Go Out Of Your Way, My Way

  バルマウフラは目を瞬かせた。
「悪い話ではないと思うのだが?」
 眼前の男はそう言って壁に片手をついた。壁を背にして立っているバルマウフラにとっては追い詰められた格好になる。見ようによっては口説いている最中とも捉えられるかもしれない。かもしれない、ではなく、女官やらが見たら間違いなくそう思い込むだろう。まあ、実際そうなのだが。
 ──面倒ではあるわねえ。
 男を見上げ、バルマウフラは欠伸を噛み殺した。それでもあえて微笑み、殊更ゆっくり礼をとる。
「ありがたい、お話です」
「そうであろう?」
 細面に奇妙な笑みを浮かばせ、男が頷く。もう一押しと思ったのだろう、男はさらにバルマウフラとの距離を一歩詰めた。
 話はこうだった。
 黒羊騎士団の若き団長(ディリータのことだ)は才あるとはいえ、後ろ盾も持たぬ者。今はその才で飛ぶ鳥を落とす勢いではあるが、権謀術数渦巻く宮廷内においては甚だ不安定な立場となろう。ああ落ち着いていても元来若者というのは血気盛んなもの、いつ足元を踏み外してもおかしくはない。私は彼を買っているのでね、だからこそ彼も、彼の副官であるというそなたのことも心配なのだよ。──そこで。
 男の正しくも長い前置きをバルマウフラは黙って聞いていたのだった。この先に続く台詞はどれだろうと思いながら。
 一、危なっかしい若者につくより、地位も権力もある私につかないか。
 二、危なっかしい若者の後見になるかわりに、そなたは私につかないか。
 三、危なっかしい若者の正体を明かすかわりに、そなたには未来を与えよう。
 四、……。
 台詞はいくらでも考えつくが、さらにその先に続く自分への意図は殆ど同じだ。買う、ということにほかならない。無論、それは能力などではなく。
 かくして、男の言葉は──。
「ハイラルの後見をなさる、と」
 二番か、と思いながらバルマウフラは男の台詞を要約した。
「そうだ。私が後ろ盾となれば、口さがない者達も黙り込む。ああ、彼には経験豊富な部下を授けよう。さすれば、着実に戦果を上げるのも造作もないこと。彼もそれを望むのではないか?」
 それに、と男は続ける。
「そなたも彼と同じく、この先を生きる者。だが、この戦乱に生きるには不安も多かろう? 彼に力を与えるように、そなたには安寧を与えよう」
 この私が直々にな。男はそう言うと、ますます笑みを深めた。
 見たくない類の笑みではあるが、男は確かに高位の者。常のように邪険にするわけにもいかない。
 さてどうしようか。僅かに視線を下げ、バルマウフラはためらうふりをした。男が自分の演技をどのように受け止めるかは想定内として、できるだけこちらに利をもたらす必要がある。こちら──自分と、その上に立つディリータと、自分達を内包する教会に。
「私の一存では決めかねますが、貴方様のお声がけに浴するは幸せなことでありましょう。……ですが」
 ──何が幸せかなんて知らないけど。
 昔も、今も、男が言う未来も。そんな考えが頭の片隅をちらりと掠めたが、バルマウフラはその考えを深追いしなかった。益体もないことを考えても仕方ない。
 それよりは。
 伏せた目線をゆっくりと上げる。男が望んでいるだろう小娘を装い、両指を組む。祈るような仕草で見上げてみれば、男は舌なめずりをしそうな勢いでバルマウフラに迫った。
「だが、そなたは私をよく知らない。そう、私もしかりだ。故にまずは」
「……ええ」
 男の言葉の先を行き、バルマウフラは頷いた。どれほどの「相性」なのか、男は知りたがっている。鷹揚な素振りを見せておいて、その実はやはり下衆な男だった。
 でも、と一方でバルマウフラは思う。それは自分もたいして変わらない。男が握っている権力がどれほどのものか、その一端を知るには好都合だった。そのためにこの身を使うのは別段構わない。
 初めてのことではないのだ。慣れている。
「貴方様を、私は──」
 しかし、そこでバルマウフラは言葉を切った。視界の端に見知った姿──自分の上官──を認めたからだ。
 カツカツ、と靴音を響かせてディリータがこちらへとやって来る。いつもの彼とはやや違う、落ち着いた足取りはきっとわざとだろう。バルマウフラはそんなことを考えながら、ディリータに頷いてみせた。
 作戦は変更だった。
「……ハイラル」
 靴音にはさすがに気付いたらしい。男はバルマウフラから身を離すと、ディリータを見やった。
「ランフェルト伯」
 男の名を恭しく呼ぶと、実直そうな身振りでディリータは礼をとった。バルマウフラから見れば少々胡散臭いその所作は、男の目にはさてどのように映るだろうか。バルマウフラはディリータからランフェルトへ視線を戻した。
 ランフェルトは口元を僅かに歪ませ、ディリータを睨んでいた。しかしそれも数瞬のこと、すぐに平静な表情をつくってディリータに相対した。
 そんなランフェルトにディリータは笑みを見せる。
「私に何か御用でも?」
 ──私の部下に、とは言わないのね。
 わざと言葉を飛ばした上官の意図をバルマウフラと同様に察したのだろう、かすかに唸ったランフェルトにディリータは念押しのように笑いかけた。



 城の回廊を二つ曲がったところでディリータが足を止めたので、バルマウフラはそれに倣った。
「あんなことをする必要はない」
 ディリータが吐き捨てるように言った。
 貴族としての矜持はあったのだろう、ランフェルトは愚かな対応はしなかった。ディリータの笑みに咳払いをすると、何事もなかったかのように立ち去った。
 それだから、今はこうして二人だ。
「あんなこと、ねえ」
「どこで油を売っていると思っていたら、油なんかじゃなく水を売っていた」
 苛立つ上官を逆撫でするようにバルマウフラがゆっくりと復唱すると、ディリータが間髪入れず返してくる。その物言いが面白くて、バルマウフラは思わず吹き出した。
「上手いこと言うのね」
「茶化すな」
「あら、誉めてるのよ?」
 ディリータの命令を無視し、バルマウフラは笑って両腕を組んだ。いつの間にか粟立っていた肌を隠すべく、素知らぬふりをする。
「本当にいい間合いで現れて、私の作戦を木っ端みじんにしてくれたのだから。もう少しで貴重な情報を仕入れられたのに、まったく」
「何が作戦だ」
 再び言い捨て、ディリータはバルマウフラを一瞥した。溜息をついて睨んでくる上官は一体何をそんなに気にしているのか。バルマウフラは不思議に思った。
 かりそめの上下関係とはいえ、何らかの責任を感じているからか。
 志を知る仲間だと、思い込んでいるからか。
 怜悧と評される彼はすべてを利用すると言い放ち、実際そうしてのし上がっている。計算高いところはどこで身につけたのか、それとも天賦の才か。「女王陛下の騎士」は賢しく、慎重で、大胆で、冷淡だった。
 それなのに、妙に甘いところもあって。
 ──本当に、不思議なこと。
 バルマウフラはディリータとは違う類であろう溜息をついた。
「そのうちランフェルトは沈む」
 そんなバルマウフラに預言師の如く言い切ると、ディリータは顎をしゃくった。行くぞと言われ、バルマウフラも歩き出す。
 そうして城の回廊を再び渡る。
「だから……するな」
 しばらくしてディリータがぼそりと呟いたが、斜め後ろを歩いていたバルマウフラにはその言葉尻しか聞き取れなかった。
「なあに?」
「無理をするな、と言ったんだ」
 ちらりと振り向き、ディリータは繰り返す。それはやはり聞き取り難かったが、垣間見た彼の表情から何を言ったのかは察することができた。
 ──本当に、まったく。
 ただそれだけを告げて再び前を向いたディリータには見えないように、バルマウフラは肩をすくめた。何とも言えない感情が全身を駆け抜けて小さな溜息に変わる。
 ──でも。
「はいはい」
「上官にそんな態度を取るな」
「承知いたしました」
 先刻のディリータを思い出しながら、バルマウフラは気取って礼をとった。
 そうして思う。
 これは演技。これはかりそめ。まやかし。
 冷めた理性でそう考える。誰かさんと違ってこれは思い込みなどではない。事実であり、真実だ。
 だから、自分でもよく分からない溜息の正体を探るのは止めにした。……そのほうが賢明だと、そう直感した。
 ディリータが前を行く。自分は、その後ろをついていく。
 今は。今だけは。
 それはいつまで続くか分からない。
 終わるのか。終わらせるのか。それとも、無慈悲なまでの唐突さで幕が下りるのか。
 その先に、在るものは。
 ──関係ないわね。
 考えを振り切るように一瞬目を眇めると、バルマウフラは前を行く男を追った。

あとがき

2022年バルマウフラさん誕生日記念話です。誕生日は8/16なのですが、フライングで掲載しました。

貴族を手玉に取るようなバルマウフラさんというのも良き…と思って書き始めたのですが、なんだかんだでまだまだ若いから完全にすれてしまっているわけでもなさそうだな(願望)ということでこんな感じになりました。そして、そうしているうちに当初の計画?よりもディリバルになってしまいましたが、バルマウフラさんはそれを認めないというか、気付かなさそうです。ディリータはもっと気付かないでしょう。

2022.08.13