずに、そのまま書状をオーランに返す。
 まったく、まったく自分らしくない。
 頭を振り、溜息をつく。そうしてバルマウフラがつくった数瞬の間に、オーランは何も言わなかった。柔らかい表情のままでバルマウフラを見ている。
「燃やしてしまうの?」
 乾いた喉を誤魔化そうと唾を飲み込み、バルマウフラはオーランに訊ねた。先刻と同じ問いを繰り返し、オーランが何かを言う前に言葉を繋げた。
「勿体ない申し出かもしれな」
「僕は君がいい」
 うつろな嘘を見抜く声が、バルマウフラの言葉を遮った。暖炉に焚べた薪の崩れる音が、声に呼応するかのように響く。
「君が、好きだ」
 そう言うと、オーランは今度こそ書状を火中へと投じた。一拍の間を置いて、紙が火に踊り始める。
「……知ってる」
 オーランの真摯な声に、バルマウフラは呟いた。
「本当に?」
「たくさん言葉を投げられたもの。あんなに言われたら誰だって」
 はじめは、そうではなかった。
 好き、とか、愛してる、とか。そういった言葉は二人の間にはなかった。男が自ら望んだ未来に付き合うような格好で始まった仲だった。――真実を前にして立ち竦まないように見守っていてくれと希われて応じた、それだけの仲。
 それなのに、次第に何かが変わっていった。
 言葉。やり取り。まなざし。態度。
 手を伸ばしても暗闇では掴めなかった光を、少しずつ分け与えられた。
「だけど、君はどこかで疑っている」
「それ、は」
 ――そんなことはない。
 言いかけて、しかしバルマウフラはその先を言えなかった。言って何になるのだろう。男の「愛」を受け容れるのも、自らの怯懦を晒すのも、まったくもって自分らしくない。……けれど。
 ――見せかけの自分らしさなど、本当はとうの昔に捨てたはずなのに。
「僕が何度でも言うのは、そのためさ」
 何も言えないバルマウフラにオーランはゆっくりと手を伸ばした。壊れ物を扱うようにバルマウフラの肩を抱き、頭を撫でる。
「雄弁は銀なんていうけれど、言わなきゃ君には伝わらないからね。……それに」
 オーランの口調が僅かに変わったことに気付き、バルマウフラはそっと身を離した。見上げると、男の視線とかち合う。
 オーランは、困り顔で笑っていた。
「おまじないでもあるんだ。……いや、願いだろうな。君がどこかに飛んでいってしまわないようにって」
「……馬鹿ね」
 珍しく弱気なオーランに、バルマウフラは苦笑した。
「君は自由だから。……傍にいてほしいなんてのは、僕の我儘で」
「私は、私の意思で」
 幼子に噛んで含めるように、バルマウフラは言葉を区切った。
「ここにいるの」
 何かがホロホロと崩れ去っていくような感覚になる。いつの間にか凝り固まっていたものが内から消えていくような、そんな感覚。
 何に怯えているのだろう。何を疑っているのだろう。……過去形にはできない、現在進行形の負の感情が薄らいでいく。
 バルマウフラはオーランの頬に手を添えた。自然に浮かんだ笑みをそのままに、そっと目を閉じる。
 額と額が、触れる。それから、唇に柔らかな感触。
「君は」
 やがて、オーランが厳かに言った。
「貴方は」
 目を開け、バルマウフラはその先を読んで呼応した。

「私を愛している」

 そうして、互いの真実を告げた。

あとがき

冬の夜はオーバルによく似合う!ふたりで楽器で俗謡奏でるとかしてほしい!なんて思ってたのですが、今回の話は真面目に?愛を語っている話になりました。最後の方ではなんだか昔の曲が頭の中に浮かんできたのですが…懐かしすぎる…。※誰も分からないと思いますが、分かった方はそっと教えてください…。

2023.01.03