Choosing Different Paths

 不意に思い出した。
 遠い昔、抱えた迷い。
 遠い昔、問いかけたかったこと。
 
 僕らは、何故──。


「ディリータ!」
 目の前にはティアマット。図体に似合わず歌うように暗冥を囁いてくる魔物に一撃を食らわし、僕は飛び退った。
「何だ!」
 傾いだ魔物の様子を好機と捉えたのだろう、魔物を挟んで向こう側にいるディリータが構えた剣を振り上げる。瞬間、剣に注ぎ込まれた青い炎がうねりながら魔物を貫いた。
「君は、違う未来を、思ったことはあるかい!」
 唱えずとも繰り出せるのは、大地から吹き上げる白い光。その轟音に紛れ込んでしまった声は、はたして幼馴染に届いただろうか。
「は!?」
 即座にディリータが怒鳴り声で訊き返してくる。よかった、届いたようだ。そんなことに安心した自分がおかしくて、笑えてしまった。
「ラムザ、お前な!」
 ティアマットに向き合ったまま小言を言ってきたディリータの先手を打つことにする。腰帯から短刀を抜き取り、僕はそれを魔物の急所めがけて投げた。──命中。
 うおおん、と断末魔が迷宮に響く。そうして時を待たずに闇の欠片となって魔物は消えた。
「お前、いきなり、何を」
「いや、思い出しちゃって」
 強敵を倒すのに息切れしたのか、荒い息をしながらディリータが言う。そのまま睨んできた彼を素通りし、魔物の影に隠れていた古びた箱を開けた。
 さすがの僕も久々のティアマットには骨が折れたけれど、ディリータほど疲れてはいない。こういった場面には結構出くわしているのもあって、そんなこんなで経験値に差があるからだろう。あっという間に整った息を潜め、開けた箱を覗き込む。
 思った通り、そこには青光玉の首飾りが収められていた。
「たぶん、これだね」
 箱から首飾りを取り出し、ディリータが突きつけてきた天鵞絨の小箱に収める。これにてお仕事完了、僕がそんなふうに戯けて言うと、ディリータは深々と溜息をついた。
 それもやっぱりおかしくて、つい吹き出してしまう。勿論、途端に睨まれる羽目になるのだけれど。
「言いたいことが山ほどありそうだけど、とりあえず出ようか?」
 ──伝説の魔物が出てくる前にね。
 そう提案すると、ディリータは憮然とした顔つきで踵を返した。少しだけ先に進み、何故かそこで立ち止まる。どうしんだろうと思いながらものんびりと追いかけようとした僕に、彼は「行くぞ」と声をかけた。
「はいはい」
 それがやっぱり嬉しくて、僕は急ぎ足で彼に並んだ。


「ありがとよー。今後もご贔屓に」
 魔物退治と財宝回収の報酬を受け取って「何でも屋」を出ると、ディリータは店前で待ち構えていた。
「……どうだった」
「まあまあってところだね。しばらくは困らないと思うよ」
「具体的には?」
 曖昧な答は気に入らないらしく、胡乱な目つきで彼は問いを重ねてきた。
「カティンまでは楽に行けるかな。そうだ、王都には行くつもり?」
 オルダリーアの交通の要衝である街の名を出して、それから問い返す。僕の問いにディリータは一瞬面食らったような顔を見せたけれど、すぐに首を横に振った。
「……いや、それは考えていない」
「そうなんだ?」
「俺はもはや何の権限も持たない。王冠も錫杖も捨てた身だからな」
 下手に出向くと良からぬ輩が良からぬことを企むだろう。
 そう付け加えたディリータに、僕は頷いた。
「利用価値特大だからね、今の君は。君を知る人達は怖くて変な企みなんかできないって思っているだろうけれど、知らない連中は勿論そんなこと知らないし」
「そういうことだ」
 僕の言葉に感じるところがあったのか、ディリータが顔をしかめる。たぶん、利用されることに(そして、利用することにも)敏感なんだろう。彼の古傷として在り続ける思いのひとつ。
 けれど、僕はそれに触れた。古傷だとしても、もう大丈夫だろう。そう思ったから。
 ……この旅で、分かったから。

 僕はディリータと旅に出ている。王冠と錫杖を手放し、野に下ったディリータと。
 数え上げるのが少し怖いほどの年月を経て、僕らは国境の街で再会した。挙げた片手を打ち鳴らして、旅を始めた。
 幾年も経てば、色々と変わる。風貌、雰囲気、考え方、心の有り様。
 それをお互いに言い合いながら笑う。話し込んだ末に時々は真顔になることもあるけれど、それすらも心地よかった。
 そうして、分かった。──ディリータは、少し弱くなった。
 けして悪いことじゃない、そう思う。いや、それでよかったと思う。
 若い頃に僕が会った彼は──ゼルテニアの教会で手を離したときの彼は──とても強かった。自分の力を信じ、すべてを変えようとしていた。頂を見据えていた。
 夢物語だと謗る人もいただろう。だが、彼はそれを成し遂げた。王冠を、すべてを手に入れた。……守りたかった人を除いて。
 そのときの彼の思いを僕は知らない。推量はできるけれど、問いかけはしない。強い、それ故に固かった心。それがどうなったか、今も彼は語らない。
 ただ。
 固さと強さは、実は同義じゃないと後に僕は知った。何かの話の拍子でムスタディオが僕にそう講義してくれたことがある。固いと思える岩も、狙いを定めて穿てば簡単に砕けてしまう。本当に強いのは、強大な力に折れそうになっても、砕けそうになっても、往生際が悪いといえるほどに柔らかい岩。ともすれば弱くも見える──柔らかく、しなやかな心。
 あのとき、ムスタディオは僕を見つめて言った。お前がそんな感じなんだよな、そう言って僕を小突いた。
 時を経て、きっと、色々あって。積み重ねて。
 何もかもが変わったわけじゃない。でも。
 ディリータは弱くなった。弱くなり──、そうして強くなった。
 ……僕が彼をそうさせたんじゃない。それは何故か悔しく思うけれど、きっと僕にはできなかった。たとえば傍にいたとしても、何もできなかっただろう。夕暮れの平原、雪の砦。あの頃と同じように見ているだけだった。
 手を離して、違う道を選んで。歩んだはずの別の未来を思いながら。
 今に、辿り着いた。

「ぼんやりは卒業したんじゃなかったのか」
 今まで立ち寄った街々と同じように、この街の酒場も賑わっていた。そんなわけで卓席は早々に諦め、カウンターでの立ち飲みを選んだ。
 唐突なディリータの問いが飲み込めなくて、僕は彼を見やった。彼もまたこちらを向き、問いに説明を添えて繰り返した。
「時々上の空になっている。昔もそんな感じだったな、何を考えているのか分からなくなったこともあった」
「……そうなんだ?」
 訊き返した僕にディリータが頷く。
「実は何も考えていなかった──、流されていることに疑問を持っていなかった。それが分かったときには失望もした」
「……」
 僕は何も言えなくて、黙り込むしかなかった。反論できなかった。
 当然と思っていた世界。見えなかった、見ていなかった現実。傲慢で、世間知らずで、思考が止まっていたあの頃。息苦しさを感じていたくせに、家の力を自分のものと錯覚しかけていた。何もできないと思いながら、何かできる……そんなふうに思っていたあの頃。ベオルブの名をいっとき捨て、逃げ出す前のこと。
 砦で突きつけられた激情。ディリータの思い、苦悩。それらをまるで分かっていなかったと気付き、愕然とした。……それでも、頭は空転してしまって。
 そして、僕は。そして、彼は。
「昔の話だ。お前がそういう気質なのは誰よりも分かっていたはずなのに、だからこそ自分がいるのだと知っていたはずなのに……何か勘違いしていたんだろうな。勝手に失望したんだ」
 ディリータは淡く笑った。
「違う未来を、という話だったな」
 僕は頷いた。魔物と戦いながら僕が放った問いを、ディリータはやっぱり聞き取っていたらしい。
「答える前に聞いておきたい。お前は?」
 陽気な喧騒に紛れてもおかしくないのに、ディリータの声は不思議と通っていた。声を張り上げているわけでもなく、むしろ潜めているといったほうが近い。はっきりと聞こえるのが不思議だった。
「僕は……そうだね、何度も考えた」
 エール入りの酒器を揺らし、そこに視線を落とす。
「過ぎたことを仮定形で思い返しても、何にもならない。けれど、それでも問いは消えなかった。どうすればよかったんだろうか、何かを違えば別の道行きになったんだろうか……」
 分岐点はひとつじゃなかった。幾筋にも分かれた道のひとつを咄嗟に選んでいった。選び、少し進んで、また選ぶ。その繰り返しの果てに僕はここにいる。
 選ばなかった道。辿れなかった未来。それらを後悔という名のもとに思い描くこともあった。
 選べただけ「マシ」なのかもしれない。それでも、何故という感情は付きまとう。
「君のこともそうだ」
 ディリータをそっと窺うと、彼は僕の告白を待ってくれていた。そのことに少し安心して、続ける。
「本当のことを言うと、父さんが今際の際に言ったような間柄……君が僕を助けてくれるなんて未来は想像できなかったんだ。想像しようとしても、うまくいかなかった」
「……ああ」
 何か思うところがあったのか、ディリータが頷く。
 たぶん、彼も同じなんだろう。決められた道筋は茫漠としていて、思い描けなかった。でも、なんとなくこのまま進むんだろうとも思っていた。
「だから、ゼイレキレで君と再会したときには妙に腑に落ちたんだ。ああ、そういうことだったのかもしれないって。僕は君のためにならなかった。君は僕の傍に在ることを望んでいなかった。勿論ものすごく動揺したし、わけが分からなかったよ。でも、そう直感してしまった」
 僕が逃げ惑っている間に、彼は未来を見据えていた。
 別の未来を、選んだ。違う道を、進んだ。
 それを寂しいと思う自分がいた。悲しいとも思った。よく分からない敗北感もあった。悔しい、そう感じてしまうのが不思議だった。
「君の目が語っていた。自分の足で歩け、と」
 あのとき、見えない扉が閉まる音がした。そうして、次の扉が現れた。
 僕だけの扉。別の道へ続く扉。
「君のまなざしと言葉にすべて従ったわけじゃないと思う。でも、やっぱり思うよ。兄さんを説得できていたら。異端者として追われなかったら。言われるがままに家に戻っていたら。聖石をめぐる争いに関わらなかったら。オヴェリア様を助けたいと思わなかったら。僕を助けてくれたたくさんの仲間達に出会わなかったら」
 いろんな「もしも」があった。
「……きっと、何か変わっていたんだろうか」
「どうだろうな」
 僕の問いに、ディリータが答える。
「変わったこともあるだろう。良かれ悪しかれ、多かれ少なかれ」
 望んだ未来になったかもしれない。望まぬ道になったかもしれない。
「おそらく、別の未来のお前もそうして悩むんだろう。だが、その悩みはお前には取るに足りないものでしかない」
「え?」
 ディリータの断言は意外に思えて、僕は思わず訊き返した。そんな僕にディリータは口の端を少しだけ上げて笑う。
「迷い、悩み……その末に自分の意志を貫いていた。自らの「最良」を信じ、道を選んだ」
 俺にとっては甚だ邪魔なときもあったがな。軽口を叩いて、ディリータは目元を和ませた。
 昔、ディリータが僕に告げた。僕のやり方では何も救えないと。どんなに足掻いても無駄だと。海鳥の鳴き声に混ざったディリータの言葉。……憶えてる。
「そうなったのはお前の性分だ、結局は。どんな経路を辿ったとしても、着地点を違えても、本当の後悔はそこにはない。仮定形の未来を思い描きはしても、どこかで納得しているんじゃないか?」
「……うん」
 ディリータの言う通りだった。
「本当は、そう。……たくさんの「もしも」が浮かんでは消えたよ。苦しいときもあった。けれど、あるとき思ったんだ。僕は僕でしかないって」
 人はひとつの道しか歩めない。苦しくても、悔しくても。自分も、仲間達もそうだった。きっと、誰もがそうなんだろう。
「そんなふうに思えるようになったのは、君と別れたときからだ。ゼルテニアで手を離したとき、僕の道行きは定まった。フラれて吹っ切れたとでもいうのかな」
 そう言って僕はディリータに笑いかけた。冗談めいて言ってみたけれど、あのときは彼と同じ道を歩めないと決まったのが少しばかり辛かった。違う光を見ているのだと心底分かったことが少しばかり苦しかった。
 ……でも、それは本当に「ほんの少し」のことで。
「君が僕に本心を見せてくれたから、迷いが消えた。僕にしかできないことをする、後は託そうって思えたんだ」
 別の未来、違う道。仮定形の未来はそれからも考えた。でも、過去にばかり目を向けるのは止めにした──、それがあの別れだった。
「これは僕の勝手な思い入れかもしれなかったけど──」
「……俺も同じようなものだ」
 僕の言葉に被せるようにディリータが言った。片肘をついて僕を見やるそのまなざしはどこか遠い。
「お前とは違う意味合いなのだろうが、背中が薄寒かった。一歩踏み外せば奈落の底だということは分かっていた。だから、あのとき」
 トントン。無意識なんだろう、ディリータは指先で卓を叩いた。
「すべてを理解してほしかったとは思わなかったが、ただ知っておいてほしかった。……それで、話したんだ」
「うん」
「本当は、誰かに話すつもりなどなかったんだがな」
「そう、か」
 僕の小さな相槌に呼応するようにディリータが言葉を継いでいく。
「話せてよかった。お前が言うように吹っ切れた──、それこそ良くも悪くもだが。薄寒かった背を任せられたから、俺は自由になった」
「ディリータ……」
 苦く笑うディリータに、僕は彼の名を呼ぶことしかできなかった。
 良くも、悪くも。
 確かに、彼の言う通りなんだろう。僕が心のままに道を定めたように、彼もまた自分の道を定めた。そうして、遠いところで背中を預けた。
 戦を経て、すべてが終わって。切れた細糸とは別に、そんな思いがあって。……でも、それで手にできたものは。その先の未来は。
 僕は頭を振った。これ以上は考えてはいけない。ディリータの心を土足で踏み荒らすようなものだ。
「今更だ、ラムザ」
 けれど、そんな僕をディリータは小突いた。
「俺の後悔は俺だけが抱えるが、お前が推量するのを止める気はない」
「でも、ディリータ」
「俺のことをそんなふうに「心配」するのはお前だけだからな」
 そう言うと、ディリータは片目を瞑ってみせた。……けれど、下手すぎて両目を瞑ってしまったから、僕は思わず吹き出した。
 心のなかに広がる海が凪になる。
 色々あって、違う道を選んだ。色々あって、肩を並べて歩くようになった。

 どこまでも、不思議な縁だった。

あとがき

捏造&妄想でまたまた「王様をやめたディリータと自由人ラムザの気ままな二人旅」というお話でございました。このお話の前後も含め、ラムザもディリータもかなりいい年ですが、口調はなんだか若いまま。ディリータはなんとなくこんな感じだろうなーと想像できるのですが、ラムザは難しいです。本筋よりサブイベントよりにしてしまう…。

2022.07.17